「おはようございます! ご入場の際は入校証を確認しますので、事前にご準備ください」
律夏が呼びかけるのは、花咲川女子学園の校門へ続く坂道である。
艶やかな葉の緑に彩られる桜のトンネルには、開場早々から参加客が列をなしており、律夏たち応援の学生を含めてその対応に追われていた。
「説明会へ参加される方は、こちらの列です。入校時にパンフレットをお受け取りください」
その隣の列には、学校説明会への参加を希望した中学生たちを導く紗夜の姿があった。
呼び掛けと中学生たちの案内をこなしながら、素早く資料を配っていく様は仕事人のそれであり、自分が周りの人間や凪紗から言われるのとは違う意味で、高校生らしからぬ側面を感じていたのだった。
「あ、あのっ」
背中越しにかけられた声──風に吹かれてしまいそうな小さな揺らぎを帯びる、
小さな体格の彼は、律夏と並ぶと親子ほどの身長差があった。日の向きも相まって、体躯の形影にすっぽり覆われてしまっていた。
「え、えと、その……」
律夏は言葉に詰まる彼の言葉をじっと待っていたが、かえってそれが彼を威圧してしまっていたことに気づいた。
天敵に迫られた小動物よろしく、彼は淡い空色の髪の先までぶるぶると震わせていたが、それでも拳をきゅっと握って、何かを言おうとして──
「若葉さん」
「……?」
それを紗夜に遮られた。
彼女に目を向けた律夏は、呆れた表情でこちらを見つめていることに気づく。
「どうかしましたか」
「どうもこうも、今の貴方がそこの彼を
「え」
ふと周りに意識を遣ると、ひそひそと口を隠しながらこちらを伺う生徒の集まりがあった。
「ご、誤解です」
「分かっています。……が、それは私が、貴方が風紀委員であることを知っているからです。一言も発さず、明らかに怯える彼を
睨みつけていたわけでは──そう言おうとしたが、彼女の凍てつく視線を身に受けてしまえば、もはや言い訳はできまい。
紗夜の言葉に、心なしか後ろの女子生徒もうんうんと頷いていたが、律夏に視線を向けられて退散していった。
ため息をついた彼女は、「ご迷惑をおかけしてすみません。ご用件を伺います」と彼に意識を切り替えた。
「め、迷惑なんてことはないです。……え、えっとその、僕、松原
口ごもりながらも彼が言った内容は、姉を追って友達と来たはいいものの、電車の乗り降りを繰り返しているうちに、人混みに流されてしまったとのことだった。
なんとか花女に辿り着いたはいいものの、女子高ということで肩身の狭さを感じながらなかなか尋ねることができず、律夏に意を決して話しかけたという。
「せっかく話しかけてくれたのに、威圧する真似をして申し訳ない」
「い、いえ! 僕こそ、初対面の人にびくびくして……失礼でしたよね」
「そんなことはありません。誰だって
「せめて俺に言わせてほしいんですが」
フォローにならない紗夜の言葉に、しかし彼の気も緩んだようで小さく笑っていた。
怖がられる自分の容姿が事実だとして、それは紗夜の眼力も同じようなものではないか──心を読まれているのか、恐ろしい形相に怯んだ律夏は思考を中断した。
「と、とりあえず今の話だと、友達との合流を優先したほうが良いか」
「はい。今会場に入ったと連絡があったので、そこで……でも、僕は入学希望生じゃないので」
「それなら、ご家族や同行者用の名簿に名前を記入してもらえれば説明会に参加できますよ」
「本当ですか! よかった……」
そこからは、紗夜の話ですぐに話が進んでいった。説明会参加者ということで、彼──楓夏という少年は紗夜に任せることにして、律夏は持ち場に戻ろうとする。
「あ、あの」
「?」
呼び止める彼の表情は、なにか切実なものを感じさせた。
「その制服……志哲高校ですよね」
「ああ。今日は生徒会の応援でね」
「やっぱり……あのときの人だ」
「え?」
「い、いえ! 僕、今中学3年生で、志哲高校志望なんです。だから……頑張ります!」
突然の決意表明に少し驚いたが、その純粋さにすぐ笑顔に変わる。
二年前、受験生であった自分も、合格を目指して努力を重ねてきたはずだから、その想いはよく分かった。
「おう。待ってるよ」
手を振ってそれに応える。背中越しにも、彼の視線は届いていたのだった。
♬
「松原……ああ、それって《ハロハピ》の花音ちゃんのことだよ、きっと」
仕事も一段落した昼休憩、律夏たちは花女の生徒会室に集まっていた。
結局、楓夏少年は紗夜の案内のもと、無事に友達と合流できたようで、その話を紗夜が持ち出すと、心当たりがあるらしい恵がそう言った。
「ハロ……ハピ?」
「あ、ごめん。《ハロー、ハッピーワールド!》っていう、はぐみたちが組んでいるバンドのことなんだけどね」
新手の流行り言葉か何かか、という戸惑いを顔に浮かべた律夏に、苦笑した恵が紅茶につけた口を離して解説を挟んだ。
生徒会室にマグカップやら紅茶のパックがあるのはどこも同じなのだろうか──口うるさそうな紗夜が言及しないあたり、特段問題はないのだろう。
「やっぱり、どこでもガールズバンドが流行ってるんだね。うちの
「……」
「……」
「ま、まさか」
恵やひかりの予感する通り、律夏は
「《Poppin’ Party》に《Roselia》、《Pastel*Palettes》……生徒会の身内だけでも、五つのバンドが」
「これって多分、偶然じゃないよね。大流行じゃん」
「今、校内でシフトに入っている三年の鰐部先輩も、たしかバンドをやっていたと思います」
おそらく、それはりみの姉であるゆりが所属する《Glitter*Green》であると律夏は見当がついた。興奮交じりにその魅力を語る凪紗の表情が思い浮かぶ。
「それだけバンドがあれば、対バンなんかもできちゃうかもね。……あっ、そうだ!」
思いついたように机を叩いたひかり。一同は何事かと視線を向けると、彼女は得意げに語り始める。
「
「な、なるほど……」
律夏が一言も返さなかったのは、その思いつきの実現にどれだけの労力がかかるのか、しかも教師が基本放任の志哲に限ってはその想像を遥かに超えてくると予見したからである。
かろうじて受け止めた──あるいは現実逃避したのか──恵も、大方同じような心境だろう。
「あー! さては乗り気じゃないでしょ!」
「お二人の気持ちは理解できます。今日の花女の文化祭ですら他校の方々の力をお借りしている以上、文化祭にライブパフォーマンスを加えるということになると、どれだけの応援が必要になるか……」
「むー……紗夜ちゃんもなの?」
むくれる彼女は一応、この中では最年長のはずなのだが──というか、三年ならば受験もあるのではないだろうか──律夏は疑問に思っていたので、それをぶつけてみる。
「ああ、それなら私、推薦受験だから」
「なるほど」
それならば納得である。合格の見通しも立っているということで、それならば企画だけして逃亡される心配もない。
「……もしかして、みんな私が企画して実行は丸投げなんて思ってた?」
「……会長なら、正直やりかねないかと」
「そうですね」
「ちょっとお! そんなに無責任に見えてるの私!?」
涼し気な紗夜と、気が咎める様子の恵に即答され、猛抗議するひかり。救いを求めて振り返られるも、律夏は瞑目してゆっくりと頷いた。
「うわーん! みんながいじめてくるー!」と大騒ぎの彼女だったが、ふと、響いたノックの音に小首を傾げる。
先程の涙は幻だったのか、そう思わせるくらいに引っ込んで、やはり女子は恐ろしいものだと律夏はしみじみ思った。
「お、お待たせしました〜。ご注文の品をお届けにまいりました……」
「あっ、きたきた」
「……何がですか?」
「お昼ごはん! 出張サービスをやってくれるっていうから、みんなの分も頼んじゃった」
目を丸くする恵に構わず、「今開けまーす!」と駆け寄っていくひかり。
「そういうところですよ」──律夏は苦笑しながらも、それを視線に籠めて見送った。
「わ〜! めっちゃ可愛いんだけど! ねえねえ君、ちょっとお姉さんとここでお茶していかない!?」
「え、ええっ!? け、結構です……!」
ドア越しに響いてくるやり取りののち、手を引くひかりの後にやってきたのはとある女の子──何故か
「ん……?」
律夏はそれが、少し前に会った少女だということに気づくのに、そう時間が掛からなかった。
♬
「まさか、あの子が戸山さんの妹さんだなんて」
「はは……」
ひかりたちと別れ、校舎内の見回りをひとしきり終えた道すがら、合流した紗夜はそう零した。
乾いた笑いで返した律夏は、改めて
「それにしても、なぜ戸山さん──明日香さんはあんなに慌てていたのですか?」
「まあ、知り合いにあの格好を見られるとなると……」
「──すみません、愚問でした」
仕事人の紗夜も、あの格好には流石に抵抗があるらしい。しかも、自分を知らない他人ではなく、かといって同級生や友達のように親しくもない異性に見られるとなると、
「一日中あの服装なのでしょうか」
「まあ、シフトを外れるとなると着替えもできるでしょうけど、あの様子だと、他の教室へ移動も多いでしょうし、そんな暇もないかもしれませんね」
律夏としては、恥ずかしがるほど不格好ではない──むしろよく似合っていると感じていたが、それを口にするのは火に油を注ぐようなのでやめておいた。
幸い、この巡回を終えた後は凪紗たちが演奏を行うホール上階からの警備なので、偶然の邂逅は避けられるだろうと思っていた。
──そんなときだった。
「──きゃあああ!!!」
「っ!?」
開放された廊下の窓から、女子生徒の悲鳴が聞こえてくる。それを受け取った周囲にざわめきが伝播していった。
「な、何が……」
「氷川さん、あそこです!」
すぐさま窓に駆け寄って、悲鳴が上がった現場を探ると、校庭の隅──出店を通り抜けた休憩スペースの奥で騒ぎが起こっていることを確認した。
紗夜と目を見合わせて頷くと、「ついてきてください」と手前の階段を駆け下りた彼女を追う形で走り出した。
☆
「風紀委員です! 今すぐ道を開けてください!」
紗夜の一喝によって、出店から騒ぎを聞きつけた花女生はまるで神話のように現場へ続く
彼女の風紀委員としての存在感がよく表れていると、律夏は緊急事態ながら見当外れのことを考えていた。
「あれは……子供ですか」
「いえ、その上の彼女です!」
走りながら、現場で起こっていることを確認する二人。近づくにつれて鮮明になっていく光景に合わせて、危機感も大きくなっていく。
騒ぎの大きさに泣いてしまったのだろうか、幼稚園か小学生くらいの女の子──ちょうど沙南と同じくらいだろう──が目を腫らして叫んでいる。
彼女の声が向く先──校庭を囲む立木の高枝に掴まっている、花女のフレアスカートを着た女子生徒がいた。
笑顔を崩さずに女の子へ語りかけてはいるが、桃色の髪に覗く汗が滲んでいる。
「一体何が……」
「おそらく、あれでしょう」
そう言って、紗夜は女子生徒の掴まる枝の近くに絡まっている風船を指さした。
真っ赤な色地に、女児向けキャラクターの印刷が施されているから、きっと女の子のものであるのだろうと、紗夜は目線で語る。
そして、それは根本に横たわる梯子──金具が壊れている──に向けられる。
「あの高さ……2メートル以上はあるでしょう。梯子を使って取ろうとして、なにかの拍子で倒れ、壊れてしまった、ということですか」
彼女の推理は、律夏自身考えていたこととまったく同じだった。
あの高さから落ちてしまえば、どんな怪我になるかわからない。また、梯子が壊れているからといって運んでくる時間はそうないはずだ。
事態は緊迫している。
「先生や周りの大人を呼ぶ時間は」
「……いつ、彼女が限界を迎えてしまうかわかりません。周りの生徒の制止も考えると、私たちは離れられないと思います」
「……」
拭えない焦燥感に、必死に思考を巡らせる。
彼女が自力で降りることはほとんど不可能に近い。梯子を使っていたくらいだから、まさか木登りに慣れていることはないだろうし、あの様子だと移動することも困難だ。
かといって梯子の代わりとなるものも見当たらないとなると、やれることは限られる。
「──若葉さん」
「……はい」
やはり考えを同じくして、紗夜は問いかけた。それが自分にしかできないことだと、律夏は決意する。
どれだけ華奢といっても、女子生徒は高校生だ。その高さから落ちる瞬間の衝撃力は相当なものだろう。
「……風紀委員として、生徒を守る役割があることは分かっています。しかし──情けないことですが、今は、自校でもない若葉さんの力を、怪我を負う覚悟をさせてまで、頼らなければなりません」
「俺だって、風紀委員で、実行委員の一員です。その目的は同じはずですよ」
失意をその怜悧な表情に刻み込んだ紗夜に、律夏は励ますように言った。
数学や物理の知識も、今は必要ない。咄嗟の判断力と、それを支える覚悟だけでいい。
「──絶対に、助けてみせます」
「っ……! 頼みます」
そう言って、一歩を踏み出した瞬間だった。
「────あ」
誰かが、短く零した──それは紗夜か、周りの生徒たちか、もしくは今、その自由落下に身を任せた女子生徒本人だったかもしれない。
全力を込めて地面を蹴り出す。埃が立ち、陥凹ができる。
一歩、跳躍のように飛び出した。髪が揺れ、汗が流れ出す。
二歩、着地を片足で支えて、目でしっかりと彼女を捉える。光を失い、恐怖を超越した空白のような無表情が、焦りを増幅させていく。
三歩、手を伸ばす。その距離では届かない──未だ冷静な自我がそう告げていて、跳ね上がる心拍とともに加速する。
四歩、宙にあった彼女の身体は、重力に導かれてその全衝撃を受け止めようとしていた。視界に映し出される現実が、信じられない──決して信じたくなかった。
五歩、諦められないと心が叫ぶ。風を切り、地維に押し出された身体が、
このままでは間に合わない。それなら──
「……っ、うおおおっ!」
絶叫のまま、片足を前に突き出して滑り込む。まさに、彼女とその身体を待ち受けた地表の間隙を縫ったのだ。
抱きとめる瞬間に、衝撃が全身に広がり、圧迫で肺の空気が瞬時に押し出される。それでも、力の一部が地面に逃れたおかげか、痛みはわずかなものだった。
「ひゅ……ぐ、はあ、はあっ……!」
全力疾走で使い切った体中の酸素がさらに押し出されて欠乏していた。半ば過呼吸のように息を吸う。
「若葉さん!」
ぼやける視界でも、ライトグリーンの髪を振り乱して紗夜がこちらへ駆け寄ったことが分かる。
弛緩する身体、その強烈な脱力感の中で、律夏はなんとか腕を挙げて応じるのだった。
☆
必死で抱き留めた女子生徒は、律夏の胸元で静謐を保っており──それはつまり、気を失っているのだろうと、紗夜は結論づけた。
目立った外傷もないということで、とりあえず落ち着いてほっと息を吐くことができる。
「それより、問題は貴方の方です。怪我は?」
「少し擦ったのと、土で汚れたくらいです」
「よかった……」
自分以上に、紗夜は明確な安堵を示した。それはきっと、自らの風紀委員としての立場もあるのだろうとぼんやり思っていると、続く言葉に否定される。
「本当によかった……もし、怪我があったらと思うと」
「大げさですよ」
「大げさなどではありません。私にとって重要な人が傷つくかもしれなかったのですから、当然です」
「っ……」
真面目くさった表情でそんな発言をされるのだから、律夏は面食らった。幸い、周囲は惨劇が避けられたことで盛り上がっており、注目はされていたものの、話までは聞かれていないだろう。
ふと、紗夜が顔色を変える。
「ど、どうかしましたか」
「時間がありません。凪紗さんたちのステージまで、あと五分」
緊急事態で、意識の範疇にそのことが抜け落ちていた律夏に、冷たい汗が流れる。
今から向かっても、その五分で足りるかはわからない。さらに胸元の彼女を抱えている現状、何らかの処置は必要だろうから、間に合わなくなってしまう。
それでも、職務は全うすべきだという考えが律夏のなかにあった。
「さすがに氷川さんでもこの子を抱えたままだと厳しいでしょう。この緊急時ですから、それは俺が引き受けます」
「しかし……!」
なおも食い下がる紗夜に、律夏は諭すように続ける。
「氷川さん。俺が凪紗たちのライブを見に行けるように言ってくれていること、本当にありがたいです。──それでも、これは俺にしかできない仕事です。風紀委員として、自分が必要とされているときには、他のことを投げ打ってでもその仕事をこなすべきではないですか」
将来の展望を考えるに、律夏にとって最も最適な選択肢──国立大学への推薦受験を叶えるために、風紀委員への就任は不可欠なものだった。とはいえ、そこで職務をおざなりにしていては、決断の意味を薄れさせてしまう。
自らの責任の下に選んだ環境は、自らの行動と努力で保ち続けなければいけない──それが律夏の信念だった。
言外にそのことを伝えつつ、視界に紗夜を映り込ませる。誠実で責任感のある彼女だからこそ、これを否定することはできない──握りこぶしが震える理由は、きっとそれでも自分を凪紗のもとへ向かわせてたいと思ってくれていて、その葛藤からだろう。
彼女の思いを、律夏はとても嬉しく思った。同時に、それを叶えられない自分に不甲斐なさを覚えた。
──そのときだった。
「若葉!」
声が聞こえた。
風に吹かれるような、儚い声だった。それでも、その主がしっかりと自分の名を呼ぶのが聞こえた。
引きつけられた視線の先、必死に駆け寄る姿が次第に大きくなってくる。そして、すぐそばで
「──さあ、行って。君を待っている子がいるから」
SSを書くにあたって、ゲーム本編のイベストを繰り返し見てるんですが、どう考えても最初の花見イベは説明つかないんですよね……。
二年目の方に回せたらそうしようかなと考えているんですが、やっぱ花咲川は時空歪んでるんですよね()