「「——向かいながら……っ!」」
私たちの演奏が、そのフレーズで終わりを告げた。
「はあっ、はあっ.」
ボーカルとギター、喉と腕に全ての集中力を注いで、すっかり私は肩で息をするくらいには体力が枯れ切っていた。たぶん、あまりにも必死すぎる形相がライブでは
隣の香澄はすこぶる笑顔だ。歌っている横顔が目に入ったとき、すっごく楽しそうだったのが印象的だった。
「……」
振り返って他のみんなの様子を窺うと、どうにも顔色というか、雰囲気がよろしくない。……私には分からなかったけど、もしかしてトチっちゃったかな。
そんな私たちの表情を見つつ、瞑っていた目を開いてオーナーは、
「やりきったと思うものは?」
とだけ言った。
——”やりきった”って何だろ。Roseliaのライブが終わった後、控室でも言っていた気がするけど。
文字面だけを追うなら、演奏が最後まで正しくできたってことかな。
その言葉の真意が汲み取れないままでいると、ステージの上で、ただ香澄だけが勢いよく「はいっ!」と手を挙げていた。
元気がいいなぁ.っていうか、みんなは手を挙げないんだな。
「ふん、ダメだ。うちのステージに立たせるわけにはいかないね」
冷たく言い放つオーナー。あらら、ダメだったか。まだ演奏技術のレベルが足りないかな。
「あの……私たちの演奏が、ダメだったんでしょうか」
「まあ、
「「……」」
指摘を受けた私と香澄以外の誰も、何も言い返せなかった。
「……その点、
突然、オーナーは私に矢のような鋭い目線を向けてきた。——この距離でその目は恐い。怒られてるわけじゃないのに恐ろしい……。
「それは褒められている……わけじゃないですよね」
「なんだ、分かってるじゃないか。その意味をよく考えてみな」
口角を上げた彼女の言葉に、私は何度頭を捻っても満足のいく解釈を与えることができなかった。だから、黙ったまま頷いた。
「また受けます! いっぱい練習して、何回でも挑戦します!」
「何回でもね.がんばりな」
「はい!」
香澄の熱意とは対照的に、オーナーが応える声のトーンは少し低めだ。その理由──SPACE閉店の事実を知ったのは、このすぐ後の出来事だった。
♬
「SPACEが閉店?」
「そうなんだって。オーナーが言うには、『私はもうやりきったから』って」
久々にアルバイトや生徒会のない兄さんと夕食を取っているとき、思い切って相談してみた。
相変わらず忙しい兄さんは疲れているかな、と心配だったけれど、昨日は沙綾の家でお母さんの代わりに家事をこなしたらしくて、そこまでのお節介が焼けるのなら大丈夫か、なんて変な安心感を抱いてしまっていた。
「やりきった……って何だ?」
「それ、私も思った。オーディション、不合格だったんだけど……その理由が、私たちが『やりきったか』って聞かれたときに手を挙げられなかったから」
「流石にそれだけで判断してるわけじゃないだろうな。演奏とか表情を見て、色々な部分から決めているんだろう」
「演奏レベルだけじゃないの?」
そう言うと、兄さんは困ったような笑みを浮かべて、「まあ、その場にいないから詳しいことは分からないけどな」と前置きした。
「基準が演奏だけなら、わざわざそんなことを訊く必要もないだろ? 『やりきった』っていうのがなにかは分からないけど、音に表れない部分なことは間違いないと思ってさ」
「それもそっか.」
まあ、仮にその言葉が形式的なものだとしたら、演奏レベルが足りているだけで合格してしまうものなのかもしれないけれど。
私には、あの厳しくも情熱的な節のあるオーナーが、そんな無意味なことをするようには思えなかった。
「すまんが、それ以上は分からないな。よく考えてみれば、お前たちの演奏を聞いたのは市ヶ谷さんのお宅の蔵と、文化祭だけだから」
「まあそりゃそうでしょ。あとお前たち、じゃなくてポピパね。《Poppin’ Party》」
「ああ、そうだった」
そう言って笑うばかりの兄さん。本当に分かってるのかな。
私は、身体の火照りを冷ますようにコップの麦茶を一気に飲み干した。
「結構、楽しんでるみたいだな」
「楽しんでるっていうか、むしろ苦戦してるんですけど。こんなに困ったことってないくらい」
空になったコップへピッチャーを傾けて、兄さんは言う。
「
「ぐむむ.」
そういえば、そんなことも言った気がする。反論ができなくて黙り込んだ私に苦笑しながら、兄さんは続けた。
「悩んで、答えを見つけ、行動する。そんな挑戦の繰り返しが人を成長させるんだ」
「.なんか、お父さんっぽいんだけど、その台詞」
「老けてるって意味なら違うからな。俺はまっとうな高校生活を送る中で学んだんだ」
「まっとう、って.第一、兄さんは何に挑戦してるの?」
「最近ならこれだな。ほら」
即答しながら彼が通学鞄から取り出したのは、分厚い本——『学科試験教本』って書いてある。
描かれているのは、車やバイクのイラスト。
「これ.免許?」
「そうそう。二輪なら高2でも取れるらしいからな。来年は技能教習だけやって4輪も取るよ」
最近は少なくなってきているけれど、免許を取る人はどこの高校にもいるらしく、図書館で借りてきたんだと付け加えた。
「でも、何のために?」
「ああ。実は、ベーカリーで配達をする頻度が増えたらしくてな。人気が出たみたいで、
亘史さん、つまり沙綾たちのお父さんはパンを作るだけじゃなくて、配達の仕事も担当しているらしい。
近くの地域限定だけど、今流行りの配送サービスを行うスマホアプリと連携したことで、それがぐんと忙しくなったとのこと。
「……今までよく家族でやってたよね」
「そりゃあ沙綾ちゃんも手伝いをやめられない訳だ。……まあ、売上とか家計とか、そのあたりの話が関わってくるんだろうけどな。俺たちにはまだ分からん」
そういう意味で兄さんがお店の手伝いに入ったことは、ベーカリーにとっても山吹家にとっても役立っているらしく、やりがいをもって働けていると兄さんは言った。
「確かに毎日忙しいけれど、そこには新しい発見があって——俺はそういう『挑戦』を楽しめているよ。凪紗はどうだ?」
「私は……」
兄さんは限られた環境と時間の中で、精一杯に頑張っている。自分のこと、家族のこと、周りのこと——今まで経験したことのないこと全てを自分の挑戦と捉えて、頑張ってる。
分からないことだらけなのは、私だけじゃない。
だから、私も頑張れるはず。
「バンドを──ポピパの活動を続けていくためにも、オーディションが一番の挑戦なんだと思う。だから、私たちの力で考えて、悩んで……超えてみせるよ」
「うん、その意気だ」
兄さんはにっと微笑んだ。
それに応えるように、私は突き刺したフォークの先にあるキノコを、ぱくっと口に放り込むのだった。
♬
翌日から、私たちの練習はいっそう濃くて激しいものになった。
閉店の話にショックを受けて、理想の花園ランドが見えてしまっていたおたえも、香澄の熱意にすっかり影響されて、こちら側の世界に帰ってきた。
「休憩中なんだし、ちょっと休めば?」
香澄の音合わせに付き合っていると、有咲が声をかけてきた。
「ううん、大丈夫!」
「一緒にやってて何だけど、気合入ってるよね。指、切っちゃったんでしょ? もう痛くない?」
そう言って指を差した先には、絆創膏に包まれた香澄の手指。
昼休みも、蔵でも家でも練習しているせいで、すっかりぼろぼろになってしまっている。もっとも、それはおたえも私も、他のみんなの入れ込み具合と同じだった。
「うん、平気……《CHiSPA》のなっちゃんたちも合格したみたいだし、私ももっと頑張らなきゃって思って」
沙綾がもといたバンド、《CHiSPA》の面々とは、よく連絡を取り合っていた。結果的には沙綾というメンバーを引っ張ってきたような形になっちゃったから、そのあたりは引け目に感じていたけれど、
「海野さんのところか……まあ、経歴はあっちの方が長いけど、クラスメイトのバンドが合格したって聞くと、な」
腕を組んだ有咲。なっちゃんとは同じクラスだから、バンドの話をするのかもしれない。
っていうか、あの子から聞くクラスでの有咲の様子って、本当に同一人物ですかって感じなんだよね。お嬢様扱いされてる?
「……」
「香澄?」
視界の端、じっと指先を見つめる香澄。その様子が彼女らしくない神妙さで、思わず呼びかけた。
「ううん……大丈夫」
まったく同じ言葉、同じ反応のはずなのに、何かが違う気がしてしまう。
ふと、香澄を挟んで向かい側の有咲と目が合う──彼女は視線に乗せて、何かを伝えようとしているようだった。
☆
練習後、私は「質屋に気になるものがある」というギリギリの嘘をついて、有咲と一緒に蔵に残った。
まだまだ練習し足りない様子のみんなは、しかし時間も時間なので、個々での自主練を頑張ろうと意気込んだ様子で家路に就くのだった。
──ただ、香澄の見せた表情の翳りだけは、拭い去ることができないでいた。
「……ったく、あいつら、食うだけ食っていきやがって」
「まあまあ、練習に熱も入ってたしね」
広げ散らかしたお菓子を片付けながら、愚痴をこぼす有咲をなだめる。それから、黙々と掃除をしつつ、少しの沈黙が続いた。
それを打ち破ったのは有咲だった。
「……あいつ、大丈夫かな」
「あいつって、香澄?」
「うん」
だいたいの片付けが終わって、ソファに腰かけながら、彼女は小さく頷いた。少しずつ、彼女の考えが分かってくる。
「あいつにさ、『がんばるのってしんどくないか』って聞いたんだよ。完璧な演奏ができたら、SPACEでライブができたら、それがゴールなのかって……」
「香澄は、どんな反応だった?」
「まあ、私も試すつもりはなかったんだけど……『楽しい』って」
「そっか」
香澄は、どんなことでも楽しんでみせるくらいの気持ちで、バンド活動に挑んでいるようだった。
そこにゴールとか、満足とかはなくて──ただ、楽しいだけがそこにあるのだと、そんな風に香澄は
「……あいつは、本当にそう思ってんのかな」
「有咲は、バンドやるの楽しくない?」
「……それ、香澄にも言われたよ。あの時は香澄に『楽しくないの!?』ってマジで迫られたから、咄嗟に違うって言ったけど」
「うん。わざと訊いた」
「お前なぁ……」
へへ、と笑みを傾けて、呆れた有咲の膝に飛び込んだ。
「ちょ、ちょおまっ」
「……『楽しい』だけ、感じられてたらいいんだけどね」
有咲は私を引き剥がそうとする手を止めた。
そりゃ、みんなで演奏してるのはめっちゃ楽しい。メンバーそれぞれの役割があって、お互いがお互いを想いあって、音を重ねる時の気持ちを、私は忘れられない──香澄に言わせれば、『キラキラ』と『ドキドキ』がそこにはあるから。
だけど、そればかりがバンドではないということを、私たちはよく知っている。
「沙綾のときのこと、一つとっても、すっごく切なくて、苦しくて……地道な練習に疲れ果てることだってあるんだよね」
「私は、ずっと一人だったから……今こうしてバンドを組んで練習することに、まだ戸惑うときがあるよ。楽しくないって言うと、香澄みたいな反応をされるかもだけど……まだ、完全には馴染みきってないんだ」
「ええ? それはなんか寂しいなあ」
「お前や香澄みたいに、みんながコミュ力あるわけじゃねーからな……ってか、いつもそう思ってるわけじゃなくて、自分の中で、整理をつける時間がまだ必要ってだけだ」
頭の上に、控えめに有咲の手が置かれた。
こうやって簡単に距離を詰める私や香澄に対して、有咲が慣れることに未だに時間を必要としているように、香澄には香澄の、超えていかなければならない壁がある。
バンドを通して、私たちは一つになった。だけど、私たちそれぞれが抱えるものが無くなったわけじゃない。
「誰かに悩み事ができたとき、それがみんなに伝わっていけばいいのにね」
「開けっ広げすぎだろ……プライバシーどこ行った」
「ふふっ」
楽しいだけじゃない、悩みもある、私たちのバンド活動。
私たち六人が、自分の気持ちをぶつけ合って、演奏を重ねあって、それだけじゃ届かないものもある。抱え込んでしまうモノに、手を差し伸べられるように、想いを寄せ続けないといけないんだ。
「……香澄、何してるかな」
「自主練してるんじゃないかな。……いろんなバンドのこととか、オーナーの言葉とか、『楽しい』の裏にあるものと、たぶん戦ってる」
有咲の手を、両手できゅっと握って、私は目を閉じた。
──たった一人で努力を続ける、あの子のことを想って。
♬
二回目のオーディションを数時間後に控えて、私たちはいつものように蔵の前で集合した。だけど、いつもと様子が違う──一番乗りの彼女は、十分経っても二十分経っても、姿を見せないのだ。
「香澄ちゃん、どうしたのかな……」
「来る途中で、電車が止まっちゃったとか、かな?」
それぞれの心配をよそに、ふと、ポケットの中のスマホが振動を伝えてくる。明日香ちゃん──香澄の妹さんだった。
「あっ、明日香ちゃん? もしかして、香澄のことかな。何かあった?」
『突然連絡してすみません。それが──』
長い間空けてしまいました(といかほぼ一年経ってる)
6周年に向けて執筆のモチベーションを取り戻しています。頑張って仕上げたい。