「ねえねえ、紗夜」
「何ですか」
《Roselia》の決起を誓った直後のファミリーレストランで、今井さんは私に好奇の視線を向けてきた。
心当りがすれば、今日のライブ後、控室を出てからのことだ──
「さっきの後輩ちゃんとはどんな関係なの? たしか、『お兄さん』がどうとか言ってたけど」
「ああ、そのことですか……」
輝きを湛えた瞳は、しかし私にとっては少し鬱陶しいと感じられる。
「特に面白い話でもありません」と但し置いて、私と凪紗さん、そしてお兄さんの関係を、所属する風紀委員会での仕事上の付き合いと、簡潔に説明した。
「へえ、風紀委員……志哲高校との付き合いって、どういう感じなの?」
「それなりの大きさのイベントになると、近くの高校同士で役員を派遣するんです。以前は花女での文化祭で助力いただきました」
「そうなんだ! ……生徒会って聞くと、なんかお堅いイメージがあったけど、結構つながりができて楽しそうだねっ」
おそらく、私の簡素な返答は今井さんにとって面白みもなく映ったに違いないが、彼女はそのような素振りを見せなかった。
少し大げさにも思える彼女の反応は、しかしコミュニケーション相手への気遣いが滲んで見えるようだった。
「あ、あの」
「……?」
ふと、今井さんの隣で小さく手を挙げたのは、ドラムを担当する宇田川さんだった。
「そ、それってもしかして、来週の羽丘の文化祭にも参加するってこと? ……ですか?」
敬語は苦手なのだろう、最初の語尾を隣の白金さん──キーボード担当だ──に諫められて取り繕っている。
「ええ、その予定です──そういえば、あなたのその制服」
「はいっ! あこ、羽丘生なんです。まだ中等部だけど……」
「私たち、ダンス部で一緒なんだ。今度の文化祭で、チームを組んでるの!」
「ねー?」と両手を重ね合わせる二人の仲は睦まじいようである。──まあ、険悪なムードを練習に持ち込まれるよりはマシだろうか。
すでに羽丘での文化祭実行委員会は数度開催されており、私も参画しているのだが、花咲川よりも多くの団体が出店し、またステージへの出演を予定しているようだ。
「貴女たち……」
意識の外から声が掛けられる。
テーブルの側に立っていたのは、ドリンクを持った湊さんだった。短い言葉にも僅かな苛立ちが見え隠れしている。
「ゆ、友希那」
「言ったでしょう。『ついてこられなくなった人には、その時点で抜けてもらう』と。……リサ、貴女はそれを理解していると思っていたのだけれど」
「ご、ごめんごめん! 確かに部活との両立は難しいの分かってるよ。……バンドメンバーとして出遅れてる分、しっかりやらなきゃってことも」
「……」
気まずさからか、わずかに顔を伏せた今井さん。
湊さんの指摘はもっともであり、私たちは遊びで音楽をするわけではない。今日のライブの結果を踏まえるならば、部活に関わる事情は、今井さんの練習をよりハードにする要素にしかならない。
彼女もそれを分かっているのだろう。だから、私が言えることがあるとするなら──
「バンドと部活、どちらも必要であるというのが、今井さんの私情なのでしょう」
「……! 紗夜」
私の物言いに、湊さんの喫驚は繰り返される。それが戸惑いとなって、憤りと変わったのだろうか、彼女は少し睨めつけるように続ける。
「『バンドに私情を持ち込まない』……これは、貴女も同意したことだったはずよ」
「ええ。しかしその私情を知らなければ、メンバーも、メンバーが奏でる音も理解できません。演奏に向ける意識の乖離の先に、《Roselia》が追求するものはないと考えます」
「だからって」
「もちろん、ステージに立つための練習が必要な点では、ダンスもバンドも同じです。そのどちらにも努力を振り分け、なおかつレベルを上げるということは、簡単にできることではないわ」
そう言いながら、今井さんへ視線を向ける。少し、居心地の悪い表情が浮かぶ。
「それでも──今井さんは決断した」
「っ」
誰のものとも分からない、息をのむ音が聞こえる。
今日、ステージで得た直感、そして控室で流した涙が、彼女の決断の背後にあるのだろう。私は、それをもっと深く知りたいと思った。
「納得できないわ。貴女にも、音楽を始めた私情があるというの?」
「……ええ。今はまだ、話せませんが」
信じられないものを見るような──、否、裏切られたような反応を見せる湊さん。以前との矛盾を孕む私の論理は、理解を求めるのに苦しかったのかもしれない。
「ただし、演奏に私情は不要です。ライブハウスのステージの上では、私たちは
オーディエンスは、生み出される音だけを求めに来る。そこに、余計な演出も感情も必要ない。
──ゆえに、失敗が許されないのだということを言外に伝え、私は湊さんの視線を受け止めた。
♬
「へえ、七菜っちがそんなことをねぇ」
翌日、授業を終えた私は、羽丘学園へと足を運んだ。花咲川、志哲両校の生徒会役員がちらほらと姿を見せ始める会議室で、上原さんにこの間のことを訊いたのだった。
「鰐部さんは、上原さんがそのように考えているはずだと」
「確かに、対バンはちょっとやってみたかったんだよね。演者としてというより、企画して学校を盛り上げたい……みたいな?」
音楽の経験を問うと、「紗夜ちゃんみたいにバンド組んで、とは行かないけどね」と苦笑した。
私は、これまで上原さんの計画が彼女のやりたいことを盛り込んだものであると思っていた。だから、自分の音楽経験に関係なく、ましてや舞台に立つことなく文化祭を企画する(ある意味)謙虚な姿勢を意外に感じたのだ。
「対バンは、目的のための手段にすぎないということなのですか?」
「正直、出てみたいっていう気持ちもあるよ。でもね、それよりも大切な信念、っていうのかな。それが私の中にあるんだ」
「信念、ですか」
上原さんは照れくさそうに頷く。
「『自分の行動ひとつで、世界は変えられる』……私は、そう信じてるんだ。世界っていうとすごく大きく聞こえるけど……周りの環境に息苦しく思ったり、少しでも良いものに変えていきたいって思ったとき、声を上げて行動することが大切だって思う」
その瞳は、慌ただしく会議室の準備を行っている羽丘の生徒会役員に向けられている。
「私の行動が誰かに響いて、その中の一人がまた行動を起こしてくれたら、変化の波は続いていく。こうやって、他の高校の文化祭を手伝うのだって、『仲間探し』でもあるんだよ。共感してくれる人を探したり、自分の行動がたくさんの人の役に立つことで、自信になっていくしね」
「なるほど……」
上原さんの信念は、とても壮大なものだった。それでも、その考えの下で、彼女は着実に力をつけているのだということが分かる。
多数の生徒の信任を受け、生徒会長になった事実がそれを物語っているからだ。
「お、お待たせしました! 会議室の設営が終わりましたので、これから打合せを行いたいと思います!」
どうやら、準備が整ったらしい。高等部の生徒だろうか、グレーのブレザーを着た女子が、呼びかけとともに声を響かせる。
花咲川の役員の待つ長机に移動しようと上原さんに目を向けると、「だからさ」と言葉が続いた。
「紗夜ちゃんも、『仲間』になってくれないかな」
「……私は、もうその一員のつもりですよ」
私の言葉を、彼女は花の咲くような笑みで受け入れたのだった。
☆
打ち合わせは予定時刻をしっかりと守る形で進められていった。
花女での文化祭の形式を踏襲し、風紀委員は三校を跨る合同警備の体制を組むことになっている。取りまとめを行った私は、警備ルートを当日の進行に合わせて調整しつつ、注意事項の共有を行った。
「……すでに知っている方もいらっしゃるかと思いますが、花女では未然に防がれたものの、生徒の転落事故が起こっています。危険な行為や不審な点がある場合は即座に報告を行い、怪我人が出た場合、緊急の対応が取れるよう、これまで以上に警戒態勢を整える必要があります」
特に人手の多い文化祭では、避難、搬送、連絡を行う「道」が最重要となる。そのためにも対策は必至だ。
若葉さんの報告に続く形で、羽丘の校舎地図をもとに当日の役割分担を進め、一時間もかからず会議は終幕を迎えた。
「──それでは、これで風紀委員の話し合いを終了します」
解散となって、多くの生徒は帰り支度を始めているなかで、若葉さんは参加団体の確認が行われている教室の前方を見つめていた。
「どうかしましたか?」
「はい、なんだか不穏な空気が」
彼の指差す先には、志哲の二人と話し合う二つの団体がいて、何やら重い空気が漂っているようだった。
近づいていくうちに、片方に見知った顔を見つける。
「今井さん、宇田川さん」
「えっ、あ、紗夜!」
「紗夜さん!」
「ああ、青葉さん」
「お〜、律夏さんじゃないですか〜」
「「……」」
若葉さんと顔を見合わせる。
「……知り合いが多いみたいだね?」
「ちょっと混乱しちゃうから、自己紹介を先に済ませようか」
私達は、上原さんと北沢さんの提案を、ひとまずは受け入れるしかないと頷いた。
☆
「えっと、じゃあまとめると……」
「
「ちょっと、もう! お姉ちゃんは余計なこと言わないで!」
耳が痛い姉妹愛に溢れた会話を繰り広げる上原さん姉妹。それに苦笑して並んでいるメンバーに視線を移す。
「精肉店の僕とベーカリーの律夏、羽沢珈琲店のつぐみちゃんと、常連のモカちゃんは、商店街のつながりが強いかな」
「練習終わりとかにも、よく寄ってるので知ってますよ~」
ゆっくりとした独特のペースで青葉さんが応える。若葉さんが声を掛けていたのはそういう事情があったからなのだろう。
「まあ、つぐちゃんのとこでよくお茶してるから、商店街に関わりはあると思うんだけど、こっちの二人は美竹蘭ちゃんと宇田川巴ちゃん」
上原さん──ひかりさんの紹介に、美竹さんは短く、宇田川さんは大きく応える。ふと、その苗字に心当りがあった。
「宇田川さん、というと……」
「あこのお姉ちゃんなんです!」
自信満々、どこか誇らしげな様子で宇田川さん──あこさんが言う。兄妹、姉妹関係が複雑に絡み合うので少々ややこしい。
「そちらはダンス部の代表さんって聞いてるんだけど、紗夜ちゃんの知り合い?」
「ええ、紹介してくださった皆さんと同じく、バンドを組んでいるんです」
一同の関心が私たちに移ってきたので、少しだけ《Roselia》の説明をする。
「先ほどの宇田川あこさんがドラム、私、氷川紗夜がギター、そしてこちらの今井リサさんが」
「ベース担当だよー☆ モカとはバイト仲間だから、《Afterglow》のみんなの話は聞いてるんだ~」
「いえ~い」
意外な形で今井さんの交友関係が垣間見えることになったが、それよりも聞き捨てならないのは彼女がバイトをしているという事実である。
──昨日の言葉、嘘とは言わせないわ。
「か、隠してたわけじゃないって! しっかり約束は守るってばぁ!」
本当は詰問しなければならないのだが、今はそのような場面ではないだろう。一通りの紹介が済んだところで、事情聴取を始めたいところだ。
ため息を一つ吐いて、若葉さんへと視線を送った。意図が伝わったのか、彼が話題を切り替える。
「まあ、意外な遭遇だったようなのでバンド内でのお話もあるでしょうが……ひとまず自己紹介を頂いたので、トラブルの原因になっていることを教えてもらえますか」
「えっとね……簡単に言えば、出演時間の確保を間違っちゃって、このままだと文化祭ステージに用意した時間通りの進行ができないから、どちらかの出演を取り消しにしろって言われてるみたいで」
「本当ですか」
流石の若葉さんも、鉄仮面が剥がれた様子だった。指示の通りなら、二つの団体同士で話し合いを行わなければならないというわけで、必ず揉め事となってしまう。
「出演を取りやめるなんて……そんなの、ありえません」
「蘭ちゃん」
美竹さんが静かに声を上げる。寡黙ながら言葉には気迫が籠っていて、それだけバンド活動にかける思いが強いのだろうと推察した。
ただ、それは今井さんたちにも言えることだ。
「私たちもさ、部員みんなで出られる機会って選抜のない文化祭くらいだから、大切にしたいんだよね」
真っ向から対立することはきっと彼女たちも望んでいない。控え目な口調ではあったが、部員や部活動全体を背負った発言だった。
「ごめんなさい……生徒会も、実行委員会とよく確認を取っていたつもりだったんですが」
羽沢さんが心苦しそうに零す。
よく見れば、ホワイトボードの前で呼びかけを行っていた生徒であることに気が付いた。生徒会役員であれば、その責任を感じているということだろうか。
励ますように肩を抱いたひかりさんに続いて、志哲高校の面々が話し合う。
「つぐちゃんはまだ一年生だし、気負うことないよ。それより、これからどうするかを考えよ?」
「は、はい」
「そうですね。今のところ起こっている問題は、ステージ時間が足りないせいでどちらかの団体が出演できないってことだけど」
「対応できるとしたら、二択……ステージの時間を調整するか、団体数を減らすか」
「やはり団体数を削るのは揉め事の種となるでしょう。となると可能性があるとすれば、ステージ時間の調整しか残りません」
これまでの話をまとめると、その結論へと落ち着く。しかしながら、それを実現できるかどうかについてはまだ分かっていない。
可能な限り二つの団体の意志を尊重したいところではあるが、理想や愚痴だけを口にするだけでは解決しない。
「となると、他の団体も含めて、ステージの予定時間を切り詰めるためにも、当日の進行を一度把握しておきたいですね」
北沢さんの言葉に反論はなかったが、窓からはすっかり西に傾いた陽光が差し込んでおり、完全下校時刻を目前に控えていた。
「まだまだ話し合いをしたいところなんだけど……今日は解散にしようか。まずは《Afterglow》とダンス部からステージ調整をするとして、次に集まる時までに、出演スケジュールをまとめておこう!」
ひかりさんがうまく総括し、ひとまず当面の方針が決まった。
一息つきたいところだが、文化祭まで時間がない。次回の招集まで待つ余裕ももちろんなく、私たちは大きな課題に直面することになった。
♬
「リモート会議、ですか?」
「ええ」
何度目かの帰り道、若葉さんの提案に訊き返すと、彼はスマホの画面を見せながら首肯した。
「連絡の取りやすいメンバーを団体の担当にするということでしたが……俺はダンス部や《Roselia》の皆さんと初対面で、連絡先も分からないので」
私たちは毎週の定例会議を中断し、その代わりに緊急で今回の問題について話し合う場を設けることにした。
それまで、二つの団体に連絡の取りやすい役員──《Afterglow》であれば姉のひかりさん、ダンス部もとい《Roselia》に対してはメンバーの私、という形でスケジュールの聞き取りを分担することになった。
北沢さんと若葉さんはその補佐ということで、彼らも二手に分かれている。
彼の手元の画面には、私も使用している通話・チャット用アプリの連絡先が映し出されていた。
「……」
「沈黙は怖いんですけど……嫌なら、そう言ってください」
「あ、いえ……」
そういえば、ここまで彼と連絡先を交換していなかったことに気付く。──というよりも、彼からそれを提案されたことに、少し驚いて硬直してしまっていた。
彼の手のひらに重ねるように、カメラ機能でコードを読み取った。
「まだ、連絡先も知らなかったんですね、私たちは」
「まあ、顔を合わせるのが仕事……というか生徒会の会議ばかりなので。
表示された連絡先の『追加』ボタンをタップすると、若葉さんの名前とアイコンがポップアップされる。
「氷川さんにアプリで会議用コードを発行してもらって、それを送信してもらえれば、みんなが参加できます」
「なるほど……」
確かに、この短期間で予定を合わせるのは無理がある。通話や会議なら、そもそも外出する必要がない。
しかし、会議にメンバーを招待するためには、今井さんや宇田川さんの連絡先を知らなければならないわけで──
「……まさか、バンドメンバーの連絡先」
「交換する必要もないと思っていました」
「……」
若葉さんは苦笑を漏らした。
「バンドなら、生徒会以上に必要になりますよ、きっと」
「個人間のやりとりは不要だと思っていたんです。『私情は持ち込まない』というのが原則ですから」
リーダーの湊さんが予定を決め、それを伝達する。それだけで、バンドとしては十分機能していた。
しかし、今となってはどうだろうか。
「あえて『私情』に踏み込むことも必要だと……今は理解できるようになったと思います。今日だって、バンドメンバーが抱えていた問題に気付くことができた」
特に今井さんは、技量の問題もあって、このままでは課題を抱えすぎてしまう。このメンバーで《Roselia》を結成した以上、その解消は早いほうがいい。
FWFを超えたその先──高みへの道のりは遠いが、成すべきことは目の前にあると分かっている。
「今回は、個人間の課題だけじゃなく、バンドや生徒会、文化祭全体の課題でもあります。やるべきことを、できるだけ早くやっていきましょう」
決意を秘めた言葉に、私は小さく頷いた。