Girls Code×Boys Tone   作:瀬田

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筆がまだ続いている……もう少し頑張りたい。


#33:モラトリアム(綺羅星編③)

「……」

 

 梅雨時の曇天が、肩に重く圧し掛かる。

 花女の廊下で、私たちは沈黙を続けていた。

 

「香澄ちゃん、大丈夫かな……」

「病院行ったから大丈夫だよ」

「無理しちゃったのかな……」

 

 憂いの色を濃くするりみに寄り添いながら、沙綾は気丈に声をかける。

 私はまだ、押し黙っていた。

 

『お姉ちゃん、声が出なくなっちゃったんです』

 

 昨日の練習前、電話越しの明日香ちゃんに告げられた一言を、私は思い返していた。

 心配をかけさせまいと、努めてなんでもないことのように振る舞う明日香ちゃんの配慮を感じて、しかし正反対に私はその重さを推し量ろうとしていた。

 

 ──声が出ない、ってどういうこと……? 

 

 声を文字に換えて、それでも頭で理解することができない。正確には、どうしてそうなってしまったのか、考えることができなくなってしまっていた。

 りみが言うように、無理が祟ってしまったのだろうか。それとも──

 

「あ……」

 

 その声に意識を引き戻される。ちょうど、階段から香澄が上ってくるところだった。

 目が合って、小さく手を振った彼女に、いつもの明朗な声はない。すぐさま有咲が詰め寄った。

 

「バカ! 身体壊すまで練習すんなよ! 声出なくなったら意味ねーだろ!」

「有咲、やめなって」

「……ごめん」

 

 有咲を制して、沙綾は「どうだった?」と訊く。

 今までに比べると数段声の小さくなった香澄の口元に集まって、身体には問題のないこと、しばらくの休養が必要なことが分かった。そして、

 

「ごめんね。オーディション」

 

 と、呟きの中に漏れた苦しさも、伝わってきた。

 

「まだ、チャンスはあるでしょ」

「またがんばろ」

「身体壊さない程度に」

 

 前を歩く沙綾たちが振り返って、そう励ます。それでも香澄の表情は変わらなかった。

 

「……今日の練習、みんな来られる?」

「は? なしに決まってんじゃん」

 

 これ以上は流石に無理をさせるわけにはいかず、沙綾たちも有咲の言葉に同調した。

 練習するとしたら、残った私たちだけなんだけど──

 

「うん。一度、私たちも休みにしよう」

「え?」

 

 訊き返してきたたえに、私はそれが聞き間違いじゃないと頷く。

 

「もちろん、自主練するってときは蔵に行くだろうから……今日は自由参加。私は委員会もあるし、一度ギターから離れて考えたいことがあるんだ」

 

 もちろん、楽器って継続が大事だし、最低限指を動かすことはするつもりだけど。

 私には、先に向き合わないといけないことがある。──そして。

 

「香澄が戻ってくるのを、待ちたい」

「凪紗……」

 

 この六人が揃ってなきゃ意味がない。みんなでしか奏でられない音がある。それまで、私がやるべきことをやらないといけないんだ。

 暗雲からは、細糸のような雨粒が伸びてきていた。

 

 

 ♬

 

 

 長雨はとどまることを知らず、放課後になった。しとしとと、その勢いを変えないまま、只々降り続けている。

 春には都電の車窓から見えた桜も散り、景色の暗さと合わさって、どこかしんみりとした空気が車内には漂っていた。

 

 ──香澄。

 

 心の中で名前を呼ぶけれど、あの子にはもちろん、誰にも聞こえるはずがなく。

 

 練習を頑張っていることは知っていた。バンドとしての完成を目指すだけじゃない、有咲の言うように、自分が抱えるものと向き合いながら、みんな、頑張ってた。

 どこで間違ってしまったんだろう。渦を巻く思考の迷路の中で、私は一人、香澄の心を見失ってしまっている。

 速度を緩めた電車は、一つの駅で停まった。

 

「……あれ、凪紗ちゃん?」

「え……あっ、こんにちは」

 

 乗客の中に、手を振って近づいてくる人──ゆり先輩を見つけた。彼女は折りたたみ傘を鞄にしまいながら隣に座った。

 

「なかなか止んでくれないね」

「はい……ゆり先輩、電車通学なんですか? りみは使ってなかったと思うんですけど」

「雨のときは使ってるよ。あと、今日は大学のことで先輩と相談するから」

 

 ゆり先輩は三年生で、もちろん来年受験があるから、志望校の研究は必要なんだろう。

「凪紗ちゃんにはちょっと早いよね」と言いながらも、見せてもらったとある大学のパンフレットには、『留学制度について』と書かれているのを見た。

 

「留学されるんですか」

「うん、どんな形になるかは分からないけど、今は海外で勉強することを考えてるんだ……あっ、りみにはまだ内緒ね?」

 

「しーっ」と、口元で指を立てる。美人だからすっごい似合うな……。

 

「じゃあ、バンド(グリグリ)の活動は……」

「うん、そうなるとお預けかな」

 

 目を伏せてそう言ったゆり先輩の表情には、しかし憂いや気まずさが見られなかった。

 だとしたら、バンドメンバーと揉めることはなかったのかな。

 顔に出ていたのか、ゆり先輩は笑って、

 

「心配してくれてありがとう。みんな、納得して応援してくれてるよ」

 

 と言ったのだった。

 

「そうなんですか……」

「そういう凪紗ちゃんの方が、悩んでるみたいだね」

「えっ」

 

 私、さすがに顔に出すぎじゃない? 

 そんなバレバレの表情に、ゆり先輩はさらに笑みを深めるのだった。

 

 ☆

 

 

「そっか、香澄ちゃんが……」

 

 正直にバンドのことを白状すると、その深刻さの一端でも伝わったのだろうか、ゆり先輩は相談に乗ってくれた。

 考えようによってはたった二学年の先輩だけど、とても大人びて見えて、こんなに心強いことはなかった。

 

「声が出なくなるなんて、普段の香澄からは考えられなくて……私は、練習で無理をしたってだけが原因だとは、思えなくて」

「そうだね」

 

 ゆりさんはそう答えて頷く。

 

「緊張でそうなっちゃうこともあるけど……じゃなければストレスかな。それでうまく行かなくて、なおさら無理をしちゃう」

「ストレス……」

 

 ストレスというのは、たぶん身体の問題ではなくて、心にかかる重圧のことを言っているんだろう。

 それが原因だとしたら、香澄は一体、何を思ったんだろうか。それを知るためには──

 

「私たちができること、って何だろう……」

「……」

「……あっ、す、すみません! すっごいため口になっちゃって」

 

 ゆり先輩に訊いたわけではなく、自問自答していた。……思ったことがすぐに口に出ちゃうの、まずいなぁ。

 必死の弁明に彼女は「別に気にしないよ」と笑い、そして続けた。

 

「同じ楽器と、ボーカルの担当として、私は自分で乗り越える問題だと思うんだ。特に、香澄ちゃんはバンドのリーダーで、みんなを引っ張っていく立場だしね」

 

 言っていることは、私も理解できる。練習の中でずっと考えていたことだから。

 

「でもね、香澄ちゃんはずっと思い悩んでいる中で、見えなくなっているものがあるのかもしれない」

「見えなくなっているもの……」

 

 香澄が見えなくなっているもの──そう簡単に見つかりそうにない。

 

 ──もし、心に触れられたら。

 

 そう考え込む私を、ゆり先輩はじっと見守っていた。

 

「それを教えられるのは、バンドの中でも凪紗ちゃんだけだと思う。──もしそれが分かったら、香澄ちゃんを支えてあげてね」

「……はい」

 

 答えの出ないまま、電車は飛鳥山駅に停車した。

 

「……相談にのっていただいて、ありがとうございました。必ず、答えを見つけます」

「うん。頑張ってね」

 

 ゆり先輩にお礼を言うと、私は電車を降りて歩き出した。

 小雨は確かに降っている。だけど、雲の晴れ間を映すように風が吹いていた。

 

 

 ♬

 

 

 住宅街へ続く道を行く人も傘をたたみ始めていて、その中に明日香ちゃんの背中を見つけた。

 名前を呼ぶと、こちらに手を上げてくれる。

 

「あっ、凪紗さん」

「ごめん、急に連絡したりして」

「いえ。こちらこそ、お姉ちゃんが心配かけてすみません」

 

 つくづくどっちが姉か分からないと思う。

 

 部活の終わった帰り道だという明日香ちゃんと合流する形で、私は少しの相談を持ちかけていた。

 内容はもちろん香澄のこと。──本人は今日も病院に行く予定だったから、お家にお邪魔するのは避けて、近くの喫茶店に立ち寄った。

 

「こ、こういうお洒落なところ、よく来るんですか?」

「ううん、私も初めてだけど」

「すごいです……近所だけど、緊張しちゃって私はとても入れないので」

 

 謎の尊敬をもらっているけど、まあ中学生だし、気持ちも分かる。

 それに後輩を連れているので、中途半端なお店には入れないというこちらの見栄も分かってほしい。バレたくはないけど。

 

 この前のSPACEのバイトでもらったお給料を解放して、明日香ちゃんには好きなものを頼んでもらった結果、りんごのタルトと紅茶のセットを注文していた。ちなみに私はレアチーズケーキ。

 さっきゆり先輩に会ったことを思い出して、話題は水泳部のことになった。

 

「そういえば、明日香ちゃんも来年受験だよね。高校、どうするの?」

「私は羽丘に進学しようと思ってます。大学進学のことも考えて」

「よく考えてるんだね。私なんか制服で選んじゃったよ。あと同じ中学の人がいないところ」

「凪紗さん、すっごい勉強ができるってお姉ちゃんが言ってましたよ。どうしてですか?」

 

 明日香ちゃんの問いかけに苦笑する。

 香澄と同じ理由の制服に関しては、正直後の理由のおまけみたいなものなのだ。むしろ、そっちが本題であり、こんな話でもなければ、あんまり話したくない内容なわけで──

 

「中学のころ、私は合唱部に入ってたんだよね。昔習ってたピアノつながりで、みんなが歌って、それを演奏で支えるのが好きだったから」

「そうだったんですね。じゃあバンド活動も、それと同じ理由なんですか?」

 

 緩く、首を横に振る。

 

「そこそこ音楽をやってた経験もあって、私、歌う方がいいって顧問の先生に言われて……二年生の時のコンクールで、ソロを務めるはずだった同級生の子と代わることになっちゃったんだ」

 

 それはつまり、ソロ担当の子が続けてきた努力を否定することにつながる。

 先生は、試験的な意味合いと期待を兼ねて、私にソロを任せたようだった。私たちにはまだ来年もあるのだから、と説明もしていた。

 

「結局、私たちはコンクールで金賞をもらえたんだけど……部員の子の多くは、飛び入りした私に納得してなかったんだよね」

 

 それもそうだ。他の子にとってみれば、私は努力とは無関係にソロの座を奪った、先生のお気に入り。

 それからは、今まであった友情にひびが入って──って、そんな生易しいもんじゃない。……あ、ヤバい。思い出して震えが止まらない。

 そんな黒歴史(思い出)もあって、私は逃げるように花女を志望したというわけだ。

 しかし、明日香ちゃんは抗議してくれるようで。

 

「でも、それってある意味実力を重視した結果なんじゃないですか。凪紗さんのレベルが高かったり、偶然ソロの子がスランプだったりしたとか。私には、凪紗さんのことがただ気に入らなかったようにしか見えません!」

 

 ぷんぷんと音が聞こえてきそうな、可愛らしい様子で怒ってくれる明日香ちゃん、女神様かな。

 でも、私にはそれで思い知ったことがある。

 

「そう言ってくれてうれしいよ。……それでもね、もしあの時私が、ソロにかける思いとか、積み重ねた努力を奪われてしまう怖さを理解できていたら、あんな風にはならなかったんじゃないかって、思うんだ」

 

 あの時から私は、人の本音がどこにあるのかを気にして、本音で話すことができなくなった。比べられることが怖くなった。

 

「……でも、香澄は違ったんだ。誰かと比べるんじゃなくて、自分のやりたいことに真っすぐに向かっていって……『キラキラ』とか、『ドキドキ』とか、あの子だけにしか見つけられないものを、私に見せてくれた」

 

 カウンター近くのアクアリウムの中には、色とりどりの熱帯魚が、精彩に満ちた輝きをまとっている。

 

 香澄が導いてくれた出会いは、どれも私の人生を鮮やかにしてくれた。有咲、りみ、たえ、沙綾──もう二度と会うことができないってくらいに、素敵で貴重な思い出になった。

 

「だから、もし私が、あの子に──香澄にとって、ストレスになっているんだとしたら」

 

 私は、もうバンドにはいられない──

 そう言おうとした瞬間、明日香ちゃんに両手を包まれる。びっくりして、反射的に顔を上げた。

 

「そんなことありません!」

「えっ──」

 

 店内に人は少なかったから、全員の視線が集まるくらいの注目を浴びてしまった。

 明日香ちゃんはそれに気付いて顔を真っ赤にして、「すすすすみません……!」と謝り倒している。

 

「ふふっ……」

「ご、ごめんなさい。それでも、お姉ちゃんは凪紗さんのこと、ストレスだとは思ってないと思います。だって、あのお姉ちゃんだし」

「そうかな……」

 

 変な励まし方だと思う──それにしても、信頼ないなぁ。ある意味ではあるといえるのか。

 

「私は、スランプなんじゃないかなと思ってます。水泳やってて、同じ経験があるので」

「スランプ……それは、どうやって乗り越えたの?」

「そうですね……あんまり意識したことはなくて、時間が経てば、勝手に……って感じですかね」

 

 私は小さく唸った。

 日にち薬、ということだろうか。それでも、今はオーディションまで時間があるわけではない。

 ゆり先輩が言っていた『見えなくなったもの』──それを見つけないと、現状からは抜け出せない。

 

「声が出なくなる前に、香澄の様子がおかしかった日はある?」

「いつも変なこと言ってますけど」

「じゃあ、やたら静かだったり、真面目に考え込んでるとか」

「そうですね……」

 

 腕を組んでいた明日香ちゃんは、しかしすぐに何かを思いついたようだった。

 

「あっ、そうだ。一度目のオーディションの日、あの日の夜にもう一度、ライブハウスに出掛けてました」

 

 私は、答えに向かう確かな一歩を踏み出した。

 

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