「……なんというか、質素なお部屋ですね」
「まあ、趣味も少ないものですから」
画面越しに見える若葉さんの背景に対して、私は素直極まりない感想を零してしまった。
先日決まったリモート会議は、今井さんや宇田川さんたち羽丘のダンス部が行う文化祭ステージのスケジュール調整を目的としたものだった。
若葉さんの提案には少し驚かされたけれど、おおむね合理的なものだということにしておく。
件の会議用アプリはパソコンでもチャットとの同時利用が可能だ。ふと、画面に通知が音を立てて表示された。
「……すみません、今井さんから『部屋、めっちゃごちゃごちゃしてるから待って! 確か若葉くんいるんだよね!?』と……」
「それは濁した方がよかったんじゃ……それと、背景は変更できるので、そっちでも対応できると伝えてもらえますか」
「なるほど。時間も惜しいので、そうしましょう」
今井さんへの返信を打ちながら、背景設定のバリエーションを眺めてみる。カフェ、屋上、自然の風景に果てには宇宙空間まで用意されているようだ。
そもそも、見せられないような部屋の管理をしていることが悪いので、私たちには必要のないというものだが。
──それにしても、若葉さんの部屋は物がなさすぎるのではないかしら。
物どころか模様もない純白の壁面を背後にして、若葉さんはいつもの鉄仮面を纏っていたのだった。
☆
「もおー! なんで部屋のこと言っちゃうのさ!」
「言うな、とは書かれていなかったので。 だとしても、部屋の整理は日頃から行っておくべきです」
「うぐぐ……」
五分後、二人がチャットルームへと参加してきた。猛抗議をあしらいながら、話を進めることにする。
「それでは、先日の会議の続きを始めます。基本的には私がお二人にスケジュールなどの必要事項を確認していく形になります。答えられる範囲で構いません」
若葉さんには書記や補佐をお願いすることにして、彼は頷いた。
事前に準備した質問事項をメモした紙に目を通しながら、二人に確認していく。
「まずは参加人数ですが、これは部員全員ということですか?」
「はいっ! 中学生も高校生も20人ずつです!」
宇田川さんが溌溂とした声を響かせる。
ステージとなる体育館ホールはそれなりの広さを誇るものの、合計40人となるとステージを複数に分けざるを得ないということだった。
「では、そのダンス演技を行うステージの数ですが……三チームに分かれる、ということですね?」
「そうだね。中高生の混成チームで、みんなが出るってことになると、最低でもそれくらい用意しないといけないんだよね」
選曲はチームそれぞれになるとのことだったが、長くても三分とのこと。これにステージの準備時間、チームごとの入れ替え時間が加わり、全体で15分の構成になる。
「この中で、削ることができる時間があるとすれば、どういった部分になりますか?」
「うーん……ダンスそのものの時間は曲の時間と同じだし、カットは難しいよね。チームの入れ替えはどれだけ急いでも限界があるから、残ってるのは……」
「ステージの準備時間、ってこと?」
「そうなるかなぁ……」
腕を組んで唸る今井さん。
これまでの議論に指摘すべき点は残らないように思う。それでも、可能な限りの対策を考えてみる。
「ステージの準備、というと何をするのですか?」
「えっと、照明は体育館のものを使うから、音響がメインかな。スピーカーの配置変えとか、位置取りのマークを貼ったりする仕込みっていう作業をするんだ」
「これも短くするのは難しいんじゃ……」
「……」
いよいよ打つ手も少なくなり、電子の会議室に沈黙が訪れる。
そんな時に、部屋の扉を叩く音が聞こえた。
「おねえちゃーん、いるー?」
「……っ」
声から、訪れたのは日菜だと分かる。会議に乱入されては困るし、何よりも、家での自分の様子を見せたくない。
「すみません。……少し、離席します」
「あはは、大丈夫だよー。私たち、他にできることがないか考えてみるね」
無表情を崩し、「置いていくのか」と言わんばかりに表情筋を引き攣らせた若葉さんを、瞑目の中で弔う。
それよりも、日菜との会話に意識を割かなければ──私には、それくらい余裕が残っていなかった。
自宅にもかかわらず、ある種の緊張を催しながら扉を開いた。
「……なに」
「あ、えっと……今、テレビで子犬の特集やってて。お姉ちゃん好きだし、一緒に見ようかなって……」
視線を彷徨わせながら、どこか気まずさを滲ませて日菜は言う。悲しいかな、私たち姉妹にとっては日常のことだった。
どこにいようと、日菜は私を追いかけてくる。彼女の期待から逃げるように屈折した私の側にいようとする。
──私には、もう応えられないというのに。
「……ごめんなさい、生徒会の人と会議があるから。
「……!」
撥ねつけず、拒否せず、先送りにすること──これが私の限界だった。
耳聡く、その言葉に反応した日菜の瞳が瞬時に輝きを帯び始める。
「じゃ、じゃあさ! ……来月、商店街で七夕祭りがあるんだけど、一緒に行こうよ!」
「え……っ、わ、私より、同級生やバンドの人の方が──」
「ううん、お姉ちゃんと行きたい! 今度、詳しいこと教えるから!」
──しまった。この子は一度言い出すと止まらなかった。
「時間取っちゃって、ごめん!」と言うと、手を振りながら自分の部屋に戻っていく日菜。
私は痛恨の思いでそれを眺めることしかできなかった。
☆
「ふふっ……」
会議より集中力を消費して、疲労感を覚えながら席に戻ると、今井さんの口からわずかな笑みが漏れていた。
「すみません。戻りました……どうしたのですか?」
「氷川さん、ミュートボタン押さずに離席されたので……えー、話し声が、その」
「ちょ、それ言わないでって!」
「……」
忸怩たる思いで今井さんを睨む。
その機能があることは知っていたが、不本意ながら慌てていたので、非は私にある。しかしながら、それを黙っていた今井さんには腹が立つ。
「ごめんごめん。でも、さっき部屋のことばらされちゃったし、おあいこってことで☆……はい、すみません……」
「まあ、いいです。……お二人も、見苦しいところを見せてしまい、すみません」
「いえ」
「ぜ、ぜ全然大丈夫ですっ! あこもお姉ちゃんいるから、ちょっと分かるかもっていうか……?」
見え見えのフォローが苦しい。先日の会議の様子からして、宇田川さんのお姉さんとの関係は、とても私と日菜のそれと比べるまでもないのだから。
「……宇田川さんにとって、お姉さんはどのような存在なのですか」
「えっ!? おねーちゃんは……えっと、カッコいい! です!」
「巴は男前だもんね~。確か、ドラムも巴に憧れて始めたんだっけ?」
「うん! おねーちゃんのドラムはこう、ど──ーんって! ば────ーん!!」
「……」
「あはは、いっつもその説明だよね~」
今井さんは受け入れているが、それで伝わっているのだろうか。若葉さんはいまいち理解しきれていないようだ。──私も同じく。
ともかく、宇田川さんにとってお姉さんが憧れと映ることだけは、確かなようで。
「……っ!!」
聞いておきながら、私はその答えに感情を抑えられなくなった。
彼女は、追いかけられ、勝手に期待され、そしていつか追い抜かれていくことへの憂いを知らないのだろうか。
なんでも真似をして、意思なく、無邪気に──けれど残酷に、
私が私である意味がなくなっていく──その恐怖を。
──いけない。これ以上は、まずい。
いつのまにか握られていた手が震えを帯び始める、その時だった。
「それだと少し緊張するな。なんか見定められてる感じがして」
「えっ?」
その言葉は、若葉さんによるものだった。彼は、宇田川さんたちの注目を集めたまま続ける。
「『カッコいい』って思ってもらえるように、いつも頑張ってないとって……俺も、妹がいるから」
「あっ、それってライブの後に紗夜と話してた子のことだよね?」
「会ったのがSPACEってとこだったらそうだと思う。知ってたんだな」
「うんっ、紗夜から聞いたよ~。──でも、確かにそうなっちゃうかもね。私は一人っ子だから全部分かるわけじゃないけど、お姉ちゃんだと、いつでも先にいなくちゃって思っちゃうかも」
頷いた今井さんがそれに同調すると、途端に宇田川さんの表情が曇る。すかさず、二人がフォローに入るのが分かった。
「そ、そうなのかな? あこ、お姉ちゃんに迷惑かけてたり……」
「いや、お姉さんが頑張ってるってことには変わりないだろうけど、負担には感じてないじゃないかな。だから、俺はそれがすごいことだって思うし、『カッコいい』って思う」
「うんうん。巴、もう雰囲気がお姉ちゃんって感じだし、きっと自然にカッコよくなっちゃうんだよ!」
「……そっか。そうだよね!」
すっかり元の明るさを取り戻した宇田川さんは、天真爛漫の笑顔を振りまく。
リモート会議だから、視線が重なったことは分からない。それでも、若葉さんは私に向けて苦笑を浮かべていたような──そんな気がした。
♬
「うーん……これは厳しいねぇ」
「元々持ち時間が少ない中で時間をやり繰りしているから、どっちの団体もこれ以上削れる時間がないってことになるね」
志哲高校の生徒会室、定例会議を取りやめて集まった私たちは、聞き取り調査の結果に頭を悩ませていた。
どうやら、上原さんたちが《Afterglow》に行ったスケジュール調整もうまくいかなかったようで、北沢さんは、先ほどの言葉に続いて「どうしようもなくなったら……ってことになるのかな」と、結論を濁しながら言辞を漏らした。
「今回参加できなかった団体には、別の発表機会を用意する、という方法もありますか」
「うーん、それだと団体だけじゃなくて見に来るお客さんの側にも通知して、都合を合わせてそれなりの数を集めなきゃってなるし、そんな義務っぽいステージもお互い辛くなっちゃうよねぇ」
ステージは、『今年の羽丘の文化祭』で披露されなければ意味がない、ということだろう。私もそれに同意する。
しかし、この現状ではどちらの団体も参加できるように、というのは玉虫色の結論となってしまうだろう。
言いようのない閉塞感に、私たちはそれ以上の議論を進めることができなかった。
「……ダメだ! 一旦別の議題にしよ! 絶対今日中になんとかするから!」
「ですね、できることをやりましょう」
長い髪を振り乱して、一度この問題を保留にすることが決まった。
北沢さんに促され、若葉さんがメモを取り出して残りの議題をホワイトボードに書き出した。
「風紀委員管轄の準備は予定通り進行中で、かなり早い段階で終わる見込みです。残った期間は警戒態勢の強化に充てたいと、今のところでは」
「おっ、流石だね。紗夜ちゃんと若葉くんも、名コンビになってきた感じ」
「……意味によっては心外ですね」
「ちょっと? ……え、どういう意味で心外なんです?」
「別にそのままの意味だって。 あ、それが心外ってことか」
「やめてください……」
口をついて、そんな言葉が出てしまった。
嘆息した若葉さんは、抗議を諦めて続きを読み上げていくようだ。
「各クラスの出し物に関しては承認が終わって、当日の営業態勢と、売上計上の監査なんかに対する諸注意と指導が、今羽丘で行われているようです。学園内部のことなので、この辺りは羽丘の生徒会がきっちりとやってくれているようで」
「おっけー。じゃあ、もうほとんどやることは残ってないのかな?」
「体育館ホールを除けば、ですね。ああ、あとは外部参加団体で……えー、商店街の出店店舗に関して、『売上が多くなる方法はないか』と、相談のメールが来てるようで」
「店舗から相談? どこの?」
「……
「
手を挙げ、どこか後ろめたい様子だと思えば、二人がアルバイトや手伝いをしている商店街の店舗が、文化祭をターゲットにした販売戦略を考えているとのことだ。
それを聞くと、上原さんは「身内じゃねーか!」と指摘した。
「えー……何、結構ちゃっかりしてるんだね?」
「まあ、この間の花女の文化祭でかなりの量のパンが売れたということで、経営者としての判断だそうです」
「母さんが井戸端会議でこの話を聞いたらしくて……『ウチもやるよ!』って聞かなくて」
『たはは』、だとか『えへへ』という薄ら笑いがなんとも気味の悪い雰囲気を醸し出す。少し睨みつけた。
「ひっ!? ……で、でも、それで一つアイデアを考えたので、二人には感想をもらいたいと思いまして」
「アイデア?」
北沢さんにそう返すと、「ちょっと待ってね」と、手提げ型の紙袋からいくつかの包みを取り出したのだった。
中身は──パンと、何かの揚げ物だろうか。
「ベーカリーのパンと、精肉店のコロッケをかけ合わせて作ったコロッケパンです。食パン型、サンド型、ハンバーガー型、埋め込み型があって、味付けも少し変えています」
「休憩ついでにこれを食べて感想がほしいなって」
呆気に取られる私たち。
宣伝や販売戦略を考えるのだから、その対価がなければいけない──そういうことだろうか。
そういうことなら──
「なぁんだ、それなら早く言ってよー!」
上原さんは鮮やかに手のひらを返した。
☆
「美味しー!」
バンズを使ったハンバーガー型のコロッケパンを片手に、上原さんは簡潔かつ率直な感想を述べた。
出来立てを運んできてもらったとのことで、どれもパンは温かく、コロッケは衣がさくさくとしていた。
馴染んだウスターソースの酸味に加え、辛子にマヨネーズのアクセントがキャベツと絡まって、味わいを引き立たせている。
「そりゃあもちろん。まだありますから、他の型と食べやすさとか食感の感想もお願いしますね」
そう言った北沢さんは、すでに二つ目のコッペパン型を手にしながら若葉さんと感想を言い合っている。
上原さんは「おっけーおっけー!」と応えながら、満足げにパンを口に運んでいた。
「紗夜ちゃんの、サンドの方はどう?」
「こちらも美味しいですよ。コロッケを挟むパンの面がしっかりくっつくので、そこに塗られたソースがよく利いていると感じます」
「おお、なんか食レポみたいだね。そういう意味ではバンズはピッタリくっつくわけじゃないから、味わいにくいのかな。……でも、見た目のインパクトはすごくない?」
「見た目……それも重要ですか」
「うん! SNSなんかに投稿する子もいるだろうし、反響よかったら買いに来る人増えるかも!」
「なるほど……」
見た目、つまり視覚からのアプローチも必要だということだろうか。
最近、白金さんにバンド衣装の制作を任せたいと宇田川さんから提案があった。
その時は、私や湊さんは統一した衣装が何でもよい、という反応だったが、演奏との相乗効果を考え、よりオーディエンスに衝撃と圧力を与えるライブパフォーマンスができるようにも思う。
──ただ、『高貴なる闇の騎士団』というコンセプトは不要な気がする。
若葉さんが淹れた紅茶を一口、私はそんなことを考えていた。
ふと、上原さんが隣で呟く。
「……なんか、こういうのいいなあって思うんだ」
「……?」
「この間言ったでしょ? 『仲間探し』のこと」
「ああ──」
「目的は違うかもしれないけど、文化祭っていう同じステージを盛り上げようとして、お互いがお互いを巻きこんで、巻き込まれて、みんなで試行錯誤するっていうのかなあ」
上原さんは、食欲旺盛な二人を眺めながらそう言う。この状況を楽しんでいるようだった。
──しかし、それでも。
「……まだ、解決していない問題があります。難しい課題も、残っています」
「うん。それでもね──めっっっちゃ、楽しい」
敢えて、彼女はそう言い放つ──とびきりの煌めきを秘めた笑顔で。
「私たち、高校生にしては奇麗すぎるっていうか……幼すぎること、言うけどさ。それぞれの事情を抱えたみんなが同じ方向に向かっているとき、『何でもできるんじゃないか』って思うんだ。どんな苦しい時でもね」
「それぞれの事情──」
私が音楽を始めた事情、それは日菜と比べてしまう自分に悩み、私が私でいられるものを探した結果だった。
誰もが、私とは違う「事情」を抱えながら、音を奏で、あるいは文化祭を作り上げようとしている。けれど、一つの目的に向かって歩むとき、私たちは同じ方向を向くことができる──かも知れない。
歩みが止まりそうになったとき、もし、「事情」を知る誰かが、手を差し伸べてくれたら。
誰かが、手を引いてくれたら──
若葉さんや鰐部さんが言っていたことは、このことなのだろうと思い至る。
上原さんはすこぶる楽し気に、なおも続けた。
「きっと、その人にしかできないこととか、できないアプローチ? みたいのがあって──そういう考えとかアイデアが積み重なって問題を突破していくの、すっごい面白いんだよねぇ」
「それは……今回でいうお二人のような、ということですか?」
「そうそう。二つの商品が一つになって……って」
「ああーっ!!」
突然の叫び声に、その場にいた誰もが動きを止める。もちろん、私自身もであり、コロッケパンを取り落としそうになった。
「ど、どうしたんですか!?」
「分かったんだよ! ライブステージをスケジュールに間に合わせる方法!」
「本当ですか」
思わず身を乗り出した北沢さんに上原さんは、
「任せなさい!」
と宣言するのだった。