「……ただいま」
「おう、おかえり、遅かったな……ってうおっ!?」
家路をひた走り、ようやく辿り着いたのは、もうすぐ時計は八時を指し示そうとしたころだった。
香澄の件もあり、バンド練習はなしで帰ってくると連絡していたから、そんな風に言って玄関で
「傘、差さなかったのか? というか、後ろは香澄ちゃんか?」
「あ、えっと、お邪魔します……?」
「うん、今日、泊まってもらおうかと思って。ごめん、急いでていろいろ連絡するの忘れてた」
「それはいいけど……とにかく、風呂入ってこい、二人で」
多少狭いけど、待ってたら風邪ひくだろ、と兄さん。ついでに着替えを持ってきてやれ、とタオルを渡された。
流石、というしかない対応力の高さが今は頼もしかった。
「あの、本当にいいんですか?」
おずおずと(らしくない)訊いた香澄。控え目な様子を励ますように兄さんは、「大丈夫」と返す。そして、
「その分、二人でちゃんと話してきてくれたら」
と笑うのだった。
☆
「はー……生き返ったぁ」
シャワーを浴びて、浴槽に身を埋めながら、私は長い息を吐き出した。雨に濡れて冷えた身体の強張りが、じわじわと熱で溶かされていくようだった。
液状化寸前の私を、向かい合う香澄はどこか神妙な目で眺めている。
「……どうしたの? やっぱり狭い?」
「ううん、それは大丈夫。……今日、休んだことも、泊ってくるってことも言ってなくて」
香澄は、どうやらお家の人に連絡を入れてないことを心配しているらしい。
──でも、そのあたりは対策万全。胸を張ってそのことを伝えてみる。
「大丈夫。明日香ちゃんに口止めしておいたから」
「えっ、そうなの?」
香澄を見つけたタイミングで、明日香ちゃんには連絡を入れている。今日、学校を休んだことをお母さんは知らないから、彼女だけ口止めしておけば、学校終わりに友達の家に遊びに行って、そのままお泊りになったことになる。
だからその心配はいらないけど、あるとすれば──
「その代わり、香澄からちゃんと連絡入れときなよ? 明日香ちゃん、結構心配してたから」
「えっ」
「……なんだったら、ちょっと怒ってるかも」
「えええ!?」
慌てる香澄の声は少しずつ普段の調子を取り戻していて、こっちの心配もいらないらしいとほっとする。けれど──
「でも、気持ち分かるんだ。私たちも、そうだったから」
「あ……」
香澄の表情が曇る。俯いて、濡れた髪が額に張り付いた。
メンバーのみんなにも、あの公園でチャットを送ったけど、香澄本人の声を待つ返事ばかりだった──つまりそれだけ、香澄のことを気にかけていたってことで、それは私も同じ。
「見つかって、ほんとによかった」
「……!」
微笑みかけた私に、顔を上げた香澄の眦には、光る雫が溜まっていた。それに気付いたときにはもう、私は抱きしめられていて。
得も言われぬ温もりに、私自身も泣かされてしまっていた。
「ごめん」
「……うん」
「ごめんね……!」
声と身体を震わせる香澄の背中をさすり、言葉を受け止め、受け入れる。そうしているうちに、すっかり今までの冷たさはなくなっていて。
代わりにやってきた
♬
「……どうした?」
「な、何でもないよ」
「そうか? 香澄ちゃんも様子が変だけど……もしかして不味かったかな」
「そ、そんなことないです! おいしいですよ!」
挙動不審の私たちを、兄さんは訝しげに眺めながら料理を運んできてくれた。
朝もあれだけのメニューだったけれど、晩ごはんは香澄という来客があったからか、より気合の入った献立でびっくり──っていうか、この春から進化してるような。
環境が人を成長させるのだろうか。
ともかく、私たちの様子がおかしいのは自覚があって、その理由は食事にあるのではない。
勢いあまって香澄を抱きとめていたわけだけど、さっきまでいたのはお風呂なわけで──まあ、そりゃあ恥ずかしいよね、気付いてみれば。
そんな感じで、お風呂から上がって、お互い言葉もなく服を着てリビングに戻ったところで、唐突に正気に戻った私たちは、とたんに気まずくなってしまったというわけだ。もちろん兄さんには言えるはずもない。
「ならいいんだけど……ああ、そうだ。凪紗、食べ終わったら食器の片付け頼めるか?」
「うん、いいけど。兄さん、食べないの?」
兄さんの座る席には皿が置かれていないことに気付く。それを訊くと、兄さんはエプロンを外しながら「もう食べたんだ」と答えて続ける。
「学校の授業課題と、生徒会で作ってる文化祭の資料がまだ終わってなくて。明日朝からベーカリーだから、終わったら俺も風呂に入って早めに休むよ」
「え、大丈夫なの?」
「ああ。弁当はいつも通り作っとくよ。香澄ちゃんも食べる?」
「い、いいんですか……?」
「一人も二人も変わらないから。このテーブルの上に置いておくね」
そう言いながら、手を振って部屋に引っ込んでしまった。もう片方の手に持っていたスマホの画面には通話アプリが開かれていたから、また会議なのかな。
とにかく、今月はとても忙しそうにしていることは間違いない事実だ。
兄さんの分だけ静かになったテーブルで、呆気に取られていた香澄は、
「大丈夫かな……。私、迷惑かけちゃったかも」
と気弱な様子だった。やっぱり、本調子とはいかないのかな。
「大丈夫だよ。それを言うなら、私だってこんな感じで、いつも迷惑かけっぱなしだし」
「そうなの?」
「そりゃもう。その分、私もやることやってかないとって思う」
「……うん」
兄さんは『二人でちゃんと話してきて』と言った。
残りの高校生活を捧げて──私と《Poppin’ Party》が進んでいく未来に懸けてくれたことを噛みしめて、私たちは前に進まなきゃいけない。
香澄たちがそうしなきゃってわけじゃない。今は香澄の代わりに、私がポピパを前に進めないと。
「だから、香澄の気持ち……悩んでることを教えてほしいんだ。メンバーとして、友だちとして、一緒に悩みたい。不安なことがあったら、二人で、みんなで抱えたいって思うから」
「……っ」
まっすぐな気持ちをこめて香澄を見つめる。でも、やっぱり戸惑いはあるみたいで、瞳に映る私の姿が揺れていた。
「でも、私、ボーカルなのに歌えないんだよ? バンドも、みんなを集めるときだって、言い出したのに、凪紗に助けられてばっかりで……楽器だって、一番下手で」
「練習は必要だけど、演奏だけがバンドじゃないよ。それに。バンドメンバーを集めることって、香澄が思っているよりもすごいことなんだから」
私は香澄の手助けをしたかもしれないけど、《Poppin’ Party》っていうバンドを作ろうとしたのは、間違いなく香澄だった。
中学校の良くない思い出もあるけれど、つねに受け身でいた私にそんなことはできないし、自分の思いに正直に、やろうと思ったことを行動でかなえられる香澄をすごいと思っている。
私の過去と一緒にそのことを伝えると、香澄はどこか意外な表情を浮かべた。
「そうだったんだ……凪紗、なんでもできるし、みんなに優しいから」
「優しい、っていうのは違うよ。人の気持ちを裏切ることが怖くて動けなかっただけなんだ」
でも、香澄は違った。こっちが眩しいくらいに輝いて、私を導きながらどこまでも進んでいってくれる。
私の知らない世界を、私の隣で見せてくれるんだ。──だから。
「今度は私が香澄の手を引くよ。見えなくなったって、迷ったって、私が支える」
「凪紗……」
「ちょっと偉そうな言い方になっちゃったけど」
苦笑しながらそうこぼす。
そうやってカッコつけるけど、私にやれることなんて少ないかもしれない。私から手を離してしまったり、二人して迷子……なんてこともあるかもしれない。
だからこそのバンドメンバーというわけで。
「バンドメンバーが……みんながいるから、迷っても戻ってこれるんだ。私が迷ったときも、手を引いてほしい」
「! ……うん!」
言いながら伸ばした手を、香澄は掴んでくれた。もう離さないってくらいに、精一杯の力で。
──ちょうどいいや。
「ちょっと外に出ない?」
私の提案を、香澄は不思議そうな顔をしながらも受け入れてくれたのだった。
♬
香澄を引き連れて歩くこと五分。辿り着いたのは住宅街の中にある公園のベンチだった。自販機でお互いの飲み物を買ってから、私たちはそこに腰かける。
ちなみに、私はギター持ってきちゃった。
「香澄、炭酸好きなの?」
「お風呂であったまったから、なんシュワ―ってしてるもの飲みたくて!」
「なるほど……」
あ、お風呂の話はやめよう。雨はやんでちょっと肌寒いけど、また暑くなりそうだし。
「凪紗は?」
「うーん……普通に飲むんだけど、炭酸が弾ける感じが落ち着かないっていうか」
世間では爽快感っていうのだろうか。私はその刺激にびっくりしてしまう。
ふと、香澄がそれを求めていたことに気付く。『シュワ―ってしてる』ってそういうことかな?
「なんか、私たちって好みとか性格とか、結構違うよね」
「それ、私も言おうとしてた! 有咲が『全然タイプ違うのに、いっつも同じこと言ってるよな』って!」
蔵で初めて会った時もそんなこと言ってたような気がする。ただ、それは当たっていると思うんだよね。
「香澄って、感性がすごいと思うんだよね。普段のなにげない感情の揺れ動きも、歌にできちゃうっていうか」
「凪紗も、すっごい説明が上手だと思う! 勉強で分かんないとこ教えてもらうときも、歌詞で困ってるときも助けてもらってるから」
香澄がアイデアを見つけ、私が言葉にする──そんな風にして曲ができているいつもの流れに説明がついた。
それってバンドメンバーを集めるときと同じだと気付くと、私たちの出会いは、もうずっと前から決まっていたように思えてきた。
「……お互いに足りないところを補いあうって、こんな感じなのかな。ポピパのみんなが集まったのも、同じみたいにさ」
「うん! 私、みんなでいるときが一番キラキラドキドキするから!」
「それなら間違いないね」
「自信あるっ」
そんな話をしながら笑い合う私たち。この話も続けたいところだけど、そろそろ本題に入ろう。
「明日、みんなと練習できる?」
「……う、ん」
「即答してよ」
目を逸らして、カクカクとした仕草で頷く香澄に苦笑する。分かりやすいなぁ……。
まあ、精神的な負担は軽くなっても身体とか声が元に戻るのは時間が掛かるかな。
「……今日、学校行く前に、蔵に行ったの。練習あるから、その前に歌えるかな、って……。そしたら、やっぱり声が出なくて」
「そっか……曲はオーディションの曲?」
「うん」
「じゃあ、別の曲やってみる?」
「えっ?」
きょとんとする香澄の傍ら、私はさっとギターを取り出す。……ちょっとレベルが高すぎるから、簡単なコードで許して。
「私が歌ってるからさ、いつでも入ってきてよ」
最も難しいイントロに集中して、ボーカルパートが始まったら歌に力を入れる。
一番、二番と進んでいって、香澄はまだ私の演奏を黙って聞いていた。……様子が見えないけど、やっぱりだめなのかな。
「──っ」
二番の終わり、簡単なギターソロを弾いていく。少し余裕が出てきたころに香澄の表情を伺うと、どこか緊張した面持ちで。
だから私は、言ってやったんだ。
「歌って、香澄。私が、いつでも支えるから!」
「!」
“遥か彼方 僕らは出会ってしまった
カルマだから 何度も出会ってしまうよ
雲の隙間で”
今になって言うのも何だけど、弾きながら歌うことって難しい。でも、奏でる歌やリズムと、そこに乗せる言葉が一体となって、思いを込めれば込めるほど、メロディーと歌詞が自分の中で一つの音楽になっていく。
私たちはギターの演奏を見てもらうためにライブをしてるんじゃない。歌と演奏で、気持ちを伝えたいんだ。
これがライブだったら、気持ちを伝えたいお客さんは香澄。
ギターを抱える手元からできる限り視線を外して、顔を上げて香澄の瞳を捉える。
“君と集まって星座になれたら
夜広げて 描こう絵空事
暗闇を 照らすような 満月じゃなくても”
「星座」という言葉が、私はとても好きだ──バンドとしての私たちの関係や結びつきを、よく表していると思うから。
伝われ、伝われと念じながら、すぐそこに迫ったラスサビに向けて、気持ちと演奏を盛り上げていく。
「“だから”──」
瞳の映す景色が重なって、香澄の唇が動く。瞬間、私たちの奏でる音楽が、動き始めた──
“集まって星座になりたい
色とりどりの光 放つような
つないだ線 解かないよ
君がどんなに眩しくても”
終わりに向けて、私は最後のメロディーを弾き重ねる。正直、レベルにあってないからミスも多い。
だけど、最後の音を鳴らし切ったときには、そんなことなど、どうでもよくなっていて。
熱っぽい呼吸で、香澄の方に目を向けると、(たぶん)同じような表情が私を見つめていた。
☆
「ねえ、凪紗」
「……?」
公園で一緒に歌ったあと、私の部屋に戻って、明日も早いことだし、と二人で眠りについた。
肩に触れる手指に気付いて目を覚ますと、香澄の顔が近くにあった。
「どうしたの?」
「起こしちゃってごめん。ちょっと寒くて……布団とかあるかなって」
「……んー……」
「凪紗?」
ちょっと寒いらしい。梅雨で蒸し暑いかと思ってたら……ってこと、よくあるよね。
でも布団しまっちゃったし、眠いし──そうだ。
ぼやけた意識に任せて、私は香澄の手を引いた。
「わわっ!?」
「こうすればいーんじゃない……?」
ぽふっ、と倒れこんだ香澄を隣に引き込んで、布団に二人してくるまる。
ついでに抱き枕になってもらおう。
「な、凪紗?」
「あったかいし、これでいいや。おやすみ……」
それだけ言って、また意識を暗闇に沈めていく。
胸の中でわいわい言ってる声がしているけど、それも気にならなかった。
──私たち、星座になれるかな。
そう問われたら、今は自信をもってなれると言える。
明日の練習で、それを証明したい。同じ気持ちを、みんなと共有していたい。
そんな願いを抱えながら、私は眠りについたのだった。