「あ、あのっ、氷川さん……」
「……」
帰りのHRが終わった教室で、
無言で振り返ると、そこにはいつもの様子で私を捉える目があった。
「……またですか」
「だ、だって、教えてくれないから!」
「本人の許可がない、と説明したはずです。気持ちは分かりますが」
「そんな~!」
私はうんざりしながら、「後生だから!」と縋る腕を押しのけるのだった。
「大体、私を通して感謝の言葉は伝えたはずでしょう。手紙だって渡しました」
「だけど! ほ、ほら! そういうのってやっぱり面と向かって言ったほうが」
「それはお互いが一般人だった場合です。あなたは仮にも有名人なのでしょう」
「え!? えへへ、まあ『アイドル』やってるけど……って! それはそうなんだけど~! 待ってよ~!」
彼女は乗せられやすい節がある。それを利用して、今回も退散する。
泣きわめく声を背にして、私は一つ溜息をついたのだった。
☆
「若葉さん……もう限界が近いです」
「……ええ?」
さきほどの疲れを報告に乗せて言うと、渦中の人──しかしそれに自覚はないようで──はきょとんとした顔を向けてきた。
「ですから、先日から言っている通り、咲祭の事故の彼女……丸山さんが、あなたのことをしきりに私に聞いてきているんです」
「ああ……」
そっけない、と言うより気にかける様子のない返答に私の苛立ちが募る。……少し、感情を目つきに出してみると、若葉さんはやおら姿勢を正して向き直った。
「す、すみません。ですが、このままなんとか押し通せませんかね。夏休みまで持ち越せば、ほとぼりも冷めるというか」
「なんか悪いことしたみたいだね」
傍らで聞いていた北沢さんが指摘する。彼の言葉の通り、それでは若葉さんの
咲祭で発生した転落事故──未然に防がれているが──の当事者である丸山さんは、転落間際に意識を失ったことから、若葉さんが自分を助けた事実を知らない。そのため、自分を助けてくれた人が誰なのか、以来探し続けているというわけだった。
「……でも、可愛い子だと思ったらアイドルだったなんて。律夏、やっぱり打ち明けた方がいいんじゃない?」
「……しない」
「えー」
丸山さんは私のクラスメイトだったが、彼女がアイドルだと気付いたのは、同じグループに所属している日菜の紹介だった。
元々、自分が助けたことを言わないでほしい、と若葉さんには頼まれていたが、アイドルの事実を知ってからは、尚更彼の希望が強くなっていた。
「別に俺自身は怪我したわけじゃない。しかも、アイドル──有名人ってことだろ? 同性ならともかく、異性との関わりがあるなんて知れたら厄介なことになる」
「僕は自意識過剰だと思うけどなぁ」
「それならそれでいい。……ともかく、お互いにとって最善なはずだ」
忘れていたが、彼自身面倒ごとを徹底的に避ける性格で、生真面目に見せかけて手間を省いたり、横着をすることがある。ひょっとしたら、お礼を言われることや会う機会そのものを面倒だと思っているのかもしれない。そうだとしたら丸山さんも不憫に思えてくる。
──また、それだけに、ご家族や周りの人に対する献身の裏側にある思いが計り知れなくもあった。
「……と、いうわけなんですが。氷川さん、やっぱりこのまま何とか」
「そうするしかない、ということでしょうか」
何度目かの溜息の裏で、今後のことを考えてみる。
仮に夏休みまで待てば──ということであったとしても、今日が六月の三週目の金曜日であり、明日はいよいよ羽丘での文化祭が控えている。その後には《Roselia》の練習を予定していて、その時にはメンバー全員の話し合いがあって、七月に入れば期末試験、風紀委員の会議──
私は頭の痛くなる思いでこめかみを押さえた。
「ほら、氷川さん弱ってるよ。もう言っちゃってもいいんじゃない?」
「って言ってもなぁ……」
考え込む仕草をした若葉さんは、しばらく沈黙して、おもむろにペンを取り出してから「恵、生徒会室に便箋あったよな?」と訊いていた。
北沢さんがその意図を問う。
「咲祭でお世話になった商店街の人に手紙書いたんだよね。でも、それがどうしたの?」
「丸山さんって子に、お礼は不要だってこと書こうと思って。俺が考えてることを伝えられるのが氷川さんしかいないから、その子は詰め寄ってくるわけで」
そう言いながら、若葉さんはこちらに目線を寄せた。──どうやら、彼なりの配慮というか解決策らしい。
「そうして頂けるのなら、お願いします」
「こちらこそ、お手数おかけします」
「……高校生同士のやり取りとは思えないなぁ」
一礼を交わした私たちを、北沢さんは苦笑とともに眺めるのだった。
♬
翌日、私はステージの行われている羽丘の体育館ホールにいた。
普段は用務員の方が通るような、建物上部の連絡通路──咲祭では、ちょうど若葉さんの担当だった箇所──で、ステージに詰めかけた観衆を見下ろす形になる。
見回りを主な役割とする風紀委員の中には、観劇を希望する団体のある方も多く、そういう方に対しては休憩を兼ねてこの仕事を用意した。
かくいう私も休憩なしで午後の部を半分過ぎ、一抹の疲労感がよぎるところだったので、適した時間だと言えた。
ダンスステージとバンド演奏を組み合わせた混合ライブは、無事成功裏に終わった、との報告を受けている。
私はその後の、バンド単体での演奏が始まるタイミングでここに辿り着いたというわけだった。
今井さんたちのパフォーマンスが見られないのは少し惜しいが、《Afterglow》のバンドとしての実力もまた、私を確かに惹きつけていた。
「お手並み、拝見ね──」
思えば、他のバンドのことが気になった、というのは初めての経験だった。これも、私自身の変化による影響だと思える。
バンドによって事情は違うことは承知の上だが、メンバーそれぞれの演奏をステージ上で結びつける行為は、私たちのそれと変わりなく行われる。
そういう意味で、彼女らのパフォーマンスの奥深くに、どんな信念が秘められているのかが気になっている、というのが正しいか。
ステージに意識を傾けていると、肩に触れる手に気付く。
「紗夜!」
「今井さん。……いくらなんでも、早すぎませんか?」
振り向いてそれを言うと、彼女は「いやー、巴たちのライブ、早く見たくなっちゃって」と訳を話す。
ダンスの直後に走って階段を上り、ここに来たとすれば驚異的な体力だ。
「でも、紗夜には私たちのステージ見てほしかったな~」
「スケジュール上、仕方のないことです。また、機会があれば」
「! ……うん!」
私の言葉に、今井さんは輝く笑顔でそう返す。そこまでの期待を向けられるのは、こそばゆい気持ちになる。
その表情から逃れるようにしてステージを見やると、一度下ろされた舞台の幕が上がってくるとこだった。
「あっ、始まる!」
「そのようですね」
ライブ専用の機材がセットアップされ、ステージは本来のライブの形を取り戻している。
照明が舞台の輪郭を映し出し、その中で、美竹さんを中心としたメンバーの、どこか不敵な笑みが浮かび上がった。
瞬間、観衆が波を打つように沸いた。
「Afterglow、ボーカルの美竹蘭。──私たちの歌を聞いて。『That Is How I Roll!』」
言葉とともに、四人の視線が、スティックを掲げた宇田川さんに集まる。カウントののち、淀みない演奏が始まった。
「
「そうですね。……それほど、校内でも注目を集めているということかも知れません」
なるほど、と興味深くステージを見つめた今井さんを横目に、再び意識を演奏へ戻していく。
観衆の盛り上がりに応え、さらに煽るように──力強く、体育館全体を牽引するようだった。
“なんでも言うこと聞くイイ子ちゃんはいらない 従う必要ないから”
“猫なで声 蹴散らせ マネなんかしなくていい”
“そんな世の中捨てちゃって“僕”を生きる”
どこまでも、自分たちらしくありたい──そんな主張めいた叫びが、歌詞には込められていると感じる。
刻まれるリズムに身を委ねる観衆たちにもそれが伝わっているのか、日常を忘れ、ライブの中の一刹那を全力で楽しんでいるようだった。
「……なんか、かっこいいよね。こういうの」
今井さんが言外に滲ませたものと、私は同じものを感じているのだろうか。それを確かめたくて、言葉の続きを待った。
「Afterglowは幼馴染五人のバンドらしいんだけどね、みんなが思いをぶつけ合って生まれた音楽だからこそ、自分たちらしさが表現できると思うんだ」
幼馴染──ともに過ごした時間が長い関係だからこそ生まれる演奏だ、ということか。なるほど、バンドの背景を踏まえた考察だった。
同時に、似た関係の湊さんとの間にある溝や、存続の岐路に立たされている
“Cry, cry out
不器用でも 足掻いて進んで
一ミリも無駄なんてない 足跡残すから”
“Cry, cry out
とにかくこの先を信じて 僕は僕 君は君
生きよう Say "that is how I roll"”
熱気の波は最高潮を迎えたステージを包み込むようにうねり、後奏が響き渡っていく。それが終わる前に、言葉を探す。
「……Afterglowの音楽は、五人の深い関係性に支えられていることは事実です。互いを理解し、信頼するからこそ奏でられる歌がある」
ライブは終わりを迎え、観衆は熱狂の渦をつくる。止まない歓声を遠くに、私は言葉の続きを紡いだ。
「しかし、それが私たちの道を阻むものではない。練習で技術を磨き、その音で個性を結集し、私たちだけの、一つの音楽を奏でられる──《Roselia》になることができる」
「……!」
「この演奏を通して、Afterglowの皆さんからはそれを学びました」
湊さんが掲げた目標の下に、私たちが集まった。それは、《Roselia》の信念に少なくとも共感し、共有を望んだことの証左だ──たとえ湊さんがそれを忘れようと、私たちが引き戻すことはできるはず。
「失う前に取り戻すことはできる。そのために、成すべきことを成しましょう」
「紗夜……」
弱弱しい視線を支えるように見つめ、私は頷く。
いつかの仮説は確信となり、私を支えてくれたように、今は目の前の彼女を激励する。
夕暮れの文化祭は、ついに終わりを迎えようとしていた。
♬
「……これは、どういうことかしら?」
文化祭を終え、早々に羽丘から移動した私たちは、いつも練習に使用しているライブハウスのスタジオで湊さんを待った。
時刻通りにやってきた彼女は、しかし演奏の準備をほとんど行っていない私たちを訝しみ、責めるような視線を向けてそう言うのだった。
「練習に入る前に、少しお話したいことが」
「……紗夜、貴女──」
「場合によっては、今日の練習を取り消してでも必要なものだと考えています」
言葉を遮ってこう重ねる。わずかにたじろぐ表情が見て取れた。
「……分かった、聞くわ」
「ありがとうございます」
一礼し、再び湊さんと向き合う直前、一瞬だけ周囲のメンバーを横目に見た。
不安そうな面持ち、緊張に身体を固める様子、強い決意に身を震わせる仕草──そのどれもが、私と湊さんを意識したものだったことは、言うまでもない。
私の胸中にも、ある種の緊迫感はあった──彼女の返答次第では、Roseliaとしての活動を続けられなくなる恐れに対して。
だけど、かつて抱いた尊敬と、秘めた確信がそれを打ち消してくれていたのだった。
「──音楽業界からスカウトの話があった、と聞きました」
「ッ!」
場の雰囲気が一変し、途端に室温が下がるような心地だった。
眼前の湊さんは、知らないはずの事実を口にした私に、明確な驚愕をもって反応し、そして鋭利な視線で返した。
「……宇田川さんと白金さんが、その現場を目にして、話を聞いたそうです。褒められたことではありませんが」
「ご、ごめんなさい……でも! あこ、Roseliaが──みんながバラバラになっちゃうかもって……怖くて」
「……」
宇田川さんの率直な感情の吐露に、湊さんの返答はなかった。まだ、それを受け止められないということだろうか。
畳みかけるように言葉を加える。
「宇田川さんの言うように、もし湊さんがこの話を受け入れ、FWFのステージに立つというのなら、今後のRoseliaの活動は立ち消えることになります。……今までの活動の意味も、なくなる」
「さ、紗夜!」
些か糾弾めいた言い方になってしまった。制止しようとする今井さんの言葉に頷いて、しかし言葉を途切れさせない。
「──そのような不安を抱えたまま演奏することは、かえって非効率でしょう。だから、私たちはあなたの答えを聞きたい。今、この場で」
そう言い放って、湊さんを待った。
「私は……っ、フェスに──FWFに出る! 昔から、ただそれだけを目標に──」
「ええ。『音楽で頂点に立つ』──あなたの、そしてRoseliaの目標でもあります。あなたがそこへ到達したとき、その隣に、私たちはいられるのですか?」
「──!」
声にならない叫びが、そこにはあった。
夢に最も近づくことのできる道がそこにはあって──しかし、Roseliaとしての活動では、それを辿っていくことはできない。未完成の私たちが行く道は、先の見えない道でもある。
しかし、それでも湊さんは、肯定も否定もしなかった。まだ迷っているのだろう。
──だとしたら、まだ、私たちには可能性が残されている。
「それなら」
おもむろに、背負っていたケースからギターを取り出し、準備を進める。呆気に取られた表情が私を追っているのが分かった。
「ひ、氷川さん……?」
白金さんに答えるように、私はギターを構える。
「決めてもらいましょう──私たちの音で。私たちが奏でる決意で」
そう言う私に、今井さんも、宇田川さんも白金さんも、弾かれたように準備へ取り掛かっていく。
言葉なく眺めていた湊さんを一瞥し、想いを込めてぶつける。
「あなたにとって、Roseliaの……私たちの可能性を判断してください。その目で見て、耳で聴いて、心で決める。簡単なことでしょう?」
実に簡単なことだった。
自分らしく──私たちらしく、ありのままの音楽を届けるのがバンドの本分であり、存在意義なのだから。
以降、投稿頻度が下がると思います。ただプロットは結構前にできてるので、何とか続けられる…はずです。