「「……」」
登校前、朝早くに蔵で集まった私たちは、二人と四人に分かれて向かい合っていた。
心配そうな目線、戸惑いの目線、どこかむすっとした目線、うさぎのことを考えていそうで何を考えているか分からない目線を浴びた私はたじろいだ……けど、すぐにそれらが私に向けられたものではないということに気が付いた。
冷静に考えれば私なわけがない。私のTシャツの裾を摘まんで背中に隠れる香澄は昨日と同じでらしくなかった。
「ほら、香澄。出てきなって」
「えっ、あっ、うん……!」
そういう割には出てこないじゃん。
先が思いやられるなぁ、とも呟いたけど、声もしっかり出てるし、顔つきは確かに明るくなったと思う。そういう意味では昨日とは違って──夜、一緒に歌ったことがその助けになっていたらいいな、なんて思った。
そのことにいち早く気付いたりみが声を上げる。
「香澄ちゃん、声出るようになってる!」
「本当だね」
「ったく、心配させんなよ……」
「有咲、昨日は雨の中、すごい顔して香澄のこと探してた」
「うるせー!」といつもの照れ隠しに、私含めて蔵の雰囲気は幾分か和やかになったと思う。それを察してか、意を決したように、香澄が進み出てくる。
「みんな、昨日はごめん。……私──」
そして、向き直ったみんなの前で香澄が語ったのは、文化祭を終えて、オーディションに取り組むようになってからのこと。
練習の中で、見えなくなっていく楽しさ──バンドの発起人として、音楽の経験が足りていないことに感じていた焦りが、《Glitter*Green》や《CHiSPA》、《Roselia》の演奏を間近にする度に深まっていったこと。
ある日の夜、オーナーに言われたこと──
「『周りも自分も、何も見えてない』って──私自身のことだけじゃなくて、とにかく練習しなくちゃってみんなを巻き込んで、本当にバンドがやらなきゃいけないこと、分かってなかったんだ」
「「……」」
どうやら、自分に足りないものが何か気付いたみたいだった。うなだれる様子を見て、有咲は溜息をついて言う。
「……お前、いっつもやるって決めたらこっちの言い分聞かずに突っ走るだろ。
巻き込まれてケガすんのもこっち」
「うっ……」
「有咲、そんな追撃しなくても」
「凪紗ちゃん、それもフォローになってないかも……」
りみに言われてハッと気付く。しまった、私としたことが。
香澄は「うううっ……」と呻きながらこちらを覗いていた。
──でも、ツンデレのこの子が言いたいのはそれだけじゃないはずだよね。
「……でも、悪くなかった」
「へ?」
顔を上げた香澄の目を視界の外に置いて、有咲は続ける。
「迷惑っちゃ迷惑だけど、香澄に引っ張りこまれたから、またがんばってみようかなって思えたし」
「有咲……」
またこの子はほんと……素直じゃないなあ、と、朱に染まった頬の端を眺めながら思う。蔵で会った時からその感想は変わってなくて──だけど、香澄の一方通行だったころと違って、今の有咲の思いは、しっかり香澄に向けられている。
言いたいことは同じようで、たえもそれに続いた。
「最初、香澄がSPACEのオーディション受けるって言ったとき、びっくりしたな。でもあの時、香澄がまぶしかった。どれだけ難しくても、やりたい、やってみせるって言える香澄、いいなって思った」
突き動かされて、バンドを組む決心がついたということを、たえは微笑みとともに語った。
たえをポピパに引き込んだのは、単純にクライブでの演奏が楽しかった思い出だけじゃない。香澄は、言葉と行動を通して、確かにたえの心を動かしたんだ。
「私も香澄ちゃんが何も持たないでステージに出て行っちゃった時、まぶしかった!
凪紗ちゃんも有咲ちゃんもいたけど、一番前でステージに立った香澄ちゃんがお客さんに呼びかけて──すごいなぁって……だから、踏み出せたんだよ。私も香澄ちゃんみたいにキラキラドキドキしたいなぁって」
「私……みたいに?」
首を傾げた香澄に、沙綾が分かりやすい説明を加えてくれる。
「何か追っかけてる香澄、すごい輝いてるんだよ。そんな香澄を見てて、ずっとうらやましかったんだ。私はずっと立ち止まったままだったから」
出会ったときは知りもしなかった、沙綾の過去。
それでも私は踏み入れたけれど、それだって、香澄の思いに続くように手を伸ばし続けたからこそだ。
私を一瞥して、沙綾は言う。
「でも、凪紗が引っ張ってくれて──香澄が、私となら、キラキラドキドキするんだって言ってくれて──みんなと一緒に……バンドやろうって、何度も踏み込んでくれた」
「うー、だって一緒にバンドやりたかったから……!」
そうやって香澄が絞りだす言葉が、純度の高い思いそのものだと気付く。
そうだ。バンドやりたい、それだけで私たちは集まれる。隣に並び立って、音を奏でることができるんだ──
「香澄」
「……?」
振り向いた香澄に、私もできる限りの想いをもって応えよう。
「入学式の日から、私はずっと香澄の輝きに導かれてきたって思うんだ。私には見えなかったものを──キラキラドキドキを追いかける香澄が見せてくれたもの、出会いくれた人のおかげで、今の私がいるって」
香澄の信念はいつしかみんなに伝播して、今はそのすべてじゃなくても、たった一筋の光を分け合うだけで、同じ方向を向くことができる。
私たちには、ポピパには、香澄が必要なんだ。
「昨日も言ったけどさ、悩んだとき、一緒に考えるのがバンドメンバーだよ。香澄がくれる輝きだけじゃない。悩みだって、みんなで分け合おう」
「……っ!」
瞑った目から光るものを滲ませながら、香澄は頷く。
残りの私たちは視線を交わしながら笑いあい、その背中をさすったり、頭を撫でた。
涙が乾くころには遅刻もぎりぎりの時間だったけれど、今はこの時間を共有していたかった。
蔵の外を出ると、雨の降り止んだ空の青さが私たちを出迎える。
「──ほら、香澄」
差し伸べたその手が、再び握られる。この温もりは、一生忘れられないんだろうなと思った。
♬
「はー、たくさん走ったらお腹すいた……!」
昼休みにも集まった私たちは、たまにはということで春には常連だった中にはに足を運んだ。
ここのところ雨続きだったし、しかも蒸し暑かったけれど、今日は長雨が気温を下げてくれたのか過ごしやすかった。
「なんとか間に合ったね」
「いや、ほとんど
沙綾の苦笑に、疲れた顔の有咲が返す。実際のところ、校門の手前で予鈴が鳴ったのでルール上はアウトだったのだろうけど、待ち受けていた
感謝はしてるけど、兄さん、もしかして氷川先輩にポピパの話してるのかな……。というか、それで通してくれる氷川先輩も優しすぎる。言っちゃなんだけど、そういうのは絶対許しません、って感じの厳格さがある人だと思ってる。今でも。
「律夏さんに『ありがとうございます』って言わなくちゃ」
「りみ、別にいいよ。勝手に妹のバンドのこと話してたとしたら、結構ヤバいし」
「確かに。氷川先輩とよく話すのかな?」
「いやぁ、二人ともよくしゃべるタイプじゃない、っていうか兄さんがそもそも氷川さんに釣り合うような人じゃないし」
たえにそう返す。もちろん、兄さんが天秤の軽い方だ。
未だ苦味の混ざった笑みを浮かべる沙綾は、「仮の話でそんなに言わなくても……」と宥めてくれる。
「でも、お弁当のお礼しなくちゃ!」と、香澄。
「あー、昨日凪紗の家で泊ったんだよな」
「うん! 律夏さん、早起きしてベーカリーに行っちゃったけど、これ用意してくれてて」
「すごいよね。今日、私が起きてくるより早くから仕込みしてたんだよ」
おまけにお母さんの代わりに朝ごはんも、なんて沙綾が言う。一体私の兄はどの方向へ進んでいくのだろうか……。
「で、でもそれじゃ律夏さんが……」
「まあ、本人が望んでることならいいって思うんだけど、ちょっと複雑なのは確かかな」
りみが心配してるようなことはないけれど、負担という意味以外でも私の心境は言葉の通りだ。
少しはやりたいことをしてほしいって思うけれど、今はそれを探しながら、できることをやっているのが今の兄さんだった。
「中学のとき、父さんのことだけじゃなくて、友だち付き合いでいろいろあったんだ。それを心配してたのかも」
見上げる空に、湯気のような薄い雲が流れて、青さを濁していく。
注意深く私を見守る視線は、どこか気遣いを感じさせて心苦しかったけど、構わず続ける。
「……でも今はそんな心配ないって、兄さんにも言ったよ。これまでの分、絶対返したいって思うから──この
それが何を指しているのか、分からないっていう人はここにいない。もちろん、そんな心配は杞憂だって理由なんてなおさら。
「うん。……私も、絶対返したい」
香澄の意気込みには、強い想いが込められているような気がした。それはきっと、次回のオーディションに向けられているような気がして、私はその強張った両肩をゆるゆると撫でおろした。
「力入りすぎだよ。大丈夫、落ち着いて練習すれば歌えるから」
「あ、そうだった……」
そう、先のことを考えすぎて力んでしまうのもよくないということを、今回で学んでいる。
だけど、香澄が感じていることも分かる。何とかして、歌えるようになる方法を見つけなきゃ。
「夜、私がギターを弾きながら一緒に歌ったんだよね。その曲なら、声は出せてた」
「ってことは、オーディション用のオリジナルじゃないってこと?」
たえの指摘に頷く。
つまり、香澄があの時語ったように、ポピパの巣窟と化している蔵で歌う曲はオーディションを思い起こすから、プレッシャーを感じてしまう。
「……私、やっぱりそっちは歌えなくて。──オーディションまでに、歌えるようになるかな」
目を伏せる香澄の一方で、今朝と同じように、私たちは視線を交わす。それに気付いた香澄が不思議そうな表情を向けてきた。
「……?」
「さっきも言ったじゃん。『分け合おう』って」
有咲の言葉に、やっぱりきょとんとしたままの香澄は、ちょっと可愛かった。
笑いあって、私たちは一つの提案をしたんだ。
♬
「……」
「緊張してる?」
「ば、ばっか、そんなわけねーだろ」
敢えて有咲に訊いてみた。香澄が
むしろ、有咲はそんな香澄の様子をずっと眺めていて、子に向ける親のハラハラとした目線が感じられてちょっと面白かった。
「あはは、でもちょっと分かるかも。みんなで
沙綾の言うことに、マイペースなたえまでもが同意している。確かに、私たちが担当している楽器以外で、ソロパートの
──そう、私たちが出した結論は、それぞれで歌を分け合って、香澄につなぐこと。
楽器の準備を済ませ、カウントタイミングを合わせる。
こんなに胸が高鳴るのはいつぶりだろう。緊張でも、ライブ前のいい緊張っていうか──オーディションとはまた違って、早く歌いたい、音を奏でたいっていうような、少し前のめりな気持ち。
そわそわしているのは、私だけじゃなかった。有咲に沙綾、たえの言葉、そしてりみの表情からそれが伝わってくる。
香澄は一呼吸置いて、重なった私たちの視線に追いつくように目を見開いた。
「……行こう!」
私がそう言って、みんなが頷く。演奏と、その原動力になる思いが一つになったまさにその瞬間、私は息を吸い込んだ。
“たとえ”──
直後、たえと有咲の音色が背中を支えるように響いてきた。
“どんなに夢が遠くたって あきらめないとキミは言った
輝く朝日に誓ってる 「前へススメ」
キミらしく 駆け抜けて”
その言葉は、まさしく
勢いよく飛び出した有咲の伴奏が、沙綾のドラムを伴ってリズムを作り、次のメロディを導いた。
“好きで好きでたまらないよ 今すぐ扉あけたいよ
でも踏み出せないのはなぜ……”
“だけど三つのコードから キミと一つになれたよね
もう 夢はみんなのもの この心ふるわせたい”
りみとたえの歌声に乗せて、一つ一つの言葉が紡がれて、届けられていく。
“星に願いをかけてはしゃいだ あの夜空は続いていく”
“正直になれそうな自分に キミが微笑んだ”
思い出話をするように、語りかけるように、有咲と沙綾が続ける。もう、気付いたときにはサビ前で、解けない緊張を抱いた香澄が視界に映る。
その途端、走馬灯のように、なんて言い方をするとあれだけど、脳裏に焼き付いた今までの記憶が一コマ一コマ流れていく。
その全部が、香澄との出会いに結びついていたんだって思ったとき、自然と口が動いて──
「「“そうだ”──」」
その瞬間、私たち六人の音が重なった。
パートは香澄のものだったけど、私と同じく、それを支えたいってみんなの思いが集まったんだ。
背中を押せば、後は駆け抜けていける。
その直感通り、いつの間にか輝きを取り戻した香澄が、力強く歌う──
“どんなに今がつらくたって 何もうまくいかなくたって
積み重ねたもの忘れない 「前へススメ」
全身全霊ただ前進! 一心不乱に精一杯!
果てしなくても 遠くても!”
それは香澄の復活宣言であり、これからの決意でもあったと思う。
音が、視線が、思いが重なって、私たちは最後の詞を歌った。
“見渡す限りに揺れる輝きが 待っている場所を
夢見ている 夢見ている”
私たちの目指す場所、それは煌めきに満ち溢れた場所。そこに連れて行ってくれるのは、きっと香澄なんだ。
確信を込めて、ギターをかき鳴らす。
後奏が収束し、静けさの中で、肩で息をした私たちが感情を爆発させたのは、それからしばらくしてからのことで、同時に言うまでもないことだった。