気が付けば羽丘での文化祭も終わり、湊さんとの対峙を乗り越え、練習にライブ、そして期末試験と風紀委員の会議も済んでしまった。
後は、今週末の7月7日だけ。
日菜との約束を取り付けてしまったのは私が原因だが、それでも気が重い。気まずいのだ。
帰りのHRでは急遽テストが返却されはじめ、名前を呼ばれて受け取った回答用紙の点数をチェックする。悪くはない──というより明らかに良い点数だ。
志哲高校の皆さんはやはり実力が高い。あれだけの課題をこなすスピードもさることながら、特に理解が確実だと感じている。
本質を分かっているからこそ、人に教えられるのだし、そこから自己の再理解へと繋がっていくのだろう。
「うわーん、回答欄一個ずつずれてたよ~……」
「そ、それは大変ですね……」
フォローのしようがない泣き顔に白金さんは言葉を掛けかねている。
近くを通ると、「助けてほしい」と言わんばかりの視線が向いてきてしまうのは当然だった。
「ひ、氷川さん」
「……ケアレスミスは普段の集中力から生まれるものです。
まだ巻き返せる時期なのですから、これに凝りて次は気をつけるしかないでしょう」
「冷たいよぉ~」
精一杯のフォローをしたつもりなのだけれど。
コミュニケーションの向く先が私に移ったからか、白金さんはどこかほっとした様子だった。
そこまで自信がないのかしら……。
この際なので丁度いいと思い、白金さんに7日のことを話しておくことにした。
「白金さん、湊さんには伝えているけれど、7日の練習は延長せず上がらせてもらいます。
皆さんにもよろしく」
「は、はい」
「7日……それってもしかして、商店街のお祭りのこと!?」
耳聡く、丸山さんは業務連絡に過ぎなかったその話題に食いついてきた。
肯定の瞑目をもって反応すると、途端に目を輝かせる。
「日菜ちゃんから聞いたよ~。紗夜ちゃんと二人で七夕祭りに行くって」
「ええ、誘われたので」
「ふふっ、仲良いんだね。私にも妹がいるんだけど、最近は受験勉強で忙しくて遊んでくれなくなっちゃって」
「あなたが遊んでもらう側なのね……というか、私たちもそこまで仲が良いわけではありません」
アイドルとして、忙しいのはあなたの方ではないのか、とも思いつつ、ため息交じりに言葉を残す。
彼女と会話していると、どうにも突っ込みどころというか、そんなものが気になって仕方がない。
「またまた~、一緒にお祭りに行くような仲がそこまで良くないなんてことないよお」
まあ、傍から見ればそうでしょうね。
それでも、私たちが抱えている事情のことを逐一話すわけにもいかず、茶化されるのを黙って受け入れるしかなかった。
……気楽でいいわね、彼女も。
♬
「凪紗さんがライブ、ですか」
「みんな誘われてるんだ。たぶん氷川さんにも連絡が入ってると思うけど……一緒にどう?」
会話に盛り上がっている生徒会室に入ったところで、北沢さんからそんな提案があった。
言われて端末を確認してみれば、凪紗さんや戸山さんからのメッセージがあった。
『よかったらライブに来てください。先輩のご意見をお聞きしたいです』
『ライブやります! 一緒に楽しみましょう!』
こうして文字に起こされたものを眺めると、何というか、性格に表れるものがある。
それは措くとして、日時や場所の情報を探ろうと指を進めた。
「日時はいつですか?」
「ええと、次の日曜日18時だって。他にも出演バンドがあるけど、香澄ちゃんたちは結構前の方……三番手みたい」
上原さんが言うように、メッセージとともに送られてきていたフライヤーの中に、出演バンドリストのトップに位置した”Poppin’ Party”の名前を見つけた。
次の日曜日、というと七夕の次の日になる。私のスケジュールと重ね合わせてみると、その日は午前中から弓道部の合宿についてのミーティングがあるくらいで、余裕があった。
「……分かりました。私も参加させてもらいます」
「オッケー、参加チケットは凪紗ちゃんからもらえるみたいだから、聞いてみて」
「はい」と答えて連絡を試みていると、上原さんの生暖かい笑みがこちらに向いていることに気付く。
「……なんでしょう」
「7日に被らなくてよかったよ。なんせ、愛しの妹ちゃんが待ってるからね」
「……」
「ごめんなさい」
何と返そうか迷っていただけなのに、上原さんは若葉さんの背に隠れて怯えている。
失礼とかいう話をする前に、それなら口に出さなければ良いのに、と思う。
それに、これは私にとって一大事──とても茶化せるような案件ではない。
収拾をつけようとしたのか、上原さんを一瞥した若葉さんは溜息を一つ吐いた。
「まあ、”本番”に備えて気を紛らわせるという意味でも参加してもらえれば良いんじゃないでしょうか。凪紗も楽しみにしてました」
「ええ。文化祭に向けて、他のバンドの演奏も、会場設営の上で参考になりますし、出演するバンド探しもできます」
「確かに!」
一転、上原さんは北沢さんを巻き込んで、文化祭で実現しようとしている対バンライブの皮算用を始める。
事実として、今この時点ではステージの何一つも決まっておらず、本音を言えば焦りを感じてほしいところではあるが。
しかしながら、三人を見ていると何故かやり遂げてしまう気がする──それが決して何となくの印象でないと言い切れるのは、これまで見てきた人となりが根拠となっているからこそだ。
これを贔屓目だと言われてしまえばそれまでだが、逆説的には、私にとって彼らが贔屓目で見る存在に位置づけられたことに、自分ごとながら意想外の念を抱いてしまっていた。
ふと、向けられる眼差しに気付く。その意図が何となく分かって、言葉を待った。
「妹さんからのお誘いだったとはいえ、それを受けるのは覚悟が要る決断があったんだと思います。 ……だからこそ、それを尊重しますし、力になれるかは分かりませんが、応援します」
「ありがとう、ございます」
欲しいと思っていた言葉をくれるこの人は、しかし考えに考えて、言葉を選んでくれたという事実を知っている。
だから、それに報いたいと思う。──できるなら、良い報告ができるように。
来るべき日と、梅雨の出口がやってきたのは、そんな決意を抱いてからすぐのことだった。
♬
節句である七夕は梅雨の出口、そんな言説を信じていた私だったが、抗議すらも溶かしてしまうくらいに降り注ぐ雨を前に立ち尽くしていた。
そういえば、七夕は旧暦で換算すると現在の8月に行われていて、梅雨明けからは時期をおいていると、どこかで聞いたような気がする。
「天気予報は晴れって言ってたのにね……」
恨めしいくらいの鉛色を眺めながら言う今井さんは、ひどく残念そうな表情をこちらに向けるのだった。
──しかし、私はそれで諦めるつもりもなかった。
「そうね。じゃあ、私は行くわ」
「え……ちょっと紗夜、ホントに行くの!?」
「ええ。集合時刻も決めているもの」
「この雨だったら、日菜に連絡して中止にしてもらえば?」
「あの子はもう家を出ているわ」
今井さんの言うことももっともだが、今日ばかりは行かなければならない。
あの子はきっと待っているだろうし、何より、決断した責任が私にはある。決意を揺らがせたくなかったのだ。
「雨、結構強いよ? その折りたたみで足りる?」
「ええ。多少濡れたって平気よ」
「分かった。……せめてタオルでも持ってって!」
感謝の念を伝えると、仕方なく笑う今井さん。
タオルを受け取って、商店街を目指しライブハウスを出る。その途端、雨風が横から吹き付けてきた。
「ふふ……」
いつもそう、私が何かのために外に出れば雨が降るし、風が足元を掬っていく。
こんな性分を恨んだこともあったけれど、今だけは笑みが零れてしまう。
いつまで経っても私は私のままで──だけどそれが心地よくて──そうやって進んでいく道の入口を、私は見つけられつつある。
いつか、その道の向こうで素直な気持ちになることができたら。
あの子の隣に並び、手を取り合うことができたら。
満開の向日葵をあの子に例えたら、もっともよく言って、私は雨中の紫陽花になれるだろうか。
肩を濡らすこの雨も、そんな花々の恵みとなっていればいい──そう思えた。
☆
到着するころには、両肩と足元はすっかり濡れてしまっていた。
息を切らし、集合場所に来ているはずの日菜を見つけようとする私の様子は、周囲からすれば奇怪だろう。
日菜は──
雨天のせいか会場に人は少なかったが、見回す景色の中に探すあの子の姿はなかった。
「……」
動きを止めた途端に、頭がすうっと冷えていく。
考えてみれば、この雨だ。流石の日菜もどこかで雨宿りしているだろう。そう思ってメッセージアプリを起動してみるも、連絡はなかった。
提灯の橙光も心なしか色褪せて見えはじめたとき、遠くで声がした。
「おねーちゃん!」
「日菜」
彼女を呼ぶ私の声は、震えていなかっただろうか。
そんな憂いなどつゆ知らず、二本の傘を持った彼女は曇天にも負けぬ輝きを秘めた笑顔をこちらへ向けた。
「遅れてごめんねー……あ、折りたたみ持ってきてたんだ。
おねーちゃんの傘、玄関にあったから忘れたのかと思って持ってきちゃった」
「少しくらい、いいわよ。……ありがとう、これじゃあ小さいから使わせて」
「……! うん!」
ただ傘を受け取るだけなのに、この子は全力で嬉しそうな表情をする。
やっぱり、向日葵が相応しいわね──そう考えて、この曇天が再び恨めしく思えてくる。
「この傘、色違いのお揃いなんだ! おねーちゃんと同じのが欲しかったんだけど、こっちもいいよね」
「……そうね」
どうしてだろう。
私は、陽の下では影に紛れてしまうというのに、この子はどうして、どんな雨空でも輝いていられるのだろう。
どうして、私なんかを慕うのだろう。
「あ! 向こうで屋台やってるよ! 行こう、おねーちゃん」
「え……ちょっと、日菜!」
私の手を取った日菜──彼女の背を追うような形になって走り出す。
雨粒に溶けてぼやけるような町や屋台の灯りと相まって、いつもは追い越されて見えなくなった背が、とても不思議な気分にさせていた。
「かき氷、チョコバナナに焼きそばもあるよ!」
「そんなに食べると夕飯が入らないわよ。……一つだけにしておきなさい」
「はーい。あっ、じゃあさ、半分こにしない!? あの屋台のたこ焼きとか!」
頷くと、日菜は「買ってくる!」と勢いよく向かっていって──店員らしき男性と何かの会話をしたかと思えば、目を輝かせて帰ってきた。
「ねえ見て! これスイーツたこ焼きなんだって!
ベビーカステラにカラメルソースと抹茶パウダーがかかってる!」
「珍しいのを買ってきたわね……というか、数が多くないかしら?」
「おねーちゃんと半分こにするって言ったら、おまけしてくれた!」
「……ちゃんとお礼はしたのよね」
「もちろん!」
そう言って胸を張ったかと思えば、たこ焼きを口に放り込んだ日菜。
傘もあって食べにくそうにしているので、トレーを持ってあげようとしたときに見慣れたベーカリーのロゴが目に入った。
「……」
無言で屋台に目を向ける──さっき日菜と話していた店員は、やはり直感の通りだった。
(偶然です)
読唇術、というわけではないがそんな風に聞こえてしまう。
「おいひー! おねーちゃんもどう?」
「……いただくわ」
一粒食べてみれば、甘ったるく濃い味が口の中を満たしていった。
♬
雨のおかげと言うべきか、見物客もまばらで座ってパレードを見ることができた。
和傘を持った小さな織姫彦星たちが、淡い光に包まれた商店街を進んでいく。
「雨が降ってよかったかも」
「……そうかしら?」
「うん。 お揃いの傘も使えたし、こうやって座ってパレードを見られるし!
あと、たこ焼きおいしい」
「最後のは関係ないでしょう」
実際、この雨でお客さんも少ないと、多めに入れてくれたことも理由がつく──とは考えすぎか。
ともかく、日菜は至って上機嫌な様子だった。
「あっ、あの手を繋いでる織姫ちゃんたち、姉妹なのかな?」
「……確かにそうね。同じ髪型をしているし背丈も似ているから、もしかしたら双子かもしれないわね」
笑顔を振りまく先頭の女の子に対して、注目されていることや、商店街の賑わいにどこか不慣れな様子でついていく女の子。
なぜかさきほどの私たちと重なってしまった。
「可愛いね~……って、あっ!」
声を上げた日菜の視線を追うと、どうやら先頭の女の子が転んでしまったようだった。
「大丈夫かしら……」
最前列を歩いていただけに、観衆にもざわめきが広がっていく。
心配に、思わず駆け寄ろうとする人もいるくらいだったが、すぐにそれが必要ないと気付いたようだった。なぜなら──
「後ろの子が手を引いて、起こしてあげたみたいだね」
「衣装も汚れていなさそうね。良かった」
泣きそうになっていた顔が、すぐの元通りの笑顔に戻っていく。その様子にこちらまで安心するくらいだ。
そうしているうちに、行進のリズムを取り戻した祭りの主人公たちは、光あふれる商店街の先へと歩いていくのだった。
「……なんか、あの子たち見てると子供のときを思い出したよ。
道に迷ったときはおねーちゃんが手を引いてくれたときとか、分からないことがあったらおねーちゃんがすごく考えてくれて、何度も教えてくれたときとか」
「そんなときもあったかしら……」
お互い、覚えている記憶には違いがあるのかもしれない。
日菜は私との思い出を昨日のことのように語っていく。かたや、くだらない──おそらく、客観的にはだが──劣等感を抱えながらこれまでを生きてきた私の彼女との思い出はどうだろうか。
「あの頃は、おねーちゃんと一緒に遊べて毎日すっごく楽しかったよ。
──今は、なかなか一緒にいられなくなっちゃったけど……」
Pastel * Palette、つまりアイドルとしての活動が始まったこと、私はRoseliaのそれ──理由を付けようと思えば、いくらでも付けられる。
しかし、きっと真実は違う──本当は、全部知っている。
今の距離を作ったのは、私だ。私から日菜と距離を置いたから。
日菜もそれを知っている。だけど、私の心根までを察せるわけではないから、こんな表情をする。
「まー、しょうがないよね」なんて、納得したふりをする。
それがやるせなくて、でもこんな気持ちを口に出すなんてことは、私にはできそうになかった。
雨は降り続け、空が重たくなったような気がした。
そんなとき、日菜は言った。
「でも、今日はすっごく楽しかった!」
「え……?」
「だって、久しぶりにこんなにお話できたんだもん! おねーちゃんが笑ってくれたところだって、見れたし」
私、笑っていたのかしら──
自覚なくそんなことを思っていると、日菜は立ち上がる。
「お願いごと──ここに来るまでは、おねーちゃんと仲良く過ごせますようにって書こうと思ってたんだ。
だけど……今日叶っちゃった」
「!」
いつか、日菜の隣に立って手を取ることができたら──言葉を変えれば、日菜の願いは私の願いでもあった。
目を見開いた私に、彼女は手を差し出す。
「あたし、欲張りだから──新しいお願いができちゃったんだ。……短冊、飾りに行こうよ」
♬
「ねえねえ、教えてよ~!」
「……それは、どっち?」
「短冊の中身もだけど、こっち家の方向じゃないよね? どこに向かっているの?」
「着いてくれば分かるわ」
もう大分、日菜との会話の調子を取り戻すことができたと思う。
短冊を飾り終わった後の帰り道、私の肩越しに疑問符を飛ばしてくる彼女。
気にしているのは、私の願い事と、提案した寄り道で向かう先だ。
「……何か、おねーちゃんってちょっと変わったよね」
「それは、どういうことかしら」
「いや、最近話さなくなったことじゃないよ。
なんか、おしゃべりになったっていうか……ちょっと不思議な感じ?」
「あなたに言われるのだけは心外だわ」
そう言いながら、自覚はある── 影響を受けていそうな人たちの顔が脳裏をよぎった。
「まあでもいっか! もっとお話できるってことだし!」
「……どうかしらね」
「ええー!? お話しようよー! 短冊のこともまだ聞いてないし~!」
聞き流しながら、考えるのはこれまでのことと、これからのこと。そして、抱えるものの正体を知り、支えようとしてくれる人のこと。
過去が変わるわけじゃない。どれだけあがこうと、私が避けてきた日菜との時間は返ってこない。
だけど、新しい出会いもあった──ならば、得た経験を糧にして、未来に向き合うことはできるはず。
「……それなら、あなたは願い事に何を書いたの?」
「あたしはねー、おねーちゃんとショッピングして、一緒に映画見て、わんにゃんショーに行って……いろんなこと、おねーちゃんとしたいなって!」
「……そう」
「あれ!? 次はおねーちゃんが教えてくれる流れじゃん!」
少しだけ緩んだ頬を隠して、先を進んでいく。
『日菜とまっすぐ話せますように』
その願いと決意は変わらない。けれど、それを叶えるのは、変わるべきは自分だ。
いつか、この雨とともに、自分も好きになることができたら──その時は、きっと私が私として、初めて日菜と向き合える日なんだと思う。
物語のプロローグのような気持ちで、未だ知らぬエンドロールに向かって足を踏み出した。