ペンギンも斜陽にその身を溶かし切った頃、丸山さん(姉)がメンバーとの約束が迫っているとのことから、一大推理大会は答えを見いだせないままの時間切れとなった。
──その結果に安堵してしまったことは口が裂けても言えまい。
「……で、何で言わなかったわけ?」
「何を」
「あんまりとぼけてると
「……」
はて、バラされるような隠し事はないはずだが──そんな悪あがきも凪紗の一睨みで霧散する。
動揺が気取られていたのは薄々分かっていたことだが、それ以前に丸山さん側の持っていた情報が想像よりも核心に近かったようだ。
食卓上の視線を逸らしても、煌々とした西日の光線に退路を絶たれた俺は、取り調べよろしく経緯を供述するしかなかったのである。
「タイミング的には《Poppin’ Party》のライブが始まる直前だ。
氷川さんと見回りをしていた時に、叫び声が聞こえて向かってみれば現場に遭遇した」
「一曲目に遅れたのはそういうことだったんだね……。でも、それは答えになってないでしょ」
仕方なく、いつか恵にしたように理由を説明していくにつれて、凪紗の視線は胡乱なものになっていくのが分かった。
「……何それ、自意識過剰でしょ」
「恵と同じことを……。それでも、変な噂を立てられるよりはお互いのためになるだろ」
はああ、と長い嘆息に思わずたじろいでしまう。
「大体、噂が立つにしても助けたことは事実なんだから、堂々としてればいいじゃん。
私が言ってるのは、お礼をちゃんと受け取ってあげなよってこと」
「……」
反応として想定していた通りのことを凪紗は言う。それはそれで正しくて口出しできない。
「丸山さんは事の顛末を知らないんだ。それなら、話が立ち消えるのを待つのも一つの手じゃないか」
「.……それ、さっきの彩先輩の言葉を聞いても言える?」
再び、言葉に詰まってしまった。
『──文字の上だけじゃなくて、その人の前に立って、お礼だけじゃなくて、お話をして……その人がどんな人か、確かめたいって思うんだ』
丸山さんはそう言った。
名前も、姿すらも知らない人間のことを健気にも追い続けている──その純粋な善意を、俺は無情にも遠ざけているというのが、凪紗の睥睨の背後にある思いなのだろう。それはスープの湯気を貫通してくるほどの鋭利さだった。
実際、心苦しい思いはある。ただそれ以上に俺は──
答えられずにいると、凪紗は「あー、やめやめ。なんか尋問みたいだし」と肩を竦めながら言った。
どうやら、これ以上の追及は諦めたようだ。
「……すまん」
「いいよ、だって兄さんの決めることだし。……でも、悩むことがあるんだったら、せめて私には言ってよね」
「ああ」
ご飯が冷めちゃう、と茶碗を持ち上げる妹はそれ以上の関心を寄せないようでいて、どこかに微かな引っ掛かりを残したようだった。
これに気付いたのは、多分俺たちが兄妹だからなのだろう。
☆
「それでさ、夏休みの予定だけど」
「ああ、確かバンドの皆と海に行くんだったよな」
話題が移り変わった食卓は、主に凪紗によって一気に色めき立ったようだった。
この春からはお互いに用事も増えてきたので、この機会に整理しておこうと、先の予定に思考を巡らせる。
「そうそう、有咲が海水浴場を調べてくれてるんだけど、確か館山の方だったかな」
「そうなると……移動は電車か、高速バスとかか?」
「予定はまだ決まってないみたいだからその辺は分からないけど、泊まりになるようなことはないと思う」
なるほど、そうなれば普段の練習日とそう変わらないだろう。少し朝早く出て、帰りは皆で食べて帰ってくるかも知れない。
「何か用意するものはあるか?」
「準備は自分でやっとくよ。学校もないから、お弁当とかも作れるし。
兄さんだってこの夏は忙しいでしょ?」
そもそも朝起きられるのだろうか。不安なのはきっと兄の性だ。
まあ、要領のよい妹のことなので、そのあたりは杞憂となるだろう。
むしろ、彼女の言うように心配されるのは俺の去就とスケジュールなようで。
「そうだな……。学校は受験の対策講座があるからそれに参加するのと、生徒会で朝のボランティア清掃、あと文化祭の準備を兼ねた会議。
バイトはそれに合わせて出られるところに出ていくって感じだな」
「めちゃくちゃ忙しいじゃん……学校は行かなきゃとしても、バイトは余裕あるんだったら無理しないでよ?
まあ、私が言うのも何なんだけど……」
どうも心配をお掛けしているらしい。ついでに引け目も感じさせているかも。
「バイト先の人にも、学業優先でって言われてるから問題ないよ。お盆もあるから休みもそこそこ──」
そこまで言って、一つのことに気付く。
はっとした表情の凪紗も、おそらく同じことを思っているのだろう。
「そうか、もう
「そう、だね……」
思わず、声の調子が落ちたことを自覚する。
あの夏からもう一年が経とうとしていることが、どこか信じられないでいるのかもしれない。
きっと、それは凪紗も同じだ。
「──会いに、行かないとね」
食卓は打って変わって重苦しい空気が漂い始める。彷徨わせる視線も沈痛そのものだった。
「ああ。……母さんにも、体調のことを含めて予定を確認しておく」
そうは言ったものの、俺も凪紗も、箸が進まなくなってしまった。
割り切れたと思っていたことは、所詮思い込みに過ぎないのだろう。向き合い続けることは、とても疲れるものだから。
だからこそ、こうして過去に触れて、思いを馳せる日を作るのだ。
だけど。
まだ俺たちにとっては、それを受け入れられない幼さがささくれのように痛みを残すのだった。
♬
「うあ゛あぁ……」
ゾンビみたいな声に問題集から視線を上げてみれば、突っ伏して
アイスコーヒーを傾けながら、弱る虫を見る目でそれを眺める。
「……めちゃくちゃ冷たい目だけを残すのやめてよ」
「声の掛けようもないだろ。なんだその情けない声」
そう返すと、嘆息しながら起き上がった彼はペンを投げ出しつつ言った。
「だって、そんな声も出るでしょ。朝から花咲川の掃除、立て続けに会議、そんでもって課題に勉強──
ここのとこそればっかりだったし」
「まあ、この学校の生徒会に入った以上はこうなる運命だったんだろ。受験生の勉強もあるから、一旦明日からは休みだしな」
「なぜそんなに受け入れられるのだ……」
仕方ない、すべては運命の赴くまま。
人生は決断の連続というけれど、その実、自分の想定していないことばかりが起こるものなのだろう。──出会いも、別れも、幸も不幸も。
諸行無常の人生観を心の中で唱えていると、飲み干したグラスに手が伸びてきた。
「忙しいみたいですね?」
「あ、つぐみちゃん」
「おかわりはいかがですか?」
ご提案の言葉のままに従っておくと、この店の看板娘──羽沢さんが『ご注文、ありがとうございます』と眩しい笑顔を見せた。
羽丘の生徒会メンバーで、文化祭の企画に参加して以来、この店にはたまにお世話になっている。
「文化祭の会議、結構盛り上がってましたよね」
「盛り上がった、っていうか……」
「あれは紛糾かもな」
彼女のいう文化祭というのは、もちろん秋口に控えた志哲高校の文化祭だ。
案の定、第一回の企画会議では先達である花咲川・羽丘両校から数多くの指摘を受けた。
「僕たちも頑張って計画したつもりだったけど、流石に実戦経験のある人からするとね」
「まあ、批判があるということは改善の余地を残しているということでもある。
素早く吸収して早くから実行に移していくしかない」
「私もお手伝いします!」
幸い、こちらには優秀な外部人材を豊富に用意できる。意気込む羽沢さんはその先鋒たる実力者であり、1年生ながら調整力に長けている。
バンドでの活動経験を持つというのもポイントだ──この点では、凪紗や恵の妹にも助力を依頼することができるかもしれない。
「音楽をやってる人にしかない人脈もあるからね。
つぐみちゃんやはぐみにも、お願いすることが出てくると思うんだ。凪紗ちゃんや沙綾ちゃん、氷川さんだって」
積極的な肯定はしないが、可能性としてはあるのだろうか。
恐ろしいくらいに揃っている人材──マンパワーと専門性を両立する心強さがあるものの、問題は推進役の我々の実力不足にあるのかもしれない。
情けないことではあるが。
「凪紗ちゃんで思い出したんですけど、今日はPoppin’ Partyのみんなで海に行くって沙綾ちゃんから聞きましたよ」
「ああ。昨日までひどい雨だったから心配していたけど、今日は朝から晴れたから、大喜びで向かっていったよ」
「ふふっ、凪紗ちゃん、お家だといつもより可愛いんですね。
そういえばあこちゃんも、Roseliaのメンバーで海のそばで泊まり込みの練習があるって、巴ちゃんが」
「鉢合わせてたりしてね」
氷川さんの性格を考えると、海で遊ぶというのは考えにくい。その他のメンバーの意向にもよるが、中心にいる湊さんもあの感じでは練習そっちのけで海水浴やビーチバレーなんてのはないだろう。
ふと、遊びに熱中するRoselia一同が浮かびかけて──いや、ないな。
と、手元にあった携帯が振動を始めた。画面に表示されていた名前は──
「……母さん?」
♬
「ごめんね。今忙しかったかしら」
「いや……」
少し席を外すと伝え、店の外に出る。強い日差しが出迎えて億劫だったが、今は右手の中にある声の方が気がかりだった。
「この間、メッセージをくれたでしょう? 体調のことについて、今日お医者さんからお話があってね」
「っ、どうだって?」
「──もうすぐ、退院できそうだって」
電話口の声色は穏やかでありつつも、そこには喜色が滲んでいた。──もっとも、それは俺も同じなのかもしれなかったが。
「ほ、本当に?」
「ええ。この間、凪紗と話をしたときにはまだ不安定だったんだけど、その後から落ち着いてきて……。
長い間、無理をさせたわね」
「そんなことない。……良かった」
話を続けていくと、家に戻るのは夏休み明けのタイミングであることが分かった。その後すぐではないが、在宅勤務を中心としつつ仕事を始めるとのこと。
「──それでね、昔の資料が必要になったりして……もし時間があれば、顔を見せるのを兼ねて、おじいちゃんの家に置いてあるものを持ってきて欲しいのよ」
「なるほど」
であるなら、スケジュ―ルを考えると早めが良いかもしれない。
気付けばもう8月で、お盆時期に入れば帰省客でごった返してしまうし、終われば本格的な文化祭準備が始まってしまう。
泊まりとなれば最短でも2日、その前の週で空いている日を探すとなれば……
「じゃあ、早速夕方にでも出るよ」
「きゅ、急じゃないかしら……? 都合がつかなければ、無理しなくていいのよ」
「いや、ちょうど用もあるから。連絡も入れておくし」
せっかくの遠出なので、バイクの練習をしておきたいのだ。学生は夏休みとはいえ平日だし、そこまで混雑はないだろう。
そんな考えをよそに、母さんは通話越しに苦笑をこぼした。
「ふふ……」
「何?」
「ううん。律夏、ありがとうね。
早く戻れるように私も頑張るから……あなたがやりたいと思うことを、楽しんでほしいの」
「俺は今も、楽しめているよ」
「……そう」
心からの言葉のはずだったけれど、母さんにはそうも聞こえていないのかもしれない。
負担ではないにしろ、家のために費やす時間のせいで失うものが出てくる、だとか。
確かに、生徒会やバイト先での新たな出会いを考えても、元を辿れば家の都合での出会いだったり、凪紗の交友関係に入りこんでいるだけ、とも言える。
──俺自身の思いは、どこにあるのだろうか。
そんな疑問が、途端に降って湧いた。
♬
快走を続ける単車上にあって、俺は凪いだ夏の空気の中を泳ぐような心地だった。
それに加えて、水平線に融け込む夕陽の大きさに呑み込まれる感覚が、今よりずっと幼い頃の思い出を想起させた。
熱に茹だりながら、潮の音と香りの中を歩いた日々を確かに覚えている。
あれから何回目の夏になっただろうか。沈むオレンジの光が刻んだ日の数を思うと、奇妙な焦燥に駆り立てられた。
『あなたがやりたいと思うことを、楽しんでほしいの』
母さんの言葉に、遠くなる記憶の中で、きっと俺は俺の道を歩めていたのだろう。
──それなら、今はどうだろうか?
見えているものや知っていることが増え、昔より多くのものを簡単に手に入れられるようになった。
それでも、見失ったこともあるのだろう。
ずっと、心のどこかで分かっていたのだ。いつの間にか歩みを止めていたということを。
踏み出し方を忘れているということを。
眩しさの向こう側にあるものを追い求め、景色を後ろに吹き飛ばすように、俺はひた走った。
これで幕間最終話、次回から3章となります。