#46:8月のif(前/ガールズサイド)
「それで、律夏さんも千葉に行ってるのか?」
「まあ、今日行くのとは別方向だけどね」
集合場所へ向かう道すがら、照りつける日差しを避けるように歩く有咲とそんな会話を交わす。
ちなみに都電で直接向かわない理由は口止めされていたりする。
「……行かなくてよかったのか?」
「あ、
急な話だったし、みんなと先に約束してるから兄さんも楽しんでこいって」
「そ、そっか。よかった……」
「ふふ、心配してくれてありがとね」
「べ、別にそんなんじゃないけど……」
気にしない素振りをしているけど、心配とか気遣いが視線に詰まっているのが分かるよ。
くすっと笑うと、照れ隠しで少しだけ私の先を行った有咲は、しかし駅への横断歩道をまたいだところでぽかんと固まってしまった。
目線の先にいるのは──沙綾?
「はしゃいでんな……」
「うっ……やっぱそう見える?」
花弁のワンポイントが入った麦藁帽も、夏の海によく映えるだろう。
「いいじゃんしてれば。はしゃいでんでしょ?」
「可愛いし、似合ってるから大丈夫だよ」
「凪紗、真顔で言われるともっと恥ずかしいかも……」
そう言うけれど、ほんとのことだから自信持てばいいのになあ。
そんな思いのこもった、私の至極真剣な視線が帽子の
「おはよーっ!」
「お、来たな?」
呼び声に、目の前に傾けられた意識が逆転する──振り返れば、そこにあったのは群青色。
それはつまり……。
「デニム合わせ成功!」
「はぁ?」
「うむ、素晴らしいね」
「お前の差し金かよ……」
夏の海といえばやっぱりこうじゃなくちゃ、と言わんばかりの香澄たちの恰好。示し合わせてきたのはもちろんだ。
……というか、有咲や沙綾だって合わせてきてるんだから、文句はないだろう。
「どう?」とくるり一回転したたえは、風に靡く長髪も相まってただただ美しかった。
「黙って頷くだけ……なんか熟練の料理人みたい」
「後方彼氏面、ってやつかよ」
なんか色々言われてるけど気にしない。
それより、有咲がツッコみたいのはそこじゃないみたいで—―。
「ってか、なんで
指先の延長上には、黒いケースでつつまれた私たちの
「香澄ちゃんと凪紗ちゃんが持っていくって言うから」
「弾きたいときにないと……」
「ね!」
「ね、じゃねーよ! これから行くとこどこか分かってんのか?」
「そりゃあ海だよ。沙綾がめっちゃ楽しみにしてた海」
「な、凪紗ぁ!」
有咲とタッグで沙綾をからかうのはなんだか珍しい。
ますます頬の赤みを増していく沙綾も、悪戯っぽい笑った有咲も新鮮で、つまるところ、私たちはみんな浮かれているみたいだった。
8月の日差しが、そんな私たちを照らしていた。
☆
「でもさ、沙綾の一押し、っていうのも珍しいよな」
ふと、車内で隣の有咲がそんなことを言い出した。
確かに、今回の提案は沙綾発で、今までバンドのお母さん(?)だった沙綾からそういう声が出ることって、あんまりなかったなと思う。
「海、行くの初めて?」
「うーん、小学校の学校行事で行ったきりかな。凪紗は?」
「私は、東京に引っ越してくる前に
「海に近かったのか?」
「うん、家出てすぐのところで、身近な遊び場って感じだったよ。夏はよく泳いだり、水遊びしてたな」
「へえ……もしかして、律夏さんが水泳をやってたのって」
「それもあったと思う」
まあ、今は訳あってできてないけど──そのあたりのことも、今後考えていかなきゃなのかも。
今日ばかりはその話を置いておくとして、沙綾にとっての海の話に戻す。
「じゃあ、久しぶりの海を楽しまなきゃね。せっかく沙綾が提案してくれたし」
「気合も入ってるしな」
「も、もう……!」
私を挟んでじゃれ合う二人に思わず吹き出してしまう。
それでも、ふと、沙綾が足元に視線を垂らした様子に気が付いて、呟きに耳をそばだてた。
「でも、ほんとのところ、結構楽しみにしてたんだ。
みんなに会うまでだったら、こういうこともできなかったから」
「沙綾……」
ベーカリーの手伝いを続けることが間違いだったなんて言えない。
だけど、少なくともバンド活動が楽しいって思ってもらえるように──そこに後悔がないように、私たちが向かっていくことはできる。
だから、沙綾の手を取った。
「今日、絶対楽しもう」
「夢に出てくるくらいな」
「……!」
少しの驚きに顔を上げた沙綾は、それでも、次第に頬を緩ませた。
「……うん」
♬
最寄り駅から少し歩いて、私たちを出迎えたのはただひたすらに青い空と海だった。
「来た!」
「「海っっ!」」
「興奮しすぎて、単語レベルでしか話せなくなってるな……」
今日は有咲がツッコみで過労になってしまうかもしれない。叫んだのはたえと香澄だけじゃなくて、沙綾も一緒だったからだ。
「ていうか、ここまで結構かかったよな。
なんで湘南とか近場の海じゃなくて、
「それはね……」
「海の家ライブ!」
目を輝かせた香澄のいう通り、今日は海の家主催でライブができる日──飛び入り参加も可──なのだ。
柱に貼り付けてある、手作り感満載のチラシもといフライヤーをみんなで眺める。
「へえ……」
「ま、まさかそれでギターとベース持ってきたのか!?」
「ご明察」
そう言うと、有咲は呆れたような表情で「準備いいな……」と返す。
ちなみに、ドラムやキーボードは店主さんの趣味のものが揃っているので、それを使わせてもらえるらしい。
「じゃーん!」
「げっ、もう臨戦態勢かよ」
「っていうか水着……?」
「下に着てきた」
「小学生か!」
真っ白なビキニはよく似合うけど、ギター抱えてるって結構な違和感だな、と
ちなみに、スタイルの方は羨ましくなるほど小学生離れしていました。
「ねえねえ、ギターで隠すと、下はいてないみたい」
「ホントだ! 恥ずかしー!!」
「お前ら、恥ずかしいっていう概念あったの?」
「あはは……じゃあ、私たちも着替えよっか」
そんなこんなで、小学生コンビを置いて私たちも着替えることにしたのだった。
☆
「久しぶりの海、楽しいかも」
りみを膝に乗せて、思わずそんな呟きを零した。
冷たい水に触れて、熱々の砂浜を駆け回って──そんな経験、最近してなかったことに気付く。
レースクイーンのように日傘で佇んでいた有咲も、香澄にこの炎天下に引っ張り出されたことでお疲れのようで、今は沙綾の膝に頭を乗せてげっそりしていた。
「つ、疲れた……」
「確かに、最初っから飛ばしすぎたかもね」
「うち、お腹空いたかも……」
関西弁が漏れてるりみ(可愛い)のいう通り、そろそろお昼だ。
ひと撫でして、背後にあったバッグに手を伸ばす。
「わ、お弁当?」
「最初は簡単なもので少し作るくらいのつもりだったんだけど……兄さんと二人して張り切っちゃって」
『夏の海は思ったより体力を奪われるぞ。しっかりメニューを考えて対策しないと』
『そんなアスリートじゃないんだから……』
『ひと手間でいいんだ。それに、買って食べたいものもあるだろうから、好きなものを必要なだけ作ればいい』
「流されるまま始めたらこだわりが強くなっちゃって……」
そう言いながら取り出した保冷バックの中身をみんなに見せる。期待感に輝く瞳がむず痒い。
「すっごい! これ、ハンバーガー?」
「ピクルス入りのね。汗かいて塩分が抜けるから、って」
「なるほど……こっちは生姜が入ったドリンク……ジンジャーエールってこと?」
「うん。水から上がった後は意外と冷えてるものだって」
「水泳部ならではだな。……ってか、その凍ったやつ、ゼリーか?」
「きれいな青色……」
「ラムネとグレープフルーツに、ブルーハワイのシロップを使ったんだ」
どうせ作るならとことん……と、せっせと作っていたらこんなものが出来上がっていた。
だって、兄さんが自由研究で子供より張り切る親のような勢いで色々提案してくるんだもん。
「せっかくだから、みんなで食べようよ」
「こんなにすごいもの、私たちも食べちゃっていいの?」
「もちろん。量としては、ちょっと物足りないかもだけど」
「やったー! じゃあ、私買ってくる!」
「私も。見てたらお腹空いてきちゃった」
そう言って、香澄とたえ、りみが売店へ向かう。
一緒に残った沙綾の、「律夏さんの女子力が圧倒的過ぎて、自信なくすかも……」という言葉には苦笑するしかなかった。
♬
「香澄たち、遅いね」
「メニューが多くて迷ってるのかもね」
買い出し組を待ちつつパラソルの下でそんな会話をしていると、どこかで聞いたような声が風に流れてくる。
「燐子……脱ぐとすごいね」
「くっ……まさかここまでとは」
「そ、それはどういう意味ですか……?」
「お、おいあれって……!」
飛び起きた有咲の言葉で、日差しの向こうへ目を向けてみると、そこには色とりどりの
それぞれのパーソナルカラーで彩られたビキニを身に着ける氷川先輩とベースの先輩の間に挟まれているのは──
「り、リンちゃん?」
「!?」
驚きに任せて急に飛び出すものだから、三人をこれまた驚かせてしまったらしい。ついでに私の膝へ移動していた有咲も転がっていってしまった。
「わっ、びっくりした……」
「な、凪紗さん?」
「あ……ご、ごめんなさい」
らしくないことをしたせいも相まって、その場のみんなが固まっている。
中でも私のこんな行動の主要因であるその人は、口を開いたまま言葉が出ていないようだった。
「おまたせ~! いっぱい買ってきたよ……って、あれ?」
「待たせたわね……?」
そして同時に合流してくる香澄たちと、湊さんたちRoseliaメンバー。
それぞれが言葉を失くしたことで、事態は混乱を極めるのだった。
☆
「へえ、ビーチバレーですか!」
焼きそばをほおばりながら、テンション高めの香澄。
隣に違う色のパラソルが増えて、私たちはRoseliaメンバーの皆さんと、それぞれに会話をしていた。
「Roseliaの皆さんも、遊びに来たりするんですね……」
「ここに来たのは昨日なんだけどねー。近くのコテージ借りて、合宿やってるんだ☆」
意外そうにしている有咲と話しているのが、ベースの今井リサ先輩だ。
会話の端々に☆が付いてくるくらい明るい人、というかめっちゃおしゃれでもう眩しい。
「ビーチバレーも体力づくりに良い、ということでここに来たんです」
「な、なるほど」
お馴染みの氷川先輩が(真面目な口調で)言うことであればついつい納得しがちだけど、ビーチバレーで体力づくりってどういうことだろう……?
まあ、深く考えても意味はないか。
「あはは、まあ今日くらいいいじゃん!
せっかく海に来たんだし、いっぱい遊ばないともったいないよ! ねえ燐子?」
「は、はい……」
か細い声で返事をしたのは、キーボードの白金燐子
私が向ける視線に気付いたのか、氷川先輩が疑問を口にする。
「そういえば、先ほど白金さんの名前を呼んでいましたが、凪紗さんとは知り合いなのですか?」
「あ、はい。昔、ピアノを習っていたんですけど、その時にレッスンの時間が近くて」
「そういや、そんな話もしてたな」
有咲には話してたっけ。
あの頃の音楽経験が活きているので今がある、と思うと感慨深くもある。
ともかく、そんな話をしながら燐子ちゃんに目を向けたけれど、何だか気まずそうに口を噤むばかりだった。
「おい、凪紗。お前なんかしただろ」
「し、してないよ!」
「あはは。燐子、ちょーっと人見知りなところがあるし、久々の再会ならなおさらかもね?」
取りなしてくれる今井先輩の気持ちが身に染みる。
その言葉でリンちゃんもペースを取り戻したようで、たどたどしくも言葉を紡ぎ始めた。
「ひ、久しぶり……だね。もう、小学生の頃以来、かな」
「そうだね……確か、お互いにピアノをやめてからは会えなくなっちゃんたんだよね」
あの時は、友だちと遊んだりとにかく色んな習い事をさせてもらっていたから、ピアノに一つ区切りがついたタイミングでやめたんじゃなかったかな。
ちなみに兄さんも同じレッスンを受けていたけど、もう少し続けていたような気がする。
私たちのそんな会話を聞いていた今井先輩は、何かを思いついたようだった。
「それなら、再会ついでに
「へ……?」
♬
なんとなく、その手に持ったビーチボールで想像はついたけれど、まさか氷川先輩やリンちゃんと同じチームでゲームするとは思ってもみなかった。
「それっ!」
「凪紗さん!」
「はいっ!」
たえが放った強烈なアタックを氷川先輩が辛うじて弾き返し、私もギリギリのところで相手コートへ打ち込む。
「よっ! 沙綾!」
「はいっ! 香澄、お願い!」
「行くよーっ!」
変な体勢で放った私のボールは、難なく今井先輩の手元で転がされて沙綾のもとへ。
絶妙なトスが、高く跳び上がった香澄の細腕と重なり合った瞬間、鋭い角度でこちら側へ叩きこまれる。
「有咲っ!」
「うおわーっ!!」
当然有咲が受けきれるわけもなく──と思っていたところ、走り込んできたのがまさかの氷川先輩。
「白金さん、頼みました……っ!」
「え……っ!?」
滑りこんで伸ばした腕とぶつかって、ボールが自陣深く切り替えされる。
高く舞って間延びした空気の中で、リンちゃんはどこへ返したらいいものか分からない様子だということに気が付いた。
「──リンちゃん、こっち!」
「っ、凪紗ちゃん……!」
戸惑う視線を引きつけて、私は走り出す。
目と目を合わせた瞬間、何か確信のようなものが通じ合った気がしていた。
それを証明するように、小さく頷いたリンちゃんがボールを撥ね上げる。
(よし……!)
地面を蹴ったタイミングは、きっと私の低身長に比べて早すぎるくらいだろう。──だけど、それがチャンス。
全身がバネになったような勢いで空中へ突っ込んだ私は、目いっぱいに腕を伸ばす。
ボールの上昇に追いついて、自由落下が身体を支配するその直前、手の平とボールの真ん中が重なるその瞬間に力を解き放つ。
「いっけえぇ!」
照り付ける日差しを背に、渾身のスパイクを放つ。
コートのど真ん中に埋まり込むのを見届けて、青空に身を委ねた私は謎の満足感に包み込まれていたのだった。
☆
「いやぁ、盛り上がったねぇ~」
「ちょっと熱血すぎやしねーか……?」
息を切らした有咲がへたり込む一方で、沙綾は至って楽しそうにしていた。
実際盛り上がったことは確かで、日の傾き始めた今の今まで熱戦が繰り広げられていたのだから、私たちみんな
「凪紗さん」
呼ばれてみれば、氷川先輩と湊先輩が斜陽の砂浜を歩いてくるところだった。
有咲は身構えるけれど、体力の限界でたどたどしい足つきの湊先輩は、最初に抱いていた威厳とはかけ離れたようだった。
「湊さん、こちらが件の」
「……ええ。話は聞いているわ。よろしく」
「よ、よろしくお願いします。氷川先輩、話ってどういうことですか……?」
それを訊くと、氷川先輩からは「以前、ライブでお兄さんと話す機会があったんです」と説明があった。
私たちより早くRoseliaのライブに参加してるってどういうこと……?
ともかく、湊先輩が話したいことというのは、兄さんが関係しているらしかった。
「聞きたいのは、貴女のお兄さんの音楽経験についてよ。
さっき、燐子と同じレッスンを受けていたと言っていたけれど……そこにお兄さんもいた、というのは事実かしら?」
「! そ、そうですけど……なんで分かったんですか」
直球でそれを言い当てられて、思わず目を丸くしてしまう。
しかし、湊先輩や氷川先輩は「やはり」という表情だった。その訳を訊いてみることにする。
「ライブの感想が、かなり具体的だったといいますか──音楽経験がなければ話せないような内容でした」
「さっき、燐子と昔話をしていたそうね。その辺りと重ねて聞いたのよ」
「な、なるほど……」
気付くと、リンちゃんがおずおずとこちらへ近づいていた。湊先輩に呼ばれたみたいだった。
「彼の指摘は、私たちとしても貴重でした。だから、できればその背景についても納得しておきたいのです」
「差し支えなければ、貴女たちの出会いやこれまでの経緯を含めてね」
伺うように、リンちゃんと目を見合わせる。
どこか遠慮がちに目を伏せたのが分かったが、それでも、ぽつりぽつりと語り出すのが分かった。