過去の残滓が見せる光と闇。暖かな思い出は束の間の夢の如く過ぎ去って行く。

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ざくざくアクターズ二次創作 追憶より愛を込めて

 水の綺麗な土地だった。思い出せる楽しい記憶は、決まってあの人と一緒に清流に沿った木陰の中。

 

 薬師の仕事は覚えることが多く、薬だけではなく素材や道具の管理にまで神経を使う。だが子供心にも面倒だと思う事はなかった。冷たい川の岸辺、湿度の高い木陰の側で滋養や薬効のある植物をあの人と学んだ。

 

 野に咲くアスパラはビニールハウスで育てられた物と違ってパサついてエグ味が強い。ドクダミは湿気のせいか班がまばらで見栄えが悪いが、お茶や薬にする分には気にならない。丸石に張り付いた(こけ)を削ぎ落とす度に、これを続ければ何時かあの人が病床から立ち上がる日が来ると夢を見ていた。

 

 元気になって欲しい一心で、今の私からは想像も出来ないくらい活発に飛び回り、野草をかき集めては木陰の下で待つあの人の下へすり寄ってを繰り返していた。

 

 手にした苔を見せれば褒めてくれて、「苔を取ろうとしてコケなかったかしら?」等とユニークな冗談で私を笑わせてくれたのを今でも覚えている。木陰の山菜を取ろうとする時も「気をつけて、影の下ではカゲんが大事よ」と言われて思わずひっくり返って笑い転げてしまった物だ。

 

 このユーモアのセンスを受け継いでいる筈なのだが、優しさや笑顔は引き継げなかったのが尾を引いているのかあの人の様に上手く活かせないのが現状だ。

 

 息せき切って流れる汗を拭ってくれるその手は、枯れ枝のように細かった。冷たい川の水でかじかんだ手を(さす)って温めようとしてくれるのだが、今にも折れてしまいそうな指先から伝わる熱は微かにしか感じられない。その暖かさを何時までも手にしていたくて、私は少しでも自分の手を冷たくしようと川底に手を沈めていた。

 

「ごめんね、マリー……」

 

 唐突に告げられた謝罪、一緒に出歩く事が出来なくなってからあの人が亡くなるまで大した時間は掛からなかった。

 

 ベッドの上で咽び泣く私の部屋に、客と父とが言い争う怒鳴り声が飛び込んできた。正義感が強く、愚直で頑固な人だった。母が間に入り緩衝材としての役割を果たしていたのだろうが、それが失われて心だけではなく店にまで穴が空いていた。

 

 母が愛した物を、私が守らなくては。

 

 母程に上手くはやれなかったが、父程に意固地になる事もなく客とは折り合いをつける事が出来た。鏡を前にして笑顔を作ってみれば、どうにもぎこちなくて作り笑いは向いてないことが分かった。

 

 そうして子供が店番に立てば、甘やかされるか嘗められる機会を得るのは必然。薬学に加えて算術も学ぶ事になった。

 

 退屈だが、薬学の研鑽(けんさん)を積むより単純な算術の方が遥かに役に立った。少しの値引きと引き換えに定期的な購入の約定を取付けたり、店の利益を損なわない程度に確率を絞ったくじの商品として廃棄間近の薬剤を茶や酒に変えて捌いた事で店の売上は母の存命時より伸びていた。

 

 そうして家計や思考に余裕を与えてしまったのが間違いであるとは、当時の私には知りようがなかった。

 

 あるいは父がもっと不精で善意に欠けた男だったなら、薬剤の調合のみならず店の経営まで取り持つ娘に何も思うこと無く日々を過ごしたのだろうか。薬用酒でよければ、幾ら飲んだくれても構わなかったのにそうはならなかった。

 

 ある日、新しい母が来た。近場の街でちゃんとした教育を受けた女性だという事だが、頭の回転は特段速いという事はなく仕事を教える手間が増えた。都会から来る客同様に気位が高く、子供から教わることに我慢ならないのか値引きやくじの賞品等について一々説明しないと折れてくれなかった。

 

 説き伏せるためにと、これによって得ている利益を数字にして見せると増々もって不機嫌になった。居丈高な振る舞いを見せる彼女が母のように客を宥めることなど出来るはずもなく、父が二人になった様で目眩がした。

 

 二人のフォローに手が回らず、じわじわと下がっていく売上にヒステリーを起こす継母。儲けが大事なら、最初からこんな家業に嫁がなければ良かったのに一体何を思ってこんな所へ来たのか。迷惑しているのは私の方だと、不仲になるのも当然だったが父は私達の間にある深い溝について全く無理解だった。

 

 どれだけストレス耐性が低いのか、事ある毎に錯乱し物を投げて暴れるようになった継母。我慢の日々が続いたがもう限界だと、店を守る為にも彼女を追い出すべきだと父に伝えた。

 

「何を言ってるんだ……」

 

 呆ける私に、怒りを(あらわ)にした眼差しが向けられる。

 

「全部お前のせいだろう! お前の為に新しい女房を迎えたのに、どうして仲良く出来ないんだ!? 何時まで前の母さんを引きずっているつもりだ!」

 

 この人は何をいっているんだろう。父の言葉は、何一つ理解できなかった。彼女を家に上げて私の為になった事など何一つ無く、新しい母が欲しい等とは思った事すらない。

 

 引きずっているとはなんだろう。どういう意味だろう。自分は理解が良い方だと思っていたが、これは父の口から直接言われるまで自分ではわからなかった。

 

「速く忘れて、新しい家庭に溶け込みなさい!」

 

 それを聞いて頭の中が真っ白になった私は、ただ考える時間が欲しくて父に手を伸ばしたのだがそれすらも振り払うと私を一瞥する事もなく彼女を宥め出す。

 

「まだ慣れないだけさ」

「聞き分けの良い子だから、直ぐに分かってくれる」

「言い聞かせたから、もう何も心配する必要はない」

 

 継母の不満が何処にあるかも分からずに並べ立てられた言葉で、彼女が落ち着きを取り戻す筈もない。払われた手に、熱を伴った痛みを感じてようやく爪が割れたことに気づいた。

 

 じくじくと焼けるように熱く痛む指先とは逆に、冷え切った心は私を冷静にさせた。

 

(こんな家よりは、外の地獄の方がマシだ)

 

 考える必要など無い、忘れる必要も新しい家庭に溶け込む必要も無い事を気づかせる。

 

 母が愛した物を守ろう、あの決意を思い出すとフッと乾いた笑みが漏れた。こんな店の、この(ひと)の何を愛していたのかは今になってもとんと分からなかった。

 

 今日が最後である事を悟り、店の中を見回してみた。

 

 暴れる彼女に壊された薬瓶を見れば、(しな)びたスターチスはまだ艶と張りを残しており溶液にその薬効の全てを溶かしきるまで後二日は必要だったかなと思う。覆水が盆に返る事もないのに、無意味な推察だった。

 

 一度新調したカウンターにそっと手を乗せる、買った時は私の身長と並んでいたのに今ではもう腰より少し高い程度だ。店の入口を振り返れば、もう私にとってそこは客を迎え入れる戸口ではなく新たな世界の扉にしか見えなかった。

 

 天井から吊るされた野草や山菜の幾つかは、カラカラに乾き切って良く干されている。これに貯蔵庫の食料を合わせ、三日分も手にしたらこの家を出よう。

 

 言い争う二人を尻目に二階の寝室へ向かい、階段の下で最後に二人を振り返る。

 

 何を思ってそうしたのだろう。ここで振り向けば二人が急に心変わりをして、私の心から無理やりあの人を追い出したりせずに貧困の中でも仲睦まじくいがみ合う事無く生きていけると思ったのだろうか。

 

 稚拙な妄想を否定するように、二人はこちらに目を向けることもなく言い争いを続けていた。

 

 これが現実だ。あの人は居ない、父も継母もこんな片田舎の薬屋で自分の思い通りに事が進まない事に腹を立ててヒステリーを起こしている。

 

 ベッドに横たわったまま階下から聞こえる二人の口論を耳にする苦痛は、永遠に等しい時間に思えた。

 

 だが(いず)れは終わりがやってくる。静かになれば、直に床に着く。朝から晩まで、顔を合わせれば言い争いの大喧嘩。睡魔と空腹だけが私の味方だと、外の世界で裏切られる時までは思っていた。

 

 二人が寝付いたと思われる頃を見計らい、ランタンや毛布の他に野草図鑑等の旅に役立ちそうな本を幾つか手にして階段を静かに降りる。真っ暗闇の中だったが、ここが地獄の出口と思うと恐怖よりも(むし)ろ不思議な高揚感が湧き上がった。

 

 携行できる簡易な調合器具、幾つかのパンと見繕った野草を手にして家を出た。

 

 暗い夜の道は、昼に見る世界とはまるで違って見える。ここを発つ前に、あの人との思い出が眠る清流沿いの木陰へ立ち寄った。

 

 日差しを跳ね返し、いつもキラキラと眩く輝いていた川は底知れぬ闇の奔流となっていた。優しい木漏れ日で、病床のあの人を迎えてくれた木々は風が吹く度に暗黒の中へ手招きするようにゆらゆらと揺れていた。

 

 最後に一目、眼にしたかったのだが暗闇は思い出すらも覆い隠していた。

 

 朝までこんな所に居れば、父は探しに来るだろう。思い出の地を背に歩き出す。

 

 闇の中で手に入れたのは、今まで胸の奥で光り輝いていた過去の残滓を曇らせるセピア色の影だけだった――

 

「今日は母の日でちよ!」

 

 デーリッチの両手を埋め尽くす花束を前に、私は唖然と固まっていた。

 

 手渡された花束には、鉄板のカーネーションから『優しい心』を意味するハナショウブやフジの花が含まれている。目の前の小さな子供からパンを奪おうとした私に、この花束は皮肉を形にして送られているような物だった。

 

「姉御! いつもお世話になってます!」

「不思議だよなー。福ちゃんとかブリちんとか、年上のお姉さんって感じの人は他に幾らでも居るのにお母さんって感じなのはマリーだけなのよね」

「マリーさんは先輩より年下なんですけど、大丈夫なんですかアンタはそれで……」

 

 デーリッチの後ろに控えた皆が讃詞を口にする度に、いたたまれない気持ちで一杯になって胸が張り裂けそうになる。皆の顔に浮かぶ笑顔に裏表が無い事が分かっていても、被害妄想と切り捨てるには余りにもパンチが効きすぎていた。

 

「いよぉ~しっ! 宴の準備だ野郎共ぉっ!」

 

 宴会の準備に散り散りになって取り掛かる皆の熱気に、一人置き去りにされた様な孤独を感じる中で花束を抱きかかえる。

 

 見る程に皆からの祝辞を歪めて捉えてしまう事しか出来ず、泣き出したい気持ちにうずくまる。

 

 下手くそな作り笑いの下にある自責と自嘲を見られないようにと花束に顔を(うず)めれば、ひっそりと紛れ込むローズマリーが目についた。私と同じ名前の、地味な草にくっついた青紫の花が色とりどりの美しい花の中で埋もれていた。

 

「えへへ、皆でメニャーニャちゃんに花言葉を教わりながら選んだんでちよ? デーリッチは、やっぱりローズマリーかなって……どうしたんでちか?」

「『献身』の花、だもんね。そう思えばきっと、私らしいのかな……」

 

 この子に自分の頑張りが伝わっていると思えば、それで十分だ。それだけで、報われる。

 

「ううん? まぁそれも確かにらしいっちゃらしいけど、そうじゃなくてぇ……」

 

 彼女の思い浮かべた意味とは違うらしい。そうなれば何かと首を捻るも出てこない。

 

 『変わらぬ愛』などお笑い草だ、目の前であの人への愛を失った父。その血を引く私も思い出を求めて最後に訪れた暗闇の中で、あの人への愛が色褪せてしまった事に気づいた。

 

 『貞節』だろうか。別に貞淑だから(みさお)を立てている訳ではない。誰か特別な人を作るのが怖い。相手が変わってしまうのも、自分が変わってしまうのも知っているから。

 

 だがどれも違ったらしい。優しい笑顔を、顔いっぱいに浮かべた彼女の口が開かれる。

 

「あの日パンを受け取ってくれたお陰でデーリッチは諦めずに済んだんでち! どんなに親切にしても、どんなに頑張っても苦しいばかりの世界で挫けそうになっていたけど……あの時、初めて報われたんでち。あの時ローズマリーが友達になってくれなかったら、今のデーリッチは居なかったんでち。だから……」

「『貴方は私を蘇らせる』……?」

 

 優しい笑顔の上に喜びの色が広がっていく。返り討ちにあった私へパンを分けてくれたあの日、私も彼女を助けていたのだと言う。

 

 気を遣って言ってくれているんだ。私の罪悪感を見抜いて、もう気にしないようにと優しい言葉を選んでいるんだ。ぬか喜びを止めるよう自分に言い聞かせても、屈託なく笑う彼女の笑顔が世辞や上辺だけの物ではない事をどうしようもなく訴えてくる。

 

 小さくて温かい手が、頬に添えられて私の顔を撫で回す。健康的な肉付き、指使いから感じる力強さは母の手とは似ても似つかないのにあの日々を思い起こす。

 

 胸の奥、セピア色の影が取り払われると忘れかけていた清流沿いの木陰の中に佇むあの人の顔が思い浮かんだ。

 

(お母さん。みんな私をマリーって呼ぶけど、なんで只のマリーじゃなくてローズマリーって名前にしたの?長いと呼ぶのが面倒臭いよ)

(フフ、面倒だから略してるんじゃないの。マリーって響きが可愛いからよ? ……ローズマリーっていうのは、お花の名前なの。花言葉って、その花が持つ意味が色々有って『誠実』な良い子に育って欲しくて名付けたの)

 

 痩せ細った腕や頬、幼少の時分にはわからなかった様態を前にして手遅れとなった身体で私に付き合ってここに居たのを知ってしまった。

 

 全部お前のせいだろう。父の一喝は的外れも良い所だったがただ一点、あの人が亡くなった事については私が無理をさせていたのだ。

 

 あの人が愛した物が何か分からなくなって、何もかも捨てて逃げ出して、あの家の子じゃなくなって墓参りもしない私はあの人を母と呼ぶ事に後ろめたさを感じるようになったのか。

 

 デーリッチを襲ったあの日、あの人の願った『誠実』も失って子供のパンを奪おうとする野盗も同然の身に成り下がった事を知る。

 

 思い出の中、後悔だけが増えて行く。色褪せたまま、閉じ込めておくべきだった。

 

(でもね、今の貴女に想うのは『誠実』とは別の花言葉よ)

 

 もう止めてくれ、これ以上あの人の期待を裏切りたくはない。重圧に耐えかねて背を向けて耳を塞いでも頭の中にあの人の声が静かに響いた。

 

(貴女が居るから、お母さんも元気で居られるの。『貴方は私を蘇らせる』わ。薬師なんだから(げん)(かつ)げて言うこと無いでしょう?)

 

 優しい笑顔と愛によって紡がれる残酷な嘘と共に、母が自分という存在に込めた想いを感じ取る。そして、込められた想いを最も大切な人に果たせていた事も。

 

(愛してるわマリー。この胸に有る『変わらぬ愛』は、私が居なくなっても貴女とずっと一緒だから……)

 

「うっ……うっ、ふっ……ぐっ、ゔゔっ……あ、あっ……!」

「ロ、ローズマリー!? どうしたんでちか! ぽんぽんペインなんでちか!?」

 

 万感の想いに流れる涙を止めることは叶わず、小さな体で崩れ落ちる私を抱きかかえようとする彼女にしがみつく。

 

「あっ、あり……ありがとう、デー、リッチ……」

「……どう致しましてっ! でちっ!」

 

 取り乱して泣き出して、嗚咽の中で絞り出した礼を何も掘り返すこと無く受け止めてくれる。

 

 宴会の準備に散り散りになった皆が、時折こちらを訝しげに見てくるが直ぐに見ぬフリをして準備に戻る。気遣いが有り難くも少し面映(おもはゆ)い。

 

 皮肉しか感じられなかった花束をもう一度見やる。皆が何を思って選んでくれたか、歪めること無く受け止めれば増々気恥ずかしくなった。

 

 その中で一際目立つ地味な花、同じ名を持ったそれに秘められた意味を己に重ねて誓いを立てる。

 

 あの日過酷な世界に屈して過ちを犯した私を蘇してくれた君へ、そして今日また色褪せた思い出の中から『変わらぬ愛』を蘇してくれた君へ。

 

 この想いが、永遠に君と共に有りますように。

 

「ゔゔっ……ゔっ、えぐっ、ゔっ、ゔゔっ……」

「マリー? あ、あの……鼻水塗れになっちゃうんだけど……? もしもーし……」




また遅刻しちゃった……という訳で母の日ローズマリー祭りお疲れ様でした。
いや違うんですよ、これ気づいたの今日の11時頃なんですよもっと速くに伝えて欲しいんだよね?
今日一日でこれですよ?頑張った頑張った!俺は悪くねぇっ!(×2)

そういう訳ですので祭りが近づきましたら皆様、ツイッターで圧を掛けていただきますと分かりやすくこれ幸いです。
人任せにしないで自分で管理しろっていう正論によるパンチは受け付けておりませんので悪しからず。


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