改稿しました。21/05/11
ご指摘された変なところを修正しました。21/05/16
『さあ、先頭を走るのは依然として7番サイレンススズカ! トレセン学園史上最高の逃げウマ娘と噂されています! 果たしてこのまま一位をキープ出来るか!』
──日本ウマ娘トレーニングセンター学園。150年ほど前にURA《Umamusume Racing Association》が設立。最新鋭でかつ、世界的にも高い知名度と施設を誇り、何よりも輩出してきた歴代のウマ娘たちが確かな実績を残して続けている、現状日本で唯一、そして最高のウマ娘養成機関だ。
『三バ身離れて、2位に付けているのはマヤノトップガン! そして外側から脚を溜めている様子の3位のミホノブルボン! 見たところレースももはや終盤に差し掛かっています。一体、先に誰が仕掛けてくるでしょうか!』
全国から将来的にプロのウマ娘を支えるプロのトレーナーになるために集まった、国家試験並みの難関な試験を合格してきた選りすぐりのトレーナーたちも、実践的な研修という形で、この学園にて、ウマ娘とともに遠い故郷を離れて寮生活を送っている者が多くいる。
大半のトレーナーたちは
そして、ウマ娘は晴れてメジャーなレースに勝利した後、ウイニングライブという大規模なライブパフォーマンスをする際に、レースに参加した他のウマ娘たちを差し置いて、自分だけがセンターの座を栄光を掴み取るために。或いは名ウマ娘としてその名を歴史に刻み込まんがために、日々トレセン学園にて努力と研鑽を積んでいるのだ。
『サイレンススズカ! 早々と最後の大ケヤキを周り、最終コーナーに差し掛かる! その後ろには、二バ身離れて少しだけその差を縮めたか、マヤノトップガン! それに並んで機会を伺っている様子です。同じくミホノブルボン!』
『三者とも終盤だというのにまるで、相手の出方を伺っているような感じですね。すごく落ち着いて見えます。これは誰が一着を取ってもおかしくない展開ですね』
だが言ってしまえばただ走るだけで、徒競走や陸上競技と何ら変わりないレースに見えてしまうかもしれない。いくら国民的なスポーツとは言えどもまだまだ、『超人的な走力でレースをしているのにも関わらず、アイドル紛いなことをしている』と一部の人たちから偏見を持たれているのは事実としてある。
『……! な、なんとここで颯爽と先頭集団に差し込んできたのはエアグルーヴ! エアグルーヴですっ! 出走前は彼女に長距離は厳しいんじゃないか、という意見が多かったのですが、さすがは女帝! 風当たりが強かった前評判を女帝らしい涼しい顔で打ち破ってきました!』
『おお! これは予想外ですね! まさかこれまで、上位三人の三つ巴になるこの機会をずっと窺っていたのでしょうかねぇ』
──では何故、今の時代。世間的にもメジャーなスポーツと同様に報道されるくらいに注目を集め、一般人と比べて超人的な身体能力をもつウマ娘たちが繰り広げるレースの一つ一つに皆魅了されているのだろうか。
『さあ、最後の直線! 依然として一位はサイレンススズカ! ですがそのすぐ後ろを走るミホノブルボン、マヤノトップガン、エアグルーヴと続きます! それぞれが半バ身差でリードはあるようでないようなものです! そのまま逃げ切ることはできるのか、サイレンススズカ!』
……最終コーナーを回り、最後の直線。レースの勝敗の大半が決まる局面だ。およそ三分以上にも及んだレースも、とうとうクライマックスを迎える。会場である中山レース場が観客たちからのはち切れんばかりの大歓声が反響し過ぎて、微かに揺れてしまっているほどだ。
──そう。来場した満員御礼の観客たちあるいは、テレビの向こうで行く末を見守っているファンたちをここまで熱狂させるのには様々な理由があるだろう。
例えば、終盤まで気が抜けない超人的な体力と走力を併せ持つウマ娘だからこそ起こる中盤までの頻繁な順位変動や、それぞれのウマ娘が取る戦術や駆け引きが目まぐるしくも仕掛けられていくまるで目が離せないレース展開。それに各ウマ娘のコンディションや天候、バ場によって先日には一位だったウマ娘が下位にいることだってそうだ。そのような本当に些細なことで、順位を丸々と落としてしまう過酷な世界だからこそ、そんなウマ娘を支えられる難関な国家試験を合格した選りすぐりのトレーナーたちが必要なのだ。
こうした様々な要素も直接勝利に絡んでくるような、一見単純そうに見えて実はとても繊細なスポーツであることも魅力の一つかもしれない。更に、最終的には運も味方につけないといけない。こうしたところもまた、ウマ娘に多くの人が熱中する理由の一つなのだろう。しかし、何といっても。ウマ娘たちのレースは──
『逃げるサイレンススズカ! それに食らいつくのはミホノブルボン、そしてマヤノトップガンです! ──……! おっと! なんとここで仕掛けてきたのは……エアグルーヴ!? エアグルーヴです! 上手く前方のミホノブルボンを出し抜き、物凄い勢いでトップに迫ります!』
『こ、これは凄い駆け引きです。それまで上手く抜かせないようにしてたミホノブルボンも素晴らしいですが、それを逆手に取って上手く前に抜け出したエアグルーヴの冷静さも見事と言わざるを得ないですね……面白いレース展開になってきましたよ!』
「「「──わぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあ!!」」」
たった数秒。されども数秒。一位以外全て許容出来ない負けず嫌いな上位四人のウマ娘たちのプライドと熱い思いがぶつかり合う。しかし一方で、驚くほどの冷静さで、勝敗の瀬戸際で繰り広げるミホノブルボンとエアグルーヴの心理戦に中山レース場がまた一段と湧いた。
──そう、このように。ウマ娘にはドラマがあるのである。
下バ評では下から三番目の人気だったエアグルーヴが、こうして今、一番勝利を期待されていると言っても過言では無い一番人気のサイレンススズカを追い込んでいるという予想外の出来事に、スタジアムがどよめき、そして盛り上がる。
確かに、今まで中距離では彼女に敵はいなかった。【女帝】という名に相応しい強さを誇った。
だがそれはマイルや中距離での話だ。長距離となれば話は違ってくるのが常識だ。いつも走っている距離と違うだけで、最悪疲労やペースの配分の相違から途中で走り方さえも分からくなり、それまで出来ていたフォームが崩れて、並のウマ娘では散々なレース結果に終わることも珍しくない。そんな常識をエアグルーヴはこのレースにコンディションも走り方も、たゆまぬ努力とトレーニングで間に合わせてきた。走り方を変えることはとても難しいことだが、彼女は生徒会の仕事や学園を取り巻く問題、そして後輩たちへの指導の時間と相談しながら、これを努力のみで達成してしまったのだ。
【女帝】それが彼女のもう一つの呼び名だ。そこには畏敬の念が込められている。日常生活でも、レースでも。周囲から寄せられている完璧な人物像を崩さず、その理路整然としている姿勢は変わらない。彼女はいつでも冷静で、合理的に考えて行動する。それ故に、プライドが高過ぎて、時には他人に厳しく当たってしまうこともあり、関係を拗らせてしまうこともあった。
その一方で、トレセン学園の副会長として自分の時間を削ってまで、伸び悩んでいる後輩たちのために指導に身を尽くすという、一見合理的ではない優しさ。言い方は悪いが、彼女らしくない行動をすることが多い。しかし、何がなんでも一度自身が決めた責務を全うしようとする強い芯が彼女にあるのだ。
今、多くのウマ娘が限界に近い状態を迎え、表情に疲弊を見え隠れさせている中、普通なら本来適正ではない距離を走っている筈のエアグルーヴだけ表情が涼しいままだ。一見疲れてないように見える。しかし、ここ三か月間ずっとそばにいたからだろうか。俺からすると、相当辛そうにしているのがわかる。もう、彼女の身体の疲弊が限界であるはずの適正とは言えない長距離レースの終盤。それでも長距離を得意とする多くのウマ娘を差し置いて、静かに、且つ大胆に一位のサイレンススズカに差し込んでいこうとしているのだ。これをドラマ以外の何と例えれば良いのだろうか。
『エアグルーヴ! サイレンススズカを徐々に追い詰めています! ゴールまで二百メートル。このままエアグルーヴがリードするのか!』
エアグルーヴとサイレンススズカの関係は親友とも言ってもいい。同時に、互いに認め合うライバルでもあった。俺とエアグルーヴが出会う前も何回も並走してきた仲だ。だから互いの走る時の癖や強み、そして弱み、さらには仕掛けるタイミングも全て分かっている。
だから、サイレンススズカもミホノブルボンのようにエアグルーヴには簡単に抜かせまいし、エアグルーヴもそんなサイレンススズカをなんとか不意を突こうと隙を窺っている。お互いの手の内を知っているからこそ、二人とも無闇に出れない状況なのだ。
「──……エアグルーヴ。頑張れ!!」
思わず、そんなエアグルーヴへ、観客席にいる俺も柄にもなく叫んでしまう。これまでのレースではどうせ彼女には聞こえないだろうとこうした声援も上げなかった。しかし、今栄光をつかみ取ろうと走っている彼女の勇姿に、いつの間にか憧憬さえも抱いてしまっていた。
「──!」
そんなここからでは聞こえるはずもない俺の声に応えたのかは知らない。だがその瞬間、彼女もまた柄にもなくその小さい口から咆哮した。
『っ! とても珍しい瞬間です! あの【女帝】エアグルーヴがなんと声を上げています! 歓声で聞こえない中でも不思議と、今の彼女の魂の叫びでしょうか……微かに聞こえてくるようです!』
『叫んでますよ! 彼女からはとても勝利に対する執念があるように感じますね!』
ああ、そうだ。聞こえてくる。
──絶対に勝つ!
と、彼女から溢れんばかりの気持ちが、勝ちたいというただ一つの強い願望が。遠くで走っているはずなのに、観客席にいる俺の心にも共鳴してくる。
『エアグルーヴ! ここで仕掛けてきました! 何という末脚でしょうか! トップのサイレンススズカとの縮めていたその差をまたぐんぐんと詰めて行きます!』
果たして、エアグルーヴが放ったあの咆哮は自らを焚きつけるためか。
それとも本当にただ自然と勝ちたいという強い気持ちからそのまま思いの丈が溢れ出してしまったためか。どちらにせよ普段は冷静で感情を滅多に出さない、正に【女帝】であったエアグルーヴらしからぬ、彼女の張り上げた声に呼応するかのように、後方を走っている他のウマ娘たちもまた同じように声を上げるものが出始めた。更に、鬼気迫る二人の走りに触発されたのだろうか。順位は振るわないにせよ、せめて自己ベストを更新しようと最後の力を振り絞って速度を一段と上げた下位のウマ娘もいる。
そして、勿論。彼女の隣を走るサイレンススズカにも、親友から──いや、ライバルからの勝利に対する思いの丈が伝わったのか。彼女にも更なる闘志を焚きつけたようだった。
『両者ともここでついに並びました! どちらもトップを譲りません!』
『とても熱い展開ですよぉおお!!』
実況が言うように、抜いては抜き返すのを繰り返す熾烈なトップ争い。熱狂に打ち震えていたスタジアムのボルテージは今日一番の盛り上がりを見せた。
必死に追いすがり並んできたエアグルーヴに、またサイレンススズカも負けじと速度を速める。
もはや会場の殆どは、巨大なスクリーンいっぱいに映っている二人に夢中だった。片や下バ評では一番人気で、且つ史上最高の逃げウマ娘ではないかと噂されるサイレンススズカ。対するは、期待度は下から数えて三番目であり長距離では通用しないだろうとされていた、中距離の玉座に君臨する【女帝】エアグルーヴ。
じりじりと、そのトップの二人は少し後ろを走っていたミホノブルボン、マヤノトップガンを置き去りにしていく。この二人も遅いわけではない。ただ、前で死闘とも言い表せるくらいに一位を争っている二人が速すぎるだけなのだ。
『あと百メートル! 一着になるのは果たして一番人気のサイレンススズカか! それとも、下バ評を覆して終盤に驚異の追い上げを見せたエアグルーヴかッ!』
「……っ!!」
差せ! エアグルーヴ! ……行け! 行けッ!!
「──っ! エアグルーヴぅぅぅぅううッ!!」
俺の声が聞こえたのか否か。その瞬間、彼女は大きく踏み込んだ。
「……ッ!」
『この激戦を制したのはサイレンススズカーッ! 一着はサイレンススズカです! 本当に後僅かな差でした! 惜しくもハナの差で二着でゴールしました、エアグルーヴ! そして、三着は三バ身差でミホノブルボンでした──』
「──」
……そう。ウマ娘にはドラマがある。
『──恐らく、歴代のG1有馬記念でのレースでも一、二を争うほどの名勝負でした! 互いに健闘したサイレンススズカ、エアグルーヴに大きな拍手を!』
たった一回のレースだけで──
「「「わああああああああああああああああああああああああああああぁぁッ!!」」」
これほどまでの多くの人々の心を突き動かしてしまう。喜びや感動。悲しさ、悔しさ。それら全てが今日という素晴らしい日を彩るものとなる。
──そう。栄光も。
「……トレーナーさん!」
叫びながら、観客席に大きく手を振るサイレンススズカ。
「スズカ! よく頑張ったぞッ!」
そんな彼女に大きな声を響かせて応える最前列で観ていた専属トレーナーの男。
──挫折も。
「──」
対して、近くに来たは良いものの、俺に合わせる顔がないと言わんばかりに少し顔を俯かせたままのエアグルーヴ。心なしかいつも自信に溢れている耳や尻尾もしなだれているように見えた。
「……エアグルーヴ。よく、頑張ってくれた」
──それら全てが彼女たちの青春を彩っていくのだ。
大歓声が止まない中。あのトレーナーと同じように最前列に居た俺は立ち上がり、彼女にだけ聴こえるような声でそう言った。
「っ……トレーナー」
「エアグルーヴは良くやった。良くここまで……あのサイレンススズカと、しかも長距離で競えるくらいになれたな」
俺がそう言うと、彼女は俯かせていた顔を初めてこちらへ向けた。その目はいつものように冷静ではなく、焦燥に揺れていた。
「……と、トレーナー。私は……いや、もう一年ある! 次は必ず──」
「──地下バ道で待っててくれ」
「……!」
しかし、そんなエアグルーヴが何か言いかけたところ態と被せる。
……ダメだエアグルーヴ。これは約束なんだ。
「はは。そんな睨まないでくれよ。あんたが時間に厳しいのは知ってるし、すぐそっちに行くから。あ、そうだ。前みたいに勝手にロッカー室に行ったりするなよ。何せ、俺が締め出される羽目になるからな」
彼女を落ち着かせるように──悔しい気持ちをを悟られないように。俺は明るく努めた。
「……ああ」
いつもは若干圧力をも感じさせる声色も何処か力無く、彼女にしては珍しく静かに返事が返ってくる。明らかに、落ち込んでいる。
でも、俺も……本当に悔しくて。
「……じゃ、ちょっと待っててくれ」
「……」
返事は返ってこなかったが、俺はゆっくりと踵を返して下にいる彼女の元へ向かい始める。
「……惜しかった、よな」
エアグルーヴの最後の追い上げは、正直俺も予想してなかった程のものだった。力強く、そして何よりも速かった。間違いなく、あの中では彼女の圧巻な走りが突出して皆の心を──俺の心を奮わせた。でもそれ以上に
「ああ……惜しかったなぁ」
……この有マ記念は、サイレンススズカのドラマになったな。
そう考えたところで、苦笑とも言い難い笑みを浮かべる。
そうして、レース後のエアグルーヴとある話をするために、観客席から地下バ道へと向かうのであった。
………………
…………
……
そこに行くと、エアグルーヴが静かに壁に寄りかかっていた。レース後ということもあり、汗の影響か黄色と黒を基調にしたその勝負服も、綺麗なそのセミロングの黒髪も少し湿っぽく見える。そんな彼女からは色気とはまた違う、厳かな美しさが感じられた。
「──よ。エアグルーヴ。今日はちゃんと待っててくれたのか。いつもは《シャワーが先だ》とか言ってロッカー室に直行してくってのに」
俺はなるべくいつもの調子で、少々気落ちしているように見えるエアグルーヴに話しかけた。
「……分かりきったことを。今日はシャワーよりも……っ、いいから。さっさと要件を話せ」
対して、エアグルーヴは少し言葉に詰まりながら、真っ直ぐにこちらの瞳を射抜く。
「……」
「……何だその驚いたようなアホ面は。流石に私も時と場の空気は弁えているつもりだ」
「いや、なんか。あれだな……最初と比べて大分変わったよな。こう、柔らかくなったっていうか」
彼女と出会って間もない頃。契約したはいいが俺は良くてエアグルーヴのトレーニングの為だけに居る存在でしか無かった。作業のようにトレーニングの準備やら計画書、献立表を作成して彼女に提出する、トレーナーとして疑問や不満が募る日々。パートナーである筈のトレーナーなのにほんとに義務でやってる感じがキツかった記憶だ。
でも何よりキツかったのが、彼女が頑なに俺を頼らなかったことだった。これほどまでトレーナーとして、自分の尊厳を否定されたことはなかった。しかし、当時の俺は情けなくも中々そのことに対して切り出すことができなくて、二、三ヶ月はずっとその調子だった。悪く言えば、彼女に顎で使われる情けないトレーナーの構図が当たり前のようになっていたのだ。
「柔らかくなっただと? それは私が太った……ということか?」
「ちげえよ。なんであの【女帝】様に……というか仮にも俺はトレーナーだぞ? なんでレース後で疲れてる担当ウマ娘に面と向かってそんな悪口言わないといけねえの? そうじゃなくて、雰囲気がだよ。雰囲気! というか分かっていってるだろそれ」
だがこうして気兼ねなく接しられるようになったのは半年前だ。それ以外はほぼほぼギクシャクしてたと思う。なんなら、何故契約解除されなかったのか不思議に思うくらいに、当時の関係は上手く行ってなかったと思う。
そんなある日のことだ。レースで彼女は惜しくも二着で終わってしまい、悔しさを全開にしていた。それに、少々狼狽もしていた様子だった。流石にこの状態は不味いと俺は今まで溜め込んできた言いたかったことや改善案。それと気乗りしてありとあらゆる不平不満を感情的にではなく、エアグルーヴのように理路整然とだが彼女にぶつけてしまった。今思うとレースで負けたばかりで落ち込んでいるウマ娘に対してやるべき行動では無かったと思う。反省はしている。
しかし、それは結果として、それまでの彼女との歪な契約関係の転機となり、良い傾向になった。
それまでの関係には明確な線引きをされていて、必要最低限のことしか話し合わなかったのだが、明らかに俺が彼女に何もかもをぶつけたあの日から、彼女とは口論が当たり前のようになっていた。互いの意見の食い違いや度々感情的になったりもしたが、明らかに変わったと思ったのが、正しいと思ったことはエアグルーヴも聞き入れてくれることが徐々に増えていったことだった。俺の居ても居なくても良かったような立ち位置から、この関係性の変化は明らかな進歩だと言えるだろう。
「……はぁ、何が変わっただ。貴様が変わらな過ぎるだけだろうが」
「え? そう? 俺だってほら、大分変わったじゃない? ダイエットして出会った頃よりもだいぶスリムになったよ? まあ、誰とは言わないけど……そりゃもうどっかのキツイ鬼教官様のお蔭でさ。うん、誰とは言わないけどさ」
「……ん? なんだ。文句があるなら今ここで言うんだな。このたわけ」
「え? いいの? じゃあ言わせてもら──って痛い痛い! 無言で俺の足に踵グリグリするのやめろよ! 結構痛いんだよそれ」
「……ふんっ」
と、今不機嫌そうに鼻を鳴らして腕を組んだ彼女とは、それからも紆余曲折あったりしたが、とても有意義な時間を送れたと思う。夏合宿の時は俺も一緒に走らされて危うく死にかけたが……その後の夏祭りなんかは彼女と一緒に巡回したり、途中で出店に寄ったりして中々に良い時を過ごせた。花火も一緒に見たが……まあ、特に何かあったわけでもなく。以降はとても良好な関係性を保っていると思う。
「……まあともかく。今日は良く頑張ったなエアグルーヴ。最高なレースだったぞ。見ててアレだった。えーっと……うん。ドンマ──いっ!?」
……こうして何か失言がある毎に、足に踵落としされる関係性が果たして良いと言えるのかは分からないが。
「貴様……トレーナーなら他にもっと言うことがあるだろうがっ。何が見ててアレだったと? それにドンマイときたものだ。私を舐めているのか? それとも語彙力に問題があるのか!」
「い、いや、だって何言えば良いのか分からないんだよな。さっき頑張ったなーは言ったけど、逆にそれ以外何を言えば良いんだよ。慰めの言葉もあんたを怒らすだけだし、逆に責め立てても言った俺が傷つくだけだし」
「……普通に今は褒めてくれるだけで、良い」
「…………え? もしかしてデレた──あぁっ!? ってだから踵で踏むなよ!」
「ふん! この大たわけが!」
因みにこうして接してみるとわかってくるのだが、彼女は意外と照れ隠しするタイプだ。主にその踵で主張してくるけど。
「はあ……ったく」
「……なんで踏まれてニヤついてるんだ。この変態トレーナー!」
「へいへい。口塞ぎますよ!」
口を尖らせた彼女に、俺は無意識にも笑っていたようだ。どうやら先程までの落ち込んだ気持ちも、今のでなんとか紛らわせることが出来たらしい。結構満更でもない様子だ。
しかし、俺にとってこんな風に今日まで彼女と過ごした日々と時間は、きっとこれからもかけがえのない記憶になっていくのだろう。トレーナーには平気で楯突き、一時期はまるで相手にしてくれなかったようなじゃじゃウマなウマ娘だったが。そんな彼女からも、色々なことを学べられたし、彼女といたことで人間としても一段と成長できた気がする。
……でも、そんな幸せな時間にも終わりが来る。
「──……エアグルーヴ」
「……っ」
一呼吸入れて、俺が彼女の名前を改めて呼ぶと、少し瞠目した様子だった。
そして、直後にこれから俺が話そうとするのを静かに聞き入れてくれるように、寄りかかっていた壁から身体を離し、正面に立ってくれた。
「あんたとここまで来れたこと。とても誇らしく思う」
「……」
「最初はどうなるかと思ったよ。話は要点だけ聞いてどっか行くし、俺が何か指摘した瞬間血の女帝みたいな眼光で睨みつけてきておっかなかったし……あとプライド高いし、めちゃくちゃ頑固だし、融通効かないしさ。正直、あのエアグルーヴがこんなじゃじゃウマとは思えなかったってな」
「……」
「……」
「…………」
「……踏まないのか?」
え、マジで? 嘘でしょ?
正直、踏まれるかと思ったが、彼女にそんな気は無く、寧ろ呆れて嘆息を吐くくらいだった。
「はあ……確かに少し気に障ることも言われた気がするが、そこまで癇癪起こすほど余裕が無いわけじゃない。それに……」
「あ、ああ」
「事実、だからな。あの頃の私はトレセン学園のトレーナーの全てを信用出来なかった。ウマ娘としてレースに備えてトレーニングを怠らずに、副会長としての責務を果たそうとする私に、当時担当した多くのトレーナーたちはレースに専念するように介入してきた。それが私は……たまらなく嫌だったんだ」
……そう。エアグルーヴはたまーにだが、意外と素直なところもあったんだったな。
「……知ってる」
「ふっ、まあ貴様には話したからな。僅差でレースに負けたあの日。多くのトレーナーたちはそれでもなお変えようとしない私の態度に諦めていたが、貴様だけは違った。というか、それまでは一切口答えせずに、辛抱強く私のやり方に付き合ってくれたのも貴様だけだった。だからこそ、あの時真っ向から向き合ってくれた貴様に、尚更悪い気がした……のだろうな」
「……そうだったのか」
「ああ。それに、指摘してきたことはちゃんと的を射ていたからな。確かにあの時点での私は、学園のこととレースとで両立出来てはいなかった。でも、それでも諦めきれないそんな私に貴様はこうも提案してくれた。『これまで通りで良いから、もっと俺を頼れ』とな。まあ……途中からは私への愚痴が続いたがな?」
「当たり前だろ。あの日まで何を言っても否定か無視されてきた俺の気持ちも考えてみろよな。例え本人の前でも愚痴りたくなるわ」
半笑いして肩をすくませる俺に彼女も微笑で答える。
「ふふっ。まあ、確かにな……だが、あの日の暴走具合からみて相当溜め込んでた様子だったが、もしかして同僚とかにも当時の私のことを明かさなかったのか?」
「……まあな。あれはあくまで俺とエアグルーヴの問題だったしな。それに、確かにあんたには日頃から相当イラついてたけど、キツいトレーニングの後に伸び悩んでる後輩たちに教えてるところとか、副会長として他のウマ娘が伸び伸びとトレーニング出来るように整備とかにも精を出してたところとか。尊敬する親のようになるために努力を怠らないところとか。色々と……まあ、尊敬してたところもあったからな。学園の問題と自分の弱さに真っ向から向き合って、折り合いをつけて行くあんたの行動を見てからは、俺も黙って現状を見守る方を選んだ。そんな何もかも真っ向勝負してるあんたにだけは、陰口は吐かないようにしてた。愚痴を言うなら本人の前で真っ向から言おうってな。だから、あの時めたくそに愚痴を吐き続けたかもしれない」
そうだ。彼女はいつだってリスペクトに値するウマ娘だった。そして一番、俺がファンとして応援してきたウマ娘でもある。だから俺も、最大限彼女がしやすいように動いてきたつもりだ。
「……全く。変なところで律儀なのか頑固なのか分からんところあるな。感心した方が良いのか、しない方が良いのか。ほんと、貴様らしい答えだなトレーナー」
「エアグルーヴ。それは褒め言葉か? それとも褒め言葉か?」
「……どれだけ褒めてほしいのだ。このたわけがっ」
「人間、誰しも褒めてほしいもんだ。例えばそう、褒めて欲しいと言えば、さっきのあんたがデレたように──」
「っ!」
「──いった!! だから的確に同じところを踏むなぁ! 痣できてるだろ絶対!」
「……余計なことを言うからだ」
でもほんとじゃじゃウマだよなこいつは。リスペクトしてるけどほんっと扱いづらい子だよ。
そうやって、少しため息を吐いたあと。俺は彼女に向き直る。
「……ま、とにかくだ。エアグルーヴ」
「なんだ」
「中距離でも敵なし。そして勿論マイルでもそうだが……一番は長距離でも充分通用するようになったあんたは、絶対に大成する。これだけは確実に言える」
「……」
そう。マイルと中距離に元々適正があり、事実既にどちらもトップクラスの実力と成績を誇っている。そして今日、晴れてあのサイレンススズカと互角に渡り合えたダークホースとして長距離でも一挙に有力なウマ娘として名を上げたエアグルーヴは、既に大成しているとも言っても良い。だが、彼女の才能はもっともっと伸ばすことができる。いずれ海を越えて凱旋門賞でも、数ある名ウマ娘を抑えて、きっと彼女はトップを取ることができる。だが現状ではそれを叶うことは難しいだろう。
「だから、さ……」
「……」
──だが、彼女の才能をもっと引き伸ばすことができるトレーナーが居れば、その実現も難しくない。
「ここで、お別れだ。エアグルーヴ」
「……!!」
俺はあんたの足枷になってる。だから、ここで解放して伸び伸びと走り出してくれ。いつものように。あの、【女帝】らしい涼しい顔で。
「……今までありがとう。エアグルーヴ」
「……トレーナー」
「……」
「考え直す気は……無いのか?」
「……俺はあんたの足枷にはなりたくない」
「……! いいか? 今日の結果は私の実力が一歩及ばなかっただけだ! 今日からまだトレーニングに励めば、来年以降からは絶対にテイオーにも、会長にも……スズカにだって負けない!」
「……」
「私が今日までここに来れたのも、トレーナーとの日々があったからだ! 貴様は……初めて私が心から信頼出来たトレーナーなんだ! トレーナーとなら……貴様となら私は長距離でもスズカに渡り合えるくらいに走れる! そしてこの調子で来年の有馬記念に出場できれば、私はきっとこの手で勝利を掴み取ることを約束する……だからトレーナー、来年まで──」
「──……来年にはもうトレセン学園には居ないんだ」
「…………は?」
「今日勝利出来ても、来年には居なくなる手筈だったんだ」
「……どう、いうこと、だ?」
「どうしても破れない約束があるんだ。エアグルーヴ。それに、後続についても心配無いさ。俺より実績と実力があるS級のトレーナーのチームに入れてもらえるように理事長に計らってもらった」
「私との相談もなしにいつの間にそんなことを! 私は貴様以外のトレーナーとは組みたく無い! それに約束、だと? 私との約束は……っ」
「もう果たしただろ。『G1オークス優勝』っていう約束をな。それに、今回の長距離は元々俺が提案したものだし」
「っ………………どうしても、行ってしまうのか?」
「……!」
今まで、彼女の瞳が揺れたことは一度たりとも見たことがなかった。それは、いつものような覇気のある声ではなく、何処か拠り所を失った子供のような声色だった。
そうか。彼女の中で俺の存在というのは、そこまでのものになっていたのか。俺の片想いと思っていたが、存外それは違うのかもしれない。
それに彼女も、まだ十七歳だ。普段の大人顔負けの完璧さと、自信とプライドのせいで彼女の本質を見誤っていたのだ。
彼女も、今をときめく女子高校生なのだ。
「……エアグルーヴ。これまで担当してきたウマ娘っていっても三人くらいしかいないんだけどさ。その中でも一番苦労させられたし、一番熱狂させられたし、一番入れ込んだウマ娘だった」
「……っ!」
「まあ、あれだ。これからも……俺があんたの第一号のファンで居させてくれよ。じゃ、またなエアグルーヴ」
「……っ、ま、待て。まだ話は終わってない! 待ってくれ! トレーナー!」
後ろからエアグルーヴの声が聞こえてくる。俺は振り返らない。いや、振り返れない。もう決めたことだ。今更曲がることは出来ない。
「……達者でな。女帝らしく生きなくていい。ただ自分らしく、生きてくれ」
でも、ここで別れて歩き出すんだ。それぞれの道へと
──貴様は、これからも不変の……私だけのトレーナーだからな!
彼女が残した叫び声を置き去りにして。
──こうして、俺とエアグルーヴの青春は終わった。
シンボリルドルフとトレーナーとの過去について
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掘り下げてほしい
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会長よりエアグルーヴとの話が見たい
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んなこといいからスズカの話はよ
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トウカイテイオーはよだせ
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スペちゃんは出せ