狸寝入りのナーベラル   作:笹鍋

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王都の写真屋とナーベラル

 オスカー・ハーリッツの一日は、神棚に祀られたご神体に祈りを捧げる事から始まる。

 商人の朝は早い。オスカーも例外ではなく、早朝、太陽が出づる頃、まだ住民の多くが寝静まっている時間に目を覚ました。

 <警報(アラーム)>の魔法を応用して作られたというマジックアイテムは、セットした時間が経過すると大音量でそれを持ち主に知らせてくれる。微睡から意識を引き上げたオスカーは、未だけたたましい音を鳴らすその魔法の効果を解除した。ベッドの中でひとつ大きな欠伸をすると、ゆっくりと起き上がる。朝のひんやりとした冷気がオスカーの身体に触れ、ぶるりと彼はその痩躯を震わせた。温もりのあるベッドの中に戻りたくなるが、自らを律し、行動を開始する。

 日課である礼拝を終えた後、オスカーはキッチンに向かい、『湧水の蛇口(フォーセット・オブ・スプリングウォーター)』から出る水で顔を洗うと、そのまま朝食づくりを始める。

 今日のメニューは、固焼きパン、エ・レエブルで採れた野菜を使ったサラダ、鶏肉と芋のスープだ。準備を終えたオスカーは、寝室で眠っている父を起こすと、その豪華とも質素ともいえない、王都の民としてごく一般的なブレックファーストを父と共に食べ始める。味わう時間はないという訳でもないが、あまり食事に時間をかけるのをオスカーは好まなかった。手早く食べ終えると、スープを啜っている父親を尻目に彼は神棚のご神体を丁寧に取り出し、行ってくる、と父に告げて家を出た。

 

 

 リ・エスティーゼ王国の王都、その城下町で生まれ育ったオスカーは、商人としてのノウハウを幼少の頃より父に叩き込まれ、跡取り息子としてふさわしい青年となっていた。彼の父親はオスカーが成人を迎えてから数年後に事故で足を悪くしており、それまで仕事に熱心だった父は、それをきっかけにオスカーに店主の座を譲り、自身は時たま息子に経営に関するアドバイスを行うだけで、オブザーバーのような立ち位置になっていた。

『ハーリッツ商店』はハーリッツ家に代々伝わるマジックアイテムを用いた商売をする店である。このマジックアイテムは、オスカーの先祖がかの十三英雄のひとりより下賜されたものであると言われており、その真偽がどうであれ、ハーリッツ家の繁栄を支えてきた存在であることには間違いがなかった。オスカーは、自らの血筋にのみ受け継がれてきたこの伝説のマジックアイテムを、彼の父や祖父がしてきたようにご神体として扱い、それを自家薬籠中の物とした後も、ある種の崇拝とも呼べる敬虔さをそれに抱いていた。

 だが、ここ最近のハーリッツ商店は閑古鳥が鳴いている。

 王都の大通りに位置するこの店は、特定の商会に属さず、個人経営に近い運営形態でありながらも、他に真似できないユニークな商品を扱うことによって激しい生存競争を勝ち抜き、王都の民もよく知るひとかどの店舗になっていた。鶏口となるも牛後となるなかれ、しかし王国三番目のアダマンタイト級冒険者『漆黒』の台頭により、近頃はエ・ランテルから流れてきた吟遊詩人(バード)に常連客たちを奪われつつあった。

「『青の薔薇』も、『朱の雫』も、売り上げが落ちてきているな……」

 ハーリッツ商店の売り上げの多くを占める英雄たちも、破竹の勢いの『漆黒』には勝てず、今はコアなファンが一日に数人、思い出したかのように店を訪れるだけだ。

「くそっ、俺もエ・ランテルにさえ行ければ……!」

 『漆黒』は、この世界の夜空をそのまま鎧に閉じ込めてしまったかのような黒い輝きを持つ防具を身に纏う長躯の戦士と、それすら上回る程の圧倒的な美しさを誇る、濡れ羽色の髪を持つ女魔法詠唱者(マジック・キャスター)の二人組であり、彗星の如くエ・ランテルに現れたかと思いきや、次々と高難易度の依頼を達成し、瞬く間に最高位冒険者として上り詰めた存在である。なんでも、トブの大森林の大魔獣を力で捻じ伏せ隷属させ、エ・ランテル墓地に出現した大量のアンデッドの軍団を掃討し、邪悪な秘密結社の幹部を撃破したという。世界を滅ぼす程の強大な吸血鬼の討伐、ギガント・バジリスクも複数体討伐し、挙句の果てには、突如王都を襲撃した、推定難度二百以上ともいわれる最悪の魔皇を撃退せしめたのも彼らであるらしい。その雄姿を目撃した者たちは、子供のように興奮して自分が見た光景を語る。

 彼らは魔皇ヤルダバオトとの死闘を終えると、すぐにエ・ランテルに帰還したらしい。彼らが拠点としているその城塞都市は、『漆黒』効果で観光客も増えているらしく、オスカーの知り合いの商人がほくほくとした顔で話していた。

 数年前、父から店主の座を受け継いだオスカーは、そうやすやすと王都を離れることはできなかった。そのため、『漆黒』の商品を用意することが叶わなかったのだ。

「どうしたもんかな……」

 オスカーは、己の店の商品である『ぶろまいど』の一枚を手に取って眺める。そこには、王都を拠点として活動するアダマンタイト級冒険者『青の薔薇』のリーダー、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラの姿があった。右目が隠れるように腕を翳し、溢れ出す力を抑えるかのようにもう一方の腕で自らの身体を抱く彼女の『ぶろまいど』は、ハーリッツ商店の主力商品のひとつだ。強大な敵と対峙しているかのような凛々しい表情をしているラキュースには、オスカーから見てもほう、とため息をつきたくなるような美しさがあった。

『漆黒』のナーベも、“美姫”という二つ名がつけられるほどの器量を持つらしいが、オスカーはまさかラキュースほどではないだろうと考えていた。

 だが、ふと店の前に広がる通りに目をやると、街の人々や商人、冒険者や兵士でごった返している中でひと際異彩な存在感を放つ人物が視界に入り、オスカーは息を吞んだ。

 

 傾国の美女、という言葉はこの女性のために作られたのではないかと、オスカーは思った。

 緑の黒髪を後頭部でひとつにまとめ、馬の尻尾のように垂れている毛先は、彼女が歩みを進めるたびにゆらゆらと揺れている。きめ細やかな肌は白い。抜けるように白い、というありふれた形容表現しかオスカーには思いつかなかったが、白磁のようだ、では大げさすぎる。日焼けとは無縁なのだろう滑らかな肌は、しかしそれでいて健康的な艶めかしさを持っている。胸部の果実は豊満に実っていたが、いやらしさがなく、彼女の清廉な雰囲気を壊さない。

 女性が羽織っているブラウンのローブはシンプルなつくりではあるが、オスカーの商売人としての目が、それが最高級の一品であると判断していた。腰には護身用であろう短剣が差されており、素人目に見ても、彼女には隙というものがないように見えた。

 間違いなく、“美姫”ナーベであった。

 暫く、彼女のオーラにあてられ、放心状態であったオスカーだったが、はっと我に返ると、

(これは、()()()()だ!)

 彼の商売根性がこの絶好の機会を逃すまいとした。オスカーは店で雇っているスタッフに留守を頼むと一声かけると、人混みに消えた美貌の魔術師を追って走り出した。

 

 

 アインズに、休暇をやるから偶には王都でも観光してきたらどうだ、と言われたナーベラルは、それに従いひとりで街を散策していた。人間などという下等生物の営みに興味がある訳ではなかったが、アインズの命令に逆らう道理はなかった。もちろん実際には命令ではなく、アインズはあくまで休暇の過ごし方の候補として提案しただけである。御身は来られないのですか、と寂しそうにするナーベラルにアインズは後ろ髪を引かれる思いであったが、特に冒険者としての仕事がある訳でもないのに二人で王都へ出掛ければ、アルベドがどんな反応を見せるか想像は容易い。彼女はアインズのことになると雅量を失う。

 そういった理由で、そういえばナーベラルは働き通しであるとはたと思い至った死の王は、彼女に休暇を与えつつも、自らはナザリックにてこの頃アインズに構ってもらえず拗ねていたアルベドのご機嫌取りに励んでいるのであった。

 しかしナーベラルとしては、アインズの傍仕えというナザリックに所属するシモベならば最上の喜びを感じられる仕事から放り出され、心中穏やかではない。アインズがアルベドの相手をしているとなれば尚更である。

 だが、相手は守護者統括。至高の四十一人に直接創造されたシモベの中でも、最高位のNPCである。シモベたちは、自分たちはみな至高の御方に仕える従僕であり、本質的な階級は横並びであると理解はしていたが、神が手ずから与えた役職を軽視する者などナザリックにはいない。そのため、ナーベラルもアルベドに一定の敬意を払っていた。だからこそ、彼女の恋が成就するよう支援もしていたのだが、現在のナーベラルはそれができなかった。正確には、したくなかったのだ。

 まだ己の感情の正体について把握しきれていないナーベラルは、それがアルベドへの嫉妬であるということに気が付いていなかった。

 もやもやした思いのまま行くあてもなく街を歩き回っていたナーベラルは、いつの間にか王都の経済の中心とも呼べる大通りに出た。脇にずらりと並ぶ露店からは、肉の焼けた香ばしい匂いや、砂糖菓子の甘くやわらかな香りが漂ってきた。夥しい数の人間(下等生物)が往来しており、人間嫌いのメイドはその眉目秀麗な顔を思い切り顰めた。

(もし、アインズ様がいらっしゃれば……)

 この嫌悪感しか自分に齎さない光景も、アインズと一緒ならば。かの御方がこの空間に存在するだけで、まるで一枚の絵画のような世界になるだろう。そして、その数歩後ろに付き従う自分。アインズはナーベラルの方を振り返り、その高貴な手を差し出す。何をしているのか分からず目を白黒させている自分に、アインズはこう言うのだ。

『我が愛しき美貌のメイド、ナーベラル・ガンマよ。折角のデートだ、手を繋がなければ勿体ないであろう?』

(……馬鹿なの私は?!アインズ様がそんなことを仰るはずがないじゃない!)

 自分の妄想に恥ずかしくなり、羞恥に火照る顔を両手で覆うナーベラル。

(でも……)

 もしそれが現実になれば、どんなに素晴らしいことか。

 再びナーベラルは想像の世界に吞み込まれつつも、王都を観光せよという主人の指示に従うため、歩みを止めることはなかった。その時、

「あのっ!」

 ナーベラルには聞き覚えのない男の声が後ろから聞こえた。無視して歩き続けていると、

「すみません!『漆黒』のナーベさんですよね?!」

と、その男は自分の仮の名を呼んだ。どうやら自分に話しかけているようだ。現実に引き戻されたナーベラルは、至福の時間を邪魔されたことに憤怒を覚えつつも、その声の方を振り返った。

 声の主は、幼いとまではいかないが、若さを残した青年であり、どこにでもいる王国民といった風貌の男であった。ナーベラル程の美しい女はこれまで見たことがなかったのだろう、やや緊張している面持ちで、

「お願いしたいことがあるんです!」

と頭を下げた。

「……はあ?」

 いきなり何を言っているのかこの下等生物(ゾウリムシ)は。ナーベラルは通行人たちから非常に注目を集めていることに気づかず、目の前の男をねめつけた。

「報酬は支払います!だから、話を聞いていただけないでしょうか!」

 目の前の美女が、人を何とも思っていないような冷酷な目で自分を睨みつけていることに冷や汗をかきながらも、構わず青年は喧騒の中で搔き消されないよう声を張り上げた。

 素直に話を聞いてやる義理もないと考えたナーベラルは、青年を無視してこの場から去ろうと思案を巡らせたところで、ある重大な可能性に気が付いた。

(もしかして、これもアインズ様の計画のうちなの……?)

 彼女の主は、神算鬼謀、稀代の謀略家であり、その一手一手が複数の意味を内包する。わざわざ自分に休みを与え、王都の『観光』をせよというのはどんな意味を持つのか不思議に思っていたが、実はそれもアインズの計画の一環であり、もしや目の前の男がそのキーパーソンなのではないだろうか。自分はこの国で最高位の冒険者として名を馳せており、至高の御方にそうあれと創られたこの容貌は、人間に好まれるものであるらしい。であるならば、そんな自分が王都にいるのを見かけた何者かが、能動的に接触を図ってくることは十分に考えられる。あの慈愛に満ちた、美しくも強大な力を持つ主は、この男が自分に近づいてくると予期していたのではないだろうか。

 当然、自分の考え過ぎであるという可能性もある。だがナーベラルは、主人の叡智を疑わない。自分がこの男の話を聞いてやるのも、アインズの計画のうちかもしれないのだ。それを無視することはできない。

「……話だけね」

 これは取り付く島もないかと思っていたオスカーは、美姫の返答に一瞬虚を突かれたが、すぐさま感謝の言葉を丁寧に述べ、とりあえず自分の持つ店で話をしようと提案した。

 

 

 青年と共に来た道を戻り案内されたのは、装飾品などを売買している店が多く立ち並ぶエリアのなかにある、それなりに大きな建物だった。

 王国語で何やら書かれた看板が立てかけられているが、そこに書いてあるのは恐らく店の名前だろうと未だに文字の読めないナーベラルは推測した。

 開けっ放しの入り口をくぐると、正面にはコの字型のラージテーブルが配置されており、机に沿うように十脚の丸椅子が綺麗に並べられている。店内の壁には、鏡写しかと見紛う程の精密な人物画がずらりと貼られていた。その中には、先日王都で出会った、奇怪な仮面を被る金髪で小柄な魔法詠唱者(マジック・キャスター)の姿も僅かだがあり、ナーベラルは無意識にモモンの全身鎧(フルプレート)姿を探したが、漆黒の戦士の肖像は見受けられなかった。

 青年はオスカー・ハーリッツと名乗り、大通りの一角で商いをしている者だと言った。

 ナーベラルは人間の名前など覚えるつもりはなかったが、この男がアインズの計画に関わっているのかもしれないと思い直し、脳内でその名前を反芻して記憶できるよう努めた。

 オスカーはナーベラルを応接室に案内すると、ソファーの上座に着席を促し、自分もナーベラルの向かいに腰を下ろした。

 それではいきなり本題なのですが、と前置きをしてオスカーが話し出した。冒険者ナーベに頼みたいこととは、彼が経営する『ハーリッツ商店』の商品開発の協力であった。

「この店では、こういったものをお客様に販売しているんです」

 彼がそう言ってナーベラルに渡したのは、店内に展示されていたような人物画の一枚であった。それも多分に漏れず、現実に生きている人間をそのままキャンバスに閉じ込めたらこうなるだろうというような代物だ。

「これは『ぶろまいど』といって、私どもの持つ技術により作成した、まあ、非常に精巧な絵のようなものです。詳しいことは言えませんが、ハーリッツ家の秘宝である『イム・スタァートカ・メラ』というマジックアイテムを用いているんです。アダマンタイト級冒険者であるナーベさんには、これの『被写体』になってもらいたいのです」

 ナーベラルはぶろまいどという言葉に聞き覚えはなかったが、これに近い存在には心当たりがあった。彼女がナザリック地下大墳墓にてその生を受けた時、弐式炎雷やホワイトブリムらがナーベラルを被写体にして『スクリーンショット』を何度も撮影していた。うろ覚えの記憶ではあるが、ナーベラルが覚えている創造主との、数少ない思い出のひとつであった。

「私はこの他にも、様々な商品を販売していますが、ダントツで売れるのが冒険者の方々の『ぶろまいど』でしてね。彼らに金銭を支払う代わりにモデルになってもらい、精強な冒険者のありのままの姿を写すんです。特に、アダマンタイトのクラスともなれば、老若男女がその『ぶろまいど』を求めてこの店に来てくれます」

 そこまで聞いて、ナーベラルはこの若い店主が自分に声をかけてきた理由にようやく合点がいった。

「つまり、アダマンタイト級冒険者である私たち『漆黒』であれば、そのスクリーンショットの売り上げは絶大なものになるということね」

「すく……?ま、まあ、そういうことです。もちろん、前金としてお渡しする契約金の他にも、『漆黒』の方々のぶろまいどの売り上げ、その一割をお渡しいたします」

 ふむ、とナーベラルは思考する。人間ごときのアイデアに乗っかるのは腹立たしいことだが、それを抜きにして考えれば、悪くない取引ではないだろうか。スクリーンショットとぶろまいどの撮影方法が似たようなものであるならば、自分たちに求められる仕事はほぼないと言っていいだろう。報酬の金銭はナーベラル個人としては興味がないが、アインズは必要とするかもしれない。ナザリックに大量に保管されているユグドラシル金貨とは異なり、この世界の通貨はまだ十分な量を稼いだとはいえない。アインズがそのような旨のことを独り言のように呟いていたのをナーベラルは聞いたことがあった。何より素晴らしいのは、冒険者モモンの、その勇壮にして麗しい至高の姿を人間どもに知らしめることができる。<千里眼(クレアボヤンス)>の魔法等とは異なり、形としてしっかり残るのが最高だ。アインズに出向いてもらう必要があるため、そこだけは許可をいただかなければならないが、考えれば考えるほど悪くない提案であると思えた。これが主人の計画の範疇であるにせよないにせよ、アインズに報告して指示を仰ぐのが最善の選択だろう。

 ナーベラルはモモンさんと相談してからまた来る、とオスカーに告げ、ハーリッツ商店を後にした。

 

 

「という次第なのですが、いかがいたしますか、アインズ様」

 即座にナザリックに帰還し、アインズに謁見を求めたナーベラルは、現在九階層の執務室で報告を行っていた。

「うむ……」

 アインズは考え込むような素振りを見せるが、内心は驚きと喜びが半々であった。

(ナーベラル、すごいじゃないか!最初はあんなに人間を見下していたのに、まさか自分ひとりで契約を取ってくるなんて!)

 リアルでは営業職として働いていたアインズは、それがどれだけ難しいことなのかよく知っていた。

(休日に仕事をしているというのはよろしくないが……しかし、ナーベラルも成長したということだ)

 思わぬ感慨に浸っていたアインズであったが、黙り込んでいる主人に自分が何かミスをしたのではないかと慌て出したナーベラルの姿が視界に入り、支配者としての引き出しを大急ぎで探った。

「まずはナーベラル、ご苦労」

 休暇中にわざわざ報告をしに来たナーベラルの労をねぎらい、ナーベラルがそれを固辞し、アインズがそれを諫め……という最早恒例となった一連のやり取りにうんざりしつつも、アインズは口を開いた。

「私がその、ハーリッツ商店、だったか?に出向くことは苦ではない。お前がナザリックの利益を考え、そうすべきであると判断したんだろう?ならばそれくらいは容易いものだ」

 ナーベラルが感激し、こうべを垂れようとするのをアインズは手で制し、続けた。

「それに、ブロマイド……まあ、キャラクターグッズの一種と考えればよいのかな?そういったアイテムは、モモンとナーベを王都の民たちの中で、より身近な存在にしてくれるだろう。ヤルダバオトの一件で、我々の名声は王国で揺るぎないものとなったが、ブロマイドを売ることはその名声をより強固にすると思われる」

 そこまで言ってから、アインズはナーベラルを一瞥すると、目を爛々と輝かせて話を聞いている忠犬の姿がそこにはあった。

「流石でございます、アインズ様!非才である私には決して真似できないご慧眼です!まさに、人間どものくだらない考えなどはお見通しということでございますね!」

「ま、まあ、他にもいろいろとメリットは考えられるのだが……お前が持ってきた話を、私が無碍にするはずがないさ、ナーベラル」

 やや気恥ずかしくなったアインズは、そう話を無理やりに締めると、ブロマイドについて自分の持つ知識を記憶の片隅からサルベージする。

 ブロマイドとは、歌手や俳優など、有名人の小形写真のことで、過去の日本にも存在していたものだ。どうしてそれがこの世界にあるのか分からないが、『口だけの賢者』と呼ばれていた牛頭人(ミノタウロス)は、画期的なアイテムを数多く創案したという。彼が生み出した物のラインナップを調べて、アインズはその賢者が過去に転移してきたプレイヤーではないかと推測していた。そういった点を考慮すれば、ブロマイドの存在についても説明がつく。

「ア、アインズ様!?それは一体、どど、どういう……」

 予想外の言葉を投げかけられたナーベラルが、茹でダコのようになった顔から、ぷしゅうう、と蒸気を上げていることに気づかず、アインズは再び思考の波に囚われていた。

(しかし、ブロマイドか……)

「……」

(俺は実物を見たことはないが、アイドルのブロマイドには水着を筆頭に、きわどい姿のものも多くあったらしい。モモンはベテランの戦士で常在戦場を信条としている設定だから、鎧を脱げと言われても自然に断ることができるが、魔術師ナーベはどうだ?)

 アインズは、自分の考えが嫌な方向に向かいつつあることにぞっとした。

「ア、アインズ様?」

(ナーベラルの容姿は、この世界でも二人といない美麗なものだ。リアルでの()()()()()()()のような、熱狂的なファンも多くついていることだろう。であれば、そのローブの下を見てみたいという者は少なくないと考えられる。当然、ハーリッツという男も、その需要は理解しているはず。いきなり脱げとは言わないだろうが、きっとどこかのタイミングでそういった提案をしてくる。当然俺が一緒にいる時は絶対にそんなことはさせないが、ナーベラルはナザリックの利益のためであれば断らないかもしれない。そうなれば、俺は、俺は……)

 

「……だ」

「え?」

「いやだ。ナーベラルは、俺のものだ」

「ふぇっ」

「誰にも渡さない。ナーベラルの全ては、髪の毛一本とて、誰にも渡すものか」

「は、はわわ……!」

「ナーベラルの身体が、俺の知らない男たちの目に晒されるなんて……絶対にだめだ。それを見ていいのは、……俺だけだ」

「あ、あい、あいんずしゃまぁ……」

 ナーベラルの身体が下種な男たちの視線に汚されるという恐ろしい想像をしてしまい、アインズは己の底から沸き上がったどろどろとした怒りを抑えきれなかった。アンデッドの種族的な特性により、先程から何度も精神の鎮静化を促されているが、アインズは自分を蝕む厭悪の感情をこらえられず、ナーベラルに対する所有欲を剝き出しにしていた。

「ナーベラル」

「ひゃ、ひゃい!」

 自分が欲望にまみれた思考をそのまま口に出していたことに気づかず、アインズは、なぜかとろんとした表情を浮かべ内股をもぞもぞとしている目の前のメイドの名を呼んだ。

「すまないが、私の中で検討した結果、やはりこの話はデメリットが大きいと判断した。そのデメリットについては……後日説明する。商人には、断りを入れておいてくれ」

「わ、わかりましたぁ……」

 蜘蛛人(アラクノイド)の妹のような間延びした返答をしたナーベラルは、了解の意を示すと、壊れたロボットのようなぎくしゃくとした動きでアインズに背を向けて執務室を後にした。その耳はトマトのように真っ赤に染まっており、後ほど頭を冷やしたアインズは、そういえばナーベラルの様子がおかしかったなとその光景を思い出して首を傾げるのだった。

 

 

「ナーベさん!ようこそいらっしゃいました!」

 オスカーが店内の掃除をしていると、ふらりと店に現れたのは“美姫”ナーベであった。常に無表情のその魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、今日は殊更に不愛想な印象をオスカーに与えた。

 多忙なはずの最高位冒険者が突然やってきた理由は、考えるまでもない。先日と同様に、まず彼女を応接室に通して、じっくりと契約に関して打ち合わせをしようじゃないか。前回は彼女の美しさに気圧されて、お茶を出すのも忘れてしまった。あれでは商人として失格だ。“漆黒”モモンと“美姫”ナーベの『ぶろまいど』を発売できれば、遠のいた客足は一気に戻ってくるに違いない。そういえば、モモンの兜の下を見たことのある者は殆どいないらしい。彼の素顔を見せてもらえるか、聞いてみなくては。

「先日の件についてでしょうか。モモンさんと検討してきてくださったのですね!ささ、どうぞこち――」

「お断りします」

 オスカーは、何と言われたのか一瞬理解できず、自分の耳を疑った。

「……え?」

 挨拶をすることもなく、一言そう告げた目の前の女の、氷のような冷たい声。美の極致の魔術師は、それだけ言うと要件は済んだとばかりに踵を返そうとする。オスカーは慌てて、彼女を引き留めた。

「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ!お断りしますって、どうしてですか?!」

 オスカーがそう尋ねると、ナーベは感情が籠っているのかどうか怪しい声色で答えた。

「モモンさんがそうお決めになられたからです」

 当然でしょ、というような顔をするナーベに、オスカーは唖然とした。それで答えになっているとこの魔術師が本気で思っていることにもだ。

「お決めになられた、って……」

 オスカーは、“美姫”ナーベはモモンの従者なのではないか、と一部でまことしやかに囁かれている噂を思い出す。普段のナーベの、モモンに対する態度が主に対する僕のまさにそれである、と。オスカーはそれを眉唾物だと思っていた。アダマンタイト級の実力を持つ魔法詠唱者(マジック・キャスター)が、一介の従者などであるはずがない。しかし今オスカーは、モモンを絶対者かのように扱うナーベの言葉を聞いて、どうやらその噂は事実であると知った。

 先日、ナーベに初めてこの話を持ちかけた時は、オスカーは確かに手応えを感じていた。ナーベの感情は読み取りにくかったが、数年間商人として積み上げてきた経験と勘から、自分の提案はこの魔術師に好印象を与えているようだと判断していた。しかし、今のナーベからは、先日感じられたオスカーが提示した契約への興味というものの一切が失われていた。心底オスカーのことがどうでもいいと思っているような様子だった。

「話は終わり?ではさようなら」

 最早オスカーにはナーベを引き留める術はない。店を出ていくナーベの後ろ姿を、彼は呆然と見送った。彼女のポニーテールが、どこか機嫌よさそうに揺れているように見えた。

 

 

 一体なんだったのだろう。既にナーベの姿は見えなくなり、今では彼女とこの店で話していたことも、すべてが幻であったかのような気さえしてくる。

 泡沫の夢を、見ていたのか。

 しかし微かに感じられる彼女の残り香が、あの強烈な魔法詠唱者(マジック・キャスター)が確かにここにいたことを現実として教えてくれている。

「……おっと、そういえば今日の午後は、アインドラ様とお会いする約束があったんだ」

 ラキュースは、ハーリッツ商店のユニークな商品に興味を持ってくれているのか、仕事には積極的な姿勢を見せてくれている。『ぶろまいど』の撮影の際には、様々なポーズをノリノリで取ってくれるのだ。生きる伝説であるアダマンタイト級冒険者チーム、そのリーダーの『ぶろまいど』は、そのお陰で高い完成度を誇り、ハーリッツ商会の主力商品だ。最近は売れ行きが悪いとはいえ、手を抜く訳にはいかない。どんなポーズであれば顧客の琴線に触れるか、ラキュースと研究しなくては。

 ハーリッツ商店の若き店主は、現状を脱するべく『青の薔薇』の滞在する宿に向かうため、未だ自分の心を占める美貌の魔術師を無理やりに振り払い、外出する準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

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