崖を照らす夕焼けはその日もぶち壊したいほどきれいだった。穏やかに打ち寄せる波の音は心地よく、汚れた服の女が倒れていなければいつもと変わりなく今日を過ぎ去れるはずだった。
故郷を爆破し聖職者を足蹴にし不倫相手と子供を作ったあげく育児放棄した女の成れの果てである。
「そこまで極悪人じゃないよ!」
ベルカが跳ね起きて抗議する。しかしだいたい合っていた。
「…」
べたつく頭をぼりぼりとかく。アルヴィナの言う通り、外に出られたらしい。ただ、ザーザーと耳に届く聞き慣れないノイズが、知らない場所に放り出されたことを示していた。身体をまさぐり、故郷を去ったときからずっと持っていた杖を失くしたことも知る。
「どうしよう…」
海を知らないベルカは、とりあえず不気味なノイズであるところの波を避けるようにして、レンガ組みのボロ小屋へ足を踏み入れた。暖炉は赤々と燃え、本が積まれている。グフのプラモを持ったまま立っている男の横を素通りし、火の前に座って手を温めていると、
「ふっふっふ、僕を無視した人は初めてですよ」
「わっ!?」
ベルカが驚いてとびのく。「え!?フリーザ!?」
「誰ですかそれ」
「フリーザだよね?」
「僕はナヴァーランです。一応、ここの家主なんですけど」
「あー、やっぱ違うわ」
「だから違うって言っているでしょう。あなたこそ人の家に勝手に入って、あいさつくらいしたらどうですか」
「めんごめんご。私、アノール・ロンドから来たんだけど迷っちゃったんだ。アノール・ロンドがどの方角にあるのか教えて。すぐ出てくから」
「何ですって?」
「アノール・ロンド。王の都」
「王城はドラングレイグですが」
「???」
「早く出て行ってくれませんか。僕は忙しいんです」
「私の頭の方が忙しい」
「出て行け!」
こうしてつまみ出されたベルカだったが、ナヴァーランに事情を理解してもらわないことには話が進まない。押し問答のやりとりを書くのも面倒なので、突然ナヴァーランが奉仕の心に目覚め、ベルカを家に迎え入れたことにする。
「それちょっと雑すぎない?」
* * *
フレンドリーに話しかけてくるナヴァーランに気味の悪さを感じるベルカであったが、振る舞われた豚肉のローストに舌鼓を打ちながらこれまでの状況を話した。
「それで深淵に飲まれて、気づいたらここにいたわけですか」
「そうそう。もう一本食べていい?」
「どうぞ。実験に失敗して廃棄しようと思っていたやつですから」
「…」
ベルカは骨を下に置いた。『デジャヴュ…』
「結構攻めたことするね、ナヴァーランとやら」
「ふっふっふ。あなたも今よりおかしくなったら実験材料に使ってあげますよ」
「これ以上おかしくなりようがないから安心してよ」
「さらっと自虐ネタぶっこんできますね」
「ねえ、さっきから実験って言ってるけど、ここで何してるの?私は自分のこと話したんだからナヴァーランも話してよ」
「僕はここで転生の術を研究しています」
「転生って?」
ベルカはひときわ巨大な本のある部屋へ案内された。
「…僕の服で手を拭くのやめてください」
「だって油で手がベトベトなんだもん」
「自分ので拭けばいいでしょう」
「服が臭くなる」
「ひとの服が臭くなるのは構わないというわけですか。ほんとに頭おかしいですね」
「さっきも言ったじゃん。で、転生って?」
「ええ。これなんですが」
巨大な本のページを開き、立てかける。
「転生の術は一言でいえば魂を他の肉体にうつす術です。劣化した肉体から魂を分離し、新鮮な肉体にうつせれば、いつまでも若々しい姿でいられる」
「なんかやっちゃいけないことな感じするね」
「そう。だから過去の資料はこの本のように暗号として残されています。見つかってもそれとわからないように。で、僕は魂の操作に闇術が大きく関わっているところまでは突き止めたのですが…」
ナヴァーランが首を大きく振る。
「なかなかうまくいきません。何かいいアイデアがあればおうかがいしたいんですが」
「で、アイデアがなければ私を殺すと」
「ええ」
ナヴァーランは隠し持った杖で術を練っている。
「なんで私にこんなのを話す気になったの?」
ベルカの問いに、ナヴァーランは胸のペンダントを指差す。「その模様。ジェルドラの教戒師のものと同じです。あなたは闇と深い関わりがある。知っていることを教えてくれれば生かしてあげますよ」
「変なの。用済みになったら構わず殺すのが禁忌の世界じゃ鉄則だと思うけど」
「ふっふっふ。ごまかさなくてもいいですよ。教戒師は独自のネットワークを持っている。あなたが僕の役に立つ情報を知っているような重要人物なら、殺せば必ず彼らが復讐にやってくる。逆にあなたが役立たずなら、ここで殺したほうが余計な情報が漏れずに済む。そうでしょう?」
「意外と考えてるんだね。それだけ賢いのに術の基本も知らないバカなんだね。シースも言ってたよ。学者を気取るやつらはあるところから権力争いの知識ばかり身について無能になっていくって」
「随分な自信ですね」
「だってちょー簡単だもん。こんなの混沌の力を混ぜれば一瞬だよ、一瞬」