ドラングレイグの子供たちはみんなaとtheの区別がつく。なぜならマデューラの大穴からつながるゴミ捨て場、通称クズ底は、『The・ドブ (gutter) 』ともいうべき汚さで、暗く、毒と病に満ち満ちた場所だからだ。食べ物はゴミや排泄物。着るものもゴミ。住処の材料もゴミで、接着剤は排泄物。ドラングレイグで誰もが知っていて、そして誰も口にしたがらないドブ。もし会話のなかでthe・ドブと出てきたら、誰もがクズ底を思い浮かべる、初めからなかったことにしておきたい場所。そこへ追いやられた人は火事や葬式でさえ呼ばれない、村十分の世界。
そんな静かな場所を期待していたのに、ベルカが訪れたときは妙に騒がしかった。アン・ディールの屋敷に来たときのように、せわしなく人が行き交う。違うのはここの人々が暗がりを照らす松明を持っていることだろう。
「ねえ、ここっていつもこんなにうるさいの?」
「ねえ、何かあったの?」
クズ底の人々はゲームの住人じゃないのでベルカの質問に答えない。仕方なくベルカは騒ぎの元を目指した。
はしごはボロく、ぬるぬるしていて足がすべる。肝を冷やしながら声の大きい方へ進むと、誰かが叫んでいるようだった。
「頼む!宝なら故郷へ帰ればいくらでも出せる!だから薬を、薬をくれ!」
声の主は漆黒の鎧をまとった騎士だった。首に巻いているのは、血を思わせる赤布に、金糸で竜の刺繍を施したマント。高貴な身分なのは明らかだが、必死に訴える声は、たむろする人々に届かない。
いま、宝を持っていないからだ。
「ねえ、薬が欲しいの?」
ベルカが人の壁をかきわけて聞く。
「あ、ああ!あんた、薬を持っているのか!お願いだ、少しでいい!分けてくれ!礼ならいくらでもする!」
「元気そうじゃん」
「俺じゃない!いるのは副隊長だ!向こうで寝かせている…」
騎士が暗闇を見る。中腰の騎士と、横たわる何か。
「礼をするなら何でここの人は誰も助けないの?」
「え、あんたここのやつじゃないのか?俺たちは」
「やつって言い方やめようよ」
「言葉尻とってる場合か!どうなんだ、助けてくれるのかくれないのか!」
「助けたいけどここの人が嫌がってるなら考えさせてほしい」
「そうじゃない。俺たちはリンデルトから来て、この先にある都サルヴァへ向かったんだ。そこで毒にやられて、生き残ったのは俺たちだけ、でも副隊長は…」
兜の内で、騎士は涙を流す。
「副隊長は、モーン様は、俺たちをかばって逃がしてくれた。新米の俺がこうして喋っていられるのも、モーン様のおかげなんだ。だから…」
「だから亡くなったモーン様の分も精一杯生きようって」
「まだ死んでない!薬があれば、助かる…」
「ほんとに?なんか自信なさそうな言い方だけど。薬って何?アスピリン?ブロプレス?フロモックス?デパス?星の数ほどあるよ」
「何を言ってるのかわからない…毒を治す、薬…」
「大の男がウジウジしてんのは気持ち悪いね」
「それは不適切だ」
「あ、元気になった」
ベルカは冷やかしついでに騎士に案内され、奥まった場所に着いた。中腰の騎士がベルカを見上げる。
「で、モーンって誰?」
「お前の足元だ」
「Oh」
どこかであったような光景。膝をついて確かめると、破裂しないのが不思議なほど身体のそこかしこが膨れ上がっている。それがプゥ…プゥ…とためらいがちに屁をするように呼吸しているので、
「あひゃひゃひゃひゃ!」
ベルカはたまらず笑ってしまった。
「何がおかしい!」
「だ、だって、口、くちから、オ、オナラ、オナラみたいな音がするんだもん!」
プ〜ゥ?
「あはははは!ダメ!ゴメン!」
耐えきれなくなったベルカは騎士のマントをつかみ、
「ブーッ!」
と鼻をかむ。「おい!汚いだろ!」
プゥ!
そうだ、と言わんばかりの吐息に、偶然とはわかっていながら笑いが抑えきれなかった。
「アハハハッハ!ヒーッ!ヒーッ!」
プゥプゥ!
「やめて!もうやめて!」
瀕死の病人を前に、涙を流して大声で笑う女。その奇妙な状況に、クズ底の人々は顔を見合わせ、誰もが頭にハテナを浮かべていた。