「副隊長」
モーンが目を覚ましたとき、騎士の一人が声をかけた。
「…死ななかったようだな、ヒヨっ子」
「おかげさまで」
「なぜ俺は生きている」
「はい。聖女様が助けてくれまして」
「聖女?」
モーンが身体を起こす。あわててヒヨっ子が支えた。そのとき視界に入った自分の裸体にモーンは絶句する。
萎れ、ゴマを撒いたように穴だらけの肌。ところどころコブのように膨れ、まるで古い大樹のように…醜い。顔をそむけたくなるほど。
これは何という生き物なのだろう。リンデルトにいた頃、女神さえ悶えるほどと称賛された、あの麗しき美貌はどこへ行ってしまったのだろう。
「…」
「副隊長…、毒は治ったんですが、なにぶん身体は元通りにならなくて」
「俺の命の恩人はどこだ」
「はい、向こうの方に」
案内された場所に、中腰の騎士と、うなされながら横たわるベルカの姿。先ほどとは真逆の光景。
「おっさん、それが俺の恩人か」モーンが騎士に言った。
「そうだ」
額に脂汗を浮かべ、苦しそうに息をするベルカ。
「彼女は何か祈って、お前の毒の膿を飲んだ。一つずつ、血を吐きながらな」
毒を飲む。予想外の言葉に、モーンが困惑する。「魔法の類じゃないのか」
「さあな。俺にはわからん。『もう神は信じてないのに』とか、『この人を助けてほしいならあんたも祈れよ』とか、いろいろ愚痴は言っていたが、でもお前を助けた。そして今はこいつが死にかけている」
「…」
おっさんと呼ばれた騎士はくっくっく、と顔だけで笑った。
「おかしな話だ。初対面の相手を命がけで助けるなんて、聖女の考えることはわからん」
「まったくだ」
ヒヨっ子の持ってきた鎧を身につけながらモーンが言う。焦りがちに、まるで少しでも早く身体を隠したいかのように。
すると、裸足の足音がいくつも近づいて、来るなり叫んだ。
「聖女様!弟を助けてください!」
懇願の眼差しを向けるいくつもの姿。ベルカが治療する様子を見てやってきた住民達だった。
「お願いします!」
その声に込められていた感情は、先ほどヒヨっ子が抱いていたのと同じものだった。ベルカの耳にも届いたのか、呼吸の調子が変わる。
「…うッ」
何かを喋ろうとしたが、代わりにゴボゴボと出てきたのは蝕まれた胃液。おっさんが姿勢を支え、苦しそうにぜえぜえと息をするのがやっと。
「はあー…はあー…」
無理だ。
「聖女様…」
悲痛な表情に耐えきれず、ヒヨっ子が目をそらす。
「弟はどこだ。案内しろ」
そう言ったのはモーンだった。それを見る、おそらく兄、の目が輝いた。
「ありがとうございます!騎士様!」
* * *
先ほどのモーンや、今のベルカよりも静かに息をする少年。モーンがその傍らで膝をつく。
「さっきまですごく痛がってたんですけど、今は、落ち着いてますね」
兄が言う。モーンと弟を見る心配そうな視線の数々は、家族や仲間から向けられたもの。それが漆黒の騎士の一挙手一投足に注目している。
モーンは手甲を外して男の脈を取り、指でまぶたを開いて目の動きを確かめた。
…もう戻らない。
「別れの挨拶だ」
「そんな」
悲鳴があがる。
「落ち着け!」
低く強い声。再び静寂が広がる。
「今からこの男の意識を呼ぶ。だが長くはもたない。惜別の情を強く持っている者だけが話せ」
周囲に目配せし、先ほど弟を呼んだ男、兄、がモーンの向かい側に座った。モーンが粗布を巻いたお守りを取り出し、祈ると、周囲に光の円が灯った。
眠っていた弟が目を覚ます。
「…兄さん」
「信雄。信雄か」
のぶお。ドラングレイグでのぶお。
「兄さん…」
穏やかな表情で弟が話す。でものぶおって。
「どうして冷蔵庫の僕のプリン食べたの」
「…」兄は沈黙した。
「その前はナタデココのゼリーも」
「…すまん」
「今度、僕に返してね」
「…ああ」
「そうだ、聖女様、だいじょうぶ?」
「聖女様?」
「そう。血を吐いて、苦しそうだったから…」
兄がモーンを見上げる。モーンがうなずいた。
「ああ。聖女様は無事だよ」
「良かった。ねえ、お願いがあるんだ」
「何だ?」
「僕の寝床に、ツボがあってね、飲み水が入ってるんだ。一滴ずつ落ちてきた、きれいな、きれいな水。透明な水。それ、聖女様のお見舞いに、あげて」
お守りを持つモーンの手が震えた。俺のせいだと叫びたかった。しかし言えなかった。そして別れを惜しむ光の円も次第に小さくなってゆく。
「ああ。約束する」弟の手を握る兄の腕に、ぽろぽろとしずくがこぼれた。
「きっとだよ。約束だよ。指切り」
「ああ」
びしょびしょに濡れた指が絡まる。その水はどこかきれいで、でも塩辛い。
「ゆーびきーりげんまん。嘘ついたら海は割れ、大地は裂け、箱を飛び出したありとあらゆる災難がこの世を覆い尽くし、世界の果てまでも絶望で埋め尽くすであろう。アーッハッハッハ!アーッハッハッハ!」