「ぽっかりと空いた穴の下で、ドロドロと煮える液体。一度に放り込まれた肉の山は一部がいまだ溶け切らず、地獄の沼にかすかな小島を作っている。のっぺらぼうの木人形・エギルはそれを覗き込みながら、つい先程まで笑顔を見せていた狂人を思っていた。小島にしがみつくようにたゆたう黒髪は彼女の残骸である。
「…王子」
昔、はるかな奥底、石さえも燃え尽きた灰の上で、並み居る猛者を押しのけ地下アイドル闘技場の覇者となった一頭の獣がいた。日焼け厳禁のスチール撮影、むしろ星さえ燃やす灼熱のわがままボディは文字通り抜群の破壊力だったが、悲しいかな、このご時世、握手会もできず、というかこんなところに客なんてこねえよ、やむを得ずその日も無観客ライブを催していたところ、偶然にも迷い込んだ一人の王子がサインをせがんできたので快く応じた。それは契約書だった。
ここでふつうは奴隷として売り飛ばされるところだったが、そんなことをすれば売っぱらった先が廃墟になる。臆病で心優しい王子にそんなリスクを負う覚悟もなく、事実、スカウトに裏心はなかった。獣は王子についてゆき、『エネルギッシュな原色ガテン系アイドル、エギルちゃん』として金属加工のテクを存分に披露することになった。エギルちゃんは鉄を飴のように扱うパフォーマンスで人気を博したが、作品はもろく、ぽっきりと折れたり、ボロボロと崩れた。
たまらず割り込んできたのが噂を聞きつけてやってきた東方の刀鍛冶を自称する男だった。
「お前はこれだけ良い火を持っているのに、宝の持ち腐れだ」
「うるせーハゲ」
「ハゲじゃねえよ!こういう髪型なんだよ!
「髪がないものを髪型とは呼ばない」
「揚げ足取るんじゃねえよ!」
それがエギルと自称・刀鍛冶のアーロンとの出会いだった。アーロンは筋肉ムキムキの鋼フェチで、炭を混ぜてやばいくらい鉄を丈夫にするテクを持っていた。
「炭って人を燃やしたやつでもOK?」エギルが聞いた。
「ダメー」
「じゃあ何ならいいの?」
「石炭」
「どこで取れる?」
「オーストラリアとかかな」
「冗談はそのふざけた頭だけにしとけよ」
「こういう髪型だっつってんだろ!」
幸運は続くもので、エギルが昔住んでいたところにある灰色の岩は大樹が化石になったものだった。それは石炭の代わりとして都合が良かった。エギルはアーロンの助言をもとに、鉄よりもはるかに硬い鋼鉄をモリモリ生産し、国は大いに発展した。
王子の不倫がバレるまでは。
王子は恐妻家で王になってからもヘビのような妻に怯えていた。疎ましいなら適当に理由つけて首はねちゃえばよかったのだが、まあ臆病で信心深い当時の王にそんなことができるはずもなく、過ちを犯した自責の念と、嫉妬に満ちた妻からのDVでおかしくなっていった。
誰から吹き込まれたのかわからないが、ある日から王は太陽王を自称するようになった。伝承に残る偉大な王の真似事を繰り返し、ダークサインがありそうな人を処刑させて回ったり、挙句の果てにはこの地で最も高い山のてっぺんに城を築いた。
運命の日。王はエギルを呼び出して、人のように動く鉄の人形を見せられた。
「我が君ー、この人形どうやって動いてるんです?」
「すごいだろ?生きてるんだぜ、これ」
王の目はどこか違うところを見ていた。
「…どうやったんですか?」
「ソウルを閉じ込めたんだ。余の持ってる『灰の霧の核』を使ってさ」
「…」
「強い兵士は死んでも再利用できる。罪人は見せしめにオブジェに閉じ込めて火で炙ったりしてあげようかな。はははっ」
灰の霧の核は魂を使って異形を生み出す、王家の秘宝。心から神を愛し、敬い、人の喜びを我がことのように喜ぶ王は、敵国に侵略されてもなお禁忌としてそれを使ってこなかった。王子として生まれ、他国と争わねばならぬ定めであっても、欲を制し、非道な秘術に頼らず世を治めようと苦心し、戦いで亡くなる民や、兵や、家族に涙した。
エギルもアーロンも、忠実な騎士たちも、その王の心優しさに打たれ、身を捧げてきたのだ。王の変心に呆れ、アーロンが城を去った後も、エギルだけは、あの日、おずおずと色紙 (契約書) を差し出す王子の初々しさ、あの澄んだ瞳ときらきらした笑顔が戻ってくる日を信じていた。
神よ。我が罪をお赦しください。
その晩、山が突如噴火し、火口に築かれていた城を飲み込んだ。王は溶岩のなかから現れた鋼鉄の獣に頭から割られ、騎士たちも熔けた土になった。残された膨大な魂は、灰の霧の核で在りし日の栄光を残す幻影へと姿を変え、その霧は嫉妬に狂った妻の別荘、土の塔の上を今でも覆っている。」