黒の剣士と整合騎士、二人の『キリト』による激闘は、整合騎士のキリトがステイシアを庇って右目と右腕を斬られ失うという形で幕を下ろした。
力尽きた整合騎士のキリトは、ステイシアのアスナを抱えてそのまま堕ちていく。
短くて長い、刹那の時間が二人の周囲を支配した。
このまま長く続けばいい……互いに思ってしまうほど。
そして現実で言うところの数千kmからの落下の直前……地面すれすれでキリトとリーファが二人を受け止められる。
抱きかかえたまま気を失った彼らを見て、キリトは口にする。
「結局、コイツは俺だったわけか」
「お兄ちゃん、それって……」
「とりあえず、この二人を22層の家まで運ぼう」
そう言いながら、キリトはリーファ達から離れて近くの地面に落ちていた整合騎士のキリトの右腕を拾う。
故意じゃないとはいえ、兄が斬り飛ばしたもう一人の方の腕を拾ったことにリーファはギョッとする。
「お兄ちゃん!?腕を拾うなんて!?」
「いや、放っておくわけにもいかないだろ?くっつけられるかもしれないし」
「そんなアニメやマンガじゃないんだから!!」
キリトの思わぬ行動にリーファは激怒する。
そこへ、シノン達の二人が上空から下りてきて、アスナがキリトの方へ飛び込まんと勢いで駆け寄ってきた。
「キリト君!」
「アスナ……」
「無事で、無事でよかった」
「心配してくれてありがとうな。でも、無事かどうかと言われたらなぁ……」
涙を浮かべるアスナに優しい笑みを向けながらも、キリトは自分が負わせた男の傷を見た。
自分自身と戦って、愛する人を守るために庇ってできたそれは、今も痛々しく血を流していた。
仮想世界とはいえ、推測ながら俺達が知らないアンダーワールドからやってきたこの二人を放っておくわけにはいかない。
自分が手にかけた責任として……。
その時だった、四人の元に声が聞こえてきたのは。
「どうやら、そやつを止めたようじゃな。黒の剣士キリトよ」
「……!?誰だ!」
「キリト、あれ!」
シノンが声を上げて指さした方向を辿れば、そこには一つの扉があった。
いつの間にかあったその扉は、中から開いてとある人物が出てくる。
学者風の姿の幼い少女の外見を持ったその人物を見て、キリトは驚いた。
何故なら、キリトの知る限りもう既にこの世からいないはずだからだ。
「カーディナル……!?」
「おや、こっちのわしの事を知っているようじゃな」
―――カーディナル。
アンダーワールドにおけるもう一人の最高司祭であり、打倒アドミニストレーターのため何百年も生きてきた存在。アドミニストレーターとの戦いで破れさり、死力を尽くして亡くなった人物だ。
ALOの世界にいないはずの彼女が目の前に現れ、キリトは驚いている。
「なんでアンタがここに……」
「ふむ、とりあえず詳しい話は追々でな。そっちのキリトの手当も必要でな」
そう言いながら、カーディナルは整合騎士のキリトを見やる。
片腕でステイシア姿のアスナをしっかりと抱きしめており、簡単に離しそうにない。
カーディナルはため息をつきながら、キリトに。
「キリトや、ちと重いかもしれんが運んでくれ」
「ああ、わかった。スグ、そっち持ってくれ」
「え、ああうん、わかった」
リーファはキリトと共に、血まみれの二人を運ぶことになった。
シノンとアスナは他のプレイヤーが関わってこない様に周囲を確認しながら、カーディナルは自分が使っていた『入り口』を用いて、直接浮遊城アインクラット22層のプレイヤーホームへと向かった。
―――どくん、どくん。
心臓を脈打つ鼓動が聞こえる。
―――どくん、どくん。
何か熱いものをを流し込む。
その『光景』を見て、俺は高揚していた。
まるでこの世を全てを手に入れたかのように、気持ちが高ぶっている。
二度と手放さぬようにしっかりと絡ませて。
一度も俺という存在を忘れさせぬように、己を刻み込む。
この快楽を知ってしまったら。
この愉悦を知ってしまったら。
もう後には戻れない。
俺は欲望を満たすためにソレを抱いた。
そして己が求めるがままに、喰らいついた。
何度でも、何度でも、何度でも、何度でも。
幾多の行為を重ねても、まったく飽きることはない。
どんどん深みを知ってしまい、ソレを手放せなくなる。
―――ああ、渡すものか。たとえ誰であっても。
―――共にやってきた32番目の騎士にも、同じ整合騎士でも、あの最高司祭だってすらくれてやるものか
―――そうだ、この『女』は俺のものだ。俺だけのものだ。
―――そうだろ、ステイシア?
ベットに寝転がった俺は、ニヤリと口角を歪ませて、隣にいる彼女に言った。
―――そこにいたのは、一糸纏わぬ形で涙を頬にぬらした女神の姿だった。
「……!!」
声にならないくらいの悲鳴を出しながら起き上がった。
身体は震えており、両腕で抑えても震えが止まらない。
あの光景は、あの姿は……この身のそこから何とも言えない感情が込みあがってくる。
恐怖?嫌悪感?それとも罪悪感か?
歯を食いしばりながら、なんとか耐えようとする。
「はぁ、はぁ……畜生、俺はどうしてしまったんだ……ん?」
息を切らしながら、起き上がる。そこで彼……整合騎士キリト・シンセシス・サーティスリーは違和感に気づいた。
もう一人の自分によって斬り飛ばされたはずの自分の右腕が元に戻ってくっついていたのだ。
一体誰が?神聖術を使えるのはこの異世界で自分ただ一人だったはず。
自分が気を失っていた以上、一体誰が治療をしてくれたのか?
そう思ったとき、誰かがキリトに声をかけてきた。
「どうやら、起きたようじゃな。整合騎士のキリトよ」
「……!?お前は!?」
整合騎士のキリトはその少女・カーディナルを見て身構える。
未知の人物が現れては驚くしかないが、警戒する彼を見て、カーディナルは宥める。
「まあ待て、お前にはいろいろと話さなければいけない事があるのじゃ」
「話す?この俺に何の用が……」
「わしはカーディナル、お前と同じ世界からやってきた者。そしてお前の活躍は見ていたぞ、キリトよ」
「……お前と同じ?じゃあお前はあの世界の……」
キリトの問いにカーディナルは頷く。
それと同時に、ガチャリと部屋が空き、そこに入ってきたのはもう一人のキリト。
キリトは難しい顏をしながら、整合騎士のキリトを見てこう言った。
「目覚めたか」
「ああ……」
「話を聞きたい、一緒に来い」
「……わかった」
淡々と言葉を交わす、二人のキリト。
そんなやり取りを見て、やれやれと言った表情でカーディナルはため息をつきながら、二人のキリトと共に一同の元へ向かった。
22層・森の家のリビング。
そこにはナビゲーションピクシーを含めた5人と、異世界からやってきた2人の計7人の人物がいた。
キリト、アスナ、リーファ、シノン、ユイ。
そして整合騎士キリト、カーディナル。
二人も同じ顏をしている人物がいるという神妙な空気が漂う中、まず口を開いたのはカーディナルだった。
「ふむ、全員そろったことだし、それでは説明するか」
「そうだな。まずはカーディナル、お前達が何者か教えてもらっていいか?」
「そうじゃな、黒の剣士のキリトよ。まずはその疑問に答えるとしよう」
こほんと咳払いをして、カーディナルは整合騎士キリトと、ステイシアについて語りだす。
「端的に言って、ワシ等は"並行世界"という所から来たアンダーワールドにいた住人だ」
「へ、並行世界?」
「SF小説とかでよくある技法よ。パラレルワールドとも言って、私達の住んでいるもう一つの世界、そこでは同じ国、同じ町、同じ人間がいるっていう考え方よ」
聞きなれない単語に戸惑うリーファに対して、シノンが説明を補足する。
図書館によく通うほどの本の虫でもある彼女は、説明を付け加える。
「例えば、二つの世界にそれぞれ同じ人間がいたとするわ。だがある日、その人間は不幸な目に遭った、片方の世界では生きているが、片方の世界では死んでしまった。そういう何処かの違いが並行世界にはあるのよ」
「うむ、シノンとやらの言う通りじゃな。ワシとこっちのキリト、そしてステイシア神の代行者であるアスナはそういう世界からやってきたのじゃ」
「でも、私達と同じ世界なのに、何でキリト君があんなに違っていたの?」
カーディナルの言葉にアスナは質問をぶつける。
並行世界から来たという割には目の前にいるキリトと整合騎士のキリトはあまりにも違いすぎる。
その質問を聞いて、キリトは渋い顔を浮かべ、それを見逃さなかったカーディナルは彼に声を変える。
「黒の剣士のキリト、お前さんは察しが付いているのであろう」
「……まあな。だがカーディナル、あんたにとっていい気分じゃないぞ?」
「構わぬ。言ってくれ」
カーディナルの言葉にキリトは暫し迷った後、皆に告げる様に自分のあの世界での経緯を語った。
「あの世界……アンダーワールドにやってきた俺は、現実世界へ連絡を取るために、現実世界がるモジュールのあるセントラル・カセドラルに向かうため整合騎士になる事を選んだ。わけ合って俺は整合騎士になる前よりセントラル・カセドラルにやってきた俺は整合騎士、そしてアドミニストレータと戦うことになった。その最中、カーディナル……俺達の世界のカーディナルに出会った」
「ほう、ワシにか」
「ああ。モジュールはアドミニストレータが独占していて、彼女を倒さない限り連絡できないと思った俺は彼女と戦うことになった……その戦いの最中、アドミニストレータから俺達を助け出すためにカーディナルは……」
キリトは苦い表情をしながら拳を握りしめる。
血も出さん勢いで食い込ませるその様子を見て、カーディナルは察した。
「なるほど、つまりこっちのワシはもうこの世にはいない、ということか」
「すまない……」
「いいや、話してくれてありがとうなのじゃ。お前は優しいヤツだな」
カーディナルは柔和な笑みを浮かべて、感謝の言葉を告げる。キリトの握っていた拳が緩み、解かれていく。
そこへ疑問を持ったユイが手を上げる。
「待ってください、その話によるとパパは整合騎士になるために目指していたんですよね」
「ああ、そうだ……」
「じゃあ、この三人がやってきた世界は……」
「俺が整合騎士になってしまった世界か」
キリト達五人は、整合騎士のキリトに視線を向ける。
こちらに注がれている視線を無視しながら、整合騎士のキリトは言葉を紡いでいく。
「実感がわかないな……生憎と、その記憶にないんでな」
「本当に覚えてないの? リーファちゃんやシノのんのことも」
「そうですよ、もう一人のステイシア様。なんせ俺は整合騎士、天界から召喚された存在らしいからな」
アスナの事をもう一人のステイシア呼びをしながら偽悪者ぶる整合騎士キリト。
むぅ、と顔をしからめるアスナをリーファがなだめつつ、キリトが口を出す。
「……キリト・シンセシス・サーティスリー。お前は俺だ。アンダーワールドへやってきたリアルワールドの人間だ」
「そんな事、信じられるかよ」
「お前、何をいまさら……」
「……と言いたいところだが、認めざる負えないか」
「なに?」
整合騎士のキリトの言葉に、キリトは思わず疑問符を浮かべる。
自嘲気味に笑う彼の顔は、何処か諦めの付いた表情に見えた。
「お前と戦ってうすうすだが分かった。俺には何かが足りない、欠けている、失っている……ってな。それが何なのか、分からないがな」
「キリト……」
「そう心配した顔を浮かべるな、カーディナルさんよ。とどのつまり、最高司祭とやらが何か施したんだろ?俺の何かの記憶を奪って、都合のいいように改竄していたようだ」
整合騎士のキリトは笑いながら語る。
まるで自分の存在を嘲笑うかのように、語る。
「でもそれがわかったからってどうしようもないだろ?俺はあの人には逆らえない……命令に背くことができないように仕込まれてるんだろ?」
「ああ、"シンセサイズの秘儀"と呼ばれる記憶操作・洗脳措置で対象者にとっての『大切な者の記憶』を摘出し、その欠落部分にアドミニストレータへの忠誠を刷り込んだ
「ハハッ、やっぱりそうじゃないか。あの女、そんな外道な事をしていたんだな」
キリトの告げられた説明によって、自分が施された所業を笑う整合騎士のキリト。
そして、笑い終えたキリトは鼻で笑いながら天上を見上げた。
「整合騎士になった時点で、詰んでるとはな。逆らおうにもその敬神モジュールのせいでできないし、どうしようもないな」
「それは違うぞ、キリトよ」
「どういうことだ?」
「これを見ろ、キリトよ」
カーディナルは隣に置いていた布に包まれたものを机の上に置き、中身を取り出す。
そこにあったのは、粉々に砕かれた結晶体だった。
整合騎士のキリトは目を丸くし、驚愕している。
「これ、は……」
「お前の中にあった敬神モジュールじゃ。お前が寝ている間、キリトとワシが相談して念のために取り出そうとしたんじゃが」
「俺達が出したときにはもうその状態だったんだ」
カーディナルとキリトの言葉に、信じられないという顔で見つめる整合騎士のキリト。
何故、自分の記憶を施していたそれがあんな状態になっていたのか?
記憶の中を探ってみると、すぐに思い当たることがあった。
―――黒の剣士がステイシアを切り裂こうとしたあの時、流れ込んできたあの光景。
あの光景を見た時、俺の中にある何かが壊れた音がした。
もしかして、これがその時の……?
整合騎士のキリトの様子を見て、キリトはこう告げる。
「大切な人との記憶が奪われていても、お前の中にはちゃんと残してあったんだよ。もう一人の俺」
「残してあった……?」
「……なあ、もういいだろ?ホントはお前、思い出してるんじゃないのか」
「一体なんのことだ」
「お前が俺と同じ、黒の剣士キリトであり、リアルワールドの桐ヶ谷和人ってことをさ」
「……ッ!!」
キリトの言葉を聞いて整合騎士のキリトは目を見開いて立ち上がり、後ずさった。
苦しそうな表情を浮かべながら、整合騎士のキリトは言葉を紡ぐ。
「……違う、俺は整合騎士のキリトだ。お前じゃない」
「お前、いまさら何を……」
「整合騎士のキリトだ! そうだ、俺はキリト・シンセシス・サーティスリーだ! 33番目の整合騎士で人界を守る者で……そうでなければ」
「―――もう、いいんだよキリト君……」
その時、整合騎士のキリトの名を呼ぶ優しい声が聞こえた。
顔を向ければ、そこにいたのは、血まみれたドレス衣装からワンピース姿に着替えたステイシアの姿があった。
彼女はゆっくりと、整合騎士のキリトへと近づいていく。
「ようやく、会えたんだね。キリト君」
「やめろ……」
「キミをずっと探していたんだ。私のキリト君」
「やめてくれ……」
「アンダーワールドにまで来て、君と戦って、それでまさか本当の異世界に来ちゃうなんてね」
「やめて、くれ……」
「もう、泣かないでいいんだよ。キリト君」
「俺は……君を傷つけてしまったんだぞ……――――アスナ」
ドサリ、と力なく膝を崩し、地面に座る整合騎士のキリト。
その顔が涙に濡れ、大粒の涙が流れ落ちていた。
そんな彼を見たステイシア……否、"アスナ"は優しく彼の頭を抱き寄せた。
それがきっかけだったか……キリトの泣き声が部屋の中に響いた。
―――そこにいたのは、紛れもなく黒の剣士と同じ"キリト"であった。