『おがさわら』―太平洋の疾風―   作:蒼崎一希

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第三話

『横須賀鎮守府艦隊司令部より状況を達する。数日前から太平洋沖に散発的に深海棲艦艦隊が出現しこれを撃退していたが、現在主力艦隊相当の大艦隊が集結し、小笠原諸島方面へ向かう航路が封鎖された状態になっている。横須賀鎮守府は太平洋の航行の安全を確保するため、これより主力戦力を投入しての掃討作戦を決行する。これより名前を呼ばれた艦娘は直ちに作戦会議所へ集合すること。それ以外のメンバーには各寮講話室にて寮長などから作戦概要を説明する』

寮での待機命令を受けて、私も空母寮に戻りました。集められた講話室の椅子に座って待つこと十分、吊るされたスピーカーから聞き覚えのある声が流れてきました。司令官の声です。状況の簡単な説明のあと、スピーカーが第一陣の出撃メンバーを伝えます。

 長門・陸奥・赤城・加賀・吹雪・叢雲が第一艦隊として、神通・初風・雪風・天津風・時津風が第二艦隊として呼ばれました。全員これまでに経験を積んだこの鎮守府の主力艦娘の皆さんです。名前を呼ばれた艦娘、空母寮からは赤城先輩が部屋を後にしたところで、寮長代理である鳳翔さんからの説明が始まりました。

「先ほど提督からのお話であった通り、現在太平洋沖の海域、具体的には北緯30度31分、東経141度35分を中心とする半径60kmの範囲内に深海棲艦の艦隊がいるものと推定され、現在その範囲に対して海域封鎖を掛けています。深海棲艦主力艦隊と推測される艦隊は旗艦・空母ヲ級フラグシップをはじめとしてその他に空母ヲ級エリートが一隻、戦艦タ級フラグシップが二隻、重巡リ級改フラグシップが二隻います。またそれ以外にも駆逐イ級の艦隊と正確な数は不明ですが潜水艦も潜んでいると見られています」

潜水艦、その単語に一瞬だけ講話室の中がざわつきます。座学でいの一番に学ぶこと、それは敵である深海棲艦の事です。実戦経験のない私がこれだけ恐怖を感じるのですから、実際に深海棲艦と対峙したことのある他の艦娘の皆さんに動揺が走るのは当然なのかもしれません。

「現在封鎖されている海域はちょうど小笠原諸島へ向かう貨客船の航路上にあたります。このまま航路の封鎖が続けば住民への物資補給が滞ることになります。航路封鎖解除を待つ住民の皆さんのためにも、一刻も早い作戦終了が望まれます。皆さんの活躍を期待しています。これで状況の説明を終わります。皆さんは司令部からの指示があるまで、しっかりと身体を休めておいてください。解散します!」

鳳翔さんによる説明が終わり、各自バラバラと解散していきます。そんな中私はひとり席に座ったまま、膝を強く握ったまま動けずにいました。

「どうしたの?」

気が付くと座ったままの私のそばに鳳翔さんが立っていました。気がつけば講話室の中には私と鳳翔さんしかいません。

「あ、い、いえ……、なんでもありません」

この状況を見れば何でもないわけがないのは恐らく想像がついてしまうでしょうけど、私はそう答えるしかありませんでした。

「実戦は初めてでしたわね。大丈夫です、最初は誰もが初めてなんですから。今から緊張で身体を固くしていたら持ちませんよ。今はゆっくり身体を休めて、提督からお呼びがかかったら、すぐに動けるようにしておきなさい、あなたにはあなたの役割があるのですから……。ね?」

まるで自分の心の中を見透かされているのではないか、そのくらいに的確に心の奥底で渦巻いている感情をいい当てられ、私はそばに立つ彼女の顔を見上げました。

「――私にも、あるでしょうか? 出来ることが」

その私の問いに、彼女はとても穏やかな表情を見せ、こんなことを口にしました。

「この鎮守府の一員である限りは、必ずあるはずよ。今はその時に備えて心身を休めておくことが、あなたのできることよ。さぁ、少し外の空気でも吸って、気分を変えてきてみるといいわ」

そんな言葉を残して、彼女は講話室を後にしたのでした。

 できることはきっとある。でも、今は待つ。

 経験豊富だという彼女が言うことなのだから正しいのでしょうけど、だからこそもどかしさとある思いを抱かずにはいられませんでした。

小笠原諸島。私が生まれるに至った理由を持つ島。その島のために私は、また、何もできないのだろうか、と。

 

    ◇

 

「おっがさわらちゃん♪」

出撃していく掃討作戦参加艦隊の面々を岸壁から総員帽振れで見送って寮へ帰ろうとしたところにいつもよりも明るくポップなテンションで声を掛けてきたのは、ひえいさんでした。

「いよいよ大掛かりな作戦になってきたわね。潜水艦がいるかもっていうから私にお呼びがかかるかな―って思ってたんだけど……、ご覧の通り待機組。あとで出番が来たらいいけどなぁ……」

そう続けるひえいさんの口調は、これまで以上に明るくて、親しげな雰囲気でした。

「――私にも、出番、来るといいな……」

私はそこまで言ったところで視線が下がってしまいました。彼女がどう考えて私に声を掛けてきたのかが、分かったような気がして。

「――気になるのも当然よね。この作戦とあなたの名前の由来になった場所が関係あるわけだし……」

ひえいさんがそう言いながら岸壁に腰をおろしました。私もその隣に倣います。

 

「行ったこと、ないんだったよね、小笠原には」

再びひえいさんが口を開いたのは、お互いに腰をおろしてから少し時間が経過した頃でした。

「はい……。私、小笠原どころか本来の母港にすら行ったこと、ないんです」

それは、艦艇ではなくて船舶だった頃のお話です。

 

 元々私は、通常の船で丸一日近くかかる東京と小笠原諸島を結ぶ航路の所要時間を短くするために、当時国の主導で研究が進んでいた高速船『テクノスーパーライナー』の実用船第一号として生まれました。『海の新幹線』という異名までもらうほどのこの脚の速さを十分に活かして、小笠原の人がもっと便利な暮らしをできるように、そんな使命をこの身に受けて生まれてきた、はずでした。

 しかし、世の中は考えている以上に私には優しくありませんでした。速さと引き換えに大量の軽油を消費する私は、原油価格がどんどんと高騰する生まれた当時の社会情勢に、真っ向から反する存在でした。生まれたはいいものの、生みの親のひとりのはずの国に見放され、国が見放したことを知った私を欲しがっていた本来の主は維持し続けるのは困難と迎え入れるのを拒みました。行き場も、役目も、何もかもを失った私はただただ港に繋がれるしかなく、最終的には廃船という処遇を受け、静かに江田島のバースで最期の時を待つことになったのです。

 

「母港にすら行ったことない、かぁ……」

ひえいさんは私の言葉の一部を口にすると、また少しの間口を閉じていました。このお話は、江田島のバースにいたときから知っていることです。それでも、艦娘として出会って、その口から直接聞くと、また少し違うのかもしれません。

「でも、あなたはちょっと違うけど母港を得たわけね、横須賀っていう母港を」

そう、江田島のバースに回航され、ひえいさんの最期のひと時のお供をさせてもらった後、私を迎えに来たのは、組織こそ違えど一度は私の事を見放したはずの国が率いる自衛隊でした。一度は検討されたものの立ち消えとなっていた自衛隊の艦になる話が決まり、生まれ故郷の造船所へ再び戻り、約二年にわたる大規模な改装工事を受けたのちに、今後の輸送艦配備に関する実験を行うための実験高速輸送艦ASE‐6103『おがさわら』という識別番号と名前を頂いた私は、横須賀という初めての母港を得ることになったのでした。

「小笠原諸島の人のために働くって最初の使命は果たせなかったですけど、国のために頑張れば、その頑張りが小笠原の人のためになるはず、そう思って頑張ろうって決めたんです。けれど……」

そこから先は、彼女もそれとなく気が付いています。だから、私は言葉にするのをやめました。

 

「――あの日の試験航海、目的地、父島だったんです」

その告白に、あえて視線を向けなかった彼女がこちらを向くのを横目ながら感じていました。

「そこで嵐に巻き込まれて……」

「気がついたら、ひえいさんがいた、というわけです」

私は彼女の方を向いて笑顔を作ったつもりですが、彼女の眼にはどう映ったでしょうか。

「そっか……、そっか……」

その一言を繰り返す彼女の言葉から、相手がどんな感情を抱いているのかはそれとなく感じられました。

「船舶としても艦艇としても、私結局小笠原に縁がなくて……。だからせめて艦娘としては、役に立ちたいんです。特に小笠原の人のために」

それは、私の心の奥底に艦娘として生まれたときから、いえ、船舶として江田島のバースで波に揺られていた頃から抱き続けてきた感情でした。

「こんな私ですけど、それでも一度だけ、誰かの役に立ったことがあるんです」

「――東北の震災のときだっけ」

「はい」

東日本大震災。多くの人命と日常が奪われたあの時、私は石巻港へ向かい、地震と津波で避難を余儀なくされた人の一時的な居場所となりました。過酷な避難所暮らしでゆっくりと眠ることさえできない人たちのために、寝床を、シャワーを、そして温かい食事を提供する任務を、私は引き受けたのです。

「あの時は浮上しての全力航行はさせてもらえなかったけれど、それでも石巻港に入港して、疲れ切った被災者の人たちがほんの少しだけどホッとした表情を見せてくれたのが本当にうれしくて……。これまで、邪魔者扱いだったり、税金泥棒みたいに見られたりしてきたけど、こんな私でも、誰かの役に立つことができるんだって、それがものすごくうれしくて……」

ふと頬を何か熱いものが通り過ぎていくのを感じましたが、その熱いものと同じく、いやそれ以上に止まらない言葉の数々がどんどんと口から出ていきます。

「だからまた、誰かの助けになりたい。私はひえいさんみたいにミサイルを撃ったり、ヘリコプターを駆使したりして戦うことはできません。私に出来ることは、ものを大切に運ぶことだけ。だから誰かが私の運ぶ力を求めるなら、私……」

そこから先は、今度は言葉以上に溢れる熱いものに負けて、出てこなくなりました。

 泣きじゃくる私を、ひえいさんは優しく抱きしめてくれました。言葉はありませんでしたけど、肌を通して感じるひえいさんのその温度が、少しずつ私の気持ちを癒してくれました。その優しい温度に、今は少しだけ甘えることにしました。波音と、どこか遠くで鳴いている海鳥のさえずり、そしてひえいさんの温もりだけが、しばらくの間私を包み込んでいたのでした。

 

    ◇

 

 溢れる想いが落ち着いたところで、しばらくの間ひえいさんととりとめもない会話を続けていました。

 ひえいさんが横須賀鎮守府のドックで艦娘として転生し、今まで先輩たちの話でしか聞いたことがなかった護衛艦たちの『先祖』と邂逅したこと。戦後の日本がどうなったのかを知って誰もが安心していたこと。最初の演習で戦艦という存在と初めて相対し、トラウマを植え付けられかけたこと。そんな戦艦のみんなも普段は優しいお姉さんであること。初めての実戦で危ない目に遭いかけて、愛宕さんに助けてもらったこと、などなど……。

 気がつけば、ただひえいさんが話し続けることを頷きながら聴いているだけになってしまいました。でも、それでいいのかもしれません。艦娘になってから経験したことを話すひえいさんは、江田島のバースで現役艦艇時代の事を話す彼女と同じように、楽しげでした。その笑顔は、今の私にはまだ少し眩しいものです。

「でね、この間も司令が――」

『護衛艦はるな・護衛艦ひえい・白露・時雨・五月雨・春雨、作戦会議所へ集合。繰り返す、護衛艦はるな・護衛艦ひえい・白露・時雨・五月雨・春雨、作戦会議所へ集合』

鎮守府各所に設置されているスピーカーがひえいさんの名前を呼びました。呼び出された場所から考えて……。

「あ、呼ばれちゃった。――行ってくるね」

「いってらっしゃい、ひえいさん。お気をつけて」

気軽な感じで手を振る彼女に対して、私は精一杯の気持ちを込めて敬礼で見送ります。彼女はこれから向かうのです、戦闘に。

「大丈夫よ、いつものようにちゃんと帰ってくるから。それじゃ、いってきます」

結局最後までいつも通りの振る舞いのまま彼女は作戦会議所へ向かっていったのでした。その姿を私は見えなくなるまで見送ります。

「――やっぱり、待つしかないのかな」

そんな呟きを凪いだ海へ投げて、私は寮へ戻ることにしたのでした。

 

    ◇

 

『おがさわら・島風、提督執務室へ。繰り返す、おがさわら・島風、提督執務室へ』

退屈しのぎにと蒼龍先輩が貸してくれた漫画を読んでいるうちにいつの間にか眠ってしまっていた私を起こしたのは、室内に流れた一本の放送でした。ぼんやりとした頭を動かし窓の外を見ると、いつの間にか太陽はあらかた沈み黄昏色に染まっていました。あぁ、もうこんな時間、そろそろ晩御飯の時間だ、などと能天気に日常のルーティンのことを思い出しながら、ふと私が惰眠から戻ってきた理由に意識が向かいます。

 おがさわら・しまかぜ、ていとくしつむしつへ。

 おがさわら・島風、提督執務室へ。

 提督執務室へ。

 ようやく気が付きました。呼ばれているのです。司令官から、直々に!

「い、急がなきゃ!」

事の重大さをようやく理解した私は、手にしていた本を少々粗っぽく置いて部屋を飛び出します。

「おがさわらちゃん、おっそいよ~!」

玄関に飛び出した私を待っていたのは、腰に手を当てムスッとした表情をした島風さんでした。慌てて靴をはき終わるか終らないかの所で腕を引っ張られると、そのまま曳航されるように小路を駆けだします。

 一体、なぜ司令官は私を呼びだしたのか。理由は今のところ分かりません。今はただ、司令官のところへ一刻も早く向かうだけです。

 

    ◇

 

「おがさわら、島風とともに参りました」

ノックの音に続いてドアの外から聞こえてきた声が、呼びだした者の到着を告げていた。

「入りなさい」

部屋の主の声に従い入室したふたり、そのうちのひとりは緊張した面持ちで、もうひとりはいつもと変わりない陽気なテンションで執務机の前に並んだ。

「急で悪いが、任務だ」

ふたりの顔を一刻ずつ確かめた後、彼はもったいぶらずに状況を説明し出した。任務、その単語に緊張した面持ちのほうの艦娘、おがさわらの表情が明らかに変わっていくのがすぐに見て取れた。

「現在航路が封鎖されている小笠原諸島の父島に医薬品を緊急輸送してもらいたい。先ほど小笠原村の村長から緊急の要請が入った。難しい病気を発症している患者で、本来なら厚木からの飛行艇ですでに本土へ搬送されているべきなのだが、現状海域に加え空域も封鎖され搬送すらままならない。そこで現状が落ち着くまで医師付添いの下待機してもらっていたのだが、ここにきて患者の容体が思わしくなくなってきたそうだ。容体を安定させる薬は一定分の在庫を用意していたようだがこのままだと在庫が底を尽きてしまう」

話す言葉の一語一語をしっかりと聴いている彼女の顔にどんどんと真剣味が増していく。その表情を確かめ、彼はこう続けた。

「そこでおがさわら、君に父島までその薬を運んでほしい。現状輸送艦は君だけ、そして残り時間が限られている。君の足の速さがこの任務成功のカギだ。島風を随行艦として、一路父島へ向かってくれ」

『君の足の速さがこの任務成功のカギ』。その一言が彼女の心を大きく揺らした。握りしめていた拳を開き、勢いよく振り上げた。

「お任せください、司令官! 私、必ず任務を成功させてみせます!」

初日の到着挨拶の面影の全くない、見事な海軍式の敬礼を決め、彼女が任務への決意を口にする。その姿を頼もしく思いながらも、彼は大切なことを付け加えるのを忘れなかった。

「ただし、注意点がひとつある。現在長門を旗艦とした第一艦隊と神通を旗艦とした第二艦隊、さらにひえいを旗艦とした第三艦隊が太平洋沖に展開中だが、現在のところ海域封鎖の元凶の敵艦隊と遭遇できていない。現場海域を通過するまでには時間がある。それまでに交戦、対処終了ということも考えられるが、場合によっては戦闘海域のど真ん中を突っ切ることもあり得る。それだけは十分に注意して任務を遂行してほしい。質問は?」

「あの、旗艦は?」

勢いのいい返事と共に手を挙げたおがさわらから質問が飛ぶ。

「君だ」

返答のたった三つの音が、彼女のやる気と緊張感を盛り上げている。それでも、緊張感に呑まれている雰囲気はさほど感じなかった。

 

『なんだかんだで、あの頑張りも無駄ではなかったということか……』

数日前、まさにこの場で交わされた会話を思い出す。彼女は心配していたが、少なくともその心配をほんの少しでも吹き飛ばす何かを持ち合わせていることを、嬉しく思っていた。

「出撃は1900だ。1845までに補給・装備を完了して作戦会議所へ集合。以上だ。補給に行ってきなさい」

綺麗な敬礼を返したふたりが扉の外へ出ていき、戸が閉まる。

 

 やがて少しの合間のあと再び扉が開き、別の誰かが入ってくる。金剛だ。

「ふたりへの説明は終わりましたカ?」

執務机の前に広がる来客用のソファーに腰を下ろした彼女がこちらを見ながらそう訊ねてきた。

「あぁ。ふたりとも、特におがさわらの士気は問題ない。予定通り実施する」

彼は机に置かれた村役場からの要請文にもう一度目を通しながら応えた。

「――大丈夫、でしょうカ、本当ニ……」

金剛は自分の正面に掛かる五省の書に視線をやりながら、そう漏らした。

「―――心配か?」

「当然デス。初めてのミッションで、いきなり主力艦隊のいるかもしれない海域を突破しろ、ですから……」

「……確かにそうだな」

彼は椅子から立ち上がり、金剛の座るソファーの後ろに立った。そして彼女と同じく五省の書に視線を送る。

 

『至誠に悖る勿かりしか』

『言行に恥づる勿かりしか』

『気力に缺くる勿かりしか』

『努力に憾み勿かりしか』

『不精に亘る勿かりしか』

 

 我が海軍に伝わる伝統の訓戒。不思議なことに、これと全く同じものを艦娘たちがいた世界の海軍も使っていたのだという。そんな不思議な所縁を持った言葉ひとつひとつを噛みしめながら、確信を持った口調でこう言い切った。

「だが大丈夫だ。彼女にもこの五省は確実に息づいている。やれるさ」

もちろん彼女が無事任務を達成してくれる。そう確信を持っている。

 しかしまた、不安が皆無ではないこともまた、事実だった。

 

    ◇

 

「どういうことかしら、これは」

辺りを見渡しながら、加賀の口から珍しい言葉が漏れる。封鎖海域を遊弋する敵主力艦隊撃退するべく出撃した加賀を含めた第一艦隊は、未だにその主力艦隊を発見できずにいた。

「封鎖している海域だけでもそれなりの面積がある。それゆえ会敵に時間がかかること自体は想定の範囲内ではあったが……」

旗艦を務める長門が潮風ではためく長い黒髪を手で直しながら周囲を警戒する。完全に夜の帳の降りた太平洋沖は、折から発達した低気圧によって荒れ、海面はうねり、視界も限られていた。

「どこに潜んでいる、敵の主力は……」

周囲を見渡す長門の顔に焦りが見え隠れし始める。

「羅針盤も働いているのかいないのかよく分からないし、電探にもこれといった反応はないし……」

長門に寄りそう陸奥の顔にも長門ほどではないにせよ焦りの色が見え始めていた。

 

『長門さん聞こえますか?』

そこへ通信が入った。周辺海域で潜水艦の捜索をしている水雷戦隊の旗艦神通だ。

『感明問題なし。神通、そちらは敵と遭遇したか』

『こちらはまだ……。長門さんも……』

『あぁ、まだ遭遇していない』

無線越しの神通の声には、焦りというより疑念の色が混じっていた。確かに、ここまで敵と遭遇しないとなると疑念も抱きたくなる。敵の現れた海域は、本当にこの海域で正解なのか、と。

 そこまで考えたところで長門は頭を振る。そこに疑念を抱くということは、最終的にはこの海域へ出撃を命じた提督への疑念に繋がる。ただ、あの提督が僅かな情報だけを基に出撃を命じるとは考えにくい。それは長年共に戦ってきた艦娘としての勘であった。そうなれば敵はこの海域のどこかに潜んでいるということになる。相手の都合に合わせるように、今は海が荒れ、容易に敵を捕捉するのが難しい状態だ。

 

「何だ……? ヤツらの狙いは、一体何なのだ……?」

頭脳をフル回転させ、状況から敵のしたいことを読み解かねばならない。この状況下なら、恐らくは先手必勝だ。こちらが最初の手を打たなければ、状況は悪くなる。

「もう少しで夜が明けはじめます。それにもうまもなく増援の護衛艦姉妹たちも到着します。そうすれば、何かが変わるはずです」

携えた弓の弦を気にかけながら口にした赤城のその言葉には、確かに一理ある。ひえいたちが合流すれば味方の戦力は数、そして質ともに大きく向上するのは間違いない。しかし、それでもまだ、何か得体の知れない不安を、長門は拭いきれずにいたのだった。

 

    ◇

 

 横須賀を出港して早数時間が経過しています。最初のうちは見えていた地上や船舶からの人工的な明かりはあっという間に後方彼方へと消え去り、雲の隙間から見える月明かりと星屑だけが光る世界へとやってきました。現在、横須賀から父島への最短直行ルートを、島風さんの出せる速力に合わせながらひたすらに進んでいます。現在進む海域はさほど天気は荒れていませんが、これから先に待ち受ける、まさに深海棲艦によって封鎖され、私たちの仲間が戦っているはずの海域は低気圧の発達によって時化始めています。夜の暗闇の中でも明らかに認識できる荒れた天候が見せる景色と相対すると、さすがに恐怖感が湧き上がってきます。

 そういえば、私が嵐に遭遇した海域も、この海域にそっくりだったっけ……。

「おがさわらちゃん!」

頭の奥底から湧き上がる最悪なイメージを打ち払ってくれたのは、すぐそばを並んで走っている島風さんの声でした。

「もうちょっと速く走ったほうがいい?」

彼女が訊ねてきたことは、案の定スピードの事でした。私は能力上島風さんよりも速い速力で走ることができます。これまで一番の俊足であるということを何よりの自慢にしていた彼女が、このように自分が合わせたほうがいいか、と行ってくること自体が珍しいと金剛先輩はおっしゃっていました。

『おがさわらサーン、これからは島風チャンのこと、頼みましたヨー?』

と、いつの間にか彼女のことを頼まれていたわけですが、こうやって素直に何事も訊いてくれる彼女となら、うまくやっていけそうな気がしています。司令官が随行艦に選んだのも、それが理由なのでしょう。

「――大丈夫! 今の速力でそのまま行きます! ちゃんとついてきてくださいね、島風さん!」

旗艦らしく指示を出し、その指示に彼女はちゃんと応えてくれる。やる気に溢れながらも同時に心の中にいくつもあった心配事が少しずつ除かれていくのを感じます。

 絶対に、この荷物を届ける。

 背中に背負った彼女の艤装である輸送用リュックのずれを直し、抱いた思いを今一度強く持って、私たちは一路南を目指します。

 

    ◇

 

 封鎖海域にひえいを旗艦とする第三艦隊が到着したのは夜明けまでさほど遠くない時間の事だった。第二艦隊の旗艦神通と連携を取り敵潜水艦を発見、撃破するよう指示を出した長門はもう一度周囲に注意を配った。夜明け前のまだ薄暗い海は、低気圧の発達が一段落付き始めたことによってほんのわずかではあるが落ち着き始めている。しかしまだ海は荒れ、艦娘の身体を大きく上下に揺らしていた。

 味方には増援も来た。対潜能力では第二艦隊の面子をはるかに上回る力を持った護衛艦たちもいる。これできっと、何か状況が動くはず……、そんなことを考えていた、その時だった。

 

『こちら第三艦隊旗艦護衛艦ひえい! 敵です! 空母ヲ級フラグシップに戦艦タ級! 間違いないです、敵の主力艦た――キャッ!』

『こちら第二艦隊旗艦神通、敵潜水艦六隻を発見。現在交戦中』

会敵を第二・第三艦隊の旗艦がほぼ同時に通報したのだ。冷静に状況に対処している神通と違い、主力艦隊と遭遇したひえいの通信の最後に悲鳴が混じり、そして途切れた。

 電探を駆使し、味方艦隊群の位置を探る。三つの艦隊がほぼ均等かつこれまでの中で最大の距離まで離れていた。ということは……。

「しまったッ!」

握りしめた拳を自らの太ももに振り下ろし強く叩きつけた長門は自身の出せる最大速力で増速し始めた。

「長門姉?」

「――ッ、我々は、嵌められたんだッ! 敵の狙いは護衛艦姉妹だ! 海域を遊弋する潜水艦は餌だ! その餌に釣られて護衛艦姉妹がやってきたところを戦艦や重巡の強力な火力で仕留める気だ!」

叫ぶような長門の説明により、ようやく第一艦隊の面子は状況を察した。

「ひえい聞こえるか? 敵の狙いはお前たちだ! 正面から戦うな、今すぐ退却するんだ!」

『こちらはるな! 狙いが私たちって一体……?』

応答する声が変わる。これははるなだ。

 ――まさか。

『はるな、ひえいはどうした!』

『敵戦艦タ級の近接弾の炸裂により中破! なんとか動けますが……』

恐れていた事態がすでに始まりつつあった。旗艦中破。なんとか主機は動いているようなのがせめてもの救いだが、状況は悪化しつつある。

『今すぐ退却だ! 今すぐヤツらの攻撃圏から逃げろ! これから我々が急行する、いいな、戦うな、退却が最優先だ!』

『りょ、了解しました!』

はるなとの通信が切れた。もう何も説明する必要はなかった。第一艦隊は転進、速力を上げる。しかし、戦艦の宿命として速さに劣る。それは敵の戦艦も同じことではあるのだが、その遅さが今はもどかしい。頼む、たどり着くまで持ってくれ。

焦れる思いをねじ伏せながら、長門たちは先を急ぐ。

 

    ◇

 

「ごめん、はるな……」

「謝るのはあとで! 今は退却よ!」

はるなの肩を借り、ひえいはよろよろと進み始めた。発見が遅れ有効範囲ギリギリのところまで接近していた敵主力艦隊の戦艦タ級が放った一発の砲弾は、直撃こそ免れたもののひえいのすぐそばで炸裂し、その破片と爆風がひえいを襲った。

 大戦後、砲雷撃戦という展開が非常に限定的なものとなった世界に生まれた彼女たちの装甲は、とても薄い。軽巡以上の対潜攻撃能力を誇る彼女たちも、装甲面で言えば駆逐艦レベル、場合によっては彼女たちより低いのが欠点だ。

 その欠点を突かれ、強力な火力を誇る戦艦や重巡で攻められればひとたまりもない。第三艦隊は完全に敵の作戦に嵌ってしまったのだった。

 うねる波をいなしながら出しうる限りの速さで退却に入る。幸い敵は戦艦に合わせた速度で行動している関係上、ギリギリ距離を詰められずにいるが、それがいつまで持つか、何とも言えない状況だった。一目散に逃げを打つはるなのレーダーが、ふたつの艦影を捉えた。敵味方識別、味方。

これは、もしかして……、

『こちら第四艦隊旗艦おがさわらです! ――もしかして、ひえいさんですか!?』

そう、彼女が。おがさわらが、そこにいたのだ。

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