『おがさわら』―太平洋の疾風―   作:蒼崎一希

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第四話

 うねる海面の上から、曇天の空にわずかずつですが明るさが戻ってくるのが見て取れました。夜が明けます。長かった暗い夜が、ようやく終わりを告げようとしていました。

 現在位置を確認、小笠原への道のりの約半分までの位置までやってきました。それは同時に、現在私たちが敵艦隊の出没が想定される海域に足を踏み入れている、ということでもあります。

「ねぇ、父島まであとどのくらいかかる?」

ペースを落とすことなく走り続ける随伴艦の島風さんがそう訊ねてきました。

「このペースでいけば、お昼ごろにはたどり着けると思う」

金剛さんが貸してくれた腕時計を確認します。これまでの所要時間と今の速度が維持できるとすれば、の話ではありますが、今の天候ならば問題はなさそうです。

「あとは敵と鉢合わせ、なんてことがなければ……」

それは、この作戦を完遂する上での最重要項目でもあります。特に主力艦隊の戦艦や空母たちと遭遇してしまえば、戦力が島風さんひとりしかいないこの艦隊ではどう考えても助かりようがありません。

 ただ、私たちが通過する前に先にこの海域に到達している友軍艦隊の皆さんが敵を掃討してくれていれば何も問題はないのですが……。

「長門さんたち、どうしてるのかな……」

島風さんの口からそんな独り言がこぼれます。今のところ、普段横須賀鎮守府所属の艦娘が使用している回線から漏れてくる情報はありません。あったとしても、海域で現状確認を行っている通信くらいです。

「とにかく、今は一刻も早く父島に到着しないと……」

 

『こちら第三艦隊旗艦護衛艦ひえい! 敵です! 空母ヲ級フラグシップに戦艦タ級! 間違いないです、敵の主力艦た———キャッ!』

そんな切迫した無線が私の耳に入ってきたのはその時でした。声が聞こえた時点ですでにわかってはいましたが、その名前に、思わず反応してしまいます。

「おがさわらちゃん、今の無線の声って……」

同じく無線を傍受していた島風さんの表情にも、おそらく私が浮かべているものと同じであろうものが浮かんでいました。

 間違いありません、この海域からそう遠くないどこかで、今まさにひえいさんたちが敵からの攻撃を受けています。同時にレーダーが一群の影を捉えます。敵味方識別は味方、レーダー上の影は5つ、または6つ。

「こちら第四艦隊旗艦おがさわらです! ――もしかして、ひえいさんですか!?」

首筋をイヤな感触の汗が流れていく感覚を感じながら回線を開き、必死にこの通信の飛んだ先にいるであろう彼女へ必死に呼びかけます。相手からの応答までのほんの一瞬の時間が、永遠のように感じられます。

『こちら第三艦隊護衛艦はるなです! おがさわらちゃん、どうしてここに!?』

呼びかけに応答したのは、旗艦を務めているはずのひえいさんではなく、僚艦のはるなさんでした。無線の途切れる直前に入った悲鳴、5つとも6つとも見えるレーダー上の影。そして応答に答えたはるなさん……。瞬間、背筋を流れるイヤな汗の量が明らかに増えていくのを肌が感じ取っていました。

――なんで、ひえいさんが応答しないの?

 

    ◇

 

「赤城! 加賀! 全艦発艦!」

長門の号令と共に赤城と加賀が矢を弓につがえ、放つ。間を置かずに次々と放たれる矢が光を放ち飛行機の形へと変化・増殖し、大編隊を作り暁の空を駆けていく。戦闘機が、攻撃機が、爆撃機が、ひとつの目的のために一路北を目指す。敵主力艦隊殲滅のために。

「吹雪と叢雲は一航戦の護衛を頼む。我々は奴らに殴り込む」

長門が陸奥に視線を送る。その視線に陸奥が頷く。

「わかりましたっ!」

「ご武運を!」

敬礼するふたりに答礼し、長門と陸奥は艦隊を離れる。艦載機を放てるだけ放ってしまった空母にこの後できることは艦載機の無事の帰還を待つだけだ。ここから先の距離は、彼女たち戦艦の領域だ。

「ひえいたちが進路を変えた。急ぐぞ」

電探が知らせる現在の海域の状況は刻々と変わっていく。つい先ほどまで北へ進路を取っていたひえいを旗艦とする艦隊が突然西へと転進している。その直後、電探が新たなる目標をふたつ捉える。

『こちら第四艦隊旗艦おがさわらです! ――もしかして、ひえいさんですか!』

無線に普段海域では聴きなれぬ声が入る。いや、この名前は――。

「おがさわらってもしかしてあの新入りの?」

「あぁ、間違いない。彼女は輸送艦だ、恐らく小笠原諸島方面へ物資輸送を行っているのだろう。彼女は自衛用以外の簡素な武装しかない。だからひえいは敵艦隊を引き離すために進路を変えたのだろう」

「急がないと、まずいわね。早くしないと……」

その先に続く言葉を、陸奥はグッと喉の奥に飲み込んだ。

「――逃げ切ってくれ、ひえい、はるな」

はやる気持ちをなんとか抑えながら、長門と陸奥は艦載機の後を追う。

 

    ◇

 

「こちら第三艦隊護衛艦はるなです! おがさわらちゃん、どうしてここに!」

ただ単純に北上して海域を脱出しようと考えていた彼女たちにとって、おがさわらがこの海域を航行しているのは想定外の事態だった。まさか、同伴艦を伴っているとはいえこの海域にほぼ非武装の彼女がやってくるなんて……。

「おがさわらちゃんが、いるの?」

肩を借りているひえいが名前に反応した。

『現在横須賀から緊急の医薬品を父島へ届けています! 大丈夫ですか! ひえいさんは、ひえいさんは無事なんですか!』

「――転進しよう、西に。敵の矛先を違う方向に向けないと」

「でも長門さんからはとにかく逃げろって命令が!」

「それでこのまま真っすぐ逃げてあの子まで巻き込むつもり! あの子は非武装の輸送艦なのよ? 今聞いたでしょ? 緊急の医薬品を運んでいるって。あの子の任務、支援するわよ」

それは、旗艦として、そして護衛艦としての決意だった。大切な国民のために尽くす誰かを護る。それでこそ護衛艦ではないのか。そうはるなは年も違わない妹に言外に質されたような気がした。

「総員、方位270とーりかーじ! 敵の矛先を変えるわよ!」

ひえいが声を張り上げる。その号令が次々と後ろから復唱され、艦隊全体が方位を北から西へと変えていく。

「対空目標多数確認! 目標我が艦隊!方位175より高速で接近中!」

「総員対空戦闘用意!」

レーダー等が健在のはるなが目標を確認し、旗艦であるひえいが指示を出す。

 はるなは思い出したように無線を開き、こう叫んだ。

「ひえいをはじめ私たちは無事よ! 私たちの心配はしなくていいから、あなたたちはそのまま父島へ向かって! 敵は私たちが引き受けるから!」

 

    ◇

 

『――敵は私たちが引き受けるから!』

無線越しのはるなさんの声とほぼ同タイミングで、空の彼方から不気味な重低音が何重奏にもなって響き渡る。

「なに、この音……?」

「敵の艦載機の音だよ! 急ごう! 今襲われたら私……!」

「でも……」

島風さんが何を言いたいのかは分かります。それでも、危機に瀕しているとしか思えないひえいさんたちを置いたまま行くなんて……。

 

『――おがさわらさん』

その時、無線通信に聴きなれた別の声が割り込んできました。

「加賀先輩!」

『今私たちの艦載機と長門・陸奥が敵主力艦隊に向かっているわ。艦載機はもうすぐ、長門たちも程なく敵射程距離に入るわ。あなたの任務は輸送よ。今ここであなたに出来ることはないわ。任務に集中しなさい』

いつどんな時でも冷静なその声色が、無線から流れます。その冷静な声色が、自分に与えられている任務の事を思い出させます。今ここで私が無謀な行動に走って、そこで撃沈されるなんてことになれば、この薬の到着を待ちわびているその人の命が……。

『安心しなさい。私たちも、長門たちも、もちろんひえいたちも、あなたの命を犠牲にしなければならないほど、弱くはないわ。――行きなさい』

『対空戦闘、シースパロー発射準備よし!』

『味方戦闘機編隊見えました! 敵艦載機編隊と交戦中です!』

『シースパロー発射用意、テェーーーー!』

別の無線チャンネルから流れるひえいさんたちの艦隊の状況とシンクロして、しばらく先の海上から一筋の白い噴煙が上がります。

『こちら長門! 敵空母ヲ級フラグシップ1隻中破!』

『こちら陸奥! リ級1隻撃沈したわ!』

『こちら第二艦隊旗艦神通、敵潜水艦隊を殲滅しました。艦隊に目立った被害なし。これより援護へ向かいます』

呼応するように別の方面からも攻撃状況を伝える無線が飛び交います。どれも、私には到底なしえないものばかりです。

「――こちら第四艦隊旗艦おがさわら、予定通り、父島へ向かいます! 島風さん、両舷前進最大戦速! 海域を脱出します!」

その号令に合わせ、ふたりの主機が唸りを上げ増速します。私はひえいさんたちが今まさに戦っているであろう方角に視線を向けました。

「――行ってきます!」

その一言だけを口に出し、私たちは一路南を目指します。

 

    ◇

 

『空母ヲ級フラグシップもう一隻中破! 重巡リ級もう一隻大破!』

『第三艦隊五月雨小破! ただし行動に影響なし!』

無線から流れる戦況が、少しずつこちら側有利に傾きつつあることを知らせている。

 その状況下からほんの少し離れたところで待つ赤城と加賀、そして護衛の吹雪・叢雲がじっと耳を傾けていた。

「――おがさわらさん、無事に逃げ切れたでしょうか」

右手に持つ主砲のグリップを握り直しながら、吹雪がぽつりとつぶやく。

「あの子なら大丈夫でしょう。脚の速さだけは、見込みがあるようですし」

その他の点はまだまだ多甘ね、と付け加えてはいるものの、加賀のその言葉に嘘偽りはないだろう、ということはその場にいる全員に伝わった。

「これもあなたの教育の賜物かしら?」

赤城がおっとりとほほ笑みながらそんなことを言った。

「まだまだだわ。帰還したら、もっと鍛えておかなければ」

「――コワッ……」

「――何かしら、叢雲さん?」

「い、いえ! なんでもありません!」

いつもはツンケンとした口調の叢雲らしくない声色で返答する。もちろん彼女もまた、加賀にしごかれた艦娘のひとりだ。

『敵旗艦空母ヲ級フラグシップ撃沈!』

「さぁ、そろそろ終わりのようね」

加賀が呟いく。この『海戦』の勝利が近いことを。あとはもう、味方の損害程度と、もうひとつの作戦の成否を気にするだけで良さそうであった。

 

    ◇

 

 最大戦速で海域を離脱してからしばらくは、ほぼ無我夢中の状態でした。一刻も早く海域を離れて、届けるべきものを届けなければ。それだけしか頭の中にはありませんでした。

「――見えた」

空を覆っていた黒い雲もどこかへ消え去り、ようやく帰ってきてくれた夏の海の先に島影を見つけたのは、太陽が空の頂上へ登りきった頃でした。「あれが、父島……」

そう、私が辿り着くべきだった場所。そして幾度となく、その姿さえ見ることが叶わなかった場所。その場所に、とうとうたどり着いたのです。

「――おがさわらちゃん?」

島風さんの声で、私は込み上げてくる感慨から現実に帰ってきました。頬を伝う熱いものを手で拭い、私は再び進みます。問題は――、

「港は、どこなの?」

そうです、ここは一度も来たことがない場所。地理が全くと言っていいほどわかりません。

 そこでようやく地図を預かってきていたことを思い出し、背中の輸送用リュックを探ろうと背中に手を回したところで、

「おぉーーーーーーーーーーい!」

男性の叫ぶ声が聞こえてきました。よく見れば、島の方角から一隻の小さなボートがこちらを目指し波を蹴って突き進んできています。目印ということなのか大きな旗を振り、乗っている人が何度となく大きな声を張り上げながらこちらへ近づき、クルリとターンを決めてこちらと併走します。

「おたくらが横須賀からの海軍さんかい?」

ボートの上に乗っていた年配の浅黒い筋肉質な男性が訊いてきます。

「はい! 横須賀鎮守府から参りました輸送艦おがさわらです! すみません、港まで案内していただけますか!」

「おうよ! 付いてきな!」

答えると同時に唸りを上げ増速するボートの後ろに付いていきます。深い緑に覆われた地域を左目に見て進むことしばらくで、家・大きな建物、電信柱……、ようやく人気のある集落が見えてきました。防波堤を通り抜けた私は、先導するボートが接岸する岸壁へそのまま付いていきます。再び小さくキレイなターンで接岸した先導のボートのすぐ横に寄って、海面から飛び上がります。上陸です。

「お嬢ちゃんたち、診療所はこっちだ!」

上陸の感慨を味わう暇などありません。すぐに岸壁を走り出します。港を抜け、道路を走り、交差点を曲がって、ひたすらに診療所へと続いているであろう道を走り続けます。

 昨晩出発してから全く休んでいない身体にはこのランニングは正直堪えます。でも、今はそんな弱音を吐いている場合ではないのです。

 そんなランニングをものの二分も掛からないほど続けたところで、目の前にひとつの建物が見えてきました。

『小笠原村診療所』

そう書かれた看板が視界に入りました。ラストスパートです。最後の力を振り絞って敷地の中へと駆けこみます。先行してドアを開けてくれた男性の後に続いて建物の中に入ると、そこには声を聞きつけたのか診療所のスタッフが総出で待ちかまえていました。

「お待たせいたしました! 横須賀鎮守府所属実験高速輸送艦『おがさわら』以下二名、小笠原村村長より鎮守府艦隊司令部へ要請のありました医薬品をお届けにまいりましたッ!」

あとをついてきた島風さんときれいに整列し、敬礼と共に状況を報告です。

「お待ちしておりました! 早速お薬の方を……」

集まっていた人々の中から出てきたこの診療所の長と思しき白衣の老人に輸送用リュックから取りだした医薬品の箱を渡します。これで、任務完了です。

「霧島くん、すぐに薬を投与してくれ!」

「分かりましたッ!」

渡した薬がすぐさま患者のもとへ届けられる姿を横目に見ながら、私は横須賀鎮守府艦隊司令部への無線回線を開きました。

「横須賀鎮守府艦隊司令部、こちら第四艦隊旗艦おがさわら、1235小笠原村診療所到着、医薬品を無事に届け終わりました! 任務、成功です!」

瞬間、喜びというよりも安堵感による脱力感を感じました。よろよろとよろける身体をなんとか近くのベンチに落とし、司令からの返信を待ちます。

『おがさわら、こちら横須賀鎮守府艦隊司令部。任務完了報告了解した。先ほど長門から連絡が入ったが、ほどなくして海域と空域の封鎖が解除される見込みだ。封鎖解除を確認次第厚木から飛行艇がそちらへ向かう。診療所側に搬送の準備を要請しておいてくれ』

「こちらおがさわら、了解しました!」

『あと、帰路は飛行艇が君たちを拾ってくれるそうだ。初めての空の旅、楽しんできなさい』

疲れ切った身体にとって、これほどありがたい話はありません。船の姿であったら決してできないことです。艦娘になって良かったというべきでしょうか。

「了解しました! ありがとうございます!」

『飛行艇が発進次第連絡する。それまで待機せよ』

「了解しました」

 

「あの……」

通信を終えたところで、ひとりの男性が声を掛けてきました。表情に疲れの見えるその男性は私が視線を合わせたところでさらにグッと距離を縮めてきました。

「あなたが、薬を届けてくださった艦娘さんでしょうか」

「は、はい。私が届けましたが……」

「あぁ……! 本当に、ありがとうございます……!」

男性はそういうと私の手を握り、何度も頭を下げてきました。

「あ、あの……?」

「――すみません、申し遅れました。私、今回薬を必要としていた患者の父です」

その一言で、私は今の状況をすぐに飲み込むことができました。

「突然の病気で驚いて、島の診療所では治療が難しいから本土へ移送する必要があると言われた直後に深海棲艦に海と空を封鎖されて……、薬は残り少なく、彼女の身体も一進一退の状態で、正直覚悟を決めなければいけないかとも考えていました」

手の甲を濡らす涙の温度を感じながら、私は静かに父親の話を聞き続けます。

「そんな時に私たちの助けに応じてくださったのがあなた方海軍の艦娘の皆さんです。あなたが薬を届けてくれなければあの子は……! ありがとうございました! 本当にッ、ありがとうございましたッ!」

そんな泣き崩れる父親の姿と、石巻の港で見た被災者たちの姿がふとタブりました。被災者の人たちはホッとした笑顔、そして父親の涙。表に見える姿は正反対だけれど、そこにある気持ちの根っこは、きっと同じものなのだろう、そう思いました。

「安心してください。居座っている深海棲艦は横須賀の艦娘のみんなで倒しました。もうすぐ厚木から迎えの飛行艇が来てくれるそうですから。大丈夫です、お嬢さんはきっと助かりますから――」

優しく手を握り返し、私はそう声を掛けました。いまこの人に私がしてあげられるのは、これくらいですから。

 それからしばらくの間、私はただ静かに父親の手をやさしく握り続けていたのでした。

 

    ◇

 

 少し西に傾いた日差しが照らす海を、濃いネイビーブルーに塗装された一機の飛行艇が緩やかに波に揺られながら進んでいきます。厚木航空基地から患者の搬送のために派遣されてきた海軍の救難飛行艇です。つい数時間前に私たちがボートに先導されて通過したコースを途中まで通るとクルリと向きを変え、飛行艇の離発着のために作られたスロープを上ってきます。誘導員の指示通りに走った機体は最後にクルリと180度向きを変え、ようやく止まりました。プロペラの動きが緩やかになったところで機体後方の扉が開き、中から乗組員が素早く降りてきました。乗組員がまずは搬送する患者さんのもとに駆けより、いくつか確認をした後ゆっくりと機体へと運んでいきます。患者さんと同行する父親の搭乗が終わったところで今度は乗組員が私たちのところへとやってきました。

「海軍厚木航空基地第71航空隊です。横須賀鎮守府より厚木まで送り届けるよう要請を受けました。どうぞ機内へ」

若い乗組員の敬礼に答礼したあと、見送りに来てくださった村長さんにも敬礼し、私たちも搭乗します。

 任務完了後、お腹が空いたでしょうと地元の人たちに郷土料理の島寿司とアカバ味噌汁というものをふるまって頂き、さらには是非とも今回の任務遂行に感謝を示したいという村長さんのところを訪問したりしている間にあっという間に迎えの飛行艇がやってきてしまいました。郷土料理を食べさせてもらった時点ですでに十分にこの島の魅力の一部を味わったとは言えますが、できることなら任務ではなく自らの意思で、この場所を訪れたい。そう思ったのでした。

 固定されたストレッチャーの後方にある座席に座りシートベルトを締めたところで機体が動き始めました。機体が少し前方に沈んだと思った次の瞬間、乗り心地が車輪から船の感覚になりました。すぐ近くにあった窓から外を覗くと、海岸線にたくさんの人たちが集まっていました。先ほど先導してくださった人が振っていたものと同じような大きな旗を振っている人も何人か見かけます。

「あれね、ここ名物なのよ。客船が出港する時とかそれはもう総出で見送ってくれるらしい。陸地から併走する漁船の上から思いっきり見送ってくれて、最後は海にジャボーンって飛びこむの。ホントにね、優しい人たちだなぁ、って毎回思うよ、ここの人たち」

ジッと見つめる姿で気がついたのか、反対側の座席に座っていた乗組員の方が話してくれました。

 時代が時代なら、もしかしたらそんな見送りを私も船の立場として見守ることになったのかもしれません。船として出会うことは叶いませんでしたが、別の姿でとはいえ出会うことができて、本当によかったです。本当に。

「また、来たいです。今度は、仕事じゃなく」

先ほどは胸にとどめて置いた言葉を、今度は口に出してみました。

「そうだなぁ、私もできれば休暇を取って来たいな……」

乗組員の方も同じことを考えていたようで、自然と笑いがこみ上げてきます。そうやって笑っていると、不思議と疲れた身体が軽くなっていくような気がしてきます。

『こちら機長、離水します』

機長のアナウンスが入り、機体は海面をガタガタと滑り、離水します。高度を上げながら旋回しほぼ真北の方角へ進路を変えると、機体は一路羽田空港へ向けて高度を上げていきました。

 

    ◇

 

 夏の陽はどっぷりと落ち、夜もそれなりに更けてきた時間帯になって、私はようやく住処である空母寮まで戻ってきたのでした。

 羽田空港で患者さんと父親を降ろした後に再び離陸して、あっという間に厚木航空基地に到着。そこから鎮守府が出してくれた車に乗って横須賀に戻り、すぐに司令のもとへ出頭して任務報告を済ませ、秘書艦の金剛先輩のオーバーなまでのお疲れ様の頭なでなでをクリアし、人の少ない食堂で食事を済ませれば、当然帰りも遅くなるというものです。

 

「お、帰ってきたな新入り!」

重い手つきで玄関の引き戸を開き、ただいまの声も絶え絶えに入ってきた私を待っていたのは、見慣れないふたりの巫女服のような格好をした艦娘でした。

「初めての任務お疲れ様。はじめましてね、私は飛鷹。こっちが妹の――」

「隼鷹でぇーすひゃっはー! よろしく頼むぜ新入り―!」

キャラクターのコントラストの激しいふたりでした。

「ちょっと落ち着きなさいよ隼鷹、彼女困ってるじゃないの。……ごめんなさいね、うるさい妹で。佐世保に出張していて今日やっと帰ってきたのよ。今後ともよろしくね」

少々申し訳なさそうにしながら握手を求めてきた飛鷹先輩と握手を交わし、私はようやく玄関から上がります。

「そうそう、初めての任務無事成功したんだってね? だったら任務成功を祝ってパーっと飲もうよパーっと!」

「――単にあなたが呑みたいだけでしょうが……」

飛鷹先輩がこめかみ辺りを押さえている辺り、間違いなく隼鷹さんはお酒を飲むのでしょう、それもたくさん。

「いいじゃん飛鷹~、後輩の初めての任務成功を祝ってやるのも先輩の大事な務めだって!」

「その可愛い後輩の頑張りダシにして呑もうとする魂胆がまる見えっていうのが問題って言ってるのよ私は! ――ごめんなさいね無理に付き合わなくていいわよ」

怒り顔と笑顔をくるくると裏返しながら面倒くさそうに対応する飛鷹先輩。ただ、ダシにされているとはいえ初対面の先輩の勧めを断るのは少々申し訳ない気もします。それに、そういえばまだお酒を飲んだことがありません。一応鎮守府のルールでは私は飲酒ができるようなので、一度飲んでみようとは思っていたのですが……。

「……せっかくなので、ちょっとだけ」

「お? いいねぇ、いい後輩だねぇ! ちょうど佐世保出張の帰りにいい地酒を買って来たんだよねぇ~。せっかくだから開けちゃえ開けちゃえ! 飛鷹! 部屋からお猪口とつまみのするめ持ってきて! 私談話室で準備してるからさぁ~」

「ちょ、私まで巻き込まないでよ!」

「イイじゃん付き合えよ~、可愛い後輩おがさわらちゃんは付き合ってくれるぞぉ~?」

――なんでしょうか、この人すでに出来上がっている気がするのですが。これがこの人の素なのでしょうか、それとも……。

「ほら! 行くぜ後輩!」

「あ、はい!」

隼鷹先輩に引っ張られるまま、私は夜の空母寮談話室の中へと入っていったのでした。

 

    ◇

 

「ありゃ? 寝ちゃってら……」

「そりゃ疲れ切った身体で初めてのお酒、それも日本酒なんてハードル高すぎるわよ。気持ち悪いとか言いださなかっただけまだマシよ……」

隼鷹のハイテンションに圧されるがままに始まってしまったおがさわら初任務成功祝賀の酒盛りは、結局のところさほど時間がかかることなくお開きとなった。肉体的にも精神的にも疲労のピークを迎えていた彼女の今の身体に、佐世保の地酒『九十九島』の15度のアルコールは深い眠りの底へ叩きこむには十分すぎるほどだった。

「――隼鷹、あなたはまたこんなところで酒盛りを……」

そこへタイミング良く、いや悪く入ってきたのは空母寮寮長の加賀と赤城である。

「……勧めたのね、彼女にお酒を」

「イヤー出張から帰ってきたらちょうど彼女が初めての任務を成功させたって小耳に挟んだものだから、先輩として後輩の頑張りを是非ともねぎらってあげなきゃ、って思って……」

「勧めたのね」

「……ハイ」

声のテンションは変わらないものの、いや逆に変わらないからこそ怖さと凄味を発揮するのが寮長・加賀の寮長たる所以である。

「全く、疲れ切った身体にこんな高い度数のお酒を薦めるなんて配慮がないにも程があるわ……」

「――以後気をつけます、寮長……」

決して背の低い方ではない隼鷹の身体が小さく縮こまる。

「せっかくだし、同じ商船改造組としてお酒交えながら色々な話しようと思ったんだけどなぁ……」

「そういう話はもっと余裕のある時にしなさいよ……」

飛鷹はもはや呆れるばかりである。当然といえば当然なのだが。

「それじゃあおがさわらさんは、私が部屋に連れて行きますね」

そう言って赤城が彼女をお姫様だっこするように抱きかかえた。

「あなたたちも早く部屋に戻るように。――いいわね?」

「――ハイ」

そう遠くない時間に寮は消灯の時間である。談話室に残っていたこの四人たちがぞろぞろと部屋へと上がっていくと、加賀の手によって談話室の明かりが落とされたのだった。

 こうして深海棲艦掃討作戦が終わり、再びの平穏を取り戻した横須賀鎮守府の一日が終わるのだった。

 

    ◇

 

「――ハッ!」

十分すぎるほどに深い眠りから覚めたら、そこは自室の布団の上でした。よく見れば服もいつの間にか制服から寝間着に変わっています。

 昨日談話室で隼鷹さんにお猪口を渡され、勧められるがままに注がれた日本酒を呑み始めたところまでは覚えているのですが……。

「私、いつの間にか眠っちゃってたんだ……」

そう考えるのが自然というものです。飛鷹先輩と隼鷹先輩には悪いことをしてしまいました。あとで謝っておかないと……。そう心に決めながら、私は手早く布団を畳んで箪笥からハンドタオルを取りだすと部屋から出て、共用の洗面所へ洗顔に向かいます。そこで、

「あら。おはよう、おがさわらさん」

先に洗顔を済ませた赤城先輩と遭遇しました。

「おはようございます、赤城先輩!」

ぐっすりと眠ったものの未だに昨日の作戦の疲れが僅かに残っている感覚のある私と違って、主力艦隊の一員として出撃し、私と違って帰路も海を帰ってきたはずの赤城先輩は、何事もなかったかのようにそこに立っていました。『一航戦の誇り』がなせる技なのでしょうか。

「昨日はあっという間に酔いつぶれちゃったみたいだけれど大丈夫? 頭痛かったりしない? ――寝間着勝手に着せちゃったけど、あれでよかったかしら……?」

「――え?」

てっきり飛鷹先輩か隼鷹先輩が運んでくれたものだと思っていたのですが!

「い、いえ! 大丈夫です! 頭も痛くないですし! 寝間着も全然大丈夫でしたし!」

――人生で初めて酔いつぶれてしまった姿をあの赤城先輩に見られたと思うと恥ずかしさがマグマのように湧き上がってきます。どうしよう、どうしたものなのでしょうかこれは……!?

「そう、それならよかったわ。隼鷹さん、基本はいい子なんだけど、お酒絡みのときは気をつけたほうがいいわよ? たまに蒼龍や龍穣ちゃんが潰されて大変なことになっちゃうから」

「は、はい……」

これはもしかして、そんなに気にされていない?

蒼龍先輩や龍穣先輩がどうなってしまったことがあるのかは分からないのでこればかりは何とも言えないのですが、ひとまず、何もなかった。そう思うことにします。

 

    ◇

 

「あ、そうそう、おがさわらさん、今日は何か予定あるかしら?」

「予定、ですか? いえ、何もありませんけれど……」

「よかったら今日、間宮に甘いものを食べに行きません?」

それは、あまりに突然なお誘いでした。鎮守府の誰もが憧れるあの赤城先輩から、一緒に甘いものを食べに行こうと!

「え? え! いいんですか!」

最早動揺を隠しきれません。どうしよう、一体どうしようか。そうだ……。

「は、はい! 喜んでッ! あ、あの……」

「何かしら?」

「私もお友達を呼んでも……、その、いいですか?」

正直今赤城先輩と二人っきりで出かけたとして、どうにも喋り出せるような気が全くしません。あの人も一緒にいればきっと……。

「えぇ、せっかくのお休みですもの。みんなで楽しく食べましょう」

「は、はい!」

よかった、これでなんとか行っても大丈夫そうです。これが正解なのかどうかはこの際考えないことにします。

 それでは後で、と去っていく赤城先輩の後ろ姿を見送って、私はようやく顔を洗いはじめます。冷たい水道水で顔を洗い、同時に暴走気味の思考もクールダウンです。

 タオルで顔を拭き、鏡で自分の顔を一度チェックします。ちょっと疲れ気味の表情に一度作り笑いを浮かべます。ちょっとぎこちないですが、それでも少し雰囲気が和らいだ気がします。その和らいだ雰囲気を確かめて、私はもう一度部屋に戻り、制服に着替えます。

 作戦明けの今日は休日。それが終わればまた再びいつもの訓練の日々が始まります。

 また昨日のような任務がいつやってきてもいいように、もっと鍛錬を重ねて強くならなければいけません。そのために、今日は一日、休息です。

 

「横須賀鎮守府所属実験高速輸送艦『おがさわら』、明日からまた、頑張ります!」

 

 

『おがさわら』―太平洋の疾風― 完

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