冬優子「あんた達のやってることは全部まるっとお見通しよ!」 作:かしこ丸
原作:アイドルマスター
タグ:アイドルマスターシャイニーカラーズ 黛冬優子 芹沢あさひ 和泉愛依 桑山千雪 大崎甘奈 大崎甜花 七草はづき TRICK
パカリ。小気味良い音を立てて生卵が割れる。真っ二つに綺麗に割れた殻の間から、つるりと滑るように中身が落ちてくる。そこでようやく、その卵が尋常な卵で無かったことに気がついた。なにしろ殻の中から現れたのは、見るも鮮やかなピンク色の黄身だったのだ。尋常な鶏から、こんな鮮やかなピンク色の卵が産まれるとは聞いたことがない。赤みがかった黄色というのならまだしも、まるで海外の派手なお菓子のようなビビッド過ぎるピンク色というのは自然の賜物ではないだろう。
自然の賜物ではないということはつまり、神秘の力がもたらした
「はああぁぁぁ」
「どうしたんすか
ため息を聞いたもう一人の少女が、むしゃむしゃと菓子をつまみながら呑気な声で聞いてくる。
「うるっさいわね!あんたのせいで生まれたモンスターよ……!」
それは売り言葉に買い言葉であったが、口に出してみるとけだし正解のように思えた。思い返せばこんなことになったのも、そもそもこいつの提案がきっかけだった。これまでこいつの無軌道な好奇心に振り回されて、何度面倒事に巻き込まれたことか。今日だって、本当なら今頃は茨城の自宅に帰り、充実した一日を終えてベッドで安らかに眠っている筈であったのだ。考えても詮無いたらればごとだと理解しつつも、芙優子は昼間の出来事を思い返していた。あのときこいつの提案に対して、却下するというPERFECTな選択肢を選んでさえいれば――
*
その日はよく晴れた冬の一日だった。
アニ
自身がアニメファンでもある芙優子は、アニメファンとアイドルファンがファン集団として実際あまり重なっていないことを認識していた。だからこそ、アイドルを知らないアニメファンが多数観覧するアニ民祭のライブステージは、新たなファン層を新規開拓する良い機会であると考えていた。
また、あくまで副産物ではあるが、主催組織である実行委員会と縁を持てたことも悪くはない。芸能の世界でステップアップしていく為には、アイドルとしてのパフォーマンス能力と同じくらい業界関係者との縁が重要であることを、芙優子は正しく理解していた。実行委員会には、県観光課以外にも複数のテレビ局やラジオ局が名前を連ねている。すぐに番組に呼んでもらうなんてことは無いにしても、顔と名前を覚えてもらえるだけで副産物としては十分だ――。
「ふっふっふ、やってやるわ……」
「あ~~、芙優子ちゃんが悪い顔してる~~」
「芙優子ちゃん気持ち悪いっす!」
どうやら、やり甲斐のある仕事への意気込みが顔に出ていたらしい。人前であれば理想の美少女「フユ」の仮面が外れることなんて、多少気が抜けていたとしても絶対にありえない。しかし、今は仲間であるストライの三人しかいないのだから、仮面を被る必要は無かった。
「あんたねぇ、言うに事欠いて気持ち悪いはないでしょ!気持ち悪いは!」
下見が午前中に終わった三人は、午後に別件の打ち合わせを控えているプロデューサーと解散し、アサヒの提案で会場の近辺をぶらぶらと散策していた。散策を提案されたとき迷うこと無く「うちも行く~~!」と返した芽依に対して、普段必ずしも付き合いの良い方ではない芙優子は少し逡巡した。とはいえ特に午後の予定は無かったし――会場の近辺を知っておくことで、当日のMCや実行委員会との会話のタネになるかもしれないと考え、散策に付き合うことにしたのだ。
*
「いや~、うちも駅前は何度も来てるけど、こっちまで来ることあんま無いからちょ~新鮮!うわ、何このビル!めっちゃ派手~~!」
放っておくと一人でどんどん先に行ってしまうアサヒと手を繋いだまま、芽依が驚きの声を上げた。駅前の会場から歩き始めて数十分、S県在住であり駅前で遊ぶことも多いと話していた芽依にとっても見慣れないエリアまでやって来たらしい。芽依が道の前方に見つけたビルは、金色に輝くタイルに覆われた見るも眩しい建物だ。形状も独特で、ロケットを模した円柱形となっており壁面に飾りの翼まで付いている。如何にもアサヒが興味を持ちそうな目を引く建物であった。
しかし当のアサヒは「ふむ……」と呟き、少しの間足を止めてまじまじと眺めていたものの、すぐにまた歩き始めてしまった。
「探してる場所があるなら教えなさいよ。探すの手伝ってあげるから」
じれったくなって芙優子は尋ねた。このままではいつまで歩かされるか分かったものではない。
「来るとき乗ってきたプロデューサーさんの車の窓から、お城みたいな建物が見えたんっすよ。どこにあるっすかね~?」
アサヒの返事を聞いて芙優子は嫌な予感がした。S県の観光スポットに別段詳しいというわけではないが、この近辺にお城があるとは聞いたことがない。アサヒに聞こえないように芽依にこっそり耳打ちした。
「それってラブホじゃないわよね……」
「ラ、ラブっ……、え、う~ん、どうだろ。うちは見なかったし、この辺詳しく無いからな~」
耳を真っ赤にして答えた芽依に、芙優子は少し申し訳なく思った。
「そうじゃないといいわね……」
目的地がラブホテルだった場合、アサヒはどうするのか。アサヒはどこまで理解していて、何を説明すればいいのか。芙優子の胸に、面倒事の予感がじわじわ広がっていった。
*
「ここっす!来るときに見えたお城みたいな建物!!やっと見つかった!」
更に十数分後、芙優子がそろそろ諦めて引き返させようとしていたギリギリのタイミングでアサヒが声を上げた。
「げっ」
芙優子も思わず声を上げた。しかし声を上げた理由は、アサヒとは異なっていた。
アサヒが探していた目の前の建物は、芙優子が心配していたようなラブホテルでは無かった。それは明るいクリーム色を基調とした、円形の聖堂のような建物であった。壁面の真ん中からは、土星の輪のように建物を囲むバルコニーがせり出している。バルコニーより上は爽やかな水色に塗られており、アーチ状の窓と入り口の扉の周りはレリーフで飾られた美しい建物である。アサヒが「お城みたい」と称したのも納得できるデコラティブな外観であった。
「結婚式場みたいだね~」
芽依が別の例えを口にする。
「そうであってほしかったわね」
円形の建物が立つ敷地には、それぞれ廊下で繋がった二棟の建物が隣接している。円形の建物ほど華美でないにしろ統一感のあるデザインの建物であり、立ち並ぶ様子はゲストハウスウエディングの式場のようでもあった。
デコラティブでキュートで「フユ」にぴったりの建物、である筈なのに芙優子の胸が高鳴ることは無かった。正門の看板に彫られた「天火教世界総本山」の文字を読んでしまったからだ。そこはお城でも結婚式場でもなく、聞いたことのない新興宗教の施設であった。
「アイドルが入るところを見られたくない度合いで言えば、これはラブホとどっこいどっこいね……」
「どっこいどっこいっす!」
面白がって言葉を繰り返したアサヒは、芙優子の微妙な心境などどこ吹く風で早速敷地の中に立ち入ろうとしている。
「ちょっと待ちなさいよ!」
「なんでっすか?入り口にも「ご自由にお入りください」って書いてあるっす」
確かにそう書いてあるけれども。芙優子は施設に興味津々のアサヒにどう話したものかと考えを巡らせていた。
芙優子は特定の宗教の敬虔な信徒ではない。盆の休みには都合さえ合えば家族と墓参りに出かけるし、クリスマスにはケーキを食べて祝うような人並みのおおらかさで宗教とは付き合ってきた。そこにはあまり信仰は無かったし、新興宗教に対しても適当に信仰をやっている自分が否定するのもおこがましいように思えたので、なるたけフラットに偏見を混じえず応対していくことを心がけていた。
しかしアイドルとなってからは話が別だ。新興宗教に関して芙優子個人に思うところが無くても、不審と怪しむ世間からの印象は根深い。勿論、有名な芸能人の中にも新興宗教の信徒はいるし、信徒だからといって仕事を干されることは無いだろう。ただし新興宗教との関わりが露見すれば、掲示板やSNSに面白おかしく書き立てる者が出てくるであろうし、ネット検索に名前を打ち込むと宗教の名前がサジェストされるようになるかもしれない。それを忌避することこそ内に潜む偏見を認めることになるのかもしれないが、芙優子が目指している理想のアイドル像にとっては不要なノイズであるかのように思えた。そのため芙優子はアイドルになって以来、これまで以上に宗教との距離感には注意するようにしてきたし、デリケートな問題に対する妥当なスタンスだと考えていた。
とはいえ芙優子の憂慮は天真爛漫なアサヒには伝わらない気がするし、ここまで来て引き返すよう説得するのも骨が折れそうだ。奇妙な建物を目前にして目を輝かせているアサヒを見ていると、フユもそこまで意固地にならなくても良いような気がしてきた。ここに来たのも偶然だし、中を覗いていくくらい問題無いだろう。
「……分かったわ。じゃあ一緒に行きましょう。ただし敷地の中では騒がないこと。何かに誘われても行く約束をしないこと。フユ達三人がアイドルだってことは誰にも言わないこと。最後に、このことはツイスタに書かないこと。いいわね」
「分かったっす!」
以前にも同じ様な注意を芙優子やプロデューサーから受けているので、アサヒの了解も早い。
ところで芽依は、さっきから円形の建物の入り口上部に飾られている「火」と彫られたレリーフを、じっと見つめながら何やら首をひねっている。
「どうしたの?芽依」
「う~ん、ちょっとね~……」
「中、一緒に行くでしょ?」
「あ~!モチそれは行く!気になることもできたし」
芽依はそう言って、もう一度「火」の文字に目を向けた。
*
正門から敷地に入ってすぐの建物に、受付らしき窓口がある。外の案内板には「ご自由にお入りください」と書いてあったが、芙優子は念の為受付で確認を取ってから中を見学するつもりであった。
しかし芙優子達が受付に向かうと、受付の窓口には先客がいた。先客は若い女性であり、施設関係者らしきローブの男性と話し込んでいる。女性の声色の様子から何やら揉めているようだ。
「兎に角、
女性は声こそ大きくないにせよ、かなり必死の形相で訴えかけている。
「何度も申し上げている通り、桑山さんはあなたにお会いになるつもりはないとおっしゃられています。申し訳無いのですがお引取りください」
応じているのはメガネを掛け髭を蓄えた若い男性だ。男性のローブ姿はジェダイかホグワーツのコスプレのようで、まるで異世界に来たかのような感覚が少し面白かったが、全く笑える空気では無かった。
「お願いです!ひと目会って姿を確認するだけでいいんです!」
「ですから、本人が断っているんです」
ヤバイわよ――面倒事の匂いしかしない。やはり新興宗教に近づくことはリスキーであった。アサヒに絆されて敷地に入ろうとしたフユの判断は間違っていた。しかし今ならまだ引き返せる。芙優子は踵を返してその場から離れようとしたが――。
「お姉さん、どうしたっすか?」
遅かった。芙優子が引き返させるよりも早く、アサヒは女性に声をかけていた。芙優子は心のなかでアサヒに毒づく。
「えっ、あの、大丈夫です……う、うっうっ」
パニック気味だった女性は、見ず知らずのアサヒに声をかけられて咄嗟に大丈夫と返したが、目尻に涙をためている。
「大丈夫そうじゃないっすよ。泣いてるじゃないっすか」
「お姉さん、うちも話聞くよ。これ使って」
芽依がハンカチを差し出した。芽依まで――芙優子は観念した。
「うう、ありがとうございます……」
ハンカチを受け取った女性は今にも本格的に泣き出しそうだ。その間もローブの男性は困ったようにずっとこちらを見ている。
なんだか分からないけれど、新興宗教施設内で揉め事に巻き込まれるのはアイドルとして絶対に不味い。こうなってしまった以上見捨てることはできないが、せめてこの場を離れなければ。
「あのぉ、もしよろしかったら、落ち着くまであちらでお話しませんか?」
芙優子は、通りを挟んで施設と反対側に立つチェーン系喫茶店を指差した。女性は迷っているようで芙優子の提案に即答しなかったが、芙優子は女性の肩を抱いて半ば無理やり促した。なるたけ穏便に済ませたかった芙優子は、ローブの男性に敵対の意思がないことを示すために、去り際に一応一礼をしておいた。
*
「
「別れた理由は些細なすれ違いです。職場も生活範囲も違うので別れてから顔を合わせることはありませんでしたが、最近改めて友人としてやり直したくなって、連絡を取ろうとしたんです。でも電話もチェインも繋がらなくて――それでツイスタを見てみたら、千由紀が天火教の信者になっていることが分かりました」
ハヅキが向かいに座る芙優子達にスマホを差し出す。その画面には、千由紀のものと思われるツイスタのアカウントが表示されていた。受け取った芙優子が、アサヒと芽依も見えるようにしてゆっくりと画面をスクロールさせる。千由紀の投稿は国内外問わず政治関連の話題の
「天火教は
「わあ……、それはすごいですね」
メディアに関する話が出てきたので、急に問題が自分達に近づいたような気がして芙優子は少しビクッとした。芙優子達がアイドルであることはハヅキに話していない。
「調べてみたら世界総本山――向かいの施設のことですね――には寮があって、熱心な信徒はそこで生活してることが分かりました。私はこれだと思って施設に問い合わせたんです。そしたら千由紀はいたんですけど、「会いたくない」と伝えられてしまって――こうして直接会いに来ても顔も見せてもらえないんです」
ただの痴情のもつれじゃないの?――疑念を胸に芙優子が尋ねる。
「寂しいと思いますけど、向こうが会いたくないなら仕方なくないですか……?」
「本当にそれだけだったら仕方ないと思います。でも天火教は信徒に怪しい水を高値で売りつけたり、生活が苦しくなるほど寄付金を巻き上げたりと悪い噂が多いんです。私、千由紀が巻き込まれていないか心配なんです。最近はツイスタの投稿も無いから余計不安で――信徒の方には「元気に過ごしている」と言われましたが、伝言だけじゃ信用できません。直接顔を見て様子を確認したいんです!」
「分かったっす!千由紀さんのこと、わたし達が探してきてあげるっすよ!」
二つ返事で引き受けたアサヒを、芙優子が慌てて制する。
「ちょっとアサヒちゃん!?そんな無責任なこと言っちゃダメだよ」
正直この話は大分怪しい。天火教が怪しいのは勿論として、ハヅキの言葉をどこまで信じて良いのだろう。過去の交際相手が信徒になったことまでは事実だろうが、現在悪い状況にあるかどうかは推測でしかない。つい先ほど初めて会ったばかりの芙優子には、ハヅキが妄想気味のストーカーなのか、元恋人を純粋に心配するお人好しなのか判断がつかなかった。
「でも芙優子ちゃん、うちもちょっと気になるかも」
正真正銘のお人好しが声を上げた。
「芽依ちゃん?」
「うちも千由紀さんのことが心配だよ。それに、建物に飾ってあったレリーフも気になるっていうか――覚えてる?「火」って漢字。あれ、多分だけど、うちの習字の先生が書いた字なんだよね~……」
芽依がその派手な外見から想像もできないくらい達筆なのは、芙優子達もよく知るところであった。以前に「アイドル書道大会」という企画で最優秀賞を獲った字を見せてもらった際には、高名な書家の作品かと芙優子が勘違いしたほどだ。
「芽依ちゃんの先生っすか?」
「うん。うちの近所で書道教室を開いてた
芽依がいつになく強い口調で意思を示した。
「字のことは確かに気になるけど、千由紀さんのことはどうやって探せばいいんだろう……。敷地内には入れても、寮や関係者施設までは入れてもらえないだろうし。フユ達にできることなんて無いんじゃないかなぁ?」
芙優子はフユを取り繕いながら、やんわりと否定的な意見を述べた。芽依の意思は尊重したいが、千由紀の捜索に関しては懐疑的なままだ。
「でしたら、再臨会に行ってきてもらえないでしょうか?」
芙優子達の相談を聞いていたハヅキが提案した。
「サイリンカイ?」
初めて聞く言葉を芽依が聞き返す。
「再臨会は教主の大崎天火が、信徒の目の前で蘇りの奇跡を行うイベントです。今日は月に一度の開催日。千由紀も信徒なら参加しているかもしれません」
「奇跡が見れるんすか?」
アサヒは興味津々の様子で身を乗り出した。
「はい。参加者の殆どは信徒ですが、信徒以外にも開かれたイベントです。本当は私が参加するつもりだったのですけど、しつこく問い合わせたせいで嫌われてしまったみたいで――申し込みを断られてしまいました~……。宜しければ代わりに参加して、千由紀の様子を見てきてもらえませんか?」
「えぇと、千由紀さんが参加するとは限らないし、もし会えたとしても初対面のフユ達が、その場で説得して外に連れ出すとかはできないと思いますよ?」
「もし千由紀がいれば、その様子を報告して頂けるだけで十分です。それ以上何かお願いするつもりはありません。どうか、見に行ってもらえないでしょうか?」
ハヅキだけでなく、アサヒと芽依まで揃って芙優子に乞うような視線を注ぐ。追い詰められた芙優子は遂に折れた。
「……分かりました。フユ達、再臨会に行ってみようと思います」
再臨会に参加して千由紀がいれば遠目で様子を見る。いなくても探さない。終わったらさっさと帰る。不安は拭いきれないけれど――本当にそれだけなら大丈夫だろう。怪しい水にお金を払うつもりもないし。
「ありがとうございます~!今日は黛さん達に会えて本当に良かった――本当に何から何まで……。あの、私から千由紀の写真を送りますね。前は髪を編んでいたので、今もそのままなら目印になると思います」
芙優子のスマホに送られた画像には、長い髪を緩く編んだ若い女性が写っていた。交際していた頃にハヅキが撮った写真だろう。写真の千由紀はカメラに向かって、不安など何も無いかのように笑いかけていた。
*
ハヅキと別れ、世界総本山に戻ってきた芙優子達は、受付で出鼻を挫かれた。
「誠に申し訳ないのですが、天火教では戒律にてまやかしの光に焼かれることを禁じているのです。平たく言えば、日サロ焼けの方はちょっと……」
「って誰が日サロ焼けや!?うちは地黒や!」
芽依が変な関西弁で反論する。芽依の肌は冬だというのに綺麗に焼けており、Tシャツ焼けのような服の跡も無い。芙優子が以前に会った芽依の家族は、芽依ほど色黒では無かったし、芽依が日サロ等で意図的に肌を焼いているのは間違いなかった。
芽依はまだ食い下がっていたが、ここで相手の機嫌を損ねてハヅキのように出禁にされてしまっては本末転倒である。芙優子は芽依をなだめて、仕方無くもアサヒと二人で参加することを選んだ。
「うちもけしかけたのに、二人に任せることになっちゃってゴメンね~……」
すっかり消沈した芽依が、芙優子とアサヒに手を合わせて謝った。
「仕方ないわよ。あんた、ここから家近いんでしょ。終わったら夜になりそうだから、先帰ってていいわよ」
「芙優子ちゃん、ありがと~!遅くなったときは迎え行くから、終わったらチェインちょーだいね!」
「分かったわ。ありがと」
名残惜しそうに正門から出ていく芽依を見送ってから、受付で再臨会の参加申し込みを済ませる。しばらくすると、ローブにムスリムのような目元だけを露出したマスクを被った女性がやってきた。
「はじめまして。再臨会に参加希望の方ですね。会の前に軽い説明をさせて頂きますので、休憩スペースまでご案内します」
マスクの女性はついて来るように示すと、受付のある建物の中に入っていった。
*
案内された休憩スペースは、建物に入ってすぐの開けたロビーにあった。建物の中は学校の校舎のような作りになっており、「会議室」や「作業場」とプレートに書かれた部屋が見える。建物に人が住んでいる雰囲気があまり無いことから、どうやらここと円形の建物とは別の、もう一つの建物に寮が入っているようだ。
「改めまして。本日ご案内をさせて頂く
小さなテーブルの前に座った二人に、マスクの女性が自己紹介をする。天奈の顔はマスクで隠れているが、正面に座ってよく見ると、目元にはギャル系のような濃いめのメイクが施されている。目元や声色の雰囲気からして、かなり若そうだ。
「こちらこそ、よろしくっす!」
元気良く返事をしたアサヒに、天奈が微笑む。芙優子は差し出されたお茶に口をつけた。
「わぁ、良い香り。ローズティーですね」
「よくお分かりですね。このお茶は敷地内の庭園で咲いた薔薇と愛真水で淹れたんですよ。テレ玉でもCMやってるんですけれど、ご存知ありませんか?「あいますい」。霊気が豊富に含まれているので、浄化作用が強いんです。受付の売店で購入できますので、お土産に是非どうぞ。ご家族やご友人に喜ばれますよ☆」
急に早口になってセールストークを始めた天奈に、芙優子は「あはは……」と愛想笑いを返すことしかできなかった。どうやら余計なお世辞は言わないほうが良さそうだ。
「それでは簡単にご説明させて頂きますね。私達、天火教は大天使ルシフェルの生まれ変わりであらせられる教主――天火様の御業による心身の救済を目的としたグループです。現世にて、様々な理由で疲弊した方を奇跡の力で癒やしてさしあげる――いうなればお医者さんみたいなものですね」
あまりの胡散臭さに、芙優子は頭が痛くなりそうだ。
「すごい!天火様は天使なんすね!」
「そうだよ~。天火様はめ~っちゃ天使なんだよ~☆」
天奈が年下のアサヒに合わせて、くだけた口調で返す。芙優子は話を聞きながら配られたパンフレットをめくると、眠たげな目をした少女が教主として紹介されていた。パンフレットに千由紀の行方や「火」の文字に関して、何か手がかりはないかと、ざっと目を通してみる。しかし、載っていたのは幸福論とかいうバイブルの紹介や、入信して親友や恋人ができただの難病が治っただのという如何にもな体験談ばっかりで、手がかりになりそうなことは何も載っていなかった。
芙優子がパンフレットを読んでいる間も、天奈は説明を続けている。
「再臨会は、信徒の穢れをその身に引き受けて下さった天火様が、溜められた穢れを祓うために行われる、月に一度の蘇りの儀式です。儀式はここ――世界総本山の象徴でもある
「信徒の女の人はみんな、天奈さんみたいなマスクを被ってるっすか?」
アサヒが鋭い質問をする。
「いえ、被るのは既婚の女性だけですよ。このマスクは、既婚の女性信徒が伴侶以外の前で肌を見せないという教義に基づいて被っているものです。勿論、まだ入信されていない方に強制することはありませんので、心配なさらないで下さいね」
アサヒ、グッジョブ!――芙優子は心の中で、良い質問をしたアサヒを褒めた。しかし、これは不味い。千由紀が結婚したという話はハヅキから聞いていないが、もし千由紀がマスクを被っていたら再臨会に来ていても見つけられなくなってしまう。
考えても仕方がない。芙優子は気を取り直して、芽依に頼まれた文字のことを聞いた。
「円形の建物の入り口に「火」の文字が彫られていましたが、あれはもしかして山田里見先生の字ではありませんか?」
「よくご存知で~!あれは先代の教主様である天火様のお父様が、先生に書いて頂いた文字だそうです。先代の教主様は、あの文字を大変気に入られていたようで、天火様のお名前もあそこから取られたそうですよ。今では世界総本山の象徴である、あの安火シアターの入り口にレリーフとして飾られているんです」
ハヅキ曰く、天火教が大きくなったのはここ数年のことだから、先代が書いてもらったというあの字は、悪い噂が立つ前に書かれたもののようだ。最近書かれたものでないのなら、もし今の天火教が悪評通りの組織でも、それを知った上で字を贈ったという証拠にはならないだろう。芽依がそれで納得するかは分からないが、この場でこれ以上聞き出すことはできそうにない。
そして、この場所に来たそもそものきっかけだった円形の建物こそが、再臨会の会場――安火シアターであるようだ。
「では、そろそろお時間になりますので、会場までご案内致します」
千由紀のことを聞くのは、再臨会が終わってからでいいだろう。直接聞いて素直に情報が得られるとは限らないし、ハヅキの仲間だとバレてしまう。心象を悪くする可能性が高い質問をするのは、全部終わった後でいい。芙優子はそう考えて、席を立った。喉が渇いていなかったのか香りが気に入らなかったのか、アサヒは結局ローズティーに口をつけなかった。テーブルの上には、冷めてしまったローズティーが、綺麗なままに残されていた。
*
最初は聖堂のように見えた安火シアターだが、怪しい儀式の舞台と知った今では、毒で満たされた大きな壺のように思える。入り口の正面に立った芙優子は、嫌な緊張感で胸が苦しくなってきた。しかし、アサヒは芙優子の緊張もどこ吹く風で、楽しそうに安火シアターを見物している。
「おぉ~、近くで見るとやっぱり外国のお城みたいっす!すごいすごい!」
「王様はいないけど、もーっとすごい天火様のお城だよ☆」
天奈は親しげな相槌を打ってから、芙優子とアサヒの二人に向き直った。
「安火シアターの中に入ったら、空いている席に自由にお座り下さい。しばらくしたら再臨会が始まります。私は儀式の手伝いがあるため、中までは同行できません。終了後にまた参りますので、入り口の側でお待ち下さい。それでは、失礼致します」
そう言って案内を終えた天奈は、芙優子達をおいて建物の裏手に行ってしまった。天奈が完全に遠ざかったのを見計らって、芙優子はアサヒに念を押す。
「あんたも分かってると思うけど、こいつらの言うこと信じるんじゃないわよ?みんなインチキに決まってんだからね」
「分かってるっすよ。でも、インチキだとしても蘇りとかすごいじゃないっすか。楽しみっす~!――あっ、ここの模様は鎖みたいになってるんだ!」
本当に分かってるんでしょうね――返事もそこそこに、入り口の装飾に気を移してしまったアサヒに芙優子はいくばくかの不安を抱いた。
「……ヨシ!入るわよ」
「火」の文字を睨みつけた芙優子は、意を決して入り口の扉を開ける。中に入った芙優子達を真っ先に出迎えたのは、立ち込める花の香りだった。どこかでフレグランスを焚いているらしい。先ほどのローズティーと同じ、薔薇の香りだ。
見渡すと中は小さな円形のアリーナのようになっていた。中央のステージには黒い棺が置いてある。上には二階席もあるようだが、見たところそちらには人を入れていないようだ。一階席には既にローブ姿の信徒が詰めており、怪しい
一通り見回してみたが、千由紀の姿は見つからない。
「千由紀さん、見つかった?」
芙優子はアサヒに小声で尋ねる。
「ここからじゃよく見えないっす~」
室内は薄暗く、芙優子達の位置からでは顔のよく見えない信徒や、マスクを被っている信徒もいる。全員の顔を
「うろうろすると集中してる人の邪魔になっちゃうし、今は見えるところだけにして、続きは終わってから探そう?」
芙優子はそう答えたが、本心から信徒に配慮したわけではなかった。不気味な信徒達に囲まれたこの場所で、彼らの注意を引きたくなかったのだ。
結局、千由紀は見つからず、芙優子達は空いている端の席に腰を下ろした。祝詞を唱える信徒の数も増え、雰囲気は先ほどより高まっている。居心地の悪さがピークに達した頃、扉を開けて黒いローブの女性が現れた。女性がゆっくりとステージに登壇すると、信徒達は祝詞を止め、会場は静寂に包まれた。
ステージの小さな照明に照らされた女性の姿を見て、芙優子は痺れるような感覚を覚えた。教主の大崎天火だ。天火は凄まじく美しかった。パンフレットでも整った顔立ちに見えたが、実際に見る天火はその数十倍美人であった。ただ立っているだけなのに何とも言えない艶があり、同性の女性に感じる以上に魅力的に見える。もし天火がアイドルになっていれば、間違いなく大成していただろう――いや、今からでも。天火の美貌が備えるカリスマ性が、天火教の信仰に一役買っていることは疑いようがなかった。
静かになった安火シアターに、天火の小さな声が響く。
「にへへ……みんな、今日までよく頑張ったね……。みんなが抱えた穢れは、これから天火の体と一緒に聖なる炎で焼き清められます……。天火は一度死を迎えるけれど……心配しないでね……。みんなは、天火と一緒にあらゆる不安や苦痛から開放されて……救われるのです……」
「にへーでーびるー」「にへーでーびるー」
天火の言葉を聞いて盛り上がった信徒達が、一段と大きな声で祝詞を再開する。月一なのに大袈裟ね――そう思いつつも、芙優子は天火から目が離せないでいた。
信徒達の祝詞を一身に浴びて、天火は棺に体を横たえる。天火が入った棺は、ステージの側に控えた信徒によって蓋をされ、間もなく火がつけられた。火は勢いよく燃え上がって、すぐに棺を包んでいく。
「すごいっす!火炙りなんて、ジャンヌ・ダルクみたいっす!」
「ジャンヌ・ダルクは蘇らないよアサヒちゃん?」
え、でもこれ大丈夫なの?――何かトリックがあるのだろうと確信していても、あまりの炎の大きさに棺の中の天火を心配してしまう。ステージでは、炎の中でバキバキと音を立てて、棺が形を失っていく。崩れた棺の中に人の形は既に無く、何かの残骸となったものが轟々と燃え続けていた。
棺とその中身が殆ど炭と化した頃、バルコニーの窓が音も無く開いて、二階席に一条の光が差した。
「天火様」「天火様の光だ」「なんだかとってもヘブンリー……」
光に気づいた信徒達がざわめき始めると、二階席の光の中から白い服の天火が現れる。それは本当に天から舞い降りた女神のような神々しさであり、正に宗教画のような光景だった。
「にへへ……みんな、ありがとう……。みんなが灯してくれた聖なる炎と祈りの光のおかげで……天火、無事に再臨することができました……!天火の再臨によって現世の罪は清められ、明日からは終わりのない夢のような時間が始まるでしょう……。みんな、おめでとう……!カルペディエム……!」
蘇った天火は、純朴そうな笑顔で心からの祝福を信徒に授ける。安火シアターは歓声に包まれた。
対して、芙優子は予想以上の光景に完全に言葉を失っていた。ある筈のトリックが、全く分からない。天火は目の前で棺に入ったし、棺は完全に炎に包まれていた。何らかの方法で棺を出たとしても、真ん中のステージから誰にも見つからず二階に上がる方法も時間も無かった。神秘的で超然とした天火の姿を見ていると、本当に奇跡を起こしたようにすら思える。
あまりの神々しさに理性を揺るがされる恐怖を感じて目線をそらすと、隣にいるアサヒの顔が目に入った。天火に見入ってしまっていた芙優子は、アサヒのことをすっかり忘れていた。アサヒは天火ではなく、周りの信徒を観察しているようだ。芙優子の視線に気づいたアサヒは、出し抜けに問いかけた。
「なんなんすかねこれ。芙優子ちゃんはなんだと思います?」
「え、いや、なんのこと?」
何を聞かれたのか分からなかった芙優子は、とりあえず小声で問い返した。
「なんでみんなただのモノマネに喜んでるんすかね?燃えちゃったのは凄かったけど、上にいるのはどう見ても別の人じゃないっすか」
なにいってんだこいつ。
「何を言ってるのアサヒちゃん?上にいるのはどう見ても天火様だよ?」
「芙優子ちゃんにもそう見えるんすか?そっか。でもあれ、似てるけど間違いなく別の人っすよ」
芙優子は、アサヒに声を抑えるように指示するのも忘れて驚いた。アサヒは常識知らずな面はあるが、その観察眼は本物だ。それに、こういう冗談を言うタイプではない。アサヒの言葉は信じられる。いや、でもそんなことありえるのだろうか。芙優子の目からは、棺に入った天火と二階に現れた天火は全く同じ顔に見える。あの美しい天火が二人もいるだなんて。ありえるとしたら、双子か整形――いや、創作では見たことがあるけれど、整形ってあれほど瓜二つに加工できるものなの?そうよ。双子トリックなんて創作ですら錆びついたトリック、現実にありえるわけが無い。そんなのルール違反じゃない……。
アサヒの言葉に動揺して芙優子は考え込む。しかし芙優子の逡巡の内容は、本人が気づかないうちに口から漏れていたようだ。
「なんで現実にありえないっすか?蘇りの奇跡よりずっとありえる。インチキでいいからもっと凄いのを期待してたのに。これで終わりならつまんないっす」
「……バカっ!声が大きい!」
はっとして止めたが、既に遅かった。芙優子は自分達を見る信徒達の目が、変化していることに気づいた。先ほどまで熱狂していた信徒達が、妙に落ち着いた雰囲気で芙優子達を見つめている。周りから注がれる視線に、芙優子は思わず後ずさった。
「奇跡を貶める悪い子にはお仕置きしなきゃね☆」
どこからか、聞き覚えのある声が聞こえる。その声を合図に、周囲の信徒がずんずんとにじり寄ってくる。
「あははっ!面白くなってきた!」
突然、アサヒが笑い出した。不審がって一瞬足を止めた信徒達の隙をつき、アサヒは一番近い信徒の股間を蹴り上げた。
「とう!」
間髪入れずに背後の信徒のみぞおちにパンチを入れる。アサヒは芙優子の手を引いて走り出した。うめく信徒の横を抜けて、入り口の扉まで走り抜ける。しかし、扉は鍵がかかっていてびくともしない。入り口からの脱出を諦めた二人は、二階席に続く階段を駆け上った。二階の廊下で、真っ先に目に入ったドアを開けて中に逃げ込む二人。部屋の中は薄暗いが、ロッカーや仏具のようなものが雑然と置かれており物置のようだ。下からは二階席と外のバルコニーしか見えなかったので、こんな部屋があるとは思わなかった。仮初の避難所で、芙優子は少し息を落ち着けた。
「……さっきのパンチ、紅蘭偉魔空珠学園でしょ」
「そうっす!前に見てカッコよかったから覚えてたっす」
先ほど信徒に囲まれた際のアサヒの立ち回りは、人気の配信ドラマ「轟!紅蘭偉魔空珠†番外地」で登場人物が見せたアクションシーンそのものだった。芙優子もチェックしていたので見覚えがあった。見て学ぶという言葉があるが、アサヒのそれは度を越している。他のアイドルやダンサーのパフォーマンスをひと目見ただけでコピーしてしまう凄まじい才能を、芙優子と芽依はこれまで何度も見せつけられてきた。ドラマで見た格闘技だって、再現できても不思議ではない。
「あんた、それでみんな倒せないの?」
「さっきは隙をつけたけど、多分無理じゃないっすかね」
ダメ元で聞いてみただけなので落胆はない。アサヒの才能は凄いが、所詮は殺陣の真似事だし大人の信徒とは体格差もある。子どものアサヒに全て頼り切るのは筋違いだ。
そこまで考えて、芙優子はようやく思い至った。あまりの事態に動転していたが、これはもうどう考えても警察ごとだろう。芙優子は、通報して助けを呼ぶためにバッグからスマホを取り出そうとする。
しかし、芙優子達は知らなかった。逃げ込んだこの部屋に、先人が潜んでいたことを。背後から音もなく現れた影が、持ち上げた椅子で芙優子達を一息に殴りつける。後頭部を強打された二人は、襲撃に気づくこともなくその場で気を失った。
「……えへへ☆」
静かになった物置部屋で、影が小さく微笑んだ。
*
「芙優子ちゃん!芙優子ちゃん!」
「ん、う~ん、いててて。アサヒぃ……?」
アサヒに起こされた芙優子は、自分がベッドに寝かされていることに気づいた。先に起きていたアサヒによると、目が覚めたらこの部屋のベッドで芙優子と一緒に寝ていたらしい。
痛む頭を抑えて起き上がると、そこはビジネスホテルの一室のような部屋だった。ただし窓は無く、ドアの鍵は外から閉められており開けることができない。安火シアターで二階の部屋に逃げ込んでから気絶するまでの記憶は曖昧だが、状況から判断するとどこかに運ばれて監禁されてしまったようだ。しかし、この部屋にはシャワー、トイレ、冷蔵庫、小さなキッチンまで備わっている。牢屋にしては快適そうだ。
衣服も再臨会に参加したときのままだ。念の為に確認したが、気絶している間に服を脱がされたような形跡は無い。流石にスマホの入っていたバッグは没収されていた。
「芙優子ちゃんも起きたことだし。じゃ、脱出するっすよ」
「は?え、どうやって?」
「分かんないっす。とりあえずドアにぶつかってみたり、色々試してみるっす」
「……そうね」
アサヒの言う通りだ。何でもいいから、一刻も早くここから逃げ出したい。怪しい集団に監禁されているという恐怖に、パニックを起こしそうな心を何とか抑えつけて、何か脱出に使えそうな物がないか探そうとする。
直後、ドアがノックされた。芙優子達が返事をする前に、ドアが開かれる。
「にへへ……。こ、こんばんは。大崎天火、です。お邪魔、します……」
唐突に訪れた大崎天火は、構うこと無く部屋の中に入って、一脚だけある簡素な椅子に腰掛ける。随伴して入ってきたマスクの女性と、男性の信徒が天火の側に立った。まるでボディガードのようだ。芙優子達はベッドに腰掛けるよう促された。
「あのね……。今夜は二人にお願いに来たんだ……」
「その前に、その人、小峰天奈さんっすよね?」
「あぅ……」
話を遮られた天火が呻く。
特徴的なアイメイクが無いのですぐに気付けなかったが、そう言われると見覚えがあるような気がする。
「やっぱりアサヒちゃんは鋭い☆」
そう言って女性がマスクを脱ぐと、天火とそっくりな顔が現れた。
「っ!?」
芙優子は驚いて声にならない声を上げる。
「やっぱり天奈さんが、もうひとりの天火さんだったんすね。お化粧のせいで確信持てなかったっすけど、パンフレットで天火さんの顔を見たときから、なんか似てるなぁって思ってたんすよね~」
「えへへっ、バレちゃってたかー」
おどけたようにペロッと舌を出す。
「さっきは怖がらせちゃってごめんね☆驚いてるかもしれないけど、危害を加えるつもりはないよ。外出はできないけれど、室内の設備は自由に使っていいし。少しの間のんびりしててほしいなー」
天奈は笑顔で軟禁を宣言する。芙優子は後頭部の痛みを訴えたかったが、飲み込んだ。言いたいことや聞きたいことは山ほどあるが、とりあえず相手の要求から聞くことにした。
「あのぉ、お願いってなんですか?」
「そ、そう……。天火、黛さんと芹沢さんに、天火教のタレントになってほしいんだ……」
天火の提案に、芙優子は唖然とする。
「それって、引き抜きってことっすか?」
アサヒの質問に、話を引き継いだ天奈が答えた。
「そう!二人がアイドルなのは調べさせてもらったよ。二人ともかわいいから、もしかしたらと思ったけど、やっぱりだった!天奈達が芸能事業もやってるのは知ってる?テレビやラジオに番組持ってるし、最近は配信チャンネルも開設したんだー。今後は更に拡大していくつもりだよ☆」
昼間、ハヅキに聞いていた通りだ。
「だから今、天奈達は新しい所属タレントを募集してて、フユちゃんとアサヒちゃんに是非来てほしいの。所属してもらえたら、うちのタレントとして天火教のイベントや、持ち番組に出てもらうつもり。アイドル活動もこれまで通り続けてもらって構わないし、できる限りのサポートをするよー。仕事の規模だって報酬だって、今の事務所よりずっと良いはず。キャリアプランとして悪くないと思うし、前向きに検討してみてほしいな☆」
喫茶店で芸能の話題が出たときに感じた嫌な予感が、最悪の形で現れてしまった。
天火教に移籍すれば報酬も知名度も今より高まるかもしれないが、インチキ宗教とセットの知名度だ。アイドル活動を続けても良いと言われても、芙優子が望むアイドルにはなれそうもない。そもそも、詐欺どころか拉致監禁を躊躇なく行うような、犯罪組織の片棒を担ぎたくなかった。
「芽依ちゃんはどうなるっすか?」
「ユニットメンバーの和泉芽依ちゃんのことだよね。もちろん一緒に来てくれたら大歓迎だよ☆」
天奈の口ぶりからすると、とりあえず芽依にはまだ危害が及んでいないようだ。こんなことになるとは思ってもいなかったが、先に帰らせておいて本当に良かった。
「もし断った場合って、どうなるんですか?」
「うーん、フユちゃんはここから出たくないの?」
ここまでしてやすやすと解放してくれることを期待していたわけではない。しかし、今の一言で腹は決まった。
「あのぉ、返事はちょっと待って頂いても大丈夫ですか?大きな話ですし、落ち着いて二人だけでじっくり話し合いたいんです」
「うん、いいよ!ゆっくり相談して。でも、もし天奈達のやってることが何か引っかかってるんだったら、こう考えてみてほしいな。嘘を本当にする。それってアイドルと一緒だよね。再臨会だって、アイドルのステージみたいだったでしょ?
天奈は何のてらいもなくうそぶく。これまでも芙優子は内心苛立っていたが、この言葉は決定的だった。アイドルは嘘を本当にする。それは芙優子が人一倍理解していることだ。しかしそれは自分を押し上げ、ファンに夢を見せるための魔法だ。決して宗教詐欺の言い訳などではない。ポリシーを馬鹿にされた芙優子は、声に出さず唇だけ小さく動かして堪えきれない怒りを吐き出した。
「いつかバチが当たるわよ」
相手に伝えるつもりはなかった。話し合いの時間を認めた天火達は、既に部屋を退出しようとしている。去り際に天火はこう言い残した。
「数日、待つね……。良い返事が聞けると、うれしい、な……。それと」
「
*
時を遡ること数時間。芙優子達と別れ、家に帰った芽依は、自室で一人落ち着かない時間を過ごしていた。
空いた時間で、今度出演する番組の事前アンケートでも書こうかと思っていたが、芙優子達を二人だけで行かせてしまったことが気になって全く手が付かない。ばーちゃんは日頃から「文字には不思議な力がある」と言っていた。もしそれが本当なら、あの「火」の文字は安火シアターにどんな力を与えているのだろう。願わくば、芙優子とアサヒを害するような力でないと良いのだが――。
このまま一人でいても、不安が募るばかりだ。芽依は一向に進まないアンケートに見切りをつけて、気分転換に居間に降りることした。居間では、弟が床に半紙を広げて書道の宿題をしている。弟が小学校に上る前に書道教室は閉じてしまったから、弟は教室に通えなかった。それでも書道の宿題が出た際は、都度芽依が指導しているので、同学年では達筆な方だろう。弟は、降りてきた姉を気にも止めず半紙に向き合っていた。
「よし。うちもやるか」
弟の集中する姿を目にした芽依は、自身も筆を執ることにした。墨と筆に集中すれば、落ち着かないこの気持ちを、多少なりとも鎮められるかもしれない。芽依が準備に動こうとしたそのとき、どこからか隙間風が吹いて弟が既に書き終えた半紙が部屋に散らばった。
部屋に散らばった半紙の中から三枚――「松葉百合」の「百合」と、「閃乱カグラ」の「乱」、「県警対組織暴力」の「暴」が偶然に重なって「百合乱暴」という文字を作っている。
芽依は顔を赤らめ、弟の目に入らぬうちに急いで片付けた――。
*
天火達が去り、二人きりなった部屋で、芙優子とアサヒは今後の方針について相談していた。
「話し合いって言ったけど、芙優子ちゃんは移籍する気あるんすか?わたしは気が進まないっすけど、芙優子ちゃんが移籍するなら、う~ん……」
「行くわけないでしょ。話し合いなんて時間稼ぎのためのデマカセよ。少しでも時間稼いで、芽依が警察呼んで助けに来てくれるのを待つのよ」
芽依ならフユ達と連絡が取れなくなったら、すぐに行動してくれる筈だ。何日も行方不明のままなら、プロダクションや警察だって本気になるだろう。こんな強引な拉致監禁を、いつまでも続けられる訳がないのだ。
「救助を待つより、さっさと逃げちゃう方がよくないっすか。わたし早く帰りたいっす」
そもそもあんたが最初に来たいって言ったんじゃない――話が逸れるから口には出さなかったが、芙優子は心の中で独りごちた。
「さっきまでは何されるか分からなかったし、あんたの言う通り強引にでも逃げ出すつもりだったわよ。でも、少なくともすぐに殺されたりはしなさそうだから、待つことにしたの」
「殺されないのは、わたし達に移籍してほしいからっすよね」
「そうよ。それに「出たくないの?」って脅されたでしょ。暴力じゃなくて軟禁の継続を脅しに使ってきたってことは、とりあえずすぐには暴力を交渉材料にするつもりはないのよ。多分。このホテルみたいな部屋に数日軟禁してれば、フユ達が根負けして首を縦に振ると思ってるのね。舐められたもんだわ」
「なるほど~」
相手が甘く見ているのなら、それを最大限利用するまでだ。
「数日間待ってもらえるのなら、その間に助けが来るかもしれないじゃない。周りの状況が全く分からない中で強引に逃げ出すより、リスクが低いわ」
「数日中に救助が来なかったらどうするっすか?」
「この部屋に立てこもるでも何でもして時間を稼ぐの。それでもダメなら、あんたはここでフユと死ぬのよ……」
天火教のアイドルなんて、死んでも御免だ。
「分かったっす。でもわたしはこんなところで死ぬつもりはないっすよ」
「……それでいいわ。兎に角、一旦休憩しましょ。イベント多すぎでもう限界」
思えば今日は一日中動きっぱなしだ。午前の下見が遠い昔に思える。実際、この部屋には時計が無いし、スマホも取り上げられてしまったから本当に何時間経っているか分からない。外の風景は見えないが、再臨会の時点で既に夕方だったので、夜なのは間違いない。昼食からは随分時間が経っている。この部屋で立てこもるにしても、食事は摂っておいた方が良いだろう。
芙優子は冷蔵庫の扉を開いた。中にはソフトドリンクと数日分の食材が入っている。天火達が来る前に食材を確認していたからこそ、助けを待つ選択肢を選んだのだ。部屋の設備といい、妙に気が利いているのは交渉相手として歓待しているつもりなのだろうか。そうであれば、毒入りということは無いだろう。
「卵かけご飯食べるけど、あんたも食べるでしょ?」
インスタントの白米に、生卵をかけるだけの質素な食事である。疲労困憊の芙優子には、料理を作る気力も無かった。
「食べるっす!あ、でもここにあるお菓子も食べていいっすか」
煎餅のようなスナックの袋が、デスクの上に置いてあるのは知っていた。こういうところは、なんだかビジネスホテルというより旅館のようだ。
「勝手にしなさい」
パカリ。温めた白米の上で生卵を割る。真っ二つに綺麗に割れた殻の間から、つるりと滑るように中身が落ちてくる。白米の上に落ちたのは、不自然なほど鮮やかなピンク色の卵だ。ぎょっとした芙優子が卵の入っていたパックを確認すると「愛真水で育った鶏の霊気たっぷり☆奇跡の卵」と書いてある。その瞬間、芙優子の気力は完全に尽きた。
「はああぁぁぁ」
長いため息が漏れる。今日一日、振り回されっぱなしの踏んだり蹴ったりで、ようやく少し休憩できると思ったら、なんでこんな不気味な卵が現れるのか。フユが何をしたというのか。精神的にも肉体的にも参っているときに、こんな怪しい卵を食べたくはない。せめて白米の上に直接落とさなければ良かった……。気力が尽きて固まっている芙優子を、脳天気そうな声が刺激する。
「どうしたんすか芙優子ちゃん。なんかのモンスターみたいっすよ?」
「うるっさいわね!あんたのせいで生まれたモンスターよ……!」
それは完全に八つ当たりであったが、口に出してみるとけだし正解のように思えた。思い返せばこんなことになったのも、そもそもアサヒが変な建物に行こうとしたのがきっかけだった。これまでこいつの無軌道な好奇心に振り回されて、何度面倒事に巻き込まれたことか。今日だって、本当なら今頃は茨城の自宅に帰り、充実した一日を終えてベッドで安らかに眠っている筈であったのだ。
「――そうっすね。芙優子ちゃんはモンスターっす」
「ざっけ……、ん!?」
完全に噴火しかけていた芙優子の怒りは、すんでのところで抑えられた。いつの間にか側に近づいていたアサヒが、唐突に背後から抱きついてきたのだ。
「気になるっす」
アサヒの脈絡ない行動に、芙優子はなんとなく声を潜める。
「気になるって何よ?」
早速、この場所や脱出に関わる何かに気づいたのだろうか。アサヒの観察眼なら有り得ることだ。
「気になるっす。芙優子ちゃんのことが」
「はぁ?」
「芙優子ちゃんはわたしの気持ちを掴んで放さないモンスターっす」
何言ってんのあんた?
アサヒの様子がおかしい。普段からおかしいところのある奴ではあるが、今は状況が状況だ。さっきまで落ち着いて見えたが、実はアサヒも内面的には限界だったのだろうか。よく考えればまだ中学生だし、異常な事態に不安が募るのも無理はない。先ほどはつい八つ当たりをしてしまったが、本来は年上でありユニットのリーダーであるフユが支えになるべきなのだ。気を引き締め直した芙優子は、アサヒを安心させるためになるべく優しい声で調子を聞く。
「どうしたの?怖くなった?」
抱きついていたアサヒの手が動く。一瞬、離れるのかと思った芙優子の予想を裏切って、自由になったアサヒの手は芙優子の下半身をゆっくりと確かめるように撫で始めた。
「芙優子ちゃんって、良い体してるっすよね……」
「はぁ!?」
「おっぱいは小さいけど、お尻もふとももも大きくて大人っぽいっす。おっぱいは小さいけど……」
「何言ってんのあんた!?」
アサヒの手が体の前面に伸びてきそうな気配を察して、全力で引き剥がそうとする。抵抗を受けたアサヒも力づくで抱きしめようとするので、二人はバランスを崩し床に倒れた。
「あんたおかしいわよ!?落ち着きなさい!」
「嫌っす!芙優子ちゃん、ちゅーするっす!ちゅー!」
二人は組み合ったまま、床を転がり回る。いくらアサヒの身体能力が優れているといっても、身長も体重も芙優子の方が上だ。全力で抵抗すればアサヒを吹っ飛ばすことができるだろう。しかしそのときはアサヒに怪我をさせてしまうかもしれない。軟禁されているこの状況で、仲間が怪我をしてしまうのは如何にも不味い。
しかし。
我が貞操と比ぶれば、やむなし。
覚悟を決めた芙優子が、アサヒが称えたふとももに力を込め、全力のキックを放とうとした直前。外からしか開かないドアが再び開かれ、ローブ姿の女性が部屋の中に駆け込んできた。
「あのっ、落ち着いて下さい!味方です!助けに来ました!」
必死に訴えかけるその女性は、長い髪を緩く編んだ特徴的な髪型をしていた。顔といい髪型といい、ハヅキから送られた写真で見た通りの姿が目の前にあった。
桑山千由紀が現れた。
*
突如現れた桑山千由紀は、目が合った芙優子にこくりと頷く。初対面の千由紀にアイコンタクトをされても意図が全く分からない芙優子を余所に、千由紀は背後からアサヒに組み付くと、瞬く間に持参したタオルで両手を縛り付けてしまった。慣れた手付きで同様に両足も縛り付けると、もぞもぞするアサヒをベッドに寝転がせる。
「ごめんなさい。すぐに落ち着くから、ちょっとだけ我慢してね……」
「ちゅー……」
ベッドの上で身動きの取れないアサヒは、芙優子に恨めしげな目を向けている。千由紀は芙優子に向き直って言った。
「アサヒさんは、催淫作用のある生薬が含まれたお菓子を食べて、一時的に興奮してしまっているんです。大丈夫です。食べたのが少量ですから、すぐに落ち着くと思います」
「……あんたは誰。これは、一体どうなってんの」
まずは、味方と名乗った目の前の女性の正体を確認したかった。そこを確かめないことには、アサヒの具合に関する言葉も信じられない。
「私、桑山千由紀といいます。ここはセックスしないと出られない部屋なんです。お二人は、天火教の罠に嵌められてシャブギメレズセックスをさせられるところだったんです」
「しゃ……」
頭が痛くなりそうなワードに、芙優子は唖然とする。しかし、説明する千由紀の顔は大真面目だ。
「お二人のことは存じております。私は、この部屋に仕掛けられた隠しカメラの映像を監視する役目を任されていました。お二人が脱走や自傷を行わないか、ちゃんとシャブギメレズセックスするか監視する役目です」
「どこにあんのよ」
隠しカメラの存在は芙優子も案じていたが、見つけられなかったので保留にしていた。案じていたが、「ある」と断言されると、やはり気分が悪い。
「カメラは、エアコンと火災報知器に仕掛けてあります。監視役のシフトは一人なので、今は誰も見てませんし、録画も切ってあるので安心してください」
「録画って……」
「天火教は、催淫作用のある食品を食べて行為に及ぶ様子を録画して、それを材料に移籍と口止めを迫るつもりだったんです」
天火が、数日間の猶予を与えた理由が分かった。芙優子は猶予を引き出したつもりだったが、逆に与えられていたのだ。もし、中学生のアサヒと行為に及んでしまえば、単なるスキャンダルというだけでなく淫行条例に引っかかる。脅迫材料としては、十二分だ。
「催淫作用を引き起こす生薬は、敷地内に咲く特別な薔薇から抽出されるものです。薬には催淫作用だけでなく、気持ちを高揚させる作用も有り、天火教が提供するローズティーや再臨会で焚かれているお香にも使われています。天火達は、この薬で信徒を操っているんです」
再臨会の事前説明で、ローズティーを飲んでしまったことを思い出した。あのときから、罠は仕掛けられていたのだ。再臨会で天火がやけに魅力的に見えたのも、本人の美貌以上に薬の作用が効いていたのかもしれない。逆にアサヒは飲まなかったからこそ、あの場で冷静にトリックを見抜けたのだ。そのアサヒは高揚が切れたのか、ぼけっとした目でうとうとしている。
「ある人は優しい言葉にたぶらかされて。ある人は再臨会のトリックに騙されて。ある人はセックスを隠し撮りされて。全ては、天火達の言いなりになる人を増やすための、十重二十重に仕掛けられた罠なんです。メディア業界への進出も、以前に似たような方法で業界関係者を信徒にしたことがきっかけだと聞いています。天火教は、そうやって拡大してきたんです」
堰を切ったように、千由紀は天火教の暗部を次々と暴露していく。その声には、怒りとも悲しみともつかない重い感情がこもっていた。
「あんたも脅迫されてたの?そもそもフユ達は、七草ハヅキに頼まれてあんたを探しに来たの」
「そうですか、ハヅキが……。巻き込んでしまってごめんなさい。確かに私は脅迫されていました。けど、信徒を続けていたのは自分の意思なんです」
「はぁ?どういうことよ」
「私、天火ちゃん達を止めようとしてたんです――ちょっと長くなるけど、聞いてもらえますか?」
芙優子は頷くしかなかった。千由紀の態度には誠意を感じる。先ほどの暴露内容も、実際に千由紀が見聞きした通りなのだろう。しかし、そうなると逆に一介の信徒にしては事情通過ぎるようにも思える。それに信徒になった経緯と、裏切った経緯もまだ聞けていない。やはり結局の所、千由紀を信用する為には、千由紀の事情を知る必要があった。
「一年前にハヅキと別れてすぐ、私は勤めていた雑貨店の常連だったお客さんの紹介で天火教に入信しました――あの頃は精神的にとても不安定で、安心できる居場所が欲しかったんです。ところで、お二人も嵌められそうになった天火教のハニートラップは臨機応変で、ターゲットが一人なら内部の人間をあてがうこともあるんです。入信後のある日、私は教祖の部屋に招待されました。部屋には当時未成年だった天火と天奈がいて、何も知らない私は薦められるままにお茶請けを口にしてしまい――その後は、ご想像の通りです」
「はぁ……。なるほど」
自ら信徒になろうとする者を、罠に嵌める必要は無い。しかし、芙優子はその理由が分かるような気がした。千由紀の、ゆったりとしたローブの上からでも分かる豊かな曲線は、若く旺盛な姉妹にとっては垂涎の的だろう。千由紀がこの部屋に来たときに、おかしくなっていたのがアサヒだけで良かった。フユも何か食べておかしくなっていたら、アサヒだけでなく千由紀とも間違いを犯してしまっていたかもしれない。
「なるほど、ってどういうことっすか芙優子ちゃん?ねえ、どういうことなんすか?」
いつの間にか目を覚ましたアサヒの質問を、芙優子は無視する。こいつ、本当に薬が抜けているんだろうか……。
「それから、私は催淫生薬の加工管理や霊感商法の手配など、天火教の違法行為に従事させられるようになりました。既に未成年とのシャブギメレズセックスビデオを撮られて断ることができなかった私は、命令されるがままに犯罪に加担しました――」
千由紀は話しながら悔いるように顔を俯かせる。千由紀に助けられなければ、芙優子達も同じような目にあっていただろう。千由紀を責めることはできない。
「罪をバラされない為に罪を重ねる日々から抜け出せなくなっていた私に、天火達姉妹は何度も関係を迫ってきました。最初は恐怖ばかりでしたが、あるとき古参の信徒から天火教の成り立ちを聞いたんです。話によると、天火教は天火達の両親が始めた小さな新興宗教だったそうです。その頃は、今のような悪質さとは無縁だったようですが――数年前に両親が若くして亡くなってしまい、後を継いだ姉妹に、宗教ビジネスを始めようとしていた半グレ集団が手を貸したことが転機でした。当時の姉妹に教団運営のノウハウがある筈も無く、かといって他に食べていく当てもありません。必然的に半グレ集団と繋がった天火教は、違法行為によって大成長を果たしました。再臨会でお二人を追いかけた信徒の中にも、荒事用の半グレが紛れていたと思います」
えっ――千由紀が、さらっと怖いことを言う。
「古参の信徒からこの話を聞いて、私は決心しました。淫行条例に触れる行為は、私の罪です。いくらキメていたとはいえ、思いつく限りの変態行為を未成年の体に刻み込んでしまいました。この罪は受け入れなければなりません」
この清純そうな女性を、そこまで変貌させた薬の作用に芙優子は震えた。危険ドラッグ、ダメ。ゼッタイ。
「けれど、天火と天奈の二人は、この道しか選べなかった可哀想な子どもなんです。私はどうにか二人を説得して、真っ当な道に戻してあげたいと考えました。やってきたことを考えれば処罰は重いでしょうけれど、罪を認めて自分から出頭すれば、多少は軽減される筈です。姉妹を説得するために、私は自分の意志で今日まで信徒を続けていたんです」
甘い考えだ。姉妹の恐ろしい罠に嵌められかけた芙優子には、到底共感できない考えだった。しかし、千由紀と姉妹が過ごした時間の中には、当事者達にしか分からない感情が確かに交わされたのだろう。それを知らない芙優子が、軽率に千由紀を否定することは躊躇われた。今は聞くべきことだけを聞こう。
「ハヅキの面会を断ったのはどうして?」
「過ちを犯してしまった私は、合わせる顔がありませんし――ハヅキの為にも天火教に巻き込むわけにはいきませんでした。でも、それが結果的にあなた達を巻き込んでしまって――本当に申し訳有りません」
千由紀が再び頭を下げる。
「まぁ、いいわよ。助けに来てもらえたしね。それよりも天火達のことだけど、説得できるような相手なの?フユには、そう見えなかったけれど」
「説得と言っても、告発できる証拠を突きつけて、自首を迫ることしか素人の私には思いつきませんでした。姉妹に気に入られていた私は、証拠を集める為に自分から姉妹に取り入って監視役を任されました。そうして、姉妹や他の監視役の目を盗んで告発の証拠を集める日々の中で、あなた達を見てしまったんです。淫行条例シャブギメレズセックスの罠に嵌められかけていたあなた達の姿は、自分の姿に重なりました。私はもう罪を重ねてしまいましたが、あなた達ならまだ助けられる――過去の自分を救う気持ちで、監視室から走ってきたんです」
先ほどまで陰りを帯びていた千由紀の目に、かすかな決意の光が灯る。告白した過去に後悔は多けれど、今助けに来たことに後悔は無さそうだ。芙優子は、ようやく完全に千由紀を信じることに決めた。
「フユ達を助けちゃって、あんたは大丈夫なの?」
信じると決めた途端に、千由紀のことが心配になってきた芙優子は思わず聞いた。これまでの話を聞くに、千由紀は意外と後先のことを考えずに危険な橋を渡るタイプのようだ。フユ達を助けに来たのも、突発的な行動だったようだが、大丈夫なのだろうか。
芙優子の心配を見抜いた千由紀は、嬉しそうに初めて微笑んだ。
「ふふっ、ダメだと思います。こうなったら仕方が有りません。今から一緒に脱走しましょう」
*
千由紀から脱走の計画を聞いた芙優子とアサヒは、すぐに行動を開始した。当然、アサヒを縛るタオルはほどいてある。アサヒは「わたしは正気に戻ったっす!」と言っているが、なんとなく芙優子を見る目つきに、じめっとした質感が残っているような気がする。とはいえ、言うことを聞かずに暴れるような様子は無いため、大丈夫と判断して逃げ出すことにした。
内側から開かない部屋の扉は、千由紀がドアノブ付近にカードを近づけると無音でロックが外れた。見た目では分からないが、どうやら扉の内部に仕込まれたカードリーダーが、ICカードキーに反応してロックを掛けているようだ。
静かに部屋を抜け出した三人は、階段を上り屋外を目指す。軟禁部屋で目覚めたときは、気絶している間に人里離れた隠れ家まで運ばれたかとも思ったが、千由紀から真実を聞いてみれば、なんてことはない。軟禁部屋は、安火シアターと同じ総本山敷地内に立つ信徒寮の地下にあったのだ。総本山の外は、郊外とはいえ普通に人が暮らす開かれた街だ。敷地の外に出さえすれば、いくらでも逃げようはある。監禁と監視が外れた今、ゴールは目前だった。
寮の外に出た芙優子は、開けた夜空を見てなんとも言えない開放感を覚えた。監禁されていたのは半日未満の筈だが、なんだか久しぶりに外に出た気がする。外は暗く、敷地内の明かりも少ないが、月光のおかげで迷うことは無さそうだ。月は既に西に落ちかけており、もうすぐ夜が明けるだろう。
*
安火シアターを過ぎて正門の近くまで来たところで、芙優子達を遮るように暗闇から数人の影が現れた。天火と取り巻きの信徒達だ。暗くてよく見えないが、信徒の中に体格の良い者がいる。軟禁部屋に来た天火のボディガードだ――もしかしたら、こいつも半グレなのかもしれない。
「にへへ……天火からは逃げられないよ……」
天火が、逃げ損ねた芙優子達を嘲笑う。
「部屋の扉が内側から開けられると、天奈に通知が来るようになってるんだよね☆」
天奈の声も聞こえる。どうやら取り巻きの中に、マスクを被った天奈が紛れているようだ。脱走阻止を確信する姉妹に対して、芙優子は負けじと叫んだ。
「観念しなさい!あんた達のやってることは、全部まるっとお見通しよ!」
「全部千由紀さんに聞いただけじゃないっすか?」
「るっさいわね。良いところなんだから、茶々入れんじゃないわよ」
「観念するのはフユちゃん達の方じゃないかな?もう逃げられないよー☆」
天奈が手で合図を出すと、取り巻きが芙優子達を捕まえようとにじり寄ってくる。アサヒが構えるも、今回は不意打ちも通用しない。これでは軟禁部屋に逆戻りだ。
「……ねえ、どうして私達を置いていってしまったの?」
取り巻きの奥で、天火がふっと呟いた。声を聞いた千由紀が、悲壮な顔で何かを言おうと口を開いた瞬間、ボン!と何かが破裂するような音が轟いた。芙優子達が振り返ると、無人の安火シアターの窓から煙が上がっている。千由紀が考えた作戦の一つだ――寮を出てすぐ、千由紀が裏口から安火シアターに侵入して中に火を放ったのである。破裂音は室内の備品が炎で壊れた音だろうか。芙優子は天火達に告げる。
「形勢逆転ね。これだけ煙が出れば直に消防車が来るわ。立ち入られたら詐欺の証拠だって見つかっちゃうんじゃない?」
「天火ちゃん、天奈ちゃん。もう、やめにしよう……」
「ダメだよ、千由紀さん……。天奈達にはこれしかないの」
答える天奈の声からは、もう取り繕ったような明るさが失われていた。天奈達を助けるように、寮から続々と信徒達が駆けつけてくる。火災に気づいた寮住まいの信徒達が、外に出てきたのだ。
「あいつらを捕まえて!放火犯です!」
天奈が芙優子達を指差して、新たに来た信徒に指示を出す。しかし、天奈の意に反して信徒はすぐに動かず、代わりに不安そうな顔で天奈に尋ねた。
「天火様は、大天使ルシフェルの生まれ変わりじゃなかったんですか……?」
「えっ?」
「この映像は本当なのか、教えて下さい!」
そう言って信徒が差し出したスマホの画面には、軟禁部屋での芙優子達と天火達の会話映像が映されていた。映像にはマスクを脱いで天火と瓜二つの顔を現す天奈と、自分達の行いを嘘と称する言葉がはっきりと記録されている。
これがもう一つの作戦だった。千由紀は監視役として記録した映像を、半グレではないと判断した信徒のもとに一斉送信したのだ。万が一封殺される場合に備えて、念の為動画サイトにもアップしてある。姉妹の説得を断念した千由紀は、芙優子達の救出と同時に天火教の息の根を完全に止めるつもりだった。
信仰を揺るがす映像を見た信徒達が、半狂乱になって姉妹に押し寄せる。
「再臨会も嘘だったんですか!?」
「愛真水の霊気は本物なんですよね?父の病気はこれで治るんですよね!?」
「こんな思いをするのなら花や草に生まれたかった……」
芙優子達が最初に来たときにハヅキの対応をしていた眼鏡に髭の信徒もいる。騒動は既に収拾がつけられそうにない。その間も安火シアターの炎はどんどん大きくなっていった。消防車はまだ来ない。
「放火犯の作った映像を信じないで!天火様は大天使の生まれ変わりなの!この腐敗した世界に堕とされた神の子どもなんだよ!」
天奈が声を張り上げて叫ぶが、信徒達の混乱は収まらない。それほどまでに、千由紀が流出させた映像は致命的だった。その後ろで黙って様子を見ていた天火は、何かを決心したようにすっと天奈の横に立ち、信徒に呼びかけた。
「奇跡は、本当にあるんだよ……。なーちゃん、もう一度見せよう。天火達の再臨を……」
「天火ちゃん……」
「天火達は、聖なる炎と祈りの光でもう一度再臨します……。みんな、祈ってください……。これが、奇跡の証明でしゅ!」
天奈が勢いよくマスクを脱ぐと、映像通りの素顔を見た信徒からどよめきの声が上がる。天火と天奈は顔を見合わせて微笑むと、手を繋いで一直線に燃え盛る安火シアターに駆け込んで行った。
「待って!!」
叫ぶと同時に、走り出して追いかけようとする千由紀を、芙優子が捕まえて止める。
「バカっ!なにしてんのよ!あんたまで死ぬ気!?」
「離して!助けないと!天火ちゃんと天奈ちゃんが死んじゃう!」
「間に合わないっすよ!危ないっす!」
アサヒも一緒になって、手を振りほどこうともがく千由紀を抑えつける。
誰も入ってこれない安火シアターの中で、二人だけの姉妹はステージの真ん中に腰を下ろしていた。中は火と煙が充満しており、入ってきた扉も既にステージからは見えなかった。
「なーちゃん、ごめんね……。天火、うまく天使様できなかった……」
「いいんだよ。天火ちゃんはずーっと、天奈の天使様なんだから☆」
「にへへ……」
燃え盛る炎が二人を包む。円形の安火シアターが燃える様子は、まるで聖火台に灯された炎のようだ。
「天火ちゃーん!!天奈ちゃーん!!」
天火教世界総本山に、千由紀の叫びが響きわたった。
*
十数分後、ようやく消防車が到着し、追って警察も到着した。安火シアターはまだ燃え続けているが、放水が始まったしいずれ火も収まるだろう。教祖を失った信徒達は――呆然とする者、泣き崩れる者、天火に言われた通りに祈り続けている者――まだ混乱している様子だ。芙優子は、本当に正しいことをしたのか、少し分からなくなった。軟禁から脱走し、天火教の悪事を止めるにしても、もっと良い手段があったのではないだろうか。
「あの子達は私に体を委ねてくれたけど、最期まで心を委ねてはくれませんでした……」
寂しげに漏らす千由紀の言葉にも、かける言葉が思いつかない。
立ち尽くす芙優子の顔に、すっと白い光が差す。夜が明けたのだ。建物の間から少しずつ顔を見せる朝日に目を向けると、道の向こうから芽依とハヅキがやって来るのが見えた。二人は帰らない芙優子とアサヒを心配して、向かいの喫茶店で夜通し待っていたのであり、消防車とパトカーが集まるのを見て慌てて駆けつけたのだと言う。
迎えに来てくれた二人の姿を見て、芙優子は確信した――フユ達は正しいことをしたのだ。心配と安堵で泣きじゃくる芽依をアサヒと一緒に抱きしめながら、芙優子は無事に帰れたことを心の底から喜んだ。視界の隅に、お互い目に涙を浮かべながら抱きしめ合うハヅキと千由紀の姿が見える。奇跡を暴いた身で矛盾するとしても、芙優子は二人の行く末を祈らずにはいられなかった。
*
迎えに来たプロデューサーの車に乗り込む際に、芽依は最後にもう一度安火シアターを振り返った。芽依が来たとき、安火シアターは赤く大きな炎となって轟々と燃えていた。まるで安火シアターが、その身を以て火の文字を体現したかのようだ。
芽依は、またばーちゃんのことを思い出した。若い頃に巫女だったというばーちゃんは、時折少し先の未来を言い当てるようなことがあった。もしかしたら、ばーちゃんは文字を贈ったときから、こうなることを予見していたのではないだろうか。
文字のレリーフは焼失してしまった。安火シアターは色々なものを飲み込んで、全て火に変えてしまった。芽依は車に乗り込んでからも、離れて見えなくなるまで、煙を上げる安火シアターを見つめ続けた。
*
車の中で、芙優子は天火の最期の言葉を思い返していた。「奇跡は本当にある」――芙優子はその言葉が妙に引っかかっていた。天火教の再臨会は、アサヒが見抜いた通りのインチキだった。思えばアサヒは不思議な出来事に遭遇することが多い。夏の離島。クリスマスのリレー。寮の幽霊。これなら、そこらのエセ霊能力者よりアサヒの方がよっぽど、とまで考えたところでかぶりをふった。
「まさかね」
フユ達ストレイライトのコンセプトイメージはサイバーパンク。オカルトは畑違いだ。それよりも今は、日常に帰還できたことを素直に喜ぶとしよう。助手席から後部座席を振り返ると、アサヒと芽依が姉妹のように肩を寄せ合って眠っていた。