「ぐっ......」
揺れる視界を抑えるように頭に手を当て、男は目を覚ます。
「────九郎様!」
男は自身をも気に掛けず、その名を呼び辺りを見回す。
しかし男の探し人は、すぐ隣に寝転んでいた。
「......」
「九郎様......九郎様......ッ!」
「......狼、か?」
「左様にございます......」
九郎が目を覚ましたのを確認して、狼はやっと自分の置かれた状況を確認する。
腰には彼とともにいくつもの死線を越えた刀、楔丸。
背中には“死なぬ者”さえ殺すことのできる、不死斬りの大太刀“拝涙”。
左腕の忍義手、瓢箪や丸薬、形代などの道具も確かに失われていない。
しかし、大きく変わったことがひとつ。
「狼よ......ここは......?」
「......わかりませぬ。」
狼はつい先程まで戦火舞う薄野原すすきのはらにて、剣聖と恐れられた国盗り衆の長との死闘を制したはずだったのだ。
「────しかし、ここが葦名の国でないことは、確かかと。」
鼻をくすぐるは燃える戦火や血腥ちなまぐささを感じさせない青い木の葉の香り。
聞こえるは風に揺れる木々のざわめきと、小鳥の囀り。怒号や悲鳴、火縄銃の音などどこにもない。
見えるは雲ひとつ無い青空と、かの寺を思わせる森に囲まれた階段とその先の鳥居。しかし不死の煩悩にまみれた僧が巣食う
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古くより続く特別な力を持つ“竜胤りゅういんの血”。その血を引く一族の末裔である九郎は、陥落間際の国盗り衆に目をつけられ、囚われた過去がある。
九郎の従者である狼は見事九郎を助け出したのだが、九郎は自身の持つ竜胤の力は
二人の努力は実り、竜胤の血を断つ儀 “竜胤断ち” の方法を見つけ出した。城のように大きな竜から拝受した涙を九郎が呑み、ある寺の御子より託された秘匿の大太刀“不死斬り”を、狼が九郎の胸に突き立てようとしたその時だった。
天からの光がひとすじ、振り上げた不死斬りに打ちつけられたところで────二人の記憶は途絶えていた。
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「記憶に残る最後の光...あれは多分、一心殿の呼び寄せた雷雲から落ちたものであろう。ということは、ここは黄泉の国...?」
一心とは、その国盗り衆の長だ。
剣聖の名を持ちながらも雷を操るという異端の技も使いこなす、まさしく強敵であった。
「しかし......まだ、確かに、死んでおりませぬ。」
狼は自身の身体を巡る“力”を感じ、まだ生きていることを悟る。
「そうか。
......んぅっ」
ふらつきながらも立ち上がる九郎に手を貸す狼。
「まずは、誰か他の人間を探そう。
そこの鳥居をくぐれば、僧や宮司と会えるはずだ。」
「......御意。」
するりと、刀を抜く。
九郎を守るように一歩前を歩く狼は察していた。
───尋常でない“力”を持った生物が、この地にもいることを。
∽
「────ふふ。」
鳥居を目指して歩いていると、九郎が微笑みをこぼす。
「......如何されました?」
「いや、なんというか、不思議な気分だ。」
「......不思議、というと。」
「こうして二人で歩くのは、久方振りであろう?
おそらく葦名ではない地に迷い込んでしまった不安もある。しかし、何故か......少しだけ浮ついてしまう。」
微笑みながら、しかしどこか哀愁を感じさせる複雑な表情を浮かべる九郎。
「狼よ、そなたはどう思う?」
頬の照りを隠すように、九郎は問う。
「......九郎様に仕える身、御意のままに付き従うまで。」
「御意......か。
いくつもの死線を超えたそなたでも、変わらぬものはあるのだな。」
「......」
九郎とのやりとりに、狼は妙な既視感をおぼえる。
「...さ、着いたか。」
階段を上りきると、少しばかり寂れた神社があった。きっと建てられて長く経つと思われるが、境内には落葉が散らばり、参拝客はほとんど居ないように感じられる。
「む、あの者は......巫女か?」
紅と白を基調にした、なんとも目出度い色の巫女服を纏った少女が一人、縁側に腰掛けていた。
手には湯呑みを持っているが、暖かい陽にあてられながら目を閉じている。
しかし狼は、穏やかな寝顔に合わないびりりとした霊気を感じていた。
「休みを邪魔することになるが......仕方がない。」
一旦刀を納めた狼は、巫女に駆け寄る九郎を追いかける。
二人の足音に気づいたのか、巫女は目を覚ますと湯呑みを置き、訝しげな目で二人を見つめる。
「......御神前では基本抜刀禁止。取って食おうなんて考えてないわ」
「......すまぬ。」
カチンと柄を押し込み、しかし警戒を緩めない狼。
鯉口が切られていた刀を巫女は見ていたのだ。
可憐な容姿の少女だが、この巫女は只者ではない。
「我が忍びが失礼した...私は────」
「────お待ち下さい。」
九郎の言葉を遮る狼。
人に名乗らせる前に自ら名乗るというのが礼儀とはいえ、九郎は竜胤の血を宿しているのだ。一見この巫女が竜胤の力を知っているとは思えないが、油断ならない。
「......巫女よ。」
「霊夢。この博麗神社の巫女、博麗霊夢よ。」
縁側から立ち上がり、ゆっくりこちらへ歩き......二人から少しだけ距離を置いて止まる。珍しいものを見るようなその目は無垢な少女のように透き通り、しかし狼の意図を見透かしているような底冷えした光も放っているようにも見える。
「......博麗の巫女よ。」
「あんたの名前は?」
「......む」
ここはどこだ?と問いかけようとするも、霊夢に名を訊かれる。
───九郎は彼を“狼”と呼んでいるが、幼い頃に両親を喪った彼は、彼自身の正しい名を知らないのだ。
「......」
「たしか忍び......とか言ってたわね。
じゃあ名前がないのかしら?
まあでも、鋭い眼に疑い深い心。」
霊夢は皺が寄った狼の眉間を見ながら立ち上がり、
「古傷だらけの身体......それに
腰と背中の“刀”に臆することなくゆらりと歩み寄り、
「絡繰りでできた左腕。さながら...」
霊夢はふうむと唸り────
────隻狼、と言ったところかしら?」
綺麗な瞳で、“隻狼”をのぞきこむ。
「凄い......巫女様は千里視のお力を───」
一致とまではいかないが、狼と呼んでいることを当てた霊夢に感嘆する九郎。
しかし、それを聞いた霊夢はというとどこか抜けた顔で口を半開きにしていた。
表情から察するに当てずっぽうだったらしいが、それでもかなりの観察眼である。
「......博麗の巫女よ。」
「えっあ、私にかかればこんなもんよっ
......で、狼さん。答えられることならどうぞ?」
「......ここは?」
狼が問うと、霊夢は少し面倒そうに息を吐き、
「......やっぱあんたたち、“外”から来たのね。
────ここは幻想郷。
人間と妖怪が住む、隔離された小さな世界......って言ったところかしら?
ってかあんたたちよくここ神社まで来れたわね」
「......葦名は?」
「アシナ?外の地名かしら?
一応ここは幻想郷の端だけど、帰りたいなら飛ばしてあげる。」
「......頼む。」
狼は迷わず頭を下げる。
しかし霊夢は、眉を顰めて口を開く。
「......本当にいいのね?
見た感じ二人とも生傷だらけじゃない。」
「......む。」
「刀も持ってるし、戦場から迷い込んで神かくしにでも遭ってここに来たんじゃないの?
その子がどんな身分か知らないけど、この幻想郷では何にもとらわれず生きていいの。
それでも戻りたいのなら、何も言わないわ。」
「......」
幻想郷に来る直前のこと......九郎を竜胤ごと断たねばならないことを思い出し、狼はさらに眉間へ皺を寄せる。
外の世界から隔離する結界の守護者──博麗の巫女として、外来人の意志に介入するのはあまり良いことではない。
だがどうしても、狼の眉間の皺と九郎の目がどうしても気にかかり、引き止めたのだ。
「......狼よ、せめてその傷を癒すまで、世話になってはどうだ?」
どんなに固い覚悟を決めたとしても、やはり死への恐怖はどうしても拭いきれない。
狼でさえ、時に、怖気を感じることもあるのだ。
九郎の選択に対し狼は何も考えず、ただ、九郎にこう返した。
「────御意。」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
後書きには補完情報を入れようと思います。
【忍び義手】
葦名の仏師から譲り受けた、忍びの義手。義骨を軸に、様々な絡繰りが仕込まれている。狼は二本の刀と義手に仕込んだ忍具を使い、いくつもの修羅場を乗り越えた。
【形代】
人の心残りが幻出したもの。形代に込められた思念は融通が利く。狼はこれを時にちいさき刃、時に青錆の毒、時に火種へと変換し、忍具の力を引き出している。