ウマ娘短編 作:おぶなむ
「トレーナー君、さ、今日のお薬の時間だよ」
「人を病人みたいに言うの止めない?」
アグネスタキオンが用意した怪しげな液体を、それでもトレーナーは躊躇なく飲んだ。
概ねは彼女の研究に必要な実験であるし、時々ただの趣味が混ざるとしても、それで何らかのストレス発散になっているのであれば、彼としてはそれで良かった。モルモットの鑑。
「で、何の薬なんだ」
「聞く前に飲むあたり、君もキマってきたね。……そうだな、惚れ薬と言ったらどうする?」
「惚れる、の定義によるなぁ」
トレーナーは腕組みをした。
その反応もどうかというところだが、タキオンはいつも通りというようにくつくつと笑った。
「それもそうだ。好きと言っても色々だからね。愛情、親愛、恋慕、憧れや尊敬もそうだろう」
「で、実際は何なんだ?」
「君が七色に光る薬さ」
「マジか」
トレーナーは鏡を見る。
七色に光っていた。
「すごい」
「クラゲの体組織を参考にしてね。君の表皮の屈折率を変えたんだ。ついでに生体電流を使って発光させてみた」
「すごい」
ゲーミングトレーナー。
彼はその後一時間ほど光っていたが、その間に理事長に呼び出された以外は平穏であった。理事長は珍しくマジ笑いをした後、『不覚!』と顔を真っ赤にしていた。
さておき。
トレーナーが発光した、というのはいつものこととして学園ではすぐに忘れ去られたが、一方で妙な噂が一人歩きをした。
曰く、アグネスタキオンが惚れ薬を完成させた、というものだ。
それを耳にした彼女は、単なるガムシロップをそれっぽい瓶に詰めると、『惚れ薬♡』とだけ書いたラベルを貼り、鍵のかからない戸棚にこれみよがしに放置した。
数日後、ふと思い出して戸棚を確認した彼女は、ある瓶がなくなっていることに気づく。
ニヤニヤと笑った彼女の真意は定かではない。
「……」
あるウマ娘が渋面を作っている。
常ならば、その佇まいからは隠しようもない気品が漂うところではあるが、今の彼女――メジロマックイーンは、別の意味で近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
その手にあるのは、某乳酸菌飲料程度の大きさのボトル。
つまり、例の惚れ薬は何者かの手により小分けになり、彼女の手にも渡ったということになる。一体何ルドシップの仕業なんだ……。
(怪しいことこの上ないですが……)
惚れ薬というのは空想の産物であって然るべきで、マックイーンもそれは先刻承知だ。
しかし、出どころが
九割、いや、九割九分九厘、ガセネタ。だが、1%、本物かもしれない。
そう思ってしまった時点で、彼女は思惑にハマってしまったと言える。
「とはいえ、どうしたものでしょうか」
ふっと力を抜き、思わず力が入っていた眉間を揉みほぐしながら、マックイーンは呟く。
律儀に悩んでいるのだから、バラエティに相応しい人材である。
これがエアシャカール辺りなら、問答無用でゴミ箱に直行して話は終わっていただろう。
「中身もよくわからないものを、まさかトレーナーに使うわけにもいきませんし……。ま、万が一にも本物だったら、それこそ一大事ですわ」
ふん、と一人でそっぽを向いてみせるマックイーンだが、内心満更でもない。
ここでゴールドシップでもいれば、『トレーナーに使うって決めてんのかよー』と囃したところだろう。
「そ、そうですわ! 天皇賞に向けてまだまだこれからという時に、何を……でも、トレーナーなら私も吝かでは……」
「俺なら何だって?」
「ほぎゃぁ!?」
メジロ家にあるまじき悲鳴をあげてマックイーンがのけぞる。
その反応に苦笑したのは、彼女の担当であるところのゲーミングトレーナーだ。
「とっとととトレーナー!? い、いつからそこに……」
「いや、何か一人芝居してたから。何を持ってるんだ?」
「うひゃぃ!? ち、違います! これは違う……そう、違うんですの!」
「お、おう」
マックイーンは混乱している。
実際のところ、トレーナーは『私も吝かでは』辺りしか聞こえていないのだが、彼女には知る由もない。
「これは、新しい……新作のドリンクでして、い、今から飲もうとしておりましたの!」
「ふーん。栄養ドリンクか? あんまり怪しげなものは飲んで欲しくないが……」
「だ、大丈夫です!」
よせばいいのに、マックイーンは慌ててそのボトルを開封すると、一気に呷った。
誤魔化すのに必死で頭が回っていないのだが、その中身はガムシロップであって、つまりドロッとした激甘の液体である。
「……けほっ!」
いくら彼女が甘党とはいえ、何の覚悟もないところにこれは咽るしかない。
涙目になりながらも、かろうじてハンカチで口元を抑えたのは矜持の表れだろう。
「あーあー言わんこっちゃない。大丈夫か? ほれ、水だ。口を濯いでこい」
トレーナーがタイミング良く水を持っているのは、単にアグネスタキオンがいつ怪しげな薬を持ってきても大丈夫なように、という備えである。モルモットの鑑。
無言でこくこくと頷いて駆け去るマックイーン。恥ずかしさの余り顔は真っ赤だ。
それを見送りながら、彼は呆れたようにため息をついた。
彼女らウマ娘は、レースでは大人顔負けの気迫を見せるが、中身は年相応というか、レースの裏返しのように幼い面がある。
そのアンバランスさは、あるいは速さ故の脆さという、サラブレッドの持つ危うさを落とし込んだものなのかもしれない。
「やれやれ」
益体もない想像にため息をつき、トレーナーはマックイーンが取り落したボトルを拾った。
ついでにこぼれた液体を拭き取り……彼はその匂いに気づく。
「……ガムシロップ?」
ボトルに残ったそれを指ですくうと、粘度の高い液体が糸を引いた。
「……トレーナー、ご迷惑をおかけしまし、た?」
彼が指についたそれを舐めるのと、マックイーンが戻ってくるのは同時だった。
「とととトレーナー、な、何をなさって……?」
「ああ、中身をちょっとな。もしやと思ったが、単なるガムシロップだな」
後半については、マックイーンの耳には入っていない。
彼女の現在の思考は大変混乱しているので、端的にまとめると次のようになる。
・惚れ薬(?)を飲んでしまった。
・トレーナーの顔を見ると頬が熱くなる。(注:恥ずかしいからと思われる)
・胸がドキドキしている。(注:走ったからである)
・トレーナーも惚れ薬(?)を飲んだ。
・トレーナーの顔も赤い。(注:思い込みである)
「まったく、栄養ドリンクといってガムシロップとはまぁ、悪戯にしてはな。検討はつくが、誰から貰ったとか……マックイーン? どうした?」
「ひゃいっ! わ、私はいつでも!」
「……よくわからんが、マックイーンが混乱しているのはわかった」
「婚姻!?」
「落ち着けー」
普段は冷静なのだが、時々暴走するのがメジロマックイーンというウマ娘だった。
それは秘めた情熱の裏返しで、トレーナーとしては、その感情の猛りがレースで正しく発揮される分には好ましいと思っている。
ただ、このように、頻繁ではないが日常生活でもポンコツになるのが玉に瑕でもあった。
(いや、見方を変えれば、「普段はクールなあの子の意外な一面!」という感じで人気に繋がるか……?)
ウマ娘はアイドルの側面もあるわけで、人気商売という点ではこれも武器になるかもしれない。
今後の課題だな、と一人頷くと、トレーナーはスマホを取り出した。
「……おう、ゴルシか」
暴走したマックイーンへの特効薬兼、今回の重要参考人であった。
「……で、マックイーン君はどうなったんだい?」
「どうもこうも、落ち着いたところで改めて種明かしをして終わりだよ」
赤くなったり白くなったり、怒ったり恐縮したりと、感情豊かなマックイーンは見ものではあった。
その光景を思い出して、トレーナーは微笑む。
「モテる男は辛いねぇ?」
「よく言う。原因を作ったのはタキオンだろう」
「はっはっは。何を言っているかわからないな」
あからさまな態度だが、彼はそれ以上ツッコミは入れなかった。
直接の下手人はゴールドシップだったわけで、タキオンは被害者といえば被害者だったということもある。
ちなみに、惚れ薬改めガムシロップは、エアグルーヴが中心となって回収している。
幸い、殆どはまだゴールドシップの手元に残っていたようで、それ以外も流通先は割れたらしく、大事にはなっていない。
一部のウマ娘がはしゃいだくらいだ。
「しかし、随分とマックイーン君は成績を伸ばしたそうじゃないか」
「まぁ、鬱憤をレースで晴らしているんだろう」
動機はともかく。それを口にはせず、トレーナーは練習場に視線を送る。
普段は先行するマックイーンと、追い込むゴールドシップの姿が見えるところだが、今は逃げるゴールドシップと、それを刺すかのようなマックイーンとなっている。
じゃれ合いのようなものだが、エスカレートしないとも限らないので、そろそろ顔を出すべきだろう。
そう考える彼の隣で、タキオンはどうもタイムを計っていたらしく、驚いたように声をあげた。
「おお、見給えよトレーナー君! マックイーン君のベストラップ、1秒近く縮まっているぞ!」
「マジか」
思わずトレーナーも驚く。
マックイーンほどのウマ娘ともなれば、タイムはそう急激に伸びるものではない。コンマ1秒を削っていくような世界だ。
「少し前から、私は『感情』というものの力を意識していたが……」
目をキラキラと輝かせて、タキオンが思わずというように話している。
「予想以上の成果をマックイーン君は見せてくれたよ!」
「――つまり、わかっててやったんだな。やっぱり」
語るに落ちるとはこのことか。
ジト目で見るトレーナーに、ピンと立っていた彼女の耳が徐々に萎れていく。
「しばらく実験には付き合わんからな」
「えー!?」
策に溺れた策士の悲鳴が学園に響いた。
ガムシロップで咽たのは実体験です。