ウマ娘・人生処方短編集 作:ly
ライスシャワーは、ぼくのように弱者だったのだろうか。
調べてわかったことがある。
彼女は、決して弱いわけではなかった。
あの菊花賞でミホノブルボンから三冠の夢を奪ったのは、金星ではなかったのだ。
ミホノブルボンは長距離に適した脚質ではなかった。大きな身体が先頭を走り続けるには、大きなエネルギーが要る。しかし、その壁を、常軌を逸したトレーニング量と"マスター"への信頼で乗り越えようとしたのだ。
その姿に、人々は夢を見た。
新聞が、ネットが、テレビが、ミホノブルボンに「愚か者には見えない服」を着せたのだ。
誰もが薄々気付いてはいた。
ミホノブルボンは機械の身体を持ったサイボーグではなく、ひとりのウマ娘の少女だった。
菊花賞の距離を走り抜けるのは難しいかもしれない。
もしかすると、負けてしまうかもしれない。
けれども人々はもう、健気に走る少女の虜になっていた。
誰も「王様は裸だ!」とは叫ばない。それを口に出すのは恥ずかしいことで、なにより「裸の王様」は愛されていたからだ。
万人が称えるパレードの中で、愛された王が戴冠するのを待つだけだった。
しかし、菊花賞という王の戴冠式パレードは、ひとりの愚かな少年によって崩されてしまう。
ただひとり、ライスシャワーだけが「王様は裸だ!」と叫んでしまった。
人々の作り上げた夢、無敗の三冠バの誕生という虚構は音を立てて崩れた。
あとには味気ない現実だけが残り、人々は日常の風景の中に帰るしかなくなってしまった。会社のこと、学校のこと、家のこと、明日のこと。夢のような強さを持ったウマ娘はどこにもいないという現実を叩きつけられてしまったのだった。
夢見心地のウイニングライブは、観客を現実に引き戻した愚かな少年の処刑台へと変わってしまった。
それが、あの菊花賞だったのだ。
・・・
菊花賞が行われた11月から、季節は流れて春は4月。
クラス替えの結果、やっと少年はいじめっ子と違う組分けになった。
しかし。
「こんなんじゃ天皇賞始まっちゃうよ。走っていこうぜ!」
「そうだな、三連覇なんて滅多に見れないしな」
「じゃ、俺らは先に行くからちゃんと持って来いよー?チビカス!」
いつかと同じ調子で、またランドセルを持たされて歩いていた。
放課後になれば囲まれて、荷物を持たされて、涙を流す。
春になって、少し暖かさのある日差しに変わった。
しかし、もう4つのランドセルを運んでも汗ひとつ流れない。それだけが、あの菊花賞からの変化だった。
・・・
京都レース場に着いたとき、少年はタイムスリップしたような錯覚がした。
一番人気、メジロマックイーンの三連覇。
どこを見てもその応援ばかりで、菊花賞の焼き直しのような現実がそこにあった。
しかし、少年はあの少女を応援しに来た。
ライスシャワー。
あんな出来事があって尚、もう一度観客の前に立つらしい。
それがどうしてなのか、少年には何もわからなかった。
自分のように弱者だと思っていた少女は、強いウマ娘だった。菊花賞を実力で勝ち獲るだけの力があり、常にひとりで努力してきたのだと少年は知った。
強者に立ち向かう弱者の象徴ではなく、ひたむきに走るひとりのウマ娘だったのだ。
・・・
ゲート入りするライスシャワーの姿を見たとき、少年は息をのんだ。
「獣がいる……」
菊花賞で見たときよりも、さらに細く。
儚い少女というよりは"餓えた獣のよう"で、月並みな比喩表現の通り、否、それ以上の気迫を纏っていた。
どれほど自分を追い詰めれば、あの身体に仕上がるのだろうか。
獰猛な、まるで獲物を狙うような目線を向けられたメジロマックイーンはゲート入りを躊躇する。スタートラインに立つとき、特別な集中を要するのだろう。落ち着かない様子でゲートインを渋り、けっきょく係員に押されながら入っていった。
一方ライスシャワーは、するっとゲートイン。
これも駆け引きなのか、と少年は思った。
・・・
あれからウマ娘のことを調べて、レースについて少しだけ詳しくなって……。
それでも少年はレースが始まると、ただの観客のひとりになった。
バ場がどうとか、坂がどうだとか、脚質がなんだとか、そういうのは全てすっぽ抜けて、ライスシャワーにエールを贈った。
今度は、メジロマックイーンにぴったりとくっ付いて離れない。獰猛な気配を隠そうともせず、むしろ自分の姿を見せつけるように左後方に。
まるで影だ、と少年は再び思った。
そしてほぼ同時に、影みたいだという比喩は的外れだと、少年は自ら気付いた。
ライスシャワーはマーク相手を越えてその先まで進んでいくだろうからだ。少年はライスシャワーが追い抜くのを信じているが、影が主を追い抜くことはありえない。だから、ライスシャワーを形容するのは、ライスシャワーという名前しかありえない。
それでもやっぱり、何かに似ていることを理由にして、好きになるのだろう。
何もかも、無理矢理自分に重ねて喩えて夢を見る。
ヒトの悪い癖だ。この何十万の観客も、自分の人生のレンズ越しにウマ娘たちを見ている。
だからウマ娘の走る姿が愛おしくて、力をもらう。負け続ける姿が、栄光を手に入れられない自分に重なって見えることもあるだろう。完全無欠の強さが、いつか夢見た自分に重なって見えることもあるだろう。
何十万人の顔も名前もない観客たちの、いつか人生というレースの大一番を走る人間の希望だけがターフに走っている。
今、天皇賞には15の物語が走っている。そしてそれを見る何十万人のレンズを通して、星の数ほどの希望が走っている。
だから、少年はその中の自分に一番よく似た星をみつけて、
「頑張れーッ!」
・・・
第四コーナー、遠くから15人が勢いのまま雪崩れ込んでくるのが見える。踏み締める音が不規則に響いて、大きくなる歓声と共に地面を揺らす。
先頭で逃げるメジロパーマーを追い抜こうと、メジロマックイーンが仕掛けたときだった。
ぴったりとくっついたライスシャワーも加速。
「行け!」
ぐんぐん前に進み出て、マックイーンに並んだ。と思ったのも束の間。
グ、と一瞬の溜め。その瞬間。
少年はライスシャワーの目元に蒼く意志が灯るのを見た。
ぼ、と火の点く音まで聞こえるようだった。
一気に先頭に出て、マックイーンとの距離が開いていく。
『ライスシャワー躱した!ライスシャワー躱した!』
「「「あぁぁっ……!」」」
同時、悲鳴に近い声があちこちから上がる。
それでも、少年は負けじと叫んだ。
「頑張れッ!」
恥も外聞も捨てて、がむしゃらに叫んだ。
ひとつになりたかった。少年のかすかな反骨精神を乗せて、ライスシャワーが走っている。
正面、最後の直線を走っているのは少年の想いそのものだ。
『2バ身から3バ身と開いていくッ!ライスシャワー1着でゴールイン!』
ライスシャワーが少年の前を駆け抜けて、実況の音声が後から流れる。
その実況を聞いたとき、少年は自分のことのように飛び上がって喜んだ。
が。
「またライスシャワーかよ」
「あれじゃ完全に
「ほんと勘弁してほしいぜ」
ぽつぽつと、不満が浮き上がる。沸騰直前の泡のように、静かに、しかしだんだんと大きく。
会場は冷めきっているという点で、熱湯とは比べようがなかったが。
ほとんどの観客が、直接ではないにせよブーイングを態度で示していた。
だから、少年は精いっぱい拍手を鳴らした。
それでも、溜息と罵声に埋もれてどこかへ消えてしまうほど、会場は暗く湿気た空気になっていた。
――拍手なんかじゃ足りない。
そう思ったとき、すでに身体は動いていた。
・・・
「ライスシャワーッ!」
せいいっぱい、叫んだ。
溜息と不満に満ちた観客席から、ひとりでターフに立ち尽くしている彼女に向かって。
その瞬間、彼女の耳がぴくりと動いてぼくと目が合った。気がした。
周りが、一斉にぼくの方を見た。頬が熱くなる。きっといま、ぼくは真っ赤な顔をしているだろう。
でも、これだけは言わなくちゃいけない。
どれだけ恥ずかしくても、怖くても。
勇気を貰った。元気を貰った。そして何より、彼女は14人のウマ娘に勝った。
それなら、祝福の言葉を投げかけなければならない。
「かっこよかった!」
だって、彼女はぼくのヒーローなのだから。
「……!」
ぼくの声が届いていたのかどうか、わからない。
届いてたって、届いてなくたって、どっちでもいい。なぜなら、ぼくは勝手に期待して、勝手に喜んでいるだけなのだ。
大切なのは、勇気を出して叫んだこと。
きっとそうだと、ぼくは信じた。
それから、ライスシャワーは小さくお辞儀をして、ゆっくりと歩いて行った。
そして。
少し離れた場所から、どたどたと走る音が聞こえる。
薄々予想しながら耳を傾けていると、聞き覚えのある叫び声がした。
「チビカスーッ!」
あいつら3人組だ。
マックイーンが勝つのを期待していたやつらだ。ぼくがライスシャワーに向かって叫んだのは聞こえていただろう。
それでも不思議と、いつもみたいな恐怖はなかった。
…・・・・ ・ ・ ・ ・ ・
蒼い炎が駆け抜けた残火が、少年の心を焦がす。
冷たく縮んだ心臓の奥が、熱くなっていく。
人込みをかき分けて迫りくる3人組を視界に入れたとき、少年は奇妙な体験をした。
時間がゆっくりと流れて、思考だけが冴えていく。
ライスシャワーにあった、目の下の隈。
勝ちたいという強い意志が、彼女に勝利を齎した。
では、少年はそこから何を学ぼうか。
答えは出ていた。
周りに置いてあったランドセルに向かって足を向けて、思い切り踏みつけた。
3人組の顔が驚愕に歪む様子がはっきりと見えた。
加速する思考の中で、少年は今の状態に思い当たる言葉が浮かんだ。
そして、同時にその文字列が、まさに今の心にふさわしいと思った。
ターニングポイントで時間がゆっくり流れること。
走るウマ娘に点けられた灯。
それを、きっとこう呼ぶのだろう。
・ ・ ・ ・ ・ ・・・・…
「こんな、自分の荷物を人に運ばせるやつらなんて!」
ダン!ダン!と踏みつける。ランドセルの背面、白地に黒の靴跡がつく。
良心の呵責も踏みつぶして、心の燃えるままに動く。
「悔しかったら捕まえてみろよ!」
ハッキリと、見えるように中指を突き立てた。
誰よりも速く駆け抜けた彼女がいるのなら。
誰よりも期待されたウマに正面から挑んで、勝利を手にするために駆けるのなら。
小さな体躯は、戦わない理由にならない。
敵だらけだろうと、戦わない理由にならない。
「ぼくにだって……!」
心臓の奥に、蒼い灯がついた。
走ったあとのレース場には、残火と希望だけが残っている。
もう何も残ってはいない。
あとは、受け取ったものを持って帰るだけだ。
ライスシャワーは走った。
「次はぼくが走る番だ……!」
少年は自分の荷物だけを
他人に背負わされた荷物を踏み越えて、京都レース場を飛び出した。
十数万人の観客のなかの、ちいさな一節。
少年と3人組の競争など、当然、新聞には載らない。テレビにも、ネットにも、載らないだろう。
名前も顔もない、どこかの誰かの1レース。
少年のレースはこの日始まった。
ゲートが開いて、観客たちに囲まれて、人生の大一番の逃走劇が始まった。
少年よ、ふりむくな。
胸には蒼い灯を。背中には自分の背負うべきものを。
それさえあれば、どこまでも走っていけるだろう。
これは、ひとりの少年の物語。
名前のない観客のうちの、ひとりの1ページ。
読んでくださりありがとうございました。
評価・感想・お気に入り待っています。
『人生は夢ではない』というエッセイに大きく影響を受けました。
他のウマ娘も題材にして、いくつか、こういった短編を書いてみたいと思っています。
もしかすると一括りにして、この短編はその中にまとめるかもしれません。