ウマ娘・人生処方短編集 作:ly
負けられない相手がいること
僕と彼はいつも、くだらないことで競っていた。
小学校の頃は、どっちが先に学校に着くか。計算ドリルをどこまで解いたか、漢字をどれだけ覚えたか。中学校では、どっちが五教科の点数で上か。掃除の速さを競って埃塗れになったこともあったし、給食を食べる速度を競って喉を詰めたこともあった。
とにかく、「アイツだけには負けたくない」と口を揃えて何でも闘争心を剥き出しにしていた。
お互い別の高校へ進学してからは自然と疎遠になってしまって、それからもう連絡すら取っていない。彼は本命の公立高校に、僕は滑り止めの私立高校に、それぞれ進学した。
きっと顔を合わせれば、またくだらないことで殴り合うのだろうけれど、わざわざ自分から声を掛けるのは気が向かなかった。アイツがどこで何をしていようが知ったことではないし……、本音を言えば、僕だけ公立高校へと進めなかった敗北感で、どこか気まずさを感じていた。
そうやって疎遠になってから3年、今や僕は大学生になった。
新しい友達も、人間関係もたくさん増えた。趣味も、勉強も、帰り道も、何もかもが変わった。楽な講義と、覚えたばかりのアルコール。社会に出るまでのモラトリアムにずっぷりと肩まで浸かって、毎日を溶かすように消費している。
受験戦争は終わって、就職までのゆるやかな堕落。煙草がだんだんと短くなってくような、そんな無常の日々。
張り合いもなく、変化もなく。
だからだろうか、無性に刺激が欲しくなって、レースという非日常にバイト代を全てベットしてしまったのは。
「国民栄誉賞だとか内閣総理大臣賞とかあるけどさ、レースには”天皇賞”があるだろ。天皇陛下から盾を下賜されるって、いっちばん栄誉なんじゃねえか? だから俺は"天皇賞"に勝つのが一番偉いって思うんだよな」
言葉を転がして、理屈を捏ねて、彼は笑った。
有マ記念やジャパンカップ、宝塚記念、ダービー。そういうのを差し置いて、天皇賞だという。どうにもそれは冗談半分で、屁理屈の議論を吹っ掛けたいようだった。
放課後の帰り道で、からっとした秋風が吹いていた。陽はゆっくりと落ちて、今思えば僕の進路を表していたような……。それは考え過ぎか。
受験を控えていたにしては、僕らはあまりピリピリしていなかった。恥を恐れずにいえば、お互いをリスペクトしていて、いつも競っていたからこそだと思う。
勉強詰めの気晴らしに、僕はその冗談半分の議論に乗っかった。
「いやいや。じゃあなんで一番偉い賞が一年に二回もあるんだよ」
そこから議論がヒートアップして、その日の天皇賞・秋を誰が勝つのか予想することになったのを覚えている。
彼がその後どんな屁理屈を捏ねていたかは、もう覚えていない。
「――やーっぱお前はわかってねえな! 俺はゼンノロブロイに賭けるね」
「じゃあ僕はスイープトウショウかな。真面目で堅実の何が良いんだか」
レースという非日常に何を求めるかが、如実に表れていた。気難しくて、ワガママな宝塚記念覇者スイープトウショウに賭けた僕と、真面目でお淑やかな秋シニア三冠王者ゼンノロブロイに賭けた彼。考え方が全く違うからこそ、対立して、認め合って、毎日が楽しかった。もし同じタイプのウマ娘を応援していたなら、もっとつまらない関係だっただろう。
結局スイープトウショウが五着で、ゼンノロブロイは二着。
ゼンノロブロイが先着したものの、互いに当たらず。どちらの予想も外れたのが気まずくて、帰り道はお互い口数が少なくなって。
今思えば、あれが彼との最後のレース観戦だった。受験が近付いて勉強が忙しくなるにつれて、それぞれ通う塾で過ごす時間が増えて、観戦に行く余裕もなくなっていった。
「……懐かしいなぁ」
そんな昔のことが思い出されたのは、眼前で天皇賞・秋がスタートしたからだ。
――天皇賞・秋。
春・秋と行われる"天皇賞"のうちの一つで、府中2000mの距離を走る大きなレースだ。
今年のメンバーは「左耳飾り」のウマ娘が異常な強さを見せている。ティアラ路線に向かう意志を示すそれは、猛々しさよりも華々しさを見せるようなウマ娘が多い傾向にある。
そんな中で現れたツートップ、ウオッカとダイワスカーレットがそれぞれ1番人気、2番人気だ。去年、左耳飾りでありながら64年振りにダービーを制したウオッカ。有馬記念で2着につけたダイワスカーレット。そして3番人気には、今年のダービーウマ娘であるシャローアース。
これまでやってきた通り先頭を駆けるダイワスカーレット、そして中団少し前に位置取ったウオッカ、そしてその前を行くシャローアース。1000m59秒というやや速めのペースでレースを引っ張って第3コーナーを抜けていく。
そして入った第4コーナー。ペースが読めているのか、ここでスパートする者はいない。ウオッカも、シャローアースも、ダイワスカーレットが持たないと踏んでいるからだ。途中で2番手に接近されたために、ペースを落とせずに最後の直線を迎えたダイワスカーレット。その彼女を先頭に、錚々たるメンバーが直線へ雪崩れ込む。
『最高の舞台が整っています!最高のメンバーが揃っています!』
『あとの直線、どんな画をそれぞれ思い描くのか……!』
高まった実況の声が響く。どのウマ娘も実力を出し切れそうな展開に、歓声はより大きくなる。各々の観客が思い描いた理想に、現実が迫って来る。
理想の数字が印刷されたバ券を握りしめて、あるいは新聞紙を片手に、声を荒げてウマ娘へエールをおくる。もしかすると、自分の為に叫んでいるのかも知れなかった。
理想と現実の答え合わせの刻がくる。
『残りあと500と少々!ダイワスカーレットまだ先頭ッ!』
ハナを切って先頭でレースを進めるダイワスカーレット、それに対して真ん中を割って来ようとしている数人のウマ娘、そして外には。その外には。
『シャローアース勝手知ったる府中、その外に先輩ダービーウマ娘ウオッカ!』
運命のライバル、ウオッカが来ていた。
今年のダービーウマ娘であるシャローアースと鎬を削りながら、ぐんぐんと距離を詰めていく。
『残りあと300!坂を上る!』
ふと、直前に行われたウオッカへのインタビューの様子が思い起こされた。
――ダイワスカーレット選手とは同室・同期で、これまで1勝3敗と負け越していますね。
「……おう。でも、次の勝負にそんなのカンケーないっすよ」
――なるほど。天皇賞・秋ではダイワスカーレット選手をマークしていると?
「マークってのはちょっと違いますけど……、大差でぶっちぎってやりますよ! アイツだけにはぜってえ負けたくないです」
まさに"ライバル"と呼ぶに相応しい関係だろう。同い年で、四度の勝負を経て競い合う。ちょうど、そう答えるウオッカの後ろをダイワスカーレットが横切って、明らかにウオッカを意識した視線を送っていたのを覚えている。
たびたび小競り合いというか、喧嘩というか、勝負を仕掛けていることで有名な二人だ。きっとインタビュー後にも揉めるのだろう。
負けたくない相手、腐れ縁、ライバル。
彼らもいつか離れ離れになって、その関係の終わる日が来るのだろうか。
遠く離れた友人のことを思って、センチメンタルが加速した。
『新旧ダービーウマ娘の決着になるのか!?』
『最内ダイワスカーレット少し苦しくなったッ!』
やはりダイワスカーレットが苦しそうに口を開いて走っている。やや垂れただろうか。そしてウオッカとシャローアースが迫る。
『ウオッカ!ウオッカ!ウオッカ!シャローアース!』
――ウオッカ選手とは同室・同期で、これまで3勝1敗ですね。
「そう、ですね。でも、特に意識しているわけではありませんし、関係ありませんよ」
――なるほど。
「誰が相手だろうと、一番になるだけです。カッコつけてようと、叫んでようと、アタシは気になりませんから」
そう答えたダイワスカーレットの瞳には、明らかにライバルの姿が映っていた。縦長に開いた宝石のような紅い瞳。その奥に焼き付いているのは、チューリップ賞の敗北だろう。そこから三度先着しようとも、つねに背後には鬼気迫るライバルがいる。
クールな優等生ぶっても、その奥に燃えている炎は隠せない。
ライバルの存在が、彼らをより強くする。
冠の数を分かつことになっても、いないよりはずっといい。
負けたとしても、勝ったとしても、常に競う相手がいるのだから。
ダイワスカーレットが、その背後から迫って来たウオッカを視認した瞬間。
「アンタにだけは……!」
ぐん、ともう一度伸びた。
余力はどこにも残っていないはずだった。
『内からもう一度ダイワスカーレットが差し返すッ!?』
「お前だけには一番を譲らない」と言わんばかりの気迫で、もう気力も体力も残っていないはずの身体が力強く躍動する。
その原動力は、一番への執着か。それともライバルへの対抗心か。或いはその両方なのか。
「ありえない……!」
思わずそんな感想が出た。
ずっと先頭をハイペースで走って来たハズだ。
最後の直線で粘ることはあれど、もう一度差し返すことなど。
それでも、眼前の光景は三人がもつれ合ってゴールに向かって突き進んでいた。
わずかにシャローアースが遅れて、ウオッカとダイワスカーレットが一進一退にも見える先頭争いを繰り広げる。
『これは大接戦ッ!』
誰もが、息を忘れていた。
『大接戦のゴォーーーーールッ!』
そのまま、二頭で縺れ合って。
壮絶なレースだった。
戸惑い、興奮、緊張、感動、それら全てを含んだどよめきが府中を支配している。眼前で起こった二人のマッチレースに、誰もが夢見心地。自らの予想やバ券のことも忘れて、口から漏れ出た感想を思い思いに吐き出していた。
『ウオッカか! ダイワスカーレットか! 真ん中シャローアースが少々不利か!』
『1分57秒2はレコードの赤い文字です!』
写真判定による審議が始まる――。
長い、長い時間が過ぎた。5分経っても、アナウンスは流れない。もう同着でも良いのではないか、という声すら聞こえ始めて。
その結果を一人で待つには、あまりにも長すぎた、のかもしれない。
だからだろうか、気が迷ってスマートフォンを取り出したのは。
繋がるかもわからない、連絡帳に残っていた電話番号。きっとアイツなら観ているだろうと希望を抱いて、遠慮も躊躇もなしに勢いのままコールボタンをタップした。
prrrr――
『――なんだよ』
ワンコールとも呼べないような速さの応答。
ぶっきらぼうな、短い言葉。とても数年振りの会話とは思えなかった。
「よお、観てたか?」
"何を"すら省いて、雑に放り投げた。もしも、アイツはもうレース観戦から離れていて、僕だけが過去にひとり取り残されていたら。そう思うと不安でたまらなくなって、緊張で固まる前に言葉を放り出した。
3年も経てば、人は変わる。僕だって随分背が伸びたし、髪の色も染めてしまった。アイツとすれ違っても、お互いにわからないかもしれない。
スマートフォンを持つ手が、わずかに震える。勢いだけで電話を掛けたものの、これならまだ一人で決着を待っていた方がよかった。胸の奥底が急速に冷めていく感じがして、今すぐに電話を切ってしまいたかった。
後悔が遅れてやってきて、空いた左手で髪の毛をくしゃりとした。
それでも、アイツは当然のように、僕の問いの意味を理解していた。
『……こりゃダイワスカーレットの勝ちだな』
3年前と何も変わらない態度に、不安や緊張は霧散して。「やっぱりダイワスカーレット推しかよ」なんて思いながら、反射で言葉を返した。
「いやいや、ウオッカだろ」
「「はあ?」」
止まっていた時間が動き出したような気がした。