クラシック三冠を取るのではないかと噂された期待のウマ娘は、クラシック2戦目の日本ダービーに散った。
「日本ダービーの雰囲気は他のGⅠレースとは別物、別格だからな。実力を出し切れずに負けちまうウマ娘も少なくない。まぁ、あの娘はテンションが上がりすぎてやらかしたみたいだがな。そういう意味では運がなかったんだろう」
六平トレーナーが缶の緑茶を啜りながら冷静に分析する。
皐月賞は「最も速いウマ娘が勝つ」、菊花賞は「最も強いウマ娘が勝つ」、そして日本ダービーは「最も運のあるウマ娘が勝つ」といわれている。
もっともこの評は元々イギリスのダービーオークスに対していわれていたものではあるが。
「トレーナーも手を焼いているらしいな。なかなか気性の難しい娘らしい。確かおめぇは面識があるんだよな?」
「ええ、不本意ながら」
振り返ったら
厨房の前には『関係者以外立ち入り禁止。ご用の方はお声がけください』という看板が立てられている。
それを無視してズカズカ入ってきたわけだ。しかもその理由が「隠し味を知りたかった」だからな。何も隠してねぇよ!
「なんて言うか、かなり自由な
「シンボリルドルフとは別ベクトルの天才タイプかもしれんな。大成するか、ターフに埋もれるか。先が楽しみだな」
六平トレーナーが呵々と笑う。
あの性格なら相手の方を埋めそうだな、ダートあたりに。
「見えてきたぞ」
海岸沿いを抜けて見えてきたのは、少々ボロい……もとい趣きのある合宿所だった。
「裏の方に停めるぞ。そこを右だ」
「了解です」
指示に従いハンドルを右にきる。そこには多くの車が停まっていた。
「けっこう人気なんですね、ここ」
「伝統のある場所だからな。毎年くじ引きだよ。ジョーの幸運だ」
宝塚記念を快勝したオグリは、そのまま夏合宿に入った。
俺と六平トレーナーはその様子を見に来たのだ。
トランクから差し入れを取り出し、台車に乗せる。正面玄関に向かう途中で見える砂浜に、いつもの面子を見つけた。海らしくみんな水着姿だ。
『カバディ、カバディ、カバディ、カバディ……』
呪文のようにカバディと唱えながら、ウララとイナリワンが対面で睨み合っている。
「何やってんだ、あいつら」
「カバディじゃないですか?」
「カバディは7対7で行うスポーツだ。それにカバディと発声するのは攻撃側だけだ。あいつらふたりとも言ってるじゃねぇか」
「詳しいですね」
視線を戻すと、ちょうどイナリワンが動いたところだった。低い姿勢で突進し、両手でウララの腰を掴む。そのまま腰をひねりながら後ろに投げ出し、抑えつけてフォール。
「ワン、ツー、スリー! イナリちゃんの勝利です!」
審判員らしいベルノが赤い旗を上げて勝敗を告げた。
「ヴィクトリー!」
「むぎゅ~」
「何やってんだ、あいつら」
「レスリングじゃないですか?」
たぶんそれに近い何かだと思う。
「ふむ。器具では身に付かないナチュラルな筋肉を鍛えているのか。瞬時の判断力と瞬発力、ふんばりも鍛えられる。声を出し続けているのは心肺機能の強化が目的だな」
「遊んでるわけじゃないんですね」
「オグリの姿が見えんな」
「あれじゃないですか?」
少し離れた砂浜に北原トレーナーが立ち、その先でオグリが泳いでいる。泳いでいる?
「溺れてんじゃねぇのか?」
「いや、ビート板持ってますし、大丈夫でしょ」
「ふむ。トップスピードを上げるよりも、スタミナを鍛えてそれを維持する時間を伸ばそうってハラか。悪くねぇ」
そう言って、未だわちゃわちゃしているベルノたちに向かって歩き出した。
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「秋晴れの涼やかな日。本日は青天、良バ場に恵まれての天皇賞レースとなりました。やはり注目は連覇のかかったオグリキャップでしょう。堂々の1番人気です」
「天皇賞春秋制覇のかかったイナリワンにも注目ですね。阪神大賞典の激闘が思い出されます」
「そうですね。そのふたり以外にもメジロアルダンやヤエノムテキ、スーパークリークといった有力候補も出走しております。ゲート入りが完了して、各ウマ娘いっせいにスタートしました。おっとオグリキャップが素晴らしいスタート。そのままぐんぐん進んでいく。2番手につけたのはスーパークリーク。オグリキャップが止まらない! まさかの逃げかオグリキャップ!」
("逃げ"じゃない。これがあなたのペースなのよね、オグリちゃん)
(身体が軽い。脚がどんどん前に出る。こんな気持ちで走るのは初めてだ。負ける気がしない)
「飛び出したふたり、オグリキャップとスーパークリークが速すぎる! 誰もついていけない! いや、ついていかないのか!」
(確かにこのペースは速すぎる。でもね、オグリちゃん。わたしだってスタミナには自信があるのよ)
「隊列が2つに分かれました。先頭はオグリキャップ。すぐ後ろにスーパークリーク。7バ身離れてメジロアルダンがバ群を引き連れています。さあ1000メートルを通過してタイムは――な、なんと57秒! これはかなりのハイペースです。このペースで最後までもつのでしょうか!?」
(スピードが落ちないどころか……むしろ上がってる? 本当にこのペースで最後まで走るつもりなの? オグリちゃん!)
「最終コーナーを抜けて最後の直線へ! スーパークリークは一杯か!? ゆるゆると下がっていく! オグリキャップの脚色は衰えない! オグリキャップが抜けた! これは決まりでしょう! オグリキャップそのままゴーーールイン! なんということでしょう! 先頭でスタートし、そのままゴールしてしまいました! 誰もこのウマ娘をとめることができない! オグリキャップの独壇場! オグリキャップの一人旅でした! オグリキャップ、秋の天皇賞レース2連覇達成!!」
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言葉もない、とはこのことだろう。距離が違うとはいえ、あれほど苦戦したイナリワンに影も踏ませず勝ち切るとは……。
「完全に
「圧巻……でしたね」
「今日は明らかに調子が良さそうだったが、こんな展開になるとは予想もしていなかった。あいつは本当に、シンボリルドルフを超える逸材かもしれん」
「……そういうこと言うと、色んな方面から叩かれますよ」
「ふん。案外一番喜んでるのは、ルドルフ本人かもしれんぞ」
可能性はありそうだ。掲げているのが『唯一抜きんでて並ぶものなし』だからな。
「先頭で始めて、先頭で終わる、か。レースの理想だな。そう何度もできることじゃあないだろうが」
六平トレーナーがふんっと鼻を鳴らす。
レース後、気の弱いウマ娘は両手で肩を抱き、恐慌状態に陥らないよう必死に自制している。
嫉妬すら追いつかないほどの圧倒的な強さ。精神的に折れるウマ娘がいてもおかしくはない。
「あれを見な」
レース場の大モニターに視線を向けると、先ほど行われたレースのリプレイが映し出されたところだった。
「走るリズムに合わせて尻尾が揺れているだろう。あれはウマ娘が気分良く走っている証拠だ。あいつはちっとも無理しちゃいねぇ」
オグリは、ただ楽しく走っていただけなのだろう。だが誰もそれに追いつけなかった。逃げとか、そういう次元の問題ではない。
祝福の拍手と言葉は未だ収まる様子をみせない。
今年の有馬記念は、かつてないほどの盛り上がりを見せるだろう。