12月下旬の日曜日。
中山レース場に向かう道はごった返していた。
「車で来なくて正解だったな」
車道の車は動く気配を見せず、歩道を歩く人たちの方がよっぽど速い。人波にもまれながら、なんとか入場を果たす。
いつもの場所に行くと、いつもの顔が見えてきた。
「相変わらず、前には行かないんですね」
「遅かったな」
質問に答える必要性を感じなかったのか、六平トレーナーはぶっきらぼうに告げる。
「祝勝会の準備をしていたもので」
「気の早いことだな。まあ時間は丁度いい。パドックが始まるぞ」
『沸き上がる大歓声の中、いよいよ有馬記念の出走ウマ娘の登場です。まずは単枠指定1枠1番――』
最初のウマ娘の登場に、歓声がいっそう強くなる。
『いきなり出ましたタマモクロス。すごい歓声です。約1年振りのレースですが、そんなものは関係ない。堂々の1番人気です。"白い稲妻"タマモクロス、有馬記念連覇なるか!?』
有馬記念の出走の可否はファンの投票によって決まる。怪我の完治後、タマモクロスはトレーニングを公開した。そしてファンに応援を呼び掛けた。
有馬記念の前に1つ2つ重賞を取るというプランもあったようだが、それは彼女のトレーナーが却下した。
本人に絶対の自信があっても、レースに絶対はない。もしここで土が付けば、さんざん煽ったマスコミが手のひらを返す可能性があったからだ。
結局タマモクロスは不承不承了承し、復帰レースを有馬記念と決めた。
そして蓋を開けてみれば、ファン投票は1位。
世間は本人たち以上に葦毛対決を期待していたようだ。
その意気はオグリにも影響を与えた。本来はジャパンカップを経て有馬記念に挑む予定だったが、有馬記念1本に絞ることになった。
「気合が乗ってるな。脚の不安もなさそうだ」
「オーラが出てますね」
「そりゃおめぇの気の
出走ウマ娘の紹介は続く。春の天皇賞レースを優勝したイナリワン。ジャパンカップ3着のスーパークリーク。などなど――。
そして、再度歓声が強くなった。
『再び沸き上がる大歓声。単枠指定5枠7番は"葦毛の怪物"オグリキャップ。カサマツ時代を含め、出走したレース全てで掲示板を逃したことがないという、まさしく怪物です。前走秋の天皇賞レースの圧勝は皆さまの脳裏に鮮明に焼き付いていることでしょう。葦毛最強の称号、奪還なるか!?』
「いい仕上がりだ」
「オーラが出てますね」
「そりゃおめぇの気の
『さあ最後に登場するのは、ダービーは惜しくも逃したものの、菊花賞をテヘペロ優勝したクラシック二冠のウマ娘、葦毛のニューホープ――』
全てのウマ娘の紹介が終わり、ウマ娘たちが地下道を通って本バ場へと向かう。
ファンファーレが鳴り響く。
最初にゴール板を通過するのは、果たして誰なのか。
―――――――――――――――――――――――
「さあ各ウマ娘ゲート入りが完了しました。有馬記念2500メートルがいよいよスタートします。注目しましょう」
歓声が消え、静寂が支配する。その一瞬後、ゲートが開いた。
「さあゲートが開きました。ウマ娘たちがいっせいにスタート! 抜群のスタートを切ったのは1枠1番タマモクロス! そしてオグリキャップのスタートもいい! ふたり並んで先頭を行く!」
この大舞台で最高のスタートを成功させたふたり。一瞬だけ視線を交わし、迷いなく脚を進めていく。
最初は逃げる予定などなかった。オグリキャップは先行策、タマモクロスは後方に構えるつもりだった。だが予想以上の
そして隣を見れば対決を待ち望んだ宿敵がいる。
脚を緩める理由などなかった。
「先頭争い、どちらも譲らない! まるで併せるように進んでいく!」
いち早く反応したのはイナリワンだった。忘れもしない秋の天皇賞。いずれバテて失速するだろうという淡い期待は、しかしあっさりと裏切られた。
このままセーフティリードをつけられては取り返しがつかなくなる。
「3番手でバ群を引き連れているのはイナリワン。大きな乱れはなく一団となっています。先頭争いはマッチレースの様相を呈してきました。ふたりのペースにつられて、徐々にバ群が縦長になっています」
その背を追うウマ娘、スタミナを温存するウマ娘、どちらも選べず流れに任せる形となったウマ娘。状況は3つに分かれた。
「先頭のふたりスピードを緩める気配がありません。併せることで闘志が刺激されているのか!? その闘志が伝播しているのかレース全体のスピードが上がっています。あっという間にスタンド前を通過していきました」
ここでイナリワンは確信する。落ちない。あのふたりのペースは、最後まで落ちない、と。
3番手につけたイナリワンは懸命に3バ身差を維持している。3バ身差ならば、最後の直線で逆転可能な距離だ。
その後ろを走るスーパークリークも同様の考えだった。以前のようにガムシャラについていくのではなく、スタミナを温存しつつ最後のスパートに備える。
あのふたりも脅威的な末脚を持っているが、このハイペースならそれも鈍るだろうと考えていた。
「先頭のふたり、ペースはまったく落ちません。向こう正面を過ぎて第3コーナーへとレースは進みます」
ハイペースにつられただけのウマ娘たちのスタミナが尽き始める。中団を走っていたウマ娘たちがゆるゆると後退を始めた。
「最終コーナーをたちあがってくるのは、もちろんこのふたり。タマモクロスとオグリキャップ。スタンド前で大歓声が巻き起こっています!」
割れんばかりの大歓声で中山レース場が揺れる。
「さあレースは残り200メートル。中山レース場最大の難所に入ります。この上り坂を駆け上がる脚は残っているのか! 先頭のふたりを追うのはイナリワン、スーパークリーク、そしてなんと! 最後方を走っていたはずのゴールドシップが5番手にまで上がっています。脅威のスタミナ! 強力無比な末脚! 葦毛頂上決戦に待ったをかける!」
後方のざわめきなど、ふたりにとっては意識外の出来事だった。
オグリキャップとタマモクロスが同時に坂へと突入する。そして、ターフが爆ぜた。轟音は2つ。蹴り上げられた芝が、昇竜のように天を舞う。
意図したものではない。示し合わせたものでもない。
しかし動いたのは同時だった。
「こ、ここでラストスパート! 近づいた背中が遠ざかる!」
ふたりは笑っていた。苦しさはある。疲労も極限まできていた。だがそれ以上の歓喜がある。他者の介在を許さない神聖なる領域がそこにはあった。
「残り30メートル! どちらも譲らない! 抜けるのはどちらだ!」
視線の交錯。相手はすぐ隣にいた。自分の全てをぶつけても、なおとどかないかもしれない宿敵。その存在が嬉しかった。それを超えて渦巻く「負けたくない」という魂の昂揚も含めて。
「ゴールまであと10メートル。場内は大熱狂! 最後まで闘志は衰えない! ふたり並んでゴーーールイン!!」
一陣の風と銀の閃光が駆け抜ける。
己の全存在を賭けたプライドの激突。
その苛烈で美しい光景に人々は魅了され、呼吸すら忘れた。
どちらにも勝ってほしい。どちらも負けないでほしい。
しかし栄光の座はただひとつ。
写真判定の時間が終わり、運命の鐘が鳴る。
電光掲示板に光が灯った。