場内の熱狂は渦を巻いて天にも昇りそうなほどに高まっていた。
今日、東京レース場で行われる天皇賞レースは最高峰のGⅠレース。そして注目を集めているのはふたりのウマ娘。
ひとりは天皇賞春秋連覇をかけた"白い稲妻"の異名を持つ、タマモクロス。
ひとりは圧倒的な強さで重賞を6連勝した"葦毛の怪物"、オグリキャップ。
大番狂わせが無ければ、勝つのはどちらかだと言われている。
「ファン人気は1位か」
地方から出てきた無名のウマ娘が、今ではこんなにも多くの人に愛されている。それが誇らしい。
タマモクロスという少女は、俺も知っている。
デビューからしばらくは成績が振るわなかったが、前年の秋あたりから本格化した遅咲きのウマ娘だ。
前走の宝塚記念では圧倒的な強さを見せて優勝した。
現役ウマ娘の中でもトップクラスで、"世代最強"との声も上がっている。
強敵だ。油断ならない相手だ。あの小さい身体に、底知れぬほどのパワーを秘めている。楽なレースにはならないだろう。
少し迷ったが、やはり気持ちを抑えきれずオグリの顔を見に行くことにした。トレセン学園のIDを見せると、レース場のスタッフは快く通してくれた。
控え室にはオグリがひとり。チームメイトの姿はなかった。
「……ひとりか?」
我ながらバカなことを訊いた。見れば分かるだろうに。だが、オグリは嫌な顔ひとつ見せずに小さく頷いた。
「集中したくてな。みんなには席を外してもらった」
「そうか。邪魔だったかな」
「そうでもない」
そう言ってオグリは視線を落とす。さすがのオグリも、初めてのGⅠレースには緊張するようだ。
「差し入れを持ってきたんだ」
「いや、さすがにレース前は……それはコーラか?」
「炭酸抜きのな。炭酸を抜いたコーラはエネルギーの効率が極めて高いらしく、レース直前に愛飲するマラソンランナーもいるくらいだとか」
「レース直前……まさに今ということだな」
オグリは1リットルのペットボトルを受け取ると、一息に飲み干した。
「うん。力が出た。気がする」
「祝勝会の準備もしてあるからな。ニンジンケーキにニンジン饅頭、きんぴらごぼうのごぼう抜き丼もあるぞ」
「そうか……なら、負けられないな」
「ああ、頑張れ」
―――――――――――――――――――――――
「ご来場の皆さま大変お待たせ致しました。本日は青天、良バ場に恵まれての天皇賞レースとなります。どうでしょう? やはり注目は中央に移籍してから6連勝中のオグリキャップでしょうか?」
「そうですね。中央のウマ娘たちに対抗できるかという不安は杞憂でした。春秋連覇のかかったタマモクロスにも注目です」
「実力でいえばタマモクロスが一歩リードといったところですが、宝塚記念からの休み明けに加え、東京レース場は初めてです。それが懸念されていますね」
「ですが地力はあります。また他のウマ娘の皆さんにも頑張ってもらいたいですね」
「そうですね。各ウマ娘がゲートに収まりました。そして――さぁ、ゲートが開いて天皇賞レースのスタートです。おっとトップシュンベツが出遅れか!?
(ロイヤルは思うたほど飛び出さんかったな。いや、ウチの出だしが鋭すぎたんや。やっぱ今日のウチは絶好調や。ちぃと予定と違うが、まあええ。このままいったるでッ!)
「これは意外! タマモクロスがハナを切る。2番手はロードロイヤル、3番手にロングリブフリーが続きます。注目のオグリキャップは中団よりやや後方からのスタートです」
(くっ、逃げそこなった! でもこれは好都合かも。彼女の本来の
「タマモクロスが先頭で向こう正面に入ります。その後ろにロードロイヤル。タマモクロスの奇策に場内騒然としております。しかしオグリキャップは平静としている様子。タマモクロスの動向を窺うように脚を溜めています」
(あのスタートダッシュには驚かされたが、私は私のペースで行く。まだ慌てるような時間じゃない)
「先頭のタマモクロスが3コーナーの坂を下って行きます。やや速いペース。オグリキャップはまだ動かない。さあ、3、4コーナーの中間地点を過ぎます。先頭は変わらずタマモクロス。少し差が詰まったか。ロードロイヤルが速度を上げている」
(いける! ここが勝負どころよ!)
「第4コーナーのカーブを曲がりながら、ロードロイヤルが仕掛ける。差が詰まっているぞ。タマモクロスをこのままかわすかッ!?」
(ナメんなぁッ! ウチの鍛え上げたこの脚が、たかが2000メートルでヘタってたまるかいや! 見さらせぇッ! これが浪速の白い稲妻やぁッ!!)
「おおっと! ここでタマモクロスが
(イケるで! 脚が軽い! 上り坂がナンボのモンや! このまま突き放したる!)
「ここで歓声が、歓声が後ろから聞こえてきた! ターフが爆ぜたぁ! 前方3人のウマ娘をごぼう抜き! オグリがきた! オグリがきた! オグリキャップが上がってきたぁぁぁッ!!」
(きよったな、
「タマモクロスのお株を奪うような凄まじい末脚! エンジン全開だオグリキャップ! 差がどんどん詰まっていく! タマモクロスの影を捉えた! そのまま追い――追い――追い抜けない! タマモクロスが抜かせない!」
(そない簡単に抜かせるかいな!)
(これが"白い稲妻"か。だが、私も負けるわけにはいかない!)
「白い稲妻と白い閃光がターフを駆ける! 闘志と闘志のぶつかり合い! タマモクロスがわずかに前か!? オグリキャップも喰らいついているが、これは届かないか!? 残り50メートル!」
『頑張れーーーッ!! オグリーーーッ!!』
(――負けられない。お母さん、北原、カサマツのみんな、故郷で応援してくれているみんなのためにも、そしてあの人の期待に応えるためにも、私は――勝つッ!!)
「オグリキャップがさらに伸びる! 逃げるタマモクロス! 追うオグリキャップ! 意地を見せるかタマモクロス! 夢を見せるかオグリキャップ! これはもはや余人の立ち入れる領域ではありません! なんという大激闘! どちらも譲らない! ふたり並んで! 今! ゴーーールイン!!」
(勝ったでッ! 絶対ウチのが先やったッ!)
(私の勝ちだ。間違いない)
「ふたりがターフに倒れ込む! 無理もないでしょう。それほどの大激闘でした。素晴らしいレースでしたね。勝ったのはどちらでしょうか?」
「思い入れ次第でどちらにも見えますね。同着にしてあげたいところですが、そうもいきませんよね」
「栄光のセンターはひとりだけですからね。さあ、写真判定の結果が出たようです。皆さま、電光掲示板にご注目ください」
「緊張の一瞬ですね」
「1着は――①!! オグリキャップだーーーッ!! タマモクロスは2cmの差で2着です! 天皇賞レースを制したのはオグリキャップーーーッ!! 前人未踏の重賞7連勝ーーーッ!!」
―――――――――――――――――――――――
オグリの所属するチームは、地方から来たウマ娘たちで構成されている。というのも、やはり地方から中央へ来たウマ娘たちは環境の変化に戸惑い、実力を発揮できなかったり、ホームシックになることが多いため、一種の受け皿のようなチームが必要なのだ。
というのが、このチームを作ったウマ娘、オグリと一緒にカサマツからきたベルノライトの持論だった。
彼女は競走ウマ娘ではなく、オグリをサポートする役割で中央に来た。トレーナーではないが、その補佐などを行っている。
どうやらカサマツ時代のトレーナーを待っているようだ。一応、臨時契約らしいトレーナーはいる。かなり高齢だが、それだけに実績はあるらしい。
中央のトレーナーライセンスはかなりの難関だと聞いている。オグリと一緒に来ていないということは、これから取得するのだろう。会話したことはないが、何度か見かけたことはある。結構な中年オヤジだったが、大丈夫かな。
まあ、俺が心配しても仕方ないか。
「改めて、優勝おめでとう。オグリ」
もっきゅもっきゅとコロッケを頬張っているオグリに、飲み込むタイミングを見計らって声を掛ける。
「ああ。ありがとう」
「タマモクロス、強かったな」
「うん。今までで、一番強い相手だった。どちらが勝ってもおかしくなかった」
「でも勝ったのはキミだ」
「……最後の直線。貴方の声が聞こえた。だから勝てた。うまく言えないが、貴方の声が、私に負けない力を与えてくれたんだ」
そう言ってオグリがにこりと笑う。
……その笑顔は反則だろ。
「なんやラブコメの波動を感じるで」
「あらあら、ダメよタマちゃん。ふたりの邪魔しちゃ」
と、オグリの背後からタマモクロスとスーパークリークの声が聞こえた。敗北を喫した相手の祝勝会に顔を出すあたり、このふたりは意外にも仲が良いのかもしれない。互いに認め合った仲というやつだろうか。
「これで、有馬記念に出られるかもしれないな」
「もしそれが叶ったなら、みんなも喜んでくれるだろう」
オグリはカサマツの方角に目を向けて、優しく笑みを浮かべた。
糖分は摂取してから最も早くエネルギーに変わる即効性のある栄養素らしいですよ。
ちなみに