年末の大レース、有馬記念。
距離は2500メートル。
「今までで最長の距離だ」
老トレーナーが渋い声でつぶやく。
それを挟んで俺とオグリが座っている。俺は差し入れを持ってきただけなんだが……。
「なんだかんだ言って、おめぇもチームの一員みたいなモンだからな。良いから聞いとけ」
「はぁ」
チラとオグリに視線を向けると、コクコクと頷きながら、俺の差し入れたおにぎりをパクパクと食べている。
「距離の不安は、ねぇことはねぇが、おそらくは大丈夫だろう。それよりも面子だな」
ファン投票1位は前走でオグリより先着したタマモクロス。オグリは2位という結果になった。
さすがに有馬記念というだけあって、今年活躍した一流ウマ娘の名前がずらりと並んでいる。
「でもほとんどのウマ娘に勝ってるんですよね。警戒するのはタマモクロスだけでは?」
「菊花賞で圧勝したスーパークリークも油断ならねぇ相手だ。3000メートル走って、ほとんど息切れしてなかったんだぞ。あの無尽蔵のスタミナは脅威だ。タマモクロス以上かもしれん」
3000を走って平然としているのか。相手が弱かった、ってことはないよな。何といっても菊花賞だし。
「ディクタストライカも要注意だ。気性が激しくムラも大きいが、型にハマッた時の強さは侮れん。オグリ、ジャパンカップで抑え込まれたことは覚えてるな」
オグリが食べる手を止めて、ゆっくりと頷く。
「毎日王冠では内を絞められたが、あの時は逆だったな。わざと内に入れておめぇの自由を奪った。人気者は辛いな」
結託していたわけではないだろうが、一番の強敵を抑え込めるのならば全員に利がある。一瞬の判断でああも綺麗に動けたのは、さすが一流のウマ娘といったところだろう。
「あげく外に振られてスタミナを使わされた。自分の位置、相手の位置は常に把握しとけ」
「ん、分かった」
「逃げるのはロードロイヤル、メジロデュレンってところか。つられるなよ、自分のペースを保て。有馬記念、勝つぞ」
「うん。今度は勝つ」
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「決戦の地、中山レース場は大勢のファンで溢れかえっております。熱気と熱狂の中、各ウマ娘ゲート入りが完了したようです。さあ、今年の最強ウマ娘を決める大レース、スタートしました」
緊張の一瞬。ついにゲートが開かれた。
「軽快なスタート。さあ、先頭争いに注目しましょう。飛び出したのはロードロイヤル。この大舞台でペースを作れるか。2番手にムームークワイア。内に3番手のロングリブフリー。その後ろにオグリキャップ。1番人気のタマモクロスはなんと最後方からのスタートです」
(タマは後ろに構えたか。ろっぺいの言ってた通りだ)
「1周目4コーナーカーブから正面スタンド前の直線コースへ向かいました。先頭はロードロイヤル2バ身のリード。2番手外にムームークワイア、3番手内にロングリブフリー。その後ろにオグリキャップ。タマモクロスはまだ最後方。その前にディクタストライカ。第1コーナーから第2コーナーへと向かいます。たんたんとしたペース」
(このペースは……少し遅い? 上がった方がいいのか?)
「おっと早くもオグリキャップが仕掛けてきた。ロングリブフリーをかわして3番手へ。オグリキャップをマークするようにスーパークリーク。それを受けてロードロイヤルがピッチを上げる。タマモクロスは2人かわして現在11番手。2コーナーのカーブを抜けて向こう正面の中間地点を通過。いよいよ仕掛けどころ3コーナーに向かいます」
(ここだ。このカーブで仕掛けるッ!)
「レースはまもなく第3コーナーに入ります。ピッチが俄然速くなった。ロードロイヤル逃げる。ロードロイヤル逃げる。オグリキャップが上がってくる。スーパークリークもついてきている。ロードロイヤル捕まったか。最終コーナーを抜けて先頭はオグリキャップ! オグリキャップが先頭! 大歓声で迎えられます!」
(1周目とは比較にならないほどの盛り上がり。大気が揺れているようだ。これが有馬記念か!)
「最後の直線先頭はオグリキャップ。スーパークリークも来ている。ディクタストライカがスーッと上がってくる。そして外からタマモクロス。これは――何というスピードだ! 5人、6人をごぼう抜き! あっという間に先頭を射程圏内にとらえた!」
(怒号のような歓声。――きたかッ!)
「ターフに走る一陣の風! みるみるその差が縮まっていく! 実況が追いつきません! 上り坂もなんのその! 鮮やかにオグリキャップをかわした! 先頭交代! 先頭はタマモクロス!」
(……まさかここまで予想通りとは。いける、この大歓声が足音すら消してくれる)
「残り100メートル! 先頭はタマモクロス! おっとここでオグリキャップが外に振れた! タマモクロス、オグリキャップを見失ったか!? オグリキャップが外から来た! なんと! オグリキャップが差し返した! 残り50メートル! これは決まったかーーーッ!?」
タマモクロスが現状を受け入れるのには一瞬の間を要した。
オグリキャップをかわした瞬間、勝利を確信した。
まだゴールもしていないのに。
視界の端で後方を確認したのがマズかった。
思考に一瞬の空白が生まれた。
圧倒的な気配を感じたのは反対側。その瞬間、体軸がブレた。
その時点で1バ身の差がついていた。
(……また負けるんか)
天皇賞、ジャパンカップと2度の敗北を経て、改めて身体を鍛えなおした。自分とオグリキャップに、そこまで力の差があったとは思えない。ならば、勝敗を分けたのは別のもの。
(……負けとうない)
タマモクロスが最も気を配っていたのは怪我をしないことだった。それはウマ娘なら誰しもが恐れるものだが、それよりもレースに出走できなくなることで収入が断たれることが問題だった。彼女にとってそれは死活問題だった。
ジュニア期に出走したレースで転倒事故に巻き込まれたことも、それに拍車をかける要因となった。
今でこそ経済的な問題は解消されたが、その頃に出来上がった
(……ウチは何や? ウチは――)
だが出会ってしまった。そんなブレーキを抱えたままでは勝てない
足りなかったのは、否、忘れていたのは、勝利への執念、執着、渇望。
(ウチは浪速の――)
意識が先鋭化していく。大観衆の声さえもが消えていく。
諦観の衝動を抑えつけ、
――
「内から! 内からタマモクロスが伸びる! タマモクロスが迫ってくる! タマモクロス横に並んだ!」
(――まさかッ! 一瞬で立て直したッ!?)
オグリキャップの表情が驚愕に歪む。
その踏み込みは、確かな力となってタマモクロスをひとつ上のステージへと押し上げた。
風も音も、光ですらも置き去りにして、タマモクロスはターフを駆けた。
「タマモクロスかわした! タマモクロスかわした! タマモクロスかわした!! 残り5メートル! 3、2、1、ゴーーールインッ!! 有馬記念優勝、今年度最強ウマ娘はタマモクロスだーーーッ!!」
―――――――――――――――――――――――
アナウンサーは「タマモクロスかわした」と3度叫んだ。俺にはそれが絶望的な言葉に聞こえた。
「やっぱり、凄いウマ娘ですね。タマモクロス」
普段おちゃらけてるから油断しがちだけど、やっぱり強い。
「俺の作戦ミスだ。あの娘は随分とオグリにイレ込んでいたようだからな。ちょっと気を散らしてやれば、そのまま崩れると思った。少し侮ってたな」
「最後のスパートは凄かったですね。精神が肉体を凌駕するってやつでしょうか?」
「どうだかな」
返事はすぐに返ってきた。不機嫌な声が。
「精神が肉体を凌駕する? 世の中そんなに甘くねぇよ。確かにあの娘は限界を超えたパワーを引き出した。けどな、神様ってのはそこまで気前良くはねぇ。奇跡の代償として"何か"を支払わなきゃいけねぇ」
「何か……ですか?」
「そうだ」
不快げにつぶやき、老トレーナーは