あいつが使いを頼んでくることなど殆ど無かった。矢鱈遠い呉服屋への地図を眺めながら、不在の間を心配する俺に子供扱いするなとあいつは苦い顔をした。
「ゆっくりしてくるといい」
駄賃を握らされ、いやに優しいその声に確かに変な予感はしていた。いつも無機質な瞳の奥が今日に限っては別の色をしていた。その時そのことに気付いていたら、今は変わっていたのかも知れない。知れないが。
「ねぇ、追手を出しましょうよ」
「こんのすけは何と言っているんだ。権限は移ったのかい」
「応答が無いわ」
新調したであろう反物を抱え駆け足で戻って来れば、物々しい雰囲気が本丸を包んでいる。塀をよじ登り直接中庭に面した執務室に向かってみると、そこにあいつは居なかった。いつも閉め切ってある障子は思い切り開け放たれ、中にはあの研修中の女と何振りかの刀が居た。ホログラムに向かって必死に何かをしている様子。考えるに指紋認識装置をイカれさせてデータベースに入りこもうとしているのだろうか。厩では出陣の準備をしているらしい。畑には誰もおらず、その非現実が驚くほど恐ろしかった。
ここでノコノコと帰って行ったら、俺は恐らくバラされるだろう。ここ何日かで分かったが、あの女はそれを躊躇しない。タイマンでならここに居る誰にも負けない自信はあるが、数で押し切られたら恐らく歯が立たない。加えて今は夕方、夜になるにはまだ時間がかかる。どうしたもんか。
「愛染殿」
頭上からの声に視線を上げると、屋根の間に身を潜めたこんのすけがこちらを見ていた。団子のように丸まっている。俺は納戸の屋根を伝ってこんのすけの元へ駆け寄る。反物は重くて邪魔だったのでやむなく塀の外の草むらに投げた。
「どうした」
「謀反です。主さまがこれをあなたへ」
どこからともなく取り出した手紙を渡され、それを読む。確かにあいつの字で書かれており、かなり急いでいたのか墨が滲んだり掠れたりしている。
――西の山を越える。今まで世話になった。
「主さんは一人なのか」
「いえ、長谷部殿と共に」
「長谷部? 何でだ」
「御供すると仰いました。あの方が居なければきっと直ぐに斬られていたでしょう」
「政府はなんて」
「謀反など有る筈がないと、つっぱねられました」
「時間の問題だな、第一部隊はいつ帰還する?」
「あと四時間ほどで。鳩を飛ばそうにも居場所がバレてしまいます」
「じゃあそれまでは身を隠すか。気配は感知できるか?」
「僕の状態は至って良好です。あちらへ」
こんのすけは肩に飛び乗り畑の方へ鼻先を向ける。あちらには蔵があり、その裏ならば人気がないということだろう。母屋に張り付いていては短刀連中に気配を悟られてしまう。
「第一部隊の皆様が如何に振舞われるかです」
「正面からの殴り合いだな。十中八九」
「避けるべきです。霊力の供給がありません」
「そう言われてもなあ」
何せあの死闘を潜り抜けてきた奴等だ。血の気が盛んで何よりあいつを好いている。謀反なんて聞いた途端に斬り込んで行くに違いない。
「血の海になりますよ。何せそこそこ大きな本丸です」
「分かってる。仲間殺しはご法度だ」
「決まりましたね。頼みますよ近侍殿」
「しょうがねぇなー」
正直、そんな祭りも悪くないと思った。平静を装ってはいるがそこそこ頭に来ていて、それこそあの執務室に殴り込んで刺し違えてでもあの人間を殺してやろうとも考えた。確かにこれまであいつのしてきたことは正しくはないが、限りなくそれに近かった。俺は知ってる。それが受肉した付喪神は一面のみを見て人間を掌で転がして、憎み、楽しんでいる。何が神だ、たいそうに与えられた名が痴れる。
「どうにかして魚屋向こうの桟橋であいつらと落ち合う。主さんが危ないって言や着いてくるだろ」
「了解しました。最短ルートを弾き出します」
「誰だ?」
咄嗟に口を噤み、蔵の中へ飛び込んだ。一人くらい相手出来るが、叫ばれてはいけない。蔵はじめっとしていて暗く、隠密には適している。息を細く吐き、天井付近に張り付く。この環境ならばこっちのものだ。大太刀も薙刀も、ここでは俺に勝てない。
「愛染か?」
どうやら声の主は蔵の中に居たらしい。俺の気配を察知してもぞもぞ動くその姿が俺にはハッキリと見えた。肩に乗ったこんのすけがハッと息を漏らす。
「愛染殿、あれは」
「……鶯丸」
「やあ、これを解いてくれないか?」
「何故お前が縛られてるんだ」
「何故って」
第四部隊員鶯丸友成。少なくともここで縛られなければならないほど主さんと親しくはない。立場は極めて中立だが、腹の内は読みにくい。
「俺はやりすぎだと言ったんだ。痺れ薬や足を引っ掛けるくらいならまあ仕方ない。主にも非があるからな。しかし、そこまでせずともよいだろうと思ったんだがな……」
「それを言ったのか」
「ああ、聞き入れてはもらえなかったがな。お陰でこの様だ、明日刀解だと言われた」
自暴自棄な苦笑いをして、鶯丸は項垂れる。
「ということだ。助けてくれないか?」
「あんた」
腹の底が冷えていく。視界は愈々鮮明になり、鞘に仕舞われた刃の先が熱くなっていくのを感じる。久々の感覚だ。けど、俺は決して鈍ってなんかはいない。ここは俺の戦場だ、狭くとも暗くとも関係無い。
「あんた、分からねぇひとだ。でも、確実に、兄弟を捨ててまで主さんを守ろうとする奴じゃない。そうだろ」
空気が動いた。きっと誰かグルになっているのだろう。
「……勘の良い短刀だ、一筋縄ではいかんか」
「当たり前だ」
斬りかかってきた誰かを避け、遠慮無しに斬り付ける。相手が身を翻したから刀は掠っただけだったが、間髪入れずにぶち込んだ足蹴りが相手の腹に上手く決まった。襤褸の天井をぶち抜いて日の元へ出る。眩しそうにこちらを見上げた鶯丸。隣で蹲っているのは前田だろうか。
「お前は兄弟を捨てるか愛染国俊」
「俺は守り刀だ。これを選ばなければ、俺は死んだも同然だ!」
「見誤ったな、愚かな赤子よ」
「言ってろ。その錆が剥がれたら泣いて主さんに詫びるといいさ」
唾を吐き掛け、蔵を後にした。幸いあの罠は鶯丸達の独断だったようで追手は来ない。
「このまま市の方へ行こう!」
「了解です。愛染殿」
後ろ髪を引かれない訳ではない。しかし走らねばいけなかった。微温湯に浸かっている暇はない、俺は刀なのだから。
『あいぜーん』
思い出す。辛いときはいつもあの光景を思い出した。夢ではなく、確かにあの時主さんはまるで違う人間だった。
『愛染、ツクシだ! おやつは掻揚にするか?』
遠くに俺を見つけると両手を広げてこっちに走って来た。荒れた手は薬のヘンな匂いがして、俺はそれにガシャガシャ撫でられるのが好きだった。噛み殺すように笑う、びっくりするほど心の広い。弱かった俺に戦以外を教えてくれた。風の匂い、花火の音、眠ること夢を見ること。何もかも、あの人は俺達のお手本のように生きていた。人間を生きていた。
今でも鮮明なまま、あの人は変わらず其処に居る。覚えているからこそ俺たちは無視されようと怒鳴られようと足にしがみついてでもあの人の傍に居る。
『主さん。傍に居られないのなら、俺は腹を切る。バラしてくれ』
いつか我慢が出来ずに泣きながら言った俺に主さんがした顔は、怒りも憎しみも無い、深い深い悲しみの顔。喉を引き攣らせ、主さんは膝から崩れ落ちた。俺は驚いて、なんて酷いことを言ってしまったんだと後悔した。何も変わっちゃいない、あの時の柔和で優しい主さんと。
『やめろ、やめてくれ。あいぜんは、死んだらダメだ』
まるで人間に言うみたいに。俺はって何だよ。
じゃあ誰だったら死んでもいいというんだ、馬鹿野郎。
二話でした。ちょっと修正入りました。