「あーあ、疲れちゃったよ」
「次郎さん、ちゃんと歩いてくれよー」
「厚ちゃーん」
前方を歩く三振りに大きく後れを取って、覚束ない足取りの次郎太刀を支えながら厚藤四郎は歩いていた。久ぶりというか殆ど初めてではないかと思われる遠征は、昨日突発的に主に出発先を教えられたという、これまた唐突なものだった。何故だ出陣はどうしたと五月蠅い次郎や加州に、主は何も説明しなかった。半日掛かりの遠征は出陣に比べたら驚くほど容易なものだが、何故一軍にそんなことをさせるのか意図が掴めない。
最近は大将のことをよく思わない連中の動きが活発だ。愛染も含めて出陣する機会が増えて近侍も無しに本丸に残してしまうことも多くなったからだろうか。本人は不要な心配をしないで刀装を溶かさない努力をしろと冷徹な様子だったが、先日出陣から戻った時は酷く腹を空かして今にも倒れそうだった。新たに現れた研修生とやらに執務を補助してもらっている風でもなく、大将は部屋で執務をしているにも関わらず大広間で宴会騒ぎをしていた。キレた加州が斬り込みに行こうとするのを次郎が止めて、ごたごた五月蠅いと執務室を追い出されてしまったっけ。近侍の愛染から翌日聞くには、大将は愛染がかっぱらってきた晩飯を半分だけ食べて、風呂にも入らず眠ってしまったらしい。極度の緊張と激務による疲労からか、愛染が傍に居るときは大体こんこんと眠っている。昔と比べたらだいぶやつれて、顔は青ざめている。笑うことも極端に少なくなった。
「大将は元気かなぁ」
「心配はいらないさ。今日は愛染が一緒だからね」
次郎に持ち上げられ、高くなった視界から本丸の方向を見る。精神を研ぎ澄まして徐々に明瞭になる辺りの様子、人の動きを捉える。普段と変わらない街の動きを追っていると、ふと気にかかるものが魚屋の前に見えた。燃えるような赤髪とその隣にいる金色の毛並み。ハッとしてもう一度そこを見る、と同時に俺は叫んでいた。こちらに気付いた愛染も何かを言っているようだった。
「桟橋手前から愛染が走ってくる! 大将は近くに居ない!」
次の瞬間、前を歩いていた加州と獅子王が走り始めた。大倶利伽羅は澄ました顔で歩き続けているが、手が腰の刀へ動いている。とても平静ではいられないのは皆一緒だ。足の遅い次郎は俺を降ろして早歩きを始めた。俺も走り出す。
愛染の表情からするに、尋常でない状況だが冷静を心掛けているといったところ。大将から離れることなど滅多にないこんのすけを連れてこんな所まで来ているのだ、大将の身に何かあったに違いない。まさか、いや考えてはいけない。ただで消えるような人ではないのは、俺達皆が知っていることだ。俺は何とか加州達に追い付く。
「加州、落ち着けって!」
「……分かってるよ。分かってる」
獅子王は走りながら加州を諫めていた。加州も何とか自制しようと思っているらしいが、殺気が抑えきれていない。その内愛染がこちらに駆けて来る姿が見えた。
「愛染!」
合流するかしないかのところで加州が叫び、そんな様子を見て愛染は冷静さを取り戻したように、一度大きく息を吐いた。肩にしがみついていたこんのすけが話し出す。
「皆様、落ち着いて聞いてください」
「主はどうしたんだよ!」
「加州、落ち着けって」
遅れて走って来た次郎太刀と抱えられた大倶利伽羅も交え、俺達は桟橋下の空間に身を潜めた。日は既に落ち、夕方が終わろうとしている。夜が来るのも時間の問題だ。
愛染は大将の書置きを皆に見せた。こんのすけが謀反が起こった旨を説明したが、説明が終わらない内に加州が傍にあった粗大ゴミを蹴り飛ばし、静寂がやって来る。橋の上から聞こえる呑気な世間話の声だけが場違いに明るい。
「……それで。どうすんの?」
加州は地を這うような声で静かに言った。今にも走り出して行きそうなほどの気迫が、何だか浮世離れした話を現実のものだと裏付けている。先ず何よりも大将の安否の確認が最優先であることを分かっているんだろう、拳の震えを押さえつけて。
「主を探しに行く、それしかないじゃない」
「早く見つけねぇと。あいつらに見つかれば殺されるからな」
次郎と獅子王が広大な山をどう動くかの相談を始めた。大将の書置きを眺めながら黙りこくっている大倶利伽羅を後目に、俺は愛染と何か食べるものを探しに行こうと動き出した。おそらくだが大倶利伽羅は加州が本丸に殴り込みに行かないか監視しているのだろう。あいつの冷静さ(というより情動の薄さと言うのか)はここぞという時に頼りになる。
俺は愛染と隣り合って歩き出した。見つかる訳にはいかないので裏道を慎重に進む。
「長谷部と一緒で良かったよ」
愛染は溜息を吐いてそう言った。大将一人では山中を生き残れないだろうし、長谷部の存在が上手い具合に相手を牽制しているのだろう。人望の欠片も感じさせない主人ではあるが、暴力や刀を折るということはしない。そこそこ古参の中堅組こそ長い間見てきた主の横暴さに反抗し目の敵にしているものの、その怒りに流されない刀も確かに居た。長谷部をはじめとする育成さえしてもらえぬ刀たちにとって、主というものは遠い存在だったのだろう。そのために兄弟刀に組して大して恨みも無いのに主を嫌う刀も居れば、長谷部のようにただ寂しくしている刀も居る。あの女が多くの刀をかどわかせたのは、人間の愛や気遣いに飢えている刀があまりにも多かったからだ。
「本当だな」
愛染は変わらない。俺も愛染同様多くの兄弟を見限ってでも大将の傍を選んだクチだが、加州や愛染ほど熱心に大将のモノであろうとはしなかった。ふたりは初めに来た刀であるということも大きいんだろう、この二振りの執心は最早病的と言えるほどであった。大将がまだ優しかったときも、二人振りはずっと大将の傍に居た。ああ、大将を一番思っているのは二振りだし、大将が一番に思っているのも二振りなんだろうなと、俺の意識は自然とそう捉えていた。羨ましい気持ちは初めからあった。しかし俺だって曲がりなりにも一軍に籍を置いたし、十分大切にされた。それこそあの大勢の兄弟刀の手を振り切ってこの道を歩むくらいの気概はある。たまに、戦場から帰って嬉々として報告する様子を遠巻きに見ている俺を抱え上げ、泥まみれの服ごと抱き締めてくれた。よく生きて帰ったなと笑った。あのときほど戦ってよかったと思える時は無かった。歴史改変どうたらより、俺はあの瞬間のために戦っていた。
「ちゃんと食べてればいいんだけどな」
愛染は笑っているが、だいぶ心労が溜まっているようだった。無理もない、傍にずっと付いていればと後悔する気持ちは俺にだって多少なりともある。それが近侍だったら猶更だろう。
「信じよう。それしか無いって」
「……ああ、そうだな」
仲間が居ることは何よりも頼もしい。本丸結成当初から一緒だったこいつらとは下手な兄弟よりも通じ合っていると思う。
「良い機会だったんだよ。大将は昔に戻るかも知れないぜ」
俺はおどけてみせる。どの刀にとってもあの大将の残像が希望だった。
「……そうだったら嬉しいなぁ」
信じるしかない、そればっかりだ。愛染はへへっと笑って「あの八百屋に行こう」と走り出した。俺は自分の言った言葉を頭の中で繰り返し、また希望を据え直した。
3話でした。