追われた審神者と刀の話   作:小星

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第4話

 矢張り眠れず焚火の番をしていると、遠くにかがり火が見えた。追手だと限った訳ではないが、追手でない確信は無い。長谷部は眠り込んでうんともすんとも言わない主の肩を恐る恐る揺すった。

「主、追手やも知れません」

返事は無い。故意に無視しているのではと一瞬勘繰ったが、どう見ても眠っているのだ。戦に関わりの薄い人間というものはどうしてこんなにも呑気で居られるのだろうか。長谷部は溜息を吐いて眠ったままの主の手を取り、背におぶった。流石にこれでは叱られることなどないだろう。いや、怒鳴られたとしても今は動かねばならないのかと思案し、まだ夜も明けない森の中を歩き出した。木の根や石の上を滑らないようにしっかりと踏みしめて歩く。左耳から聞こえる単調な寝息を聞き、頬に流れてくる黒髪が少しくすぐったい。春の夜はまだ少し冷えて、だらんと垂れた主の両腕がいつの間にか首に巻き付いていた。そのことに胸を躍らせる間も無く山を越えようと道を選び、逃げるように歩を早める。虫の声やどこからともない鳥の声、受肉して何も知らない体で夜を屋外で過ごすのは初めてで、切羽詰まった状況がまた脳と思しき部分を興奮させた。昼とはまったく違う雰囲気の夜の森。生命は息を潜め、静かに静かに朝を待っている。本能的な闇夜への恐怖と、しかし際立って美しい月が背中を照らす安心感が拮抗していた。独りではないという状況も長谷部の歩みを支えている。

「……へし切」

振動で目を覚ましたのだろう、主は頭を持ち上げて低い声で俺を呼んだ。降りようとするのかと思いきやぐったりとしたまま動かず、次いで何か言う訳でもない。

「追手が来ている様子だったので場所を移動しています。まだ眠るのでしたらこのままおぶって行きますが、どうしますか?」

休息がてら近くの大樹の根本にゆっくりと主を降ろした。樹にもたれながらずるずると寝そべるように地面に横になるので、どれだけ寝起きの悪い人なんだと溜息を吐いた。

「如何されますか」

移動せねばならぬ焦燥感を抱きながら再度尋ねると、流れた前髪の間から覗く眼がゆっくりと開いた。

「……水、ある?」

少し掠れた声だった。はあっと息を吐いて両腕で上半身を持ち上げた主はゆっくりと座り直した。ここまで来ると流石の俺も何かがおかしいことに気付く。まさかと思いおずおずと額に手を当て、自分の額にも手を当てる。明らかに温度が違う。

「あー…… ごめん。こんな時に」

張り詰めていた糸が切れたように力なく笑い、俺の手を退ける。呼吸は荒く、闇夜であまり分からないが頬が紅潮しているようにも思える。

「いえ、大丈夫です。横になりましょう、動けますか?」

「ん」

また横たわった主を見ながら、近くに水場が無いか探す。幸い沢が流れているようで、そこまで行って外した手袋を濡らした。水を汲む容器など持ち合わせていないため、手で水を掬って零さないように注意しながら戻る。

「手ですみません。飲んで下さい」

主は何も言わず頭を擡げて俺の指先から水を飲んだ。唇は荒れていて、思ったより柔らかい。

「まだ飲みますか」

「や、もういい」

「お身体はどうですか」

「……うん、だいじょうぶ」

何も大丈夫な様子はない。しかし正直にここが悪いと言う人でもなさそうだ。移動は諦めて火を起こしながら様子を伺っていると、何度も腕を擦っている。加えて頭部の位置を何度も変えているので、頭痛がしているのだろうと目星を付ける。薪が安定して燃え出すと、べったりと地面に伏している主を抱え対面するように抱きかかえ、自分は樹に寄りかかって座る。脱いだ上着をゆっくり上下する肩に掛ける。濡らしてきた手袋で顔の汗を拭き取り、額に当てる。態勢が変わり少しの間呻いていた主だったが、風にあおられているよりもだいぶ温いようで暫くするとまた眠り始めた。刀である俺には風邪を引くとか熱を出すとかいう感覚は分からないが、辛そうであることは分かる。ぐたっとして体重を預けてくる、思ったより薄い背中を擦りながら、これからどうしたものかと思案した。このままずっと眠らせている訳にもいかない。俺もこの人も腹が減るし、動かなければいつかは見つかってしまう。だからといってこの人を置いて何処かへ行くことも出来ない。共に行動するしかないが、移動はきっと体に障る。この人を最優先に考えるからこそ、これからどうするか考えあぐねてしまう。

 思考の逡巡と裏腹に適度に運動した体は休息を求めていた。密接して温かい部分からじわじわと眠気がやって来て、ダメだと思っても瞼がくっついてしまう。

 

 

夢を見た。夢を見ること自体久しぶりだった。夢の中の俺は人間で、雪が降る中誰かの隣に立っていた。不思議な夢だった。洋風の建物や知らない音楽に囲まれ、木は色とりどりに輝いていた。隣の人間は俺を見て微笑み、眼を潤ませて泣き出すのを堪えていた。極寒のなか繋いだ左手だけが温かい。

『わたしたち、こんなに幸せでいいのかな』

その人は言った。途端に俺は心臓を掴まれたような気分になり、わんわん泣き出してしまった。その場面が何度も何度も繰り返され、そして俺は飽きることなく泣き喚いている。その内空間は広く暗く、寒くも暑くもない場所になって、目の前に伸びた長い長い道を、俺は泣きじゃくりながら歩かねばならなかった。誰に何と言われた訳でもなし、しかし歩かねばならなかった。地球が回ることのように、それは当然のことで。いつの間にか涙は乾いており、指で頬に触れても水気など無い。それを知って、俺は、なんだか、空虚な気分に。

 

 

 

 目を覚ました。ハッとして状況を見ると昨日起こした火は消えており、辺りは明るかった。主は未だ眠っているようで、動かせなかった体が若干こわっている。頭を支えながら地面に敷いた上着の上に慎重に主を降ろすと、様子を観察した。昨夜は暗くて見えなかったが頬は確かに紅潮していて、明らかに熱がある。看病などした試しがないので、どうしたものかと考えていると、日の光に主は目を開けた。

「調子はどうですか。何か欲しいものはありませんか?」

「みず……」

「はい、直ぐに」

「つれてって」

「え、あ、はい」

肩を貸しながら沢に行くと、主は水面で自分の顔を映す。口の中を見て、喉の辺りを触りながら確認し、額に手を当てる。

「風邪だなあ」

そう言って水を掬って飲んだ。喉も傷めているのか、さっきから声が酷い。何度かうがいをして、着物の右袖を破って水に浸した。

「へし切、食べられるもの、探してほしい」

服をどうにか脱ぎながら俺にそう言い、主は自分の体を濡らした袖で拭き始めた。俺はハッとして返事をし、果実か何かないだろうかと周辺を探しに向かった。流石人間は体が弱いからあのような状態にも慣れているのだろうか、妙に手際が良い。ちょうど柑橘系の実が生っている樹を発見したので、三つほど実をもいで主の元へ戻った。主は既に服を着て沢べりに座っており、俺を視認すると手招きをした。声を出すと喉が辛いのか、その辺にあった石で筆談するようだ。

『あたまがいたい。歩けるじょうたいじゃないから、お前は逃げろ』

「出来ません。おぶって行きます」

『これから熱が上がる。免疫おちてるからどのみちやばいかもしれない』

「どこか療養できる場所を探します」

『命令だ』

「嫌です」

『分かれよ、バカ!』

「馬鹿でいいです」

もう手を動かすのも辛いようで、観念したように溜息を吐いた。ぼんやりとする顔には昨日のような強さがなく、弱弱しい。刺々しい態度を取る余力も無いのだろう、主はだんだんと人間らしくなっているように思えた。申し訳なさもあるのか、俺の言うことには素直に同意してくださるようだ。人というのは弱るとこうまで変わるのだということに驚きだ。俺はまた肩を貸しながら元居た場所へ戻り、頭が痛いと呻きながら横たわった主に皮を剥いた果実を渡した。自分も少し食べてみたが、酸味が強い。主も口をキューっとさせながら食べている。

「移動しましょう。山を越えたらきっと家屋があります」

顔を覗き込むと、主は口をもごもごしながら返事をした。上着に袖を通し、横たわっている主の背中を抱き起す。背負って歩くこと自体はあまり苦ではない。無駄な力が入っていないから扱いも楽だ。改めて見てみると草履で山道を歩いていたからか足には擦りむいた個所や水膨れが出来ている。

「揺れは大丈夫ですか」

消え入りそうな返事をして、主は言葉にならない呻きを上げながらまた眠ろうとしていた。当然会話も憚られ、俺もただ無言で歩き続けた。道中鹿や猪と出会ったが、俺達を見て何を感じ取ったのか、攻撃的な動物は居なかった。屡小川や岩穴で休憩しながらその都度重くなる症状を俺は苦々しく思った。主の言った通り熱は徐々に上がっているようで、泣き言こそ言わないものの愈々手放しに歩き続けることも出来なくなってきた。まだ日が高い内に寝床を決め、落ち葉を集めてせめて硬い地面で眠らなくてもよいようにした。熱に魘されている主を寝かすと、いつも通り焚火と食料の準備をし、汗でびっしょりの体を力加減を考えながら拭いた。男の膝では役不足だろうが無いよりもマシだと頭を腿の上に乗せ、冷や汗を逐一拭った。その内星が空に浮かび、夜が来る。子守唄なんか歌えればよいのだが、生憎歌となど一つも知らない。能や歌舞伎ではない、母が子に送る唄は知らない、剣のからだ。苦痛を和らげる術も俺は知らない。

「……へしきり」

ガラガラの声で名前を呼ばれ、ふと視線を落とした。重そうに瞼を開けた彼はこれまた重そうに腕を上げて俺の顔に触れる。

「ありがとう」

あまりに屈託無く笑うものだから、俺は吃驚してしまった。困ったような眉毛、熱の所為でとめどなく流れている涙が薄っすらと頬を濡らしている。

「分からない人ですね、貴方も」

「そう、かな」

ハイになっているのだろうか、腹を抱えて笑い酷く咳込んだ。それにしても憑き物が落ちたみたいに笑っていて、俺が遠目に見ていたあの人と同じ人間だと思えない。

「来た、な」

ふと、見つめていた双眸が鈍く光った気がした。主はゆっくりと起き上がり、洞穴の入り口の方向に視線を向けて離さない。

「どうされましたか」

「へし切、準備しろ」

膝を立てて何とか立ち上がった主を慌てて支えると、触れた個所から何かしらの力を感じた。これには覚えがあって、それが一体何だったかと一瞬考え、直ぐに合点がいった。久しく触れていなかったが、これは過去戦場で感じたこの人の霊力。高濃度で駄々洩れるほどの量のその力は、六振りを同時に歴史の中へ送ることが出来るほどだった。俺は刀に手を掛け、全身に入ってくるその力を甘受した。鳥が高く嘶き、木々が揺れる。寒気がするような異質な存在は、きっと刀剣のものではない。その事実が喜ばしいのかそうでないのかは今の時点で未だ不明だが、確実に言えるのは敵であること。征伐すべきこと。体中の血管に酸素を送り込み、本能的に俺は闘いの準備をする。神様などという概念にはまるで当てはまらない、この瞬間だけは獲物を狩る動物の本能とも、防衛本能とも違う感覚が体を支配する。戦う手段、殺す手段としての本能。食べるためでなく、生きるためでなく、奪うことを目的に据え、空虚に湧き上がる。行けの合図を待ち詫びて膝が笑っている。武者震いとは上手く形容したものだ。現に俺は楽しくて仕方がないのだから。

「待てよ、待て。ひとりずつだ、確実に」

「はい」

「ケガしたら、戻れよ」

「はい」

「じゃあ、おまえの、一人舞台だ」

平等に与えられていた筈の主の力が、今は俺だけに注がれている。その事実に興奮し、溢れる自信と刃が研ぎ澄まされる感覚に浸る。相手の空気が動くと同時に走り出し、一番手前に居た敵の首を刎ねる。先手を取ってどれだけを屠れるかが鍵だということは主も分かっているらしく、ありったけの力を注いでくれているようだった。対峙して感じたのは相手が格上であること。しかし背後には主が居るのだ、折れても引く訳にいかない。敵はあと大太刀二振り、太刀が一振り。機動では勝っているものの一振りでは袋叩きにされる恐れがある。

「落ち着いて」

背後から声がする。静かな声にブレていた神経を引き戻される。背後の存在に背中を押されているようで、集中力を高める。首を斬る、一息に。斬りかかってきた太刀を受け流し、その流れで刀を握る腕を切り落とす。腕でも中々硬かったから、首を刎ねるときはもっと力を入れなければいけない。横向きに大きく振られた大太刀を躱す。しかしすぐさまもう片方の大太刀が目掛けて刃を振り下ろす。何とか受け止め威力を和らげられたものの、肩をばっさり斬られてしまった。神経をやられたのだろうか、刀が上手く握れない。それでも確実に減らすことを意識し、何とか太刀の首を刎ねた。ジリジリと大太刀二振りと相対していると、背後から切り裂くような叫び声がした。反射的に振り返るといつの間にか短刀が一振り隙を突いて主の元へと向かっていた。一瞬にして頭が真っ白になり、俺は敵に背を向け走り出そうと足を動かそうとした。

「来るな。大丈夫だ」

なぜそこまで冷静なんだ。フラフラで立っているのもやっとの人間が、敵を目前にして物怖じ一つしていない。霊力はブレることなく、俺に注がれている。何か策があるのか、それとも。しかし主命は絶対だ。あの人が大丈夫と言うんだ、信じるしかない。俺は何故か泣き出しそうになりながら大太刀のうちの一振りに斬りかかった。鋼鉄のような肌には傷一つ入っている風は無く、全力であっただけにまた混乱する。

その大太刀が、やけにゆっくりと刀を構えた。口元は釣り上がっており、最早余裕の様子で俺を折ろうとしていた。足りないのだ、そもそもの練度が。肌で感じる愉悦が、背後がいつまでも静かなままなのが、情けなくて。情けなくて。そして、さっき初めて見た主の笑った顔を思い出した。ああ、走馬灯だ。悔しい、こんな刃じゃ守れないんだ。

覚悟を決めた次の瞬間だった。見上げたその真っ黒い顔がずるりと重力に従って落ちて行った。驚いて声も出せないでいると、隣の大太刀も倒れていた。洞穴の中から断末魔が聞こえ、ハッとして洞穴の中に目を向けた。すると、暗い洞穴の中から遡行軍の血に濡れ刀を携えた加州清光が、昏倒した主を抱えて出てきた。

「加州、主さんは」

大太刀の首を斬ったであろう厚が木の上から飛び降り、すぐさま加州に向かって行った。俺は興奮と緊張感の反動からガックリと膝をついた。肩の傷が思ったよりも酷く、血液がとめどなく流れ出ている。

「よくやったな、長谷部」

第一部隊隊長、獅子王。彼は倒れ込みそうになった俺を支え難なく持ち上げた。

「よし、戻るぜ!」

獅子王がそう叫んだ声を最後に聞いて、俺は気を失った。視界の端っこでは加州が黙ったままぐったりとした主を横抱きにしていた。加州の瞳は冷ややかで、涙も流れてはいなかった。しかしそこには確かな怒りと悲しみが見て取れて、ああこれが第一部隊かと思った。安心したのは確かだ。しかし少し寂しかったのは、多少なりとも俺が一番主を思っていると錯覚していたからだろう。




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