乙女心もシグルイ   作:hasegawa

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第一景  虎眼流の阿修羅

 

 

 寛永(かんえい)六年、九月二十四日。

 徳川の将軍家光の実弟、忠長(ただなが)により、駿府城の庭先でおこなわれし御前試合。

 それは忠長の命により、試技用の木剣ではなく真剣にて行われるという、前代未聞の儀であった。

 

 手島竹一郎家伝【駿河大納言秘記】によれば――――

 

・出場剣士、二十二名のうち、敗北による死者八名。

・相打ちによる死者六名。

・試合後、射殺されし者二名。

・生還六名、うち二名重傷。

 

 ……という、げに無残な代物であったとされる。

 

 暗君忠長の狂気と異常性を示し、そして時の将軍の実弟という身でありながらも、後に自刃(切腹)を命じられるという、その一因ともなった駿河城御前試合。

 

 まぁそんな事はひとまず置いといて……それから時をさかのぼること、七年前。

 遠江国(とおとうみのくに)に、とある高名な剣術道場があった――――

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「牛股師範ッ! 藤木師範代ッ!」

 

 蝉の声が煩いほど響く、夏の日の昼時。

 ここは虎眼流岩本道場。濃尾無双(のうびむそう)と謳われし剣豪、岩本虎眼の道場である。

 今日も元気に「えっさほいさ」と鍛錬に励んでいた門下生たちは、突然緊迫感を孕む声と共に飛び込んで来た、一人の門弟の方へと振り向く。

 

「申し上げます! ただいま玄関に、他流の者が参っておりまする!」

 

 男は稽古場に入るやいなや、即座に正座の姿勢を取り、カッと見開いた瞳のままで告げる。

 たった今まで「いやいや弟分よ、門下生壊れちゃうよ。ちと加減という物をだね」「でもでもお兄ちゃんっ! 痛くなければ覚えませぬ! ぷいっ!」というような感じで、指導方法についての話し合い中であった(いちゃついてた)牛股権左衛門と藤木源之助の両名は、どこかキョトンとした顔で、それを見返した。

 

「――――失礼いたす」

 

 そうこうしている内、戸の前に座る門弟の横をすり抜けて、ひとりの男が姿を現す。

 余裕を感じさせる笑み、不敵なまでの悠然たる歩みで、スタスタと稽古場に入って来た。

 門下生たちが「ポカーン」とする中、男はちらりとこの場を見回したかと思えば、即座に権左衛門を最上の使い手と見抜き、その目前に立つ。

 

「伊良子清玄と申す」

 

 日に照らされ、まるで絹のように光る、白地の着物。

 その腰に差されし、雅な装飾が施された美しい大小(二本の刀)。

 後ろで一本に纏められた艶やかな長髪は、腰に届かんばかりの長さだ。

 まるで女性と見まごうような、美しい容姿。

 しかし、男性らしくキリリと整えられた力強い眉。

 見れば吸い込まれそうな程に、妖艶な輝きを放つ、とても大きな瞳。

 

 そのどれもが、とても剣客には似つかわしくない、美しさを纏う。

 剣の道に励む者達の、汗が沁み込みし稽古場。この場においてその風体、その艶めいた芳香は、ハッキリ場違いと言える物だ。

 

「……御仁、ご用のおもむきは?」

 

 少しばかり額に汗を流しながら、権左衛門が訊ねた。

 その者のあまりに異様な風貌に、無礼だの何だのと怒りを覚える前に、ただただ呆けてしまっているこの場の者達の中で、権左衛門だけが即座に平静を取り戻した。

 年長者、そして門下筆頭という責務ゆえか。

 たとえどのような相手であれ、虎眼流の恥は晒せぬと、内心の動揺を見せぬまま対応する。

 

「岩本虎眼先生と、お手合わせ願いたく」

 

 静かな声で、そう言ってのけた。

 ――――道場破り。

 その途端、この場の空気がピシリと固まる。

 門下生たちが一斉に目を見開き、思わず木剣を手に取り、腰を上げる。

 

「……」

 

「……」

 

「…………」

 

 かに思えたのだが……、この場の誰も、立ち上がる事をしなかった(・・・・・・・・・・・・)

 本当は「お主この野郎! ぶっころに御座る!」とばかりに、木剣振りかぶって斬りかかっていく流れなのだろうが、いま伊良子を取り囲むように座る門下生たちは、誰もが「えぇ~」とか「うわぁ……」みたいな顔しており、ただただ目を逸らし、黙って下を向くばかりなのだ。

 

「……はて?」

 

 伊良子は思わず気の抜けた声を出す。

 いつもならば、道場破りの旨を伝えた途端に、まずは怒気を孕んだ門下生たちに取り囲まれる~というのがお決まりなのだ。

 その後に余裕を見せるべく笑みなどを浮かべ、あとは口先なんかを上手に駆使しつつもこの場を収め、門下生数人と立ち会った後で、道場主を打ち倒すなり金子を与えられて帰されるなりをする……というのがいつもの流れであるのに。

 有り体に言って、「なんか妙に御座るぞコレ」という感じだ。

 

「あ~。…………分かり申した。

 なれば道場の約定、という物があり申す。……あり申すのじゃ。

 伊良子どのには、これより門弟の者二名と手合わせしてもらい、その後に望み通り……という事になるのじゃが。それでよう御座いまするか……?」

 

「えっ。

 あ、拙者はそれで構いませぬが……。えっ?」

 

 先ほどとは違い、なんか困ったような顔で、滝のような汗を流す権左衛門さん。

 その姿を見て、ただただ伊良子清玄は、気の抜けた声を返すのだった。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 濃尾無双と謳われし、岩本虎眼。

 その道場には、一虎双龍と恐れられる三人の弟子がいる――――

 

 これは伊良子がやって来てから、少しばかり経った後に流布された噂なのだが……、ここに通う門下生たちは皆「そんなモンが居たから、どうだって言うんだ」という気持ちでいたりする。

 

 師範である牛股権左衛門は、類まれな巨体と、鬼の如く怪力を誇る、虎眼流の虎。

 そして師範代である藤木、伊良子の両名が、正に双龍と称えられるに相応しい剣士である……という意味の言葉であるのだが。

 確かにそれは道場の誉であるし、虎眼流の名が世に知れ渡っているという大変に素晴らしき事ではあるのだが……。

 しかしながら、前述の通り「そんなモン居たからどうだと言うのか」である。

 

 ――――だってその虎や龍より、よっぽど強い人いるじゃん。

 そんな御大層な呼ばれ方してる人達が、束になっても敵わないくらいの化け物いるじゃん。

 たとえ本物の虎であろうが、阿修羅には敵わないでしょ(・・・・・・・・・・・・)

 

 彼等は必死に剣術に打ち込み、確かに虎眼流を誇りとしてはいても、心のどこかでそう思わずにはいられないのであった。

 

 

 話を戻し、この“道場破り”について語ろう。

 先の一虎双龍的な噂に象徴されるように、ここ岩本道場の剣士たちは大変に強いとされている。

 三百石を持ち、大名である掛川家の剣術師範役を務める岩本家。その流派である“虎眼流”は、実質的にこの地で最強と目されている。

 

 虎眼流恐るべし。もし討ち破ることが出来れば、さぞ名が挙がろうて。

 ゆえにここ岩本道場では、本日やってきた伊良子清玄しかり、こうして道場破りに来る武芸者たちが後を絶たないのだ。

 

 

 

「――――おぉなんです? 道場破りですか!? 私やりまする!」

 

 虎眼流の稽古場に、乙女のハツラツとした声が響く。

 

「三重が! 三重がやりまする!

 権左衛門! かわってかわって♪ わたくしわたくし!」

 

「み……三重さま」

 

 元気に満ち溢れた声、キラキラと輝く瞳。

 そんな岩本家の子女“三重”の姿を見た途端、権左衛門を始めとする門下生たちは「どよーん」と暗い表情を浮かべた。

 

 だから嫌だったんだ――――道場破りなんて。

 門下生たちは、皆一応に顔を伏せ、ただただ歯を食いしばるばかり。

 ほら見ろ。道場破りなんか来るから、三重さまがメッチャはりきっておられる(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 お主のせいじゃぞ、とばかりに、門下生たちが伊良子を「じとぉ~」と睨んだ。

 

「あなや! 藤木やられとる! 指折られとるじゃありませぬか!

 なにがあったと言うのですコレ!」ワクワク

 

 ちなみにだが、先ほど藤木源之助は、すでに伊良子との立ち合いに破れていた。

 今は稽古場の壁際に座り、悔し気に顔を伏せるばかりだ。

 

「ふあっ?! 人差し指と中指があらぬ方向へ! いとおかし!

 虎眼流師範代ともあろう者が、何を折られることがあるのですか!

 ねぇ今どんな気持ち? 藤木どんな気持ち?」

 

 満面の笑みを持って、藤木にウザ絡みをしていく三重さま。

 愛らしい声、うっとうしいテンションで「おしえておしえて♪」と詰め寄っていく。

 元気に顔を覗き込まれる度に、藤木は恥ずかしそうに「ぷいっ!」と顔を逸らしている。

 

「あれかえ? 鍔迫りの時かえ?

 アホの藤木のことです。どうせいつもの如く、アホみたいに鍔迫りを挑んだのでしょう?」

 

「……ッ!」

 

「えいやー! がっしぃぃぃーーん!

 よぉーし、ふっふっふ! いつもみたいに得意の鍔迫りでぇ~!

 って! うわなんか指つかまれて御座る!? なにこれ骨子術!?

 うわぁ動けぬぅ~! 身体がしびれ申すぅ~!

 しかも拙者、ビッターン投げられて指折られとるぅ~! くやしいのう、くやしいのう。

 ――――みたいな感じですか? どうなのです藤木」

 

「……ッ! ……ッ!!」

 

「痛くなければ覚えませぬ。(キリッ!)

 ほらっ、言うてごらんなさい藤木! いつものやつを!

 はい一緒に! 痛くなければぁ~? 覚え~?」

 

 悪魔にござるか――――

 理由なきウザ絡みが藤木を襲う。それをげに不憫なりと、門下生たちが同情の目で見つめる。

 

「ひっぱったら治るんじゃないですか? 

 骨折だか何だか存じませぬが、ちと引っ張ってみましょうコレ。あそ~れ」グキグキィ

 

 なれど、まぁ門下生たちの本当の心は「こっちに来ませんように」という物なのであるが。

 どうかあの“無垢な虎”が、興味の矛先をこちらに向けませんように。ただただそう伏して祈るばかりだ。

 藤木がんばれ。頑張れよ藤木。お主だけが頼りぞ。

 

「あっ、間違ごうて怪我をしていない指を引っ張ってしまいました。

 藤木の四本の指が、全てけったいな方を向いておりまする。

 許しなさい! 許しなさい!」

 

 ただ……なんであんなにも良い男が、あのような目に合わされねばならぬのだろう?

 寡黙で、忠義者で、心の底から三重さまを敬っておる(ほぼ唯一の人間と言って良い)あの藤木が……、なんで親指以外すべての指をヘし折られておるのじゃろうか。

 

 どれほどご無体な仕打ちを受けようと、どれほど指が変な方向に曲がろうとも、ただただ黙って三重に付き合っている藤木を見て、門下生たちは考える。

 なれど、いくら考えようとも、答えは見つからないのだ。涙がちょちょ切れるばかり也。

 

「なんと惨いことを! まさに鬼畜の所業!

 誰ですか、これを致したるは! そこのロン毛ですかっ!」

 

 三重さまが「ぷんぷん!」と憤怒に染まった顔で立ち上がり、稽古場の端っこに立つ伊良子をビシッと指さす。

 いや……あのロン毛もそうなれど、残りの二本を折りたるは、あんたに候――――

 門下生たちはそう言いたかったが、なんか謎の義憤に燃えている三重の姿に、もう何も言えなくなった。

 

「よくもわたくしの藤木を! この下郎(げろう)ッ! ロン下郎!

 次はこの三重がお対手(あいて)つかまつる! ウケケケ!!」

 

「…………」

 

 先ほど、三重がこの場にやってきた時から、ただアホのように呆けて場を見守るばかりだった伊良子。

 彼はようやく「はっ!」と我に返り、身体の動かし方を思い出したかのように、三重と向かい合った。

 

「あの……、牛股どの?」

 

「……何に御座ろう?」

 

「いや……この女子(おなご)はいったい?

 ここは剣士の場に御座ろう……?」

 

 首だけをグギギギ……っと動かし、権左衛門の方を見る。

 手にした木刀も、だらりと下にさげたままで。

 対して権左衛門は、なんか困った顔でポリポリ頭をかきつつも、それに応えた。

 

「……いかにも。ここは剣士の場なり。

 ここにおわすは、我ら虎眼流の開祖・岩本虎眼先生が子女であらせられます、岩本三重さまに御座る」

 

 そう説明をされ、改めて向き直ってみれば……三重はこちらに向けて「ムキッ!」と筋肉を誇示するポーズ、いわゆるモストマスキュラーをして、こちらを威嚇している。

 

 まるで宝石のように強い輝きを放つ瞳。

 田舎の花、といったような、素朴ながら可愛らしい着物。

 腰のあたりまで届く美しい長髪ながら、まるでタンポポの花のような形でくくられた前髪は、どこか幼さを感じさせる。

 されど小柄ながら、その身体から発する無尽蔵の活発さはどうだ。まるで命の輝きが迸っているかのような、この上ないはっちゃけ具合は。

 

 彼女こそは、岩本三重――――

 ここ岩本道場の一人娘であり、齢16の若さにして虎眼流免許皆伝(・・・・・・・)を許されし乙女なり。

 少し年の離れた幼馴染であり、ほぼ同時期に剣術を始めたはずの藤木を、ピョイーンとばかりに飛び越して、三重は剣を極めた。

 

「……本気(マジ)に御座るか」

 

「遺憾ながら……いかにも」

 

 今も権左衛門は、額に冷や汗を流しつつ、コクコクと頷いている。

 その瞳に浮かぶのは、「ごめんねぇ~、せっかく来てもらったのに。こんな道場で……」という申し訳なさか。あるいは「頑張ってね伊良子くん。なんとか生き残ってね」という同情か。

 

「――――臭ぅございまする! なんかこのロン毛、臭ぅございまするッ! きっしょい!

 とっとと打ち倒し、ここから叩き出さねば!」

 

 余裕を見せつける意味で、伊良子は香水だかなんだかを身体にふって来ていた。

 三重は眉をしかめながらそちらを見ては、とても嫌そうに鼻をつまんでいる。

 百合の花のような乙女から放たれる毒舌に、伊良子は酷く傷ついた。

 

 というか……伊良子の容姿は“絶世の美男子”と呼んでも差支えない程に整っているのだが、なぜ三重はそれを見ても何とも思わないのだろうか。

 うら若き乙女であれば、皆ひとめ伊良子の瞳を見た途端に、頬を赤らめる。

 少なくとも、伊良子が今まで出会った女子たちは、皆そうであったのだが……どうやら三重は例外であるらしい。

 面と向かって「くさい! きしょい!」と言い放つのだから。

 

「ぐっ……正直解せぬが、仕合えと申されるのなら致し方なしッ!

 三重どの、お対手いたす! 後悔()されるなッ!」

 

「応とも! この虎眼流が娘、三重と出会いし事、あの世で後悔なさりませッ!

 全身の骨を砕き……、はらわたを抜き出し……、ようかき混ぜてから畑に撒いてやる!

 門弟の皆! 今年のキュウリは瑞々しく育ちますよ!」

 

 三重はさも「藤木の仇!」とばかりに、床をドシドシいわせながら、雄々しく道場の中央へと歩いて行く。自身の管理するキュウリ畑を想い描きながら。

 

 伊良子の方も、生まれてこのかた感じた事の無い、本当に何とも言えないような感情を味わいつつも、その背中に追従して行った。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

(あーそっかぁ~。(おれ)が先に行けば良かったなぁ……。

 きゃつの力量を侮り、藤木を最初に仕合わせたるは、誤算であった……)

 

 岩本三重と、伊良子清玄。

 大勢の門弟たちの視線の中、道場の中央にて向かい合う二人を、少し離れた場所で見守っている権左衛門は、そう心の中でごちた。

 

(失敗じゃったのう、藤木に怪我をさせてしもうたんは……。

 よう見ずとも分かる……。あの三重さまは、げに(まず)きヤツじゃ)

 

 位置的に、こちらからは三重の背中しか見えない。

 だが幼少の頃から彼女を知る権左衛門には、いま三重の心が、怒髪天を突くほどに怒り狂っている事が、容易に見て取れるのだ。

 だってあの伊良子とかいう若造は、愛しの藤木(・・・・・)に怪我を負わせたのだから。

 

「わたくしの“カジキ”をもって来なさい」

 

 そう指示を出した途端、門下生が三人掛かりでようやく担ぐ“約3メートル程の巨大な板”が、三重へと差し出された。

 

「……は?」

 

 伊良子は再び、素っ頓狂な声を出す。目の前の小柄な乙女を見つめたまま。

 知っている。いやに馬鹿でかいけれど、あれは鍛錬用の木剣だ。

 一般的な男子が見上げる程の巨漢である権左衛門。その身の丈よりも更に長く、太く、重い木刀。

 

「いや……あの、三重どのとやら?

 それは仕合に使う物に非ず。鍛錬用の木剣と見受けたが……」

 

 思わず声を掛ける。「いやいやいや」といった風に、手を左右に振りながら。

 さもありなん。いま三重に手渡されたそれは、大の男でも振ること……いや持ち上げる事すら困難なほどの、凄まじい重量の木剣である。

 

 その大きさや見た目が、さながら魚のカジキのようだとして、その名が付けられてはいるが……ぶっちゃけ我々現代人からみたら、それはまごう事無く“木製のドラゴン殺し”である。

 そして木製と侮るなかれ。丈夫な赤樫で作られしそれは、強度重量ともに、限りなく金属に近い。

 

 もし仮に、これを十全に扱える者がこの世にいるとすれば……その一振りは易々とレンガの壁を砕き、頑強な墓石すらも破壊しうる事であろう。

 もしそんな者がいれば……の話ではあるが。

 

「無作法、お許しを」

 

 伊良子の問いかけを、三重はただ一度ニコリと微笑んで、軽く受け流す。

 そして、「ふぅ」と一息ついてから……、とてもゆっくりとした何気ない仕草で、それを掲げて見せた(・・・・・・・・・)

 

 

「!!!!????」

 

「ふむ、やはりカジキは3メートル物に限りますねぇ。

 権左衛門のやつは、小そうていけませぬ」

 

 

 伊良子の顔が驚愕に染まる。額に、脇に、身体中から汗が噴き出す。

 まるで、信じられぬ物でも見たかのように。

 何気なしに歩く帰路の途中で、突然(ひぐま)にでも出くわしたかの如く。

 

 それもそのハズ。いま伊良子の眼前には、己の肩ほどの身長もない乙女が、天に届かんばかりの巨大な剣を掲げている光景があるのだ。

 小柄な身体、乙女の細腕。しかもそれは微塵も力んだ様子も無しに、あたかも箸でも持ち上げるかの如く、片腕のみで掲げられているのだから(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

(――――無理無理無理! 無理にござるってッ!)

 

 まるで盾のごとく木剣を前に出し、もう残像が見えんばかりの速度で〈ブンブンブン!〉と首を振る伊良子。

 なにあれ?! すんごい! あんなの見たこと無い!

 清玄、こんなのはじめてッ!!

 

「 ふぁーーーーい!!!! 」

 

 よく分からん何かを叫びながら、三重が大きな大きなそれを振り下ろす。

 今は鎖国の世ではあるが、もし語学に堪能な者が聞いたなら、それがメリケン言葉で言う所の“戦い”、すなわち【Fight】である事に気付くだろう。

 

 その合戦の雄たけびめいた声に「びくぅ!」としながらも、伊良子は咄嗟に身を翻し、後ろに飛ぶ。

 恐怖からか、日々の鍛錬の成果か、はたまた臆病な性根か。

 ともかく伊良子は、その一太刀目を、何とか躱したのだ。 

 

「 ふぁぁぁああああああーーいッッ!!!! 」

 

 稽古場の床が〈ドゴォォォン!〉と砕けたのもつかの間。再び耳を覆わんばかりの雄たけびや、嵐のような暴風と共に、虎眼流の乙女・三重が放つ二の太刀が襲い来る。

伊良子はなんとかその場から飛び退いたが、少しばかりかすった着物の左袖が、一瞬にして見るも無残な形となった。

 

「 ふぁい! ふぁいッ! ふぁいッ!

  ふぅぅぅうううああああああいッッ!!!! 」

 

 ――――地獄じゃ! ここは地獄じゃ!!

 己はいつの間にやら、悪鬼羅刹の住む地獄へ迷い込んでおった!

 

 さっきまで元気だと思っていたが、どうやら己はすでに死んでいたらしい。地獄へと堕ちていたらしい。

 いま自身の目の前にある、正に阿修羅というべき化け物の姿に、ついに伊良子は生きている実感すらも失う。

 そして今の状況すらも、まったく理解する事が出来ない。

 

 ――――いや牛股どのがやるんなら分かるよ? 大きゅう御座るもんね! あの人!

 ――――――でも三重どのがやったらいかんでしょ!? うぬはちんまい女人であろう?!

 

 矢次に迫りくる死の影を、「ひょえー!」とばかりに必死こいて避ける。

 虎眼流! これが虎眼流の遺伝子! ……いやそんなワケあるか!

 竜巻に巻き込まれたような暴風の中、伊良子は目をひん剥いて必死に訴えかけるが、その声は決して乙女に届かぬ。今は仕合の最中なれば。

 

「 ごーふぁい! ごーふぁい!!

  いぇあ! きるひむ! おーけぇ~い! 」

 

 ――――死ぬ死ぬ死ぬ! 死に申す! これアカンやつに御座る!!

 ――――――お袋! 助けてくれお袋!!

 

 言葉の意味はよう分からぬが、乙女の喉からひり出された物とは到底思えぬ、現代音楽におけるデスボイスもかくやという雄たけびが、門下生たちで溢れる岩本道場に響き渡る。

 ちなみにであるが……この場の門下生たちは、全員“白目を剥いている”。

 無表情のまま目を白くし、ただただその場に座するばかり也。

 

 詳しい原因は定かでは無いのだが……何故かこの時代の人々は皆、“ことある毎に白目を剥く”という謎の習性があった。

 怒りし時、驚愕せし時、親の仇を睨みつけし時、そして何かを諦めたる時……彼らは皆こうやって白目を剥くのだ。こわい。

 

「そそ……そこもと(貴方)の太刀筋は、既に見切り申したっ!

 こここの辺りで止めにいたすのもっ! 武士(もののふ)の潔さかとっ!

 なにとぞっ……!!!!」

 

 思わず「なにとぞ」とか付けて懇願しちゃったが、二桁に迫るほどの剣撃を全て躱し切った伊良子が、三重にそう申し入れた。

 対面上は「この辺で止めとけよ」であるが、内心は「もう無理に御座る! これ以上躱せんで御座る!」という必死さがあり、それが声にアリアリと滲み出てしまっている。

 よく見なくても、全身に水でも被ったかのような汗をかいているし。

 

「おいお前たち……、出口を塞いで参れ」

 

 これまで黙って様子を見守っていた牛股が、門下生たちに指示を出した。

 

「あ……、そっとで良いぞ?

 くれぐれも三重さまの視界に入らぬよう、決して三重さまを刺激せぬよう、ゆるりと向かえ?」

 

 そう言い付けてから、牛股はふぅと一息。再び中央で向かい合う二人の方へと目を向ける。

 

「三重さまの肩慣らしが済んだか(・・・・・・・・・)

 やれやれ……、どうなることか」

 

 ちなみにであるが、現在藤木源之助は、ただただ白目を向いている。

 無言でその場に座り、まるで地蔵か菩薩如来の如く、三重を見守るばかりだ(白目ではあるが)。

 

「へっ……へへへ返答は如何に?! 三重どの!」

 

 ちょっと声は上擦ったけど、しっかりと言い切って見せる。

 内心はもう、逃げ出したい程に恐怖してるだろうに。この伊良子という男は、結構な役者であった。

 

 だが、その時――――

 巨大な木剣を頭上に掲げたまま、静かに俯いていた三重の口が、小さく動く。

 

「……三重は未だ、極め尽くさぬ身の上です。ほんにお恥ずかしゅう……」

 

 嘘つけぇ。

 アンタもう、虎眼先生ボコボコにしたやん(・・・・・・・・・)。とっくに越えたやん。

 この場の門下生たちは、思わずツッコミを入れそうになった(白目)。

 そして、三重が……。

 

 

「なれど――――ねお虎眼流(・・・・・)、お見せ(つかまつ)ります」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 その後の事は、語るまでもなし。

 ただただ三重が、その阿修羅めいた力を解放し、伊良子の心と身体を粉砕しただけ。正に鎧袖一触であった。

 そして、きゃつが天井に逃げ込んだ後、しょんべんを垂れ流してヒーヒー泣くまで、仕置きを(つかまつ)ったまで。

 

 

・一太刀目で、伊良子のうざったいロン毛を(木剣なのに)バッサリ切り落とし、河童みたいにして。

 

・二の太刀で、愕然と立ちすくむ伊良子の衣服をスパッと切り裂き、みんなの前で彼のお大事さま(チンコ)をさらけ出してやり。

 

・そして三の太刀を待たずに顔面蒼白となった伊良子が、「ぎばーっぷ! ぎばっぷに申すぅ!」と叫びながら天井に上がった所を、みんなで寄ってたかって、槍でツンツンして遊んだよ♪

 

 ……というのが、事のあらましに御座候。

 

 

 とりあえずはひとしきり遊んだ後、天井から引きずり下ろし、適当に座敷牢に放り込んでおいたが……、あれは暫くは飯も喰えないだろう。

 三重の剣によって随分と短くなった髪の毛が、あの僅かな時間で白髪となるほどに、精神的なショックを受けていたようだから。

 

 まぁ結構見込みのあるヤツだったし、なにやら野心めいた物も感じたから、たぶん3日もすれば元気を取り戻すことだろう。

 三重はのほほんと微笑みながら、そう思うのだった。

 

 

 

 

「――――代わりましょうか?」

 

 そして後日、蝉の声すらも風流に思えるほど、抜けるような晴天に恵まれた朝方。

 岩本家の庭にある井戸、その傍で洗濯に勤しんでいる藤木の所へ、三重がやって来た。

 

「三重さま……」

 

 背後からの声に、藤木は手を止めて振り向く。

 なれど藤木はすぐ顔を背け、目線を足元へとやってしまう。

 

「おかまいなく……。これも指の鍛錬なれば」

 

 今も彼の右手に巻かれた、痛々しい包帯。

 本当は指二本分で済んだハズなのだが、三重の手により親指以外すべての指を包むハメになっていた。

 

「…………」

 

 しかし、そんなどうでも良い事よりも(どうでも良くないかもしれないが)、いま彼の胸にあるのは、“申し訳なさ”であろう。

 あるいは無念。もしくは不甲斐なさか。

 

 己は岩本家の師範代として、虎眼流を背負う身の上。将来はこの道場を継ぎ、虎眼流を栄えさせることを期待されている男だ。

 幼き日に拾って頂いた虎眼先生へ、大恩を返すのが己が一分(いちぶん)*1というのに。

 

 なれど今の己は、道場破りに来た他流の者に破れ、お家の面目を潰したばかりか、こうして無様な姿を晒し、たかだか洗濯ひとつにも手こずる始末。

 こうして地面に跪く己を、じっと三重に見降ろされていると、もう唇をかみ切らんばかりの情けなさが、源之助の胸にこみ上げて来た。

 

「左様ですか。指の鍛錬……」

 

 ボソリと呟く、三重の静かな声。まるで天上から響くかのような、敬愛するお方の美しき声。

 それすらも今の源之助には、この上ない責めとなっていた。

 その声を聴くのが、その目を見つめ返すことが、どうしても出来ない。……あまりの不甲斐なさに。

 

「なれど、指など鍛えて何とするのです?

 藤木さまは童貞でしょう(・・・・・・)? 指技を使う機会などありましょうか?」

 

 ズルゥと足が滑り、桶に顔を突っ込みそうになった。

 

「もしや、いく殿に御座いまするか?

 あの年増に指技を用いて『お美事にございまする! イックゥ~!』とか言わしめんと?

 いく(・・)だけに、でございまするか?」

 

 源之助は思わず顔をあげ、いわゆる「何を言うとんねん」の謙譲語バージョンを言いそうになった。

 しかし……思わず覗き込んでしまった三重の瞳。それを見た瞬間、身体が凍り付いた。

 

『お答え下さいませ、藤木さま。

 でなければ三重は、これからどう行動すべきかを、決めかねるのです――――』

 

 カッと限界まで見開かれた、白目の瞳。

 殺気・威圧感・情念といった物を、ぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたようなオーラが、稀代の剣士であるハズの藤木の動きを止める。

 ゴッ! と音を立て、三重の周囲の空気が燃え上がるのを幻視した。

 

『あの小汚い阿婆擦れに……虎眼流・流れ星を叩き込めば良うございまするか?

 それとも……、その悪い指を、引きちぎり(つかまつ)りますか?』

 

 ゆらり、ゆらりと、白目の女がゆっくり歩いてくる。

 その恐ろしい足音が近づく程、藤木は全身汗まみれでガクガクと震える。

 

「ゆっ……指技など、覚え申さぬ……!」

 

 なんとか、振り絞るようにそう告げる事が出来た。

 命を賭して、渾身の気合を込め、もうカラッカラになった口で、言葉を紡ぐことに成功。

 その途端、眼前にある三重の身体から、あの忌まわしきオーラめいた物が四散していくのが分かり、藤木は内心で胸を撫でおろす。死ぬかと思い申した。

 

「まことにございまするか藤木さま!

 あぁ良かった。三重は安堵いたしました♪」

 

 何その輝くような笑顔。童女のような純真な笑み。情緒不安定なの?

 お家に仕える(さむらい)であり、まことの忠義者である藤木がそう思ったかどうかは、定かでは無い。

 まぁ少なくとも、三重に“恐怖”は感じていただろうが。

 

「岩本家の庭を、血で汚さずともようなった事、ほんに嬉しく存じまする。

 ああそうそう! 良い機会ですし、お伝えしておこうと存じまするが…………藤木さま?」

 

 あーよかったよかった! とばかりに機嫌よく背を向けて、この場を去ろうとしていた三重。

 しかし、ふとこちらを振り向き、パンと手を叩いた。

 

 藤木はどこか、ポカンとした顔。

 寡黙で、不器用で、仏頂面で。感情を表に出すのが下手……。

 そんな彼の、まるで童子みたいに愛らしい顔を、三重は花のような笑みを浮かべて真っすぐに見つめる。

 

 

「藤木さまは、三重が幸せにして差し上げまする♪

 ゆえにどうか……しかと三重の隣におって頂けますよう、願い申します――――」

 

 

 

 

 

 

 藤木には分かるまい。

 この眩しいほどの笑顔に込められし、三重の真心(まごころ)を。

 

 どこか人の心を察することに疎い、誠実なれど朴念仁な彼には、これが恋する乙女の聖なる誓いであった事など……到底理解は出来まい。

 

 貴方を守ります。幸せにします――――

 

 cv桑島〇子? 死亡フラグ? そんな物は知り申さぬ。

 この三重は、虎眼流にて最強――――必ず成し遂げてご覧に入れましょう。

 

 

 乙女は白魚のような手をギュッと胸元で握り、静かに瞳を閉じる。

 そして、そう固く誓った後、そっと心の宝石箱に鍵を掛けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば先ほど、“夜の虎眼流”なる言葉を思い付いたのですが、いかが思われまするか?」

 

「えっ」

 

 

 

 

 

 

*1
侍言葉で、責任 の意






 “阿修羅”とは、その比類なき武と知をもちて【お釈迦様をお守りする】役目にある者也。
 あの不器用なれど純真な、愛すべき青年を守らんが為にこそ、この身はあるのだ。



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