「お父上、夕餉の支度が整いましてございまする」
これなるは、かの伊良子清玄が仕置き追放されし時より、半年が経った頃のこと。
「よいしょー!(バチコーン)
ほらほら、正気に戻られませ。捻り潰しますよ?」
虎眼の私室を訪れた三重が、「ごはんですよ」とばかりに、実の父親を張り倒す。
先ほどまでボケェ~っと呆けていた虎眼は、勢いよく顔面を床に打ち付けた途端、ハッと正気に戻りキョロキョロし始める。
「おぉ三重よ、今日も壮健のようじゃな。
武家の娘として、まこと頼もしき事。比類なき剛腕よ」
「もったいのう御座いまする、お父上」
外れてしまった顎をゴキッと直しながら、親子で微笑み合う。なんだかんだと仲が良いのかもしれない。
ちなみに、たとえば城主の下に馳せ参じる時や、何か出掛ける用事がある日には、こうして三重が虎眼を正気に戻す役目を受け持っている。
三重の闘魂ビンタ一発で、とりあえず丸一日は正気のままでいられるので、虎眼流ではとても重宝されているのだった。
「今日の夕餉は何ぞ? たしか何処ぞから、お歳暮の蟹が届いておったような……。
炊き込み飯でも作ったか?」
「蟹もようございまするが、本日は
ご堪能くださいまし」
「……」
「……」
真顔のまま、向かい合う二人。
この場を暫しの沈黙が包んだ。
「……三重よ、お主が作ったのか」
「然り。腕を振るいましてございまする」
「……
「はい。来るべき日の為、三重がたゆまぬ修練を積み重ね、考案せし物にございますれば」
「…………」
「…………」
見つめ合う二人。決してお互いの目から外されない視線。
虎眼の方だけは、何やらガクガクと身体が震えているようだが。
「あ~、三重よ……? なにやら儂は、顎が痛ぅてのう。
とても飯が食える状態では……」
「なれば三重が、
「えっと……実は儂、あの蟹を何よりの楽しみにしておってな?
お主の料理も、確かに捨てがたき物じゃが……」
「蟹はございませぬ。
お父上におかれましては、三重の料理をお召し上がり頂きますよう」
三重は語学堪能のみならず、栄養学をも修めている。
そんな彼女が考案せし、一日に必要な全ての栄養素が満遍なく摂れるという、優れた栄養食ありけり。
そのオリジナル料理の名を、“
特徴としては、
とても人間が口にする物とは思えない。
使用している食材だけを見れば、椎茸やオクラなどといった、どれもまともな物ばかり。
なのに何故、このようなドロドロとした悍ましい料理が出来上がるのか。一見しただけで拒否反応が出るほどの、理解出来ないセンスの物が生まれるのか。
虎眼流の者達は皆、眉をひそめるて不思議がるばかりだ。
この“沼”なる料理だが、味は結構おいしい。意外なほど食べることが出来る。加えてしっかり栄養のことも考えて作られている。
――――なれど、
有り体に言って、ドブのような料理だ。
「お父上の分は、こちらにご用意してございまする。
ささ、辞儀に及びませぬ*1。たんと。ズズッと」
「いやあの……、三重ちゃん?
勝手にお父さんの蟹を食うたことは、この際ええんじゃが……。儂はな……?」
「一息にお飲み下さいませ。
もう具材がクッタクタになる程、過剰なまでに煮込んでおりまする故。
“沼”は飲み物にございますれば」
「三重ちゃん?
なんかお父さんには、この雑炊がものっすごい湯気を上げておるように見えるんじゃが。
灼熱の如き温度が伺えるんじゃが」
この料理の恐ろしい所は、“生きる喜びを奪う”ことにある。
人間動物に関わらず、生き物ならば誰しもが、食べることを史上の喜びとしているハズだ。
つらい労働も、きつい鍛錬も、ご飯の時間を楽しみにするからこそ乗り越えられる。
食事という物は、生きるための活力のみならず、大きな楽しみだと言えよう。
だが“沼”は、そんな喜びすらも、人から奪い去る――――
いくら完全栄養食だからといって、来る日も来る日も沼。これだけを毎日食べ続ける。
そんな生活を3日も送っていると、やがて人は“食べる喜び”を失う。食事を摂りたいという気持ちが失せていく。
たとえどれほど身体が健康であろうとも、
「お残しは、許しまへんでぇ~!! にございまする。
かの忍たまの学び舎では、食事を残しし者に、身の毛もよだつ制裁が加えられるそうな。
虎眼流でも見習って参りましょう」
ちなみに藤木たち門弟の食事には、焼き魚や汁物など、まさに一汁一菜という普通の物が用意されているのだが、虎眼は知る由も無い。
正気を失いがちで、部屋からあまり出てこないのが悪いと思う。
余談ではあるが、藤木用のご飯には、いつも桜デンプで「♡」のマークが描かれていたりもする。
「……およよ?」
虎眼が泣きながら沼をズルズルいくのを、しっかりと監視する三重さま。
だがふいに、この部屋の一角から視線のような……むしろ禍々しい瘴気のような物を感じ取り、静かに腰を上げる。
「あぁ、何かと思えば……、貴様にございましたか」
それは、一本の刀。
虎眼の私室にて大切に保管されし、かの掛川城主より賜った妖刀、“七丁念仏”より放たれた気配であった。
「――――おんえーい!(ガッシャーン)」
「!!!???」
三重が七丁念仏を
所有者である虎眼の見ている前で、七丁念仏が壁に跳ね返って、畳の上をくるくる~っと回る。
「まったく……いつもの事ながら、
いったいどなたが
「ッッ!!??」
虎眼が絶句する中、三重はカッと白目を向き、七丁念仏を睨みつける。
その気迫、立ち昇る禍々しい瘴気は、かの妖刀など比では無い。
なにやら七丁念仏くんも、心なしかブルブルと震えているような気がする。
まるで三重に恐れおののいているかの如く。
「――――貴様、宝刀だか妖刀だか知らぬが、あまり頭に乗るなよ?
賜り物か、預かり物かは知らぬが……。
貴様を寄こした掛川の城主と共に、この世から消してやっても良いのだぞ――――」
明らかに七丁念仏がガタガターっと音をたて、激しく振動しているのが分かる。
まるで床に置いたPS4のコントローラーみたいに。
「申してみぃや――――うぬの
駿河の
ガガガガガ! と屋敷全体が震えている。
壺は倒れ、掛け軸は落ち、蝋燭の炎がかき消える。もう地震なんか目じゃない。
「否――――この三重なり。
無残にへし折られず……、そのちんけな邪気ごと消し飛ばされず……。
そこにのうのうと飾られておるは、わたくしの
いま遠くで、虎子の間が〈ドッゴーーン!〉と倒壊したらしき轟音が聞えた。
あそこも随分と古くなっていたし、そろそろ建て替える時期だったのかもしれない。
「うぬは、この三重に
ゆめゆめ忘れまいぞ――――鉄屑が」
三重が〈むんず!〉と七丁念仏を掴み、元の台へ戻す。
そして「あぁコラ? おぉコラ?」と、まじまじと舐めつけるように、ガンを付ける。
やがて三重は、何事も無かったように一礼し、この部屋を後にした。
その場に残された岩本虎眼は、暫しのあいだ放心した後……急いで七丁念仏くんの所に駆け寄り、ぎゅっと胸に抱きしめる。
そして、そのまま二人(?)でガクガクと震えるのだった。