あの酷い立ち合い……いや“戯れ”の後から、なのだけど。
なにやら
以前はその狂気ゆえか、愛や忠義という“情”の無理解ゆえか、まるで爬虫類のように目つきがギラついていた。
彼の情緒の未熟さや、恵まれなかった生い立ちのせいもあるのだろうが、いらやしい卑屈な笑みをする印象があったと思う。
しかし今の夕雲くんは、〈ちょこん♪〉とお行儀よく三重の隣に座っており、時折シャイな幼児の如く、恥ずかしそうにチラチラ三重の方を除き見るという、たいへん愛らしい仕草を見せている。
擬音で言えば、まさにモジモジといった感じだ。
いま三重によって眉毛が描かれている~というのも、たしかに見た目としては大きい。
けれど、明らかに夕雲くん自身の様子が、立ち合い前とは一変している事は、誰の目にも明らかであった。
まるで憑き物が落ちたみたいに、無垢で柔らかな表情。
「ほら夕雲くん、これも美味しゅうございまするよ?
たくさん食べて、明日からも元気に鍛錬いたしましょう♪」
もう日も暮れた頃の検校屋敷、控えの間。
三重の朗らかな笑みを受けて、夕雲くんがこくりと頷きを返し、パクパクとご飯を頬張る。
その様子に、子供好きな権左衛門はもちろんのこと、藤木までもがわずかに口角を緩めているのだ。
人に優しくされること、誰かに気にかけてもらえること。
そして、こんなにも柔らかく微笑みかけてもらえること――――
それはもしかしたら、夕雲にとって初めての経験かもしれない。
「うちには涼という、貴方と年の近き剣士もおりますゆえ、ちょうど良ぅございまする。
これから楽しくなりますよ、夕雲くん? 心待ちにしておるがよろしい♪」
「はい……三重さま」
今までは、どうしても理解できなかった。
生まれに、身体に、境遇に恵まれず、きっと自分のことだけで精一杯だったんだ。
まるで、世界に自分一人しか居ないような、そんな気持ちのまま生きて来たと思う。
だから夕雲には、人の痛みが分からない――――他人を大切になんて思えなかった。
“忠義”なんて、本当に言葉の上でしか知らなかった。内心馬鹿にすらしていたのだ。
けれど……、いま夕雲の胸に、ほんのりとあたたかな気持ちがある。
そして、とても大きな。己をも強くしてくれるような、確固たる想いがある。
打ちのめされ、どうやっても敵わない事を、思い知らされた。
あの時は、自分がまるで羽虫の如き存在に見えた。
けれど……あれにより完膚なきまでに“自分”という物を叩き壊され、そして今やさしい時間の中で、こうして温かいごはんを食べていると……。
ふとお箸を動かしながら、夕雲は気付いたのだ。
あぁ、これが検校さまのおっしゃっていた“忠義”の心――――誰かを大切に思う気持ちなんだと。
きっと、
そして己の、“こうしたい”っていう気持ちから来るものなんだ。
貴方に尽くしたい、貴方が大切だ。だからこういう自分でありたい。
「……およよ、どうしましたか夕雲くん?
まだあのお姉さんが、恐ろしゅうございまするか?」
「ちょ、三重どの!? そりゃーのぅございましょ!?
先ほど千加は、めでたく夕雲と義姉弟の契りをばッ!
もう超なかよし~♪ なのですよッ!?」
いつの間にやら、自然にこみ上げてきた涙。
それをグジグジとぬぐいながら、一生懸命ごはんを食べる夕雲くん。
それを門弟たちはあたたかく、また微笑ましく見守るのだった。