伊良子清玄が岩本家を襲撃し、虎眼との因縁に決着をつけし(なんやかんやと仲直りした)日より、数日後――――
駿府城の庭先、城主である駿河大納言・徳川
「掛川の虎共を討ちし当道者とは、
将軍たる威厳や高貴さとはまったく無縁の、暗く濁った瞳。
まるで台風の目の中にでも居るが如く、「たまたま今は荒ぶっていない」だけに過ぎない、静かなる狂気。
その忠長の佇まい、御姿を前にし、伊良子清玄はただ頭を伏せるばかり。
「……清玄、名乗るがよい」
そして一呼吸の間を置き、忠長の隣に座する
ここでようやく忠長の顔を見ること、発言をする事が許されたのだ。
それを告げた検校の声色も、忠長を前にした緊張からか、酷く重い響きだ。
「賎機家用人、伊良子清玄と申しm」
「――――うぬは、
この場の全ての者達が「ズコォー!」といきそうになったが、渾身の気迫を持って耐える。殿の御前なのである。
「立ち合いに破れ、ホモ100人と交わった河童ではないか。
何故うぬがここにおる。あれから何年か経つが、尻はもう良いのか?」
「お……恐れ入りまする……」
そう言えば、忠長さんは特別ゲストとして、あの場にいた。三重の隣で一部始終を観ていたのだ。
あの仕置きを命じたのは虎眼であるが、イベントの企画を担当し、船木道場の者達に声を掛けたのは三重その人である。ここぞとばかりに腐女子たる願望を捻じ込んだのだ。
ゆえに忠長は「三重にやられた」と表現したのだろう。
「まさか、憶えておいででしたか……。これを恐悦と申して良い物かどうか……」
「思いっきり掘られておったしな。憶えられたい姿でもあるまい」
珍しく忠長が、他人に理解を示している。
この暗君をしても、あの日の清玄の姿は、同情に値する物であったようだ。なんせ100人がかりだったし。
「賎機の推挙のようだが、ここでおっぱじめるのか? 此度は何人を相手に?」
「いえ、恐れながら……本日は剣術のご上覧をば」
「
確かに世にも珍しき、前代未聞の剣技よ。 ……だが余は、さして観たいとは思わぬ」
――――清玄ッ! お主ホモじゃったのかッ! なして先に申さんかったのじゃッ!!
そうと分かっておれば、連れて来なんだのにと、いま賎機検校がダラダラ汗を流し、物凄いプレッシャーをかけているのが分かる。
せっかく掴んだ出世のチャンスなのに、清玄はもう時雨てしまいそうになる*1。
過去の汚点と言うのは、いつまでもヒタヒタと付いて来る物。けして逃がしては貰えんのだ!
「お主、三重がおらなんだら、首を刎ねておったぞ。
ようもまぁ、ぬけぬけと余の前に……」
「と、とりあえず清玄の剣をご
ね! そうしよ忠長さまっ? ねっ!」
刀に手を添えて〈ぬらぁ……〉立ち上がった忠長が、検校&従者たちに一生懸命たしなめられ、その場に座り直す。
いくら超ド級の変人とはいえ、あのホモ剣士100人という光景は、げに悍ましき物。忘れたくても忘れられぬ、たまに夢に出てくるくらい嫌な思い出であった。
一応腰を落ちつけはしたものの、まだ忠長の眉間には、ピキリと青筋が浮かんでいたりもする。
「はよ行け! はよ
対手を用意しておるゆえ! はよぅ斬って終わらせぃ!!」
「しょ、承知……」
さっさとやって、さっさと逃げるぞ! わしまだ死にとぅない!
検校さまの必死な声色が、そうアリアリと物語っていらした。
そしてこの場に、縄で胴を縛られた状態の、一組の男女が連れられて来る。
かの者は、駿河藩士、卯月修三郎。そして妻の小夏という女である。
彼らは先日、とある
此度の武芸上覧は、忠長に逆らったこの者達の、
清玄に
「斬れ――――」
感情の起伏が微塵も感じられぬ声で、忠長がたったひと言、そう命じる。
それに伴い、従者の一人が修三郎の背中に周り、小太刀で彼の縄を解いた後、一組の
「卯月よ、その者と立ち合え。
勝てば、お主ら夫婦はお咎め無しとなろう」
未だ現状が理解出来ぬまま、不安な顔つきで刀を受け取る。
そのまま修三郎は、いま自分の三間先で静かに瞼を閉じている男の方へと、向き直った。
「お主……
彼がゆっくり刀を抜き放つと、その音を聴いた清玄も、優雅さすら感じる落ち着き払った所作にて、刀を抜いて見せた。
その姿が、とても哀れに思えた。
きっとこの盲目の侍にも、自分と同じように、理不尽な事情があるのだろう。
あの忠長のことだ。この哀れな弱者すらも、己の
剣で召し抱えられた己とは違い、いま目の前にいる男の身体は細く、しかもどう見ても戦いをする姿勢では無いのだ。それはまさに、杖を付く盲人そのものの姿なり。
修三郎の胸に去来するは、まごう事なき
そして、このような者を斬らされるという、一人の剣士としての屈辱。
致し方なし。不憫なれど、これも妻のため……。許せッ!
そう修三郎が剣を構え、せめて一息にと大きく振りかぶった…………その時。
「――――わああああああああああああああああああああああ!!!!」
板垣を飛び越え、庭園を突っ切り、奇声を上げて
「わああああああああああ!!!!
わああああああああああああああああああああああッッ!!!!」
ドゴン! という大砲めいた音がしたのと同時に、清玄の顔面がグシャリと陥没し、20メートルばかり後方に吹き飛ぶ。
「お前ぇ! お前ぇぇぇえええええッッ!!!!
わああああああああああああああああああああああッッッッ!!!!」
それを追撃するは、
彼女は突如としてこの場に推参し、その足で清玄にグーパンを叩き込み、今また獣の如きスピードで襲い掛かっていく。
まるで、七つの龍の玉を集める漫画の如く、
人とは思えぬような奇声を上げながら。
「わああああああああああああああああああああああ!!!!
わあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!!」
両の掌を組み、ハンマーの如き所作で撃墜。地面に叩きつける。
その後、馬乗り。現代におけるマウントポジションの形となり、ゴッスンゴッスン拳を振り下ろしていく。千手観音もかくやという姿。
――――ここまでが、清玄&修三郎を始めとする、この場の全ての者達が事態を把握出来ないスピードと手際で、一瞬にして行われた。
「ふわあああぁぁぁい!!!!
ひぇあああああぁぁぁぁぁい!!!!
うおあああああああぁぁぁぁぁッッッッい!!!!」
三重が清玄の右足首を掴み上げ、そのままメトロノームのように左右に振り回し、何度も何度も地面に叩き付ける。
その凄まじい遠心力により、清玄の身体は綺麗に「ばんざい!」の姿勢。一本の棒のようになっている。
「きぃええええぇぇぇぇッッッッ!!
――――わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッッ!!!!」
その後三重は、地面に横たわる清玄に、ストンピング攻撃を敢行。
ミシンを想像して貰えば分かりやすいだろう。あんな感じの高速で、もう喚き散らしながらドゴゴゴゴゴゴ……っと踏みつけていく。執拗なまでに。
清玄の身体が、背中から“U”の形でドンドンめり込んでいき、瞬く間に深々と地面に押し込まれ、やがて完全に見えなくなる。
「はぁぁぁ……! はぁぁああっ……! ふーっ! ふーっ!」
「……」
「……」
「…………」
愕然とする。事態が理解出来ないままで。
修三郎さんなどはもう、刀を上段に振りかぶったまま、石像のようにピキーンと固まっていた。
「き……きゃつは何処に行ったのです!?
あのホモホモ河童は、どこに逃げ腐ったのですカ!?!?」
いやそれ……あんたが地面に埋め込んで候――――
そうツッコミ申したかったのだけど、目の前の獣に
「――――こっちの方から、きゃつの匂いがするッ!!
そう存じ、2日かけて走って来たのですが、空振り終わりました……。
三重は悲しゅうございまする」
お主は犬か。そしてまだ足りぬと申すか(白目)
地面と一体化する程に踏みつけておいて、まだ殴るつもりなのか……。
剣豪揃いであるこの場の者達ですら、三重の狂気に恐れおののいている。
「きゃつは、藤木さまの獲物……。無粋な真似は致しませぬ……。
これぞまさに、夫を立てる嫁子の鏡! と存じまする。存じまするが……」
俯き、拳を握りしめてプルプルと震える三重が、「カッ!」と御家来集の方を向く。
「――――なれど! せめて一発ブンだけ殴りたいッ!! 素手だったら許される筈ッ!!
そんな乙女のいじらしさ、おしとやかな
分かって頂けますでしょうか
そんな乙女心あるんですか(絶句) しかもいっぱい殴ってたけども。
そう「なんでやねーん」とやりとぅ御座るけど、それやったらきっと生きて帰れなくなるので、ただただ無言を貫くこの場の人々。
さっき台風の目の例えをしたが、いま正に 爆 心 地 ☆
なれば人の子は、ただひたすら嵐が過ぎ去るのを待つのみである。関わりとぅ無いで御座ると。
「あれま! 忠長公ではございませぬかっ! ごきげんYO☆
何をしておいでなのです? かような場所で!」
「三重よ、ここは我が城じゃ。
お主が踏み込んで来たのだぞ?」
まるで道端で会ったかの如く「よっ♪」と手を上げる二人。
その気の知れた友人のような所作に、お抱えの侍たちは、その場から飛び上がらんばかりに驚く。
「自慢の庭園は壊されたが……まぁ良い。特に赦す。
お蔭で
褒めてつかわすぞ、三重よ」
えっ!? なんか忠長さま、
というか、ほのかに笑みを浮かべる忠長さまなんて、拙者たち見た事のぅ御座るけど?!
駿府が誇る忠臣たちは、もう目がポーンと飛び出さんばかりに驚愕している。いったいこの光景は何じゃと。
「きっ……! 貴様
一体ここを何処と心得……!」
「やめよ――――下がらぬか」
動揺からか、思わずそう叫さけんだ家臣を、忠長が手で制する。
やれやれ、仕方ないのぅとでも言わんばかりの、呆れた表情で。
「おい
例えうぬらが千人束になろうが、三重を討つこと
それどころか、この場の全ての
うぬは己の
「ひぃっ……!!!!」
小さく悲鳴を上げる家臣を他所に、忠長が「ふっ」と苦笑するように笑う。
このような姿すら、家臣たちは見た事がなかった。
「さて……、よぅ参ったな三重。
何事かは知らぬが、茶と菓子くらい用意させよう。
暫し涼んでゆくが良い」
「かたじけのぅございまする、忠長さま♪
あっ、わたくし甘いヤツが良ぅございまするっ!
甘味は乙女の燃料にございますればー!」
「はいはい、分かった分かった。履物を脱いで上がって来い」
三重を連れた忠長が、スタスタと屋敷の奥へ消えていく。
その姿はまるで、お転婆な妹と、面倒見の良いお兄ちゃんのよう――――
「えっ」
「あっ」
「た、忠長……さま?」
実は三重と忠長は、
もう何年も前に家光が結んだ、幕府と三重個人との友好条約がキッカケであるが、それ以来ずっと忠長は、三重のことを痛く気に入っており、さりげなく目をかけてやってたりする。
精神が狂人の域にある忠長は、同じく静かな狂気を内に秘める三重にとって、数少ない理解者である。
しかも、こやつは己ですら及びもつかぬ程の、
かろうじて人の姿……乙女の見た目はしていても、他ならぬ忠長にだけは、その精神の異常性がヒシヒシと分かるのだ。
さらに言えば、三重はその気になりさえすれば、いつでも自分を殺せる。たとえ何千の兵で城を固めようが、いつでも殺しに来られるという、とびっきりの魔犬だ。
そんな、げに凄まじきまでの存在を、この徳川忠長が気に入らないワケが無かった。
後の、いや生前の忠長いわく――――『手に入らぬからこそ、尊き物がある』
己の側室にもせず、家臣として召し抱える事もせず、忠長と三重の関係性は、最後まで“友人”のままだった。
若くして自刃し、死してなお暴君暗君と罵られる、徳川忠長。
しかし彼が三重と語らう時の、その表情だけは……、まごう事無く“年相応の青年”であったという。
(アンガー!)
(アンガー!)
(アンガー!)
とまぁ、そんな事情を知らなかった家臣たちは、今もう地面に刺さらんばかりに口を空け、カラカラに乾いちゃうくらい目をひん剥いているワケである。
実は、この場の一部の家老たちは、まるで孫を見るようなあったかい目で、三重のことを見つめていたりもしたんだけど……。
古くから徳川家に仕える者達の中には、たとえな変わり者の城主だとしても、心からの忠義を持って忠長に仕えている者達も、少なからずいる。
まさに真の侍と言うべき、立派な人達もいるのだ。
そういった心ある者達は皆、たまにふら~っと駿府に遊びに来る三重を愛し……、そして忠長を笑顔にしてくれる感謝を込めて、とても三重を大切にしてくれてるのだった。
「……あれっ、御目通りは? 武芸上覧は?」
そして嵐のような時が過ぎ去り、清玄が地面に埋まってから、5分程が経った後……。
ようやく放心から立ち直った賎機検校が、ボソリと呟く。
いま駿府城の庭には、「もう帰っても良ぅ御座るか……?」という顔で、キョロキョロと辺りを見回している卯月さん夫婦。そしてひとり取り残された検校の姿がある。
後いるのは……、この度ほくろを取ってもらい、ただいまモテ期到来中の友六さん。そして相変わらず地面に埋まってる清玄くらいのものだ。
「清玄の仕官、流れてない?
あれっ、当道座の未来どーなんの? えっ」
あんだけ頑張ったのに。虎眼流の者達も倒したのに。
奇しくも岩本三重は、清玄の仕官をぶち壊し、賎機検校の野望を打ち砕いたのだった。
きっと、ちゃんと御目通りが出来てさえいれば、清玄は己の剣を持って、ここに召し抱えられる事が出来ただろう。
それだけの腕と、興味を惹かせるだけの価値を、彼は確かに持っているのだから。
けれど、今の忠長には……。
そんな物より、もっともっと大切な物が、傍にあったのだ――――