三重達の住む掛川のお隣、
以前は船木道場の双子剣士が、男娼を目当てによく通っていたその町は、近年の幕府諸藩の禁止にも関わらず、多くの賭場や水茶屋が横行している。
なれば当然の如く、それらを仕切るヤクザ者の一家が、多数存在する場所でもある。
「いやぁ~。それにしても驚きましたねぇ、旦那」
当道者である
相手はここ九鬼一家の用心棒、
「なんでも
目も見えねのに、一体どうやってねぇ?
按摩や琵琶ってぇならともかく、まさか剣術でとは……」
「……」
この平四郎という男は、一羽流という剣技の使い手。
その強さと冷徹さを買われると共に、時に大変な非道を犯す事でも知られ、侠客仲間からは忌み嫌われている存在であった。
いま按摩を施しつつも、どこか自分の手柄のように弾んだ声で語る蔦の市。
その様子に、平四郎は不快な物を感じ、人知れず眉を顰める。
目の見えぬ
「でもねぇ旦那? あっしその話は、確かに聴いたんですが……。
しかしウチのお袋ときたらね?
その高名な剣士さまってのがどんなだったかを、ド忘れしちまったって言うんですわ」
「なぬ? それは面妖な」
あさっての方を向きながらも、平四郎が興味の声を返す。
「おおかた舞い上がって、対手の事が頭から飛んじまったんでしょうよ。
あたしら当道者にとっちゃあ、こりゃ一大事だってのに……」
「そりゃあ口惜しかろうな。
せっかくの偉業だというに、それが誰だか分からんとあっては」
今は故あって、ヤクザ者の用心棒。
なれど自分は、一羽流免許を持つ剣士である。ふいに平四郎の胸に、軽い仏心が湧く。
「なれば拙者が、その剣豪の流派を考えてしんぜよう。
按摩の礼じゃ、如何な特徴かを申してみぃ?」
「おぉ旦那、こいつぁかたじけねぇです」
暫し按摩の手を止めて、平四郎と蔦の市がイソイソと胡坐で向かい合う。
「なんでもその御仁ってぇのは、濃尾無双と謳われた剣客で、その名はここ遠江国でも、大変に高名だそうで」
「ほぉ~、ほうほう……」
平四郎は腕を組み、何気なく天上を見つめながら、思慮に耽る仕草。
「
だが思考は一瞬。すぐに頭に閃いた名前を、キッパリ蔦の市に告げた。
「その特徴はもう、完全に“虎眼流の岩本殿”ではないか。
すぐ分かったわい~! 斯様な!」
「いやいや旦那ぁ、でも分からねぇんですよぉ」
「ぬぬ、何がぞ?」
「あっしもね? 虎眼流かな~とは思いやしたが……。
でもお袋が言うにゃあね? その流派ってのは
「ほう……」
平四郎は再び天上を仰ぎ、
「あー、では虎眼流と違うかぁ~」
「へい……」
この考えを“否”とした。
「虎眼流は、ぜんぜん健全では無いからの!
あんな
「へぇ、左様で」
「徳川調べの世論調査、自分の子供に習わせたくない流派、5年連続の一位じゃから!
あんな剣法、もしご老人がやらされてるのを見たら、『あ、このおじいちゃん口減らしで間引かれたんかな? あんまりご家族に大切にされてないんかな?』と疑ごうてしまうわ」
平四郎は「う~ん」と首を捻る。
絶対に合っていると思ったのだが、どうやらこれは間違いであったようだ。
「なれば虎眼流と違うかぁ~……。
もそっと詳しゅう願え申す?」
「もちろんでさぁ旦那」
蔦の市がこくりと頷き、引き続きお袋が言っていた事を、思い出していく。
「そこの門下生は、自分の師への忠義心が
「――――それ虎眼流ではないか!!」
平四郎の大声が、表にいた通行人の所まで、バッチリ響き渡った。
「あそこの者達は、毎日ビクビクしながら生きとるんよ!
いつキチ〇イ先生が暴れ出すか~って、気が気じゃない中で過ごしとるんぞ!
師への尊敬や、忠義の心なんぞ、生まれようも無い環境なんじゃから!」
「へぇ、左様で」
「弟子にもバンバン裏切られとるからの?!
ちょっと金渡されただけで、みんな微塵の躊躇もなく、手の平クル~しよる!
なんじゃったらその金で、駿府城下で道場開いてるヤツおるからの!?
罪悪感皆無かッ! どんだけ人望ないのだ岩本先生ッ!
虎眼流じゃろそんなん!!」
そう平四郎がグァーっと喚き立てるも、蔦の市の表情は未だスッキリしない。
「でも分からねぇんですよぉ」
「何がじゃ」
「お袋が言うにゃあ、あそこの剣士達は冷静で、どんな時も
「――――ほな虎眼流ちゃうではないか!」
平四郎のシャウトで、家の屋根にとまっていた小鳥たちが、一斉にバサバサーっと行った。
「虎眼流には冷静さとか無いんよ!
あの人らは、事あるごとにすーぐ
虎眼流=顔芸みたいなトコあんのじゃぞ!」
「おぉう、そうなんですかぁ」
「そうじゃぞ蔦の市よ!
ちょーっと前髪のガキに挑発されたくらいで、白目剥いてブチギレ! 大人げないわ!!
もうタイトルの扉絵の時点で、いく殿が白目を剥いてる絵とかあったりするからの?
それもう“ボケ”やないかと、ワシらを笑かしに来とるんじゃないかと、ちょっと作者の山口先生を疑ってしまうくらい、頻繁に白目を剥くんじゃから!
これシリアスやのぅて、ギャク漫画? 先生ボケとうて仕方ない禁断症状出とるんかな? みたく!
其は虎眼流に非ずじゃ!」
「いやでも分からねぇんです旦那ぁ」
「何が分からんのじゃお主は!」
「その名が轟くほどの門弟がいるが、虎なのか龍なのか
「――――じゃあ虎眼流ではないか!!」
先生、なんぞあったんですかい?
そう一家のヤクザ者が様子を見に来たけど、構わず怒鳴り立てる平四郎。
「虎眼流の藤木どのは、その時々によって龍とか虎とか呼ばれて、ぜんぜん安定しよらんのよ!
掛川に龍が潜みよった~とか、虎の中の虎~とか、まったく定まっとらんのじゃ!
どっちやねんという話じゃ! はっきりせぃ!」
「おぉ、左様ですかぁ」
「なんじゃったらあそこ、他に牛とか河童とかもおるからな!?
それどころか、ショタとかドMとかチュパとか、ぜんぜん動物関係ないヤツもおる!
まったく統一されとらんのじゃ! 虎眼流じゃろそんなん!」
「でも分からねぇんですよぉ」
「何が分からぬ!?」
「あそこの先生はとてもご熱心で、懇切丁寧な指南をなさるらしく」
「――――では虎眼流ちゃうではないか!!」
そろそろ平四郎の血管が切れそうなほど浮き出ているが、彼の勢いは留まることを知らず。
「虎眼先生が道場に入って、弟子を教えとるトコなんか、一回も見たこと無いわ!
あの御方はいつも、自室で『いぐぅ~! いぐぅ~!』と申しとるだけのボケ老人ぞ!
指南をしとるのは牛股どので、彼が全てを担当させられとるんじゃ!
もうあそこは“牛股流”なんじゃないかと、たとえ強うなっても誰に感謝したらええんか分からんという、げに不憫な事なっとるんぞ!」
「ひゃ~、そうなんですかぁ」
「しかもあそこ、師範の藤木どのもおるからな!?
入門したての者でも『痛くなければ覚えませぬ』とか申して、完膚なきまでにボコりよるんよ!
あそこの道場に、懇請丁寧なんて言葉は存在せぬわ! 誰ぞ牛股どのを救ってやってくれ!
虎眼流に非ずじゃい! そんなもんは!」
「でも分からねぇんですよぉ」
「何故じゃ!」
「あの流派の奥義は、なんか
「――――それ虎眼流じゃろうが!!」
もう一人だけではなく、家中のヤクザ者達がゾロゾロ集まっている。
どうしたんです先生? 出入りですか? そうソワソワしちゃってるのが見て取れる。血気盛んである。
「虎眼流の“秘剣”は、なんかデコピンみたいなヤツとか、振りの勢いでちょっとだけ持ち手を滑らせる~とか、そんな微妙な技ばっかりなんよ!
決して剣に闘気を纏わせたり、斬撃で真空波を発生させたりとかの、凄い事はせぬ!
ちょっと練習したら、誰でも出来そう~っていう、しょーもないヤツばっかりなんじゃから!」
「へぇ、左様ですよねぇ」
「秘剣・流れ星の時には、こう人差し指と中指の間に、剣を挟み込むんじゃけどな?
それ何の利点があるの? どういう術理?
そんな変な持ち方せんで、普通に握ったらええんとちゃう? と思わざるをえんのよ!
もし余所の道場でそんな握り方しとったら、韋駄天の如き速さで先輩飛んできて怒られるわ!!」
「やっぱそうですよねぇ」
「しかも虎眼どのと、牛股どのと、伊良子どのでは、微妙に流れ星の構え方ちがうし!
流派の奥義と申すワリには、ぜんぜん構えが統一されとらんのじゃ! 適当かお主ら!
そんなん虎眼流しか無いじゃろ!!」
「いや、でも分からねぇんですよぉ」
「何がじゃもうッ!」
「その流派の道場は、いつも沢山の門下生達で、活気に満ちとるらしく」
「――――ほな虎眼流ちゃうやないか!!」
二人を遠巻きに眺めるヤクザ者たちが、暇を持て余して花札を始め出す。
そこらじゅうから「タン」だの「上がり」だの聴こえるが、平四郎が気にする様子は無い。
「岩本道場は、全盛期には1000人もの門下生を抱えてたけど、今は雀の涙ぞ!
三重どのに物心が付き、道場で暴れ回るようになってから、門下生が激減したんよ!
自信満々で入門し、すぐ女人である三重どのに腕力で遅れを取り、完膚なきまでに自信を叩き折られた後、剣を捨てて
「うわ、そうなんですかぁ」
「もう岩本道場におるのは、年端もいかぬ少年少女のみじゃ!
今や虎眼流は、全国屈指のキッズ剣士育成道場として、その名が轟いとる!
青少年育成、地域への貢献という意味では、まさに天下無双の流派ぞ!
そして数少ない古株たちは、毎日キッズ達に囲まれ、肩身の狭い中で健気に練習しとるんよ!
其は虎眼流に非ず!!」
「でも分からねぇんですよぉ」
「まだ分からん申すの?!」
「武士道は死狂い也、とか言う割りに、キツイ修行してるの
「――――それ虎眼流やないかッ!!」
ついに平四郎が立ち上がり、怒髪天を突くが如く雄たけびを上げる。
周りの人達はもう、のほほんとした物であるが。
「虎眼流では、決してトチ狂った修行とかはせんのよ! 少年漫画と違うんじゃから!
流木が落ちてくる中で滝に打たれるとか、一日一万回の感謝の素振りとか、三百倍の重力の中で乱取りをするとか、そういう無茶な事は
あるのは巻き藁とか薪とかの据物斬りで、『こいつはすごいヤツなんだ』というのを見せつける描写のみで、やってる練習自体はごく一般的な物ばかり!
あくまで常識の範疇でしか、練習しよらんのよ!」
「はぁ、そうなんですかぁ」
「なのに、なんであの人らは、あんな超人的な身体能力なんじゃろね?!
彼らは他の道場となんら遜色のない、ごくごく一般的な鍛錬を、ビックリするくらい頭のおかしい先生のもとで、毎日やっとるワケじゃ。
むしろ、あんまし身が入った稽古は、出来とらんのではないかの?
流派とかじゃのうて、
ほれ見ぃ! もう虎眼流で決まりじゃろ!」
「いや旦那ぁ、分からねぇんですよぉ」
「なんにも分からんこと非ず! 其は虎眼流也! もう確定しとるて!」
「でもお袋が言うにゃあ、
「――――ほな虎眼流ちゃうやないかッッ!!!!」
まるで
「ちょ……待てぃお主。
母上どのが申すなら、それもう絶対違うではないか……。えろぅ悪い事してしもたがな。
拙者が虎眼流をディスり申しとる時、お主いったい何を存じてたん……?」
「いやぁ、こりゃ申し訳ねえなって」
「あーもう! なればもう、やんぬるかな!*1
儂は存じぬわ! いったい何処の剣豪なんじゃ!」
「ウチの親父が言うにゃあ、
「ぜったい違うじゃろwww もうええわwww」
その後、平四郎はひとり岩本家に赴き、門前にいた中間の茂助さんに
――――今はお辛いじゃろうが、ご辛抱なされませ。
貴殿の身は、長江院の竜が守っておられる。
師の
まぁ平四郎をしても、藤木は龍なんだか虎なんだかよく分からんし、彼が普段ちゃんと練習出来てるのかは、知る由も無い。
藤木が師の敗北というよりは、実はドッキリにかけられた事にトラウマを負っていたとは、夢にも思わなかったけれど……。
とりあえず平四郎は“ふんわりと”だけ、彼にエールを送ってくれたのだった。
ディスっちゃってすいませんでした、という意味も込めて。
大人げないからこの人達。
此度の閑話、かの“