あれより数日ばかり時は経ち、ここは岩本家地下に備えられし座敷牢なり。
先日道場破りを敢行せしめるも、虎眼流の阿修羅“三重”の前に破れ、この牢に放り込まれし伊良子清玄なれど……。
「あめ……だま。……飴玉……」
現在彼は、精神崩壊を起こしていた。
「
何をするでもなく床に座り、幼子の如く透き通った瞳で「ぽぉ~」っと虚空を見つめ、ブツブツと何かを呟き続けている。
「でもね……? いつもひとつしかもらえぬの……。
あめ玉だいすきなのに……。もっと食べとうござるのに……」
恐らくは、
虎眼流の阿修羅と立ち合い、非常識な物を目にし、あまりにも怖い目に合った事で……きっと心という器から、感情がすべて零れてしまったのであろう。
今も座敷牢の中、ひたすら「あめ玉あめ玉」と呟き続ける清玄。
三重の斬撃により、あんなにも長かった髪は短く切られ、頭頂部が河童みたいになっているその姿は、正に童子その物。
「
彼を出してやるべく座敷牢にやって来た、牛股権左衛門。
だがそのあまりにも哀れな光景に、「くっ!」と目頭が熱くなる。
「清玄くん……。
牢の中に入った権左衛門が、目に涙を浮かべながら、彼の肩を抱く。
まるで父親の如く、慈しむような瞳で。
「ほんと!? ほんとに買ってくれる!? くれ申す?」
「いくらでも買うてやるさッッ!!!!」
もう父性が天元突破である。
権左衛門はボロッボロ泣きながら、まるで父親のように優しく微笑んでいる。
思えば、全盛期には千人に迫るほどの門下生がいたという、ここ岩本道場……。
しかしながら、現在虎眼流に所属する剣士の数は、わずか200名あまりとなっていた。
それは言うまでも無く、
彼女が物心つき、元気に道場で暴れまわるようになった頃から、その姿を見た虎眼流エンジョイ勢の門下生たちはみんな自信を喪失し、一人また一人と道場を去っていった。
残っているのは源之助を始めとする僅かばかりのガチ勢(門弟)と、看板を分けた他所の虎眼流道場に所属する者達くらい。
ついでに言えば……、中間たち*1も辞める辞める!
普段は岩本家の子女に相応しく、可憐でおとなしい感じの三重なのだが……、時に藤木への愛が暴走し、ものすごく情緒不安定となってしまう。まさに虎の如くの暴れっぷりを見せる。
その被害をボコーンと被ってしまった中間たちは、「もうやってられませぬ! さらばい!」とばかりに、雇った傍からガンガン辞めていくという有様。
門下生、中間ともに、この家は物凄く人の入れ替わりが激しいのだった。主に三重のせいで。
「さて清玄よ、ちと庭へ出ようぞ。虎眼先生がお会いになるでな」
まぁキャンディの事はともかくとして……。
とりあえず権左衛門は、幼児化した清玄くんを牢から出してやり、庭へと連れて行くのであった。
◆ ◆ ◆
(えっ……。何にござるかコレ?)
三重に〈ぱこーん!〉と頭を叩かれた途端、清玄は正気を取り戻した。
気が付けば己は、いま腕を後ろに回された状態で縛られ、ゴザを敷かれた地面に座らされているようだ。
「ほら、お父上も起きて下さいまし」パチーン!
ボケ老人の如くアヘェ~と呆けていた虎眼が、三重にビンタされて「えっ、ごはんですか?」とばかりにキョロキョロする。どうやら無事に正気を取り戻したらしい。
(えっ? あれ?)
そして、清玄が辺りを見回してみれば……いま己を取り囲むようにして座っている虎眼流の者達、そして虎眼の隣に控える三重の姿がある。
ようやく幼児化から立ち直ったばかりの清玄は、未だ現状を判断しかねている。
「う、牛股どの……? あそこにおわすのは虎眼先生にござるか?
このように縛られていては、先生に礼を尽くすことが出来申さぬのじゃが」
ちょうど傍にいた権左衛門さんに、助けを求める子供みたいな瞳を向けて、そう言ってみるも……権左はただただ前を見据えている。
「動くな。けして頭を下げてはならぬ。
まっすぐ前を向き、じっと座っておれ。……後で飴玉を買うてやるゆえ」
いや、アメちゃんは大好きだけれど……今はそんなのより、この状況がどういう事なのかを聞きたい。
「動いてはならぬぞ、清玄。
これは虎眼流における、入門の儀じゃ」
――――えっ。
何故に拙者、虎眼流に入門することなっとるんじゃろうか? 清玄は目を見開く。
たしかに己には野望があるし、300石を持つ岩本虎眼の弟子になれるのは光栄なことなのだが……、でもなんでいきなり? 拙者の意思は?
そう清玄は目で訴えてみるけれど、権左衛門は「ぷいっ!」と前を見るばかり。こっち向かんか牛野郎。
その後……、清玄はよく分からない内に、なんかおでこに小豆らしき物をピトッと付けられ、それを虎眼先生に「ちょえーい!」と叩き切られるという、謎の儀式を受ける。
門下生たちは皆「お美事にございまする!」「キレてる! キレてますよ先生!」「すてき!」と騒ぎ立てているが、清玄からしたら「やかましいわ」という話だ。
なんやねんお前ら。夜中に何やっとんねんコレ。なんで小豆やねん。
「ではこれにて、
お次は……三重さま。願い申しまする」
「はい♪」
これで良いのか? はよぅ縄を解いてくれ。
そんな風にモゾモゾとしていた清玄は……、突然スタスタとこちらに歩いてくる三重の姿に、ものっすごく嫌な予感がした。
「ちょ……! お待ち下され牛股どのッ!
今しがた、入門の儀は終わったハズに御座ろう!
何故あのバケモ……いや三重どのがこちらに!?」
「しかり。あの“涎れ小豆”も儀式のひとつよ。
じゃが虎眼流には、もうひとつ越えねばならぬ試練があるのじゃ」
なんか三重が「よーし! いっくぞぉ~!」とばかりに、ぐるぐると肩を回している。清玄の額にたらりと汗が流れる。
「ではこれより、三重さまがお主を、
それで死ななければ入門、ということで」
「――――なにその儀式?! なんでじゃ虎眼流!!」
だって仕方ないじゃん、三重さまがやりたがってるんだから。三重さまがそうお決めになられたんだもん。
虎眼流の門弟たちは、皆ただただ白目を向きながら、その場に座するばかりだ。
「がーーっでぇむ!!
さぁ参りますよ河童ぁ! 歯を食いしばりなさい!」
「お断り申す!(即答)
河童にしたるは三重どのであろうが!
なにゆえ
「うるせぇオラ! 歯ぁ食いしばれオラ! 怪我すんぞオラ!」
「お止め下され死んでしまい申す!
うぬはゴリラぞ! 阿修羅の如き
「黙れオラ! こっち向けオラ! じっとしろオラ!」
「否ッ! これ
何故お主は、いともたやすく人の命を奪おうとするッ!
今は戦国の世に非ず! 天下泰平の世なりッ!」
「知るかオラ! 立てオラ!
お前男だろオラ! チンコもぎ取るぞオラ!」
なぜか三重の口調が、プロレスラーの人みたいになっている。
清玄は必死にやめれと訴えるが、三重には微塵も聞き入れる様子が無く、もう腕を振りかぶってしまっている。こわい。
「ふっ……ふじ! 藤木ッ!!
助けてくれ藤木ッ! 代わってくれぃ!
(ぷいっ)
「オラ口閉じろオラ! いくぞ清玄オラ!」
「嫌ぁぁぁあああーーッッ!!!!」
藤木にもそっぽを向かれた清玄は、もう恥も外聞もなく喚き散らす。
――――生きたい!
涙も鼻水もダーダー流しながら、「拙者もいっしょに、駿府へ連れてって!」とばかりに、必死こいて命乞いする。
「なんだお前オラ! 助かりてぇのかオラ!」
「然り! 助かりとう存じまする! 赦し
「お前やれんのか! 虎眼流やれんのかオラ! 頑張れんのかオラ!」
「やり申すッ! がんばり
「ならお前、『虎眼流に入門します』と言えッ!!
大きな声で! 自分の口で言ってみろオラ! 言えオラ!」
「ひぃぃ~ッ!!」
三重に胸倉を掴まれ、もうわんわん泣きじゃくる清玄。
それでもなんとか助かりたい一心で、自身に出せる精一杯の声で叫ぶ。
「虎眼流にぃー! 入 門 し 申 す ッ !!」
「よっし!!(ビンタ)」
バゴォォォン! みたいな音が鳴った。まるで大砲だった。
門下生たちが全員白目を剥く中で、清玄はゴロゴロゴロ~っと地面を転がって行き、やがて池にドボーンと落っこちて、ようやく静止した。
「――――ファッキン
でれででれで でれででれで♪ でれででれで でれででーん♪(音楽)
門弟たちの「お美事にございまする!」「お美事にございまする!」という声を背に受けつつ、三重が両腕を高く上げながら、スタスタと屋敷に帰っていく。
「……」
一回だけチラッと伊良子の方を見たけれど……藤木も三重に付き従い、そそくさと去っていったのだった。
阿修羅の字名が示したる如く、岩本三重は文武両道。語学堪能也。
故に、時折メリケン言葉(英語)口走り申され候。
鎖国の世なれど無粋は無用。我ただ黙し「虎眼流恐るべし」と存ずるのみ也。