一方その頃、伊良子清玄は……。
駿府城主、徳川忠長に気に入られる事に
「ひもじいよぅ~! ひもじゅう御座るよう~!」
検校屋敷にある、塩蔵。
この薄暗い倉庫内の一角に、伊良子の悲しそうな声が響く。
「うわーん! 暗いよ狭いよ怖いよ~!
なんで
一本の蝋燭だけが光源であり、沢山の塩俵が所せましと積み重なる中、そこに辛うじて空いてる3畳ほどのスペースが、現在の伊良子のホーリーランド*1となっている。
というか、いま伊良子は盲目という事で通っているので、本来は蝋燭すらも用意されてなかった。
いく殿にお願いして、何とかコッソリ持ってきて貰ったのだが……、なんか客分である自身と、検校の妾(体裁)であるいく殿との待遇格差が酷いような気がする。
彼女にはちゃんとした部屋が与えられており、今日もまさに一汁一菜という美味しいご飯を頂いたが、しかして伊良子の為に用意されたのは、ふかしたジャガイモが一個という有様である。
「まじゅいよう……。美味しくないよう……。
あったかいご飯が食べたいよう……!」
それもこれも、伊良子が仕官に失敗したせい。
先日の御目通りの際、突如として推参してきた三重により、完膚なきまでにボコボコにされた故であった。
その剣技を見せる間も無く、三重のストンピングによって地面に埋め込まれた伊良子の御目通りは、結局うやむやのままで終了。
いくらそれが唐突だったとはいえ、伊良子は成す術なく倒されてしまったのだ。
曲がりなりにも
これによって、彼を推挙した賎機検校の面目は丸つぶれとなり、今その怒りの矛先が伊良子に向いている~という事なのだろう。
狭いし、暗いし、床は冷たいし、ここはとても人が住めるような環境では無い。ネズミにでもなったような気分だ。
なんだったら食事のジャガイモだって冷え冷えだったし、ギリギリ死なない程度の境遇に置かれ、ハッキリ冷遇されているという自覚がある。
「よし、ひとつ良く噛んでみる事と致そう。
もしかしたら、たくさん食べていると脳が誤認して、腹が膨れるやもしれぬし♪」
用意された少ない食事を、大切に大切に食べてみる。
もう口の中で液体になっちゃう位、過剰なまでにジャガイモを咀嚼してみる。生き残るには工夫が必要だった。
「まぁこれも、藤木を斬るまでの辛抱よ……。
しかと腕を示せば、また推挙してくれるって、検校さまも申してたし」
ちなみにだが、先ほど検校屋敷に使いの者が訪れ、いま伊良子に対して仇討ち願いが出ている事を知らせてくれた。
自分は殺しをやっていないし、なんか腑に落ちない理由ではあったけれど……、とにかく自分は数日後、藤木源之助と立ち合う事となっているのだ。
当初の計画とは違うが、これは伊良子にとって僥倖。
公衆の面前にて、虎眼流の跡目である藤木を斬って見せるのは、己の腕を示すこの上ない機会となるだろう。
前回は失敗してしまったが、これによって汚名を返上し、今度こそ徳川忠長に認めさせる事も出来ようというもの。
狭くて冷たい床で寝るのも、美味しくないご飯をエグエグしながら食べるのも、いま暫しの辛抱なのである。
「まぁどちらかと申せば、本当は岩本三重の方に恨みがあるのだが……。
それを言っても栓なきこと。藤木で我慢しようぞ」
斬れんし。そもそも岩本三重という存在を、刀でどうこう出来るとは思えぬ。
故に自分は、これまでドッキリを仕掛けたり、熱いおでんを食わせたりして、そこはかとなく復讐をしてきた。
どんだけしょーもない事であったとしても、形だけでも“復讐”という物を遂げ、己のプライドを守ったり、心の平穏を保ったりしてきたのだ!
まぁなんか凄く情けないような気もするけど……それが人間である伊良子清玄とっての限界であり、また精一杯でもある。
「思えば藤木を斬るというは、あの女にとって、この上ない意趣返し*2となろう。
熱海だか何だか知らぬが、それを己が阻止してやるというというのも、悪くない」
こう考えてみると……自分にとって藤木とは、本当に
自分が恨みを抱いているのは岩本三重であり、藤木源之助の存在など、その添え物くらいにしか思っていない事に気が付く。
過去には虎眼流の跡目を争い、共に汗を流し、同じ釜の飯を食った間柄。
周りからはライバルと目され、虎眼流の双龍などと呼ばれた事もある。
あの船木兄弟への闇討ちの時、共に鎌鼬となり闇夜を駆けた事も、水筒を差し出された思い出も、未だにハッキリと思い出せる。
しかしながら、自分にとっての藤木源之助とは、
あの女の腰巾着というのが、彼に対するもっとも大きな印象であり、一番しっくり来るのだ。
藤木本人がどう思っていたのかは知らないが……、伊良子にとっての藤木とは、所詮その程度の存在でしか無い。
剣で遅れを取ったことも無ければ、きゃつの腕前に脅威を感じたことも無い。自分の方が遥かに高みに居るという確信があるのだから。別段気にするような存在でも無い。
まぁあえて言うならば、いつも三重の暴虐を抑えたり、主に被害を受ける役目というのは、我ら二人であったなと、そんなそこはかとない
寡黙で、朴念仁で、確かに変わり者ではあった。
さっさと三重とくっついてしまえば良い物をと、歯がゆさを感じる事もあった。
なれど、決して彼に対して“嫌な感情”は持っていなかったというのが、伊良子の正直な想いだ。
アイツは純粋だったし、いつも剣に対して真摯だった。無口ではあったが、道場の子供達にも好かれていたし、良い所もあったように思う。
重ねてになるが、藤木がこちらをどう思っていたのかは知らない。でもよくよく考えてみると……。
「
なれど、きゃつは――――」
自分以外の人間など、どうでも良い。
最下層の身分から抜け出し、剣を持って高みに昇る為とあらば、迷う事なく斬り捨てよう。それが剣士という物だ。
しかし、本当にわずかだが、彼に対して得も知れぬ想いがある。
喉に刺さった小骨の如く、それが伊良子の胸にひっかかっている。
それは、この仇討ちの話が来る、ずっと前からなのだ。
こうして静かに目を瞑っていると、いつもあの藤木の顔が、最初に瞼に浮かぶ。
「……えっ。己って別に
大丈夫だよね……? そういうんじゃないよね?」
三重のせいで散々だったし、一瞬そう思ってしまうのも仕方ない事だった。
清玄はブンブン頭を振り、いったん頭の中をリセットする。
「ならば……何故だ? 何故きゃつの事などが気にかかる。
いつ己は、藤木にこのような感情を……?」
お情けのように、御膳に一枚だけ添えられていた
それをポリッといった途端、突然伊良子の身体に雷のような衝撃が走り、脳裏に“ある光景”が浮かび出される。
これまで記憶の片隅に追いやっていた筈の、封印されし屈辱が、ありありと蘇ったのだ。
「そうか……斬らねばならぬ。
己は藤木源之助を、殺さねばならぬ――――」
口内で沢庵の甘みをポリポリ楽しみながら、伊良子の意識は彼方へと飛んでいく。
そう……あれはまだ、権左衛門の口元の傷が新しかった頃。
虎眼流の門弟たち皆で、海に行った時の事だ――――
◆ ◆ ◆
この日の練習後、門弟たちは「せっかくだから」と連れ立ち、浜辺へとやって来ていた。
実は先ほど、甲冑を付けたまま海に入るという水練をおこないし折り、藤木が甲冑を脱ぐことが出来ずに溺れてしまい、それを命懸けで助けに行った伊良子ごと、二人まとめて
しかし、いま門弟たちは皆、穏やかな顔をしており、あの肝を冷やした出来事の面影はどこにもない。
『藤木、伊良子。わしは嬉しいのだ』
浜辺にうつ伏せで寝そべり、共に海の方を眺めている時……ふと二人の隣にいる牛股が、静かに声を掛けた。
『おぬしら二人が、こうして並んでいる――――
これはわしにとり、何物にも代えがたい程、嬉しき事ぞ』
思わず二人が牛股の方を見た。
彼は今も真剣な表情のまま前を向き、そして優しい声で告げる。
『我らは
共に汗を流し、剣を磨く
普段は口をきく事もない二人。道場の跡目を争い、宿敵という関係にある二人。
だが今、こうして静かな時の中で、伊良子と藤木が隣同士で並びながら、同じ物を見ている。同じ光景の中にいる。
それを牛股は嬉しいと、そう言ってくれたのだった。
『……』
感動的だな。胸にじ~んと染みるな。
これはきっと、一生忘れない思い出になるだろうな。
伊良子はそっと前を向き直し、眼前にある素晴らしい光景を眺めながら、思う。
ああ――――これが
いま牛股が鼻血さえ流してなかったら、もう完璧だったのにな。
これが若い女達の裸ではなく、ウミガメの産卵シーンとかだったら良かったのに。感動的だったのに……と残念に思う。
『ふぅん……! ふぅん……! ふぅん……!』
『はぁーっ! はぁーっ! はぁーっ!』
傍で寝そべる彦兵衛や九朗衛門の方から、物凄い深呼吸の音が聞こえる。
別に見てはいないけれど、きっとアイツらは今、目を血走らせているに相違ない。
若い健康な男なのだし、そうなっちゃうのは致し方ないのだが、機関車ちゃうねんからもう少し静かにして欲しい。
まぁちゅぱ衛門に関しては女性ではなく、ポツポツといる少年達の方を見ているのかもしれないが。怖いのでここでは追求しないでおく事とする。
まぁとりあえず、いま目の前にある、ヌーディストビーチの光景。
約三十里に及ぶ砂浜を埋めつくす裸体、いくつものおっぱいの姿は非現実的で、いっそ幻想的ですらある。
あぁ、楽園ってこんなトコにあったんですね。
拙者、剣など捨てて、ここに住んじゃおうかな?
一見「やかましいわ」という話だが……、これまで無頼に生き、剣こそが全てとしてきた伊良子をしても、そう言わしめちゃう程の光景がそこにあった。
「……」
そして、この光景に包まれているせいだろうか。
今まで自己のみを信じてきた伊良子の胸に、牛股が言う「同胞」という言葉が、妙に響いたのは。
――――虎眼流の奴らは、他の
――――――ただ身分にふんぞり返り、
伊良子清玄は夜鷹*3の息子として、貧民街で生まれた。
そんな伊良子が幼き日に見た、ただ“肩が触れた”という理由で農民を無礼打ちし、何事も無かったかのようにその場を立ち去って行く武士の姿は、今もハッキリと目に焼き付いている。
――――けれど、こいつらは違う。あの屑共とは。
伊良子はふと、自分の右側に寝そべっている藤木の方を見る。
こいつは今もムスッと仏頂面で(きっとヌーディストビーチに興味が無く、付き合いでここにいるのだろう)、何を考えているのか分からないヤツではあるが、でもあの闇討ちの夜、心に傷を負っていた自分に対し、そっと水筒を差し出してくれたのは、他ならぬこの男なのだ。
加えて藤木源之助は剣に真摯で、決して自分の過去を語らない。この伊良子清玄と同じように。
「――――藤木よ」
目を合わすのが照れ臭いかのように、伊良子は前へと向き直る。
けれどその声は、ハッキリと藤木の名を呼ぶ。
「かの大御所、徳川家康はな……?
その実、浮浪の
そこから成り上がって行ったのだ」
藤木がこっちを向き、じっと伊良子の顔を見ている。
確かにその雰囲気を感じ取りながら、伊良子は言葉を続けていく。
こうして誰かに胸の内を話すのは、いったい何時以来の事なんだろう。
「嘘ではないぞ藤木? 以前、江戸の
そして今、静かにその場を立ち上がった伊良子が、ようやく真っすぐに藤木の顔を見つめる。
万感の想いを込め、言葉を紡ぐ。己の
「故に――――我らとて、己の腕で成り上がることが出来る。
天下を取り、人の上に立つことが出来るのだ!」
伊良子が“我ら”という言葉を使ったのは、これが初めての事。
目の前にいる藤木源之助を、自分と同じ物だと、そう認めたのだ。
まっすぐに言葉を放った伊良子。それに対して、藤木はどこかキョトンとした顔。
無理もない。これまでほとんど口をきく事が無かった自分たちだ。
少しばかり驚かせてしまったかと、伊良子は内心で苦笑する。
ただじっとこちらを見つめている藤木の顔も、こうして見ると、けっこう愛嬌があるという物だった。
「……伊良子」
そして今、藤木の口が、
「私の身の上は、
ようやく、静かに開かれた。
「源之助は、農家の三男坊に御座る。
だが虎眼先生に拾って頂きし日より、私は藤木源之助となり、士となった」
伊良子の目が見開く。
――――この男も、やはり自分と同じ物だった!
その確信が真実へと変わり、得も知れぬ喜びが胸に溢れ出す。
「源之助は、あの日に縊れ死んだ――――
この藤木源之助は、生まれついての士だと、そう思っている」
そうか! そうだったのかッ!
こいつの狂気的なまでの、まさに“死狂い”とも言うべき執念は、ここから来た物だったのか!
違うワケだ! 他の士とも、どの門弟たちとも!
過去を否定し、剣によって乗り越える! この藤木源之助も、自分と同じ物であったのだ!
伊良子の大きな瞳に、堪え切れないほどの歓喜が浮かんでいる。
「ゆえに、士の家に生まれたる者として。
私が成すべきは、お家を守ること。虎眼先生へと恩義を返すこと。
これに尽きると、そう存じてはいるのだが……」
しかし今、藤木が「じぃ~!」と伊良子の顔を見て、なにやら
「……ん? いや、お家を守るのは大事ぞ?
剣をもってお家を守る! そして栄えさせていくが士の使命ぞ!
己もお前と同じように存じるのだが……、一体どうしたのだ藤木?」
(じぃ~!)
えっ、なに睨んでんの!? なんで拙者いま睨まれてんの?!
可愛く頬をプクッと膨らませながら、じとぉ~っとこちらを見ている藤木の様子に、伊良子は困惑する。
「あ、もしやお前……、
己が虎眼流の跡継ぎになったら、お家を守ることが出来んと?
三重さまの隣におる事が出来ぬと、そう心配しておるのか?」
「……」(じぃ~!)
藤木は日々、一生懸命に頑張ってはいるけれど、もしかしたら伊良子のせいで、三重さまの隣にいられなくなるかもしれない。
大好きな三重さまを、伊良子に盗られちゃうかもしれないと、そうジェラシーをぶつけているのだった。
――――え、何この可愛い生き物!? 激LOVEなんですけど!?
剣をもって成り上がって行く事が至上。そう思っている伊良子にとっては、この「ただ三重を守りたい」という藤木の想いは、どこか微笑ましい物に映る。
先ほどあった通り、自分と藤木はまったく同じ境遇。まさに「もう一人の自分」とも言うべき存在である。加えて我らは、剣によって身を立てる士。
お家を大きく栄えさせる、すなわち高みに昇るという志は一緒だが、どうやら藤木の場合は、自分よりも少しばかり
本日、生まれて初めて“友”と呼べる者を見出し、そして今も喜びの渦中にいる伊良子にとって……そのような些細な違いなど全然オッケー☆
これからも共に剣を磨いていくのに、何の問題もナッシング!
むしろ伊良子は「あー藤木って寡黙だけど、やっぱ良いヤツじゃん!」と、とても好意的に捉えているのだ。
「いやいや! よく考えろ藤木よ!?
剣の技量はともかくとして、己には
そもそもの話として、己では虎眼流の跡目たる、三重さまの夫にはなれぬのだ!!」
「……っ!」
「――――お前なのだ! 虎眼流の跡目は!
お前は分かっておらんかったのやもしれぬが……、これはもう決まっている事ぞッ!?
じゃからそのように目くじらを立てる必要など無い! そうじゃろうが藤木!?」
まるでフグのように頬を膨らませる藤木を、一生懸命に宥めていく。
まるで幼い子供を言い聞かせるように。お父さんにでもなったような気分だ。
「そりゃあ己も剣士だし? 剣で身を立てていきたいぞ?
いずれ虎眼流の皆伝を許されたなら、その時は道場を出て、立派に独り立ちをし!
そしてどこぞの城に仕官でも出来たらな~と、そう存じてはおる!
なれど、それまでは共に剣の腕を磨き、切磋琢磨していこう!
牛股師範も申しておった通り、我らは同胞! 虎眼流の双龍ぞ!」
「……っ!」(こくこく!)
それを聞いて安心したのか、藤木くんが勢い良くコクコクと頷く。
これまでずっと心配していた事が解決し、加えてこうして「一緒にやっていこう!」と言ってくれる友達まで出来たのだから、嬉しくならない筈が無い。これは普段は寡黙な藤木くんをしてもだ。
彼は感情を表に出すのが下手なだけで、決して情緒が薄いワケではない。
怒りを感じる事もあれば、恋心だってしっかり持っている。剣の鬼である事を除けば、彼はごく普通の男の子なのだから!
恐らくは生まれて初めてであろうが、いま藤木くんが頬を高揚させ、その瞳に歓喜が浮かんでいるのが見て取れる。
先ほどの伊良子と、まったく同じ様子であるのだ!
「思えば……我らのファーストコンタクトは、もう散々であったな……。
道場破りであったゆえ、表には出さなんだ。
なれどあの時、お前に鍔ぜりへと持ち込まれ、冷や汗をかいておったのは己の方ぞ?
あの骨子術は、力に押されそうになった己の悪あがきが、たまたま上手くいったに過ぎぬ。
同じことは、二度とお前には通じぬだろう?」
「……っ!」
「これまでは牛股師範の意向もあり、あまり対手は出来なんだが……、なれどこれからは、思う存分剣を交えていこうぞ!
我らが一番、剣の技量が近きゆえ! きっと上達も早かろうて!」
「……っ! ……っ!」(こくこく!)
あぁ! なんと素晴らしき事か!
これまで「ぷいっ!」と顔を背け合っていた相手と、友達になれたぞ!!
剣を通し、同じ志を感じ、大っきらいだったあの子と仲良しになれた!
こんなにも素晴らしい日が、他にあるだろうか!? いや無いっ!!(迫真)
いま伊良子と藤木が、ガシッと音を立てて、手を取り合う。
これまで決して交わらなかった二人の手が、今しっかりと合わさったのだ。
牛股師範! 見ておりまするかッ!
拙者は藤木と友達になり申した! 貴方のおかげです!
いま牛股は、他の二人の門弟たちを引き連れ、イソイソとどこぞの隠れスポットにて、ヌーディストビーチを拝みに行っているのだが、それがもう残念でならない。
帰ったら藤木と手を繋いで、一番に報告しに行こうと思う。ありがとう牛股師範。
――――今日は人生最良の日だ!
伊良子は今、「やったー!」と叫びたいくらいの気持ちだ。友情サイコー!!!!
「いやぁ~、正直ここに来るのは、なんか気乗りがせんかったのだが、ほんと来て良かった!
お前もそう思うか藤木?」
(こくこく!)
ぶっちゃけ、「何がヌーディストビーチじゃ。疲れたし寝ときたいわい」とか思っていたのだが、来てみて良かった。
本当は行きたくないけど、でも断るのもなんか感じ悪いし……という、まさにインドア派その物の思考によって、いま此処にいる二人なのだ。
心から牛股さんにありがとうと言いたい。やはり兄弟子の言う事は聞いておくべきなのだ! 良い事あったじゃないか♪
「ちなみにだが、藤木よ?
お前……あの5人の中では、どの娘が良いと思う?」
友情パワーというのは凄いもので、もう藤木にこんな事を訊ける間柄となっている。
これまでは女性の好みどころか、剣の話すらした事が無かったというのに。
でも今ならば、もう何だってコイツと話せるような気がするのだ。
今すぐ目の前のヌーディストビーチにいる、乳を放り出したままキャッキャとはしゃいでいる女性たち。
伊良子はそっちを指さしながら、藤木にそう訊ねてみた。
「己としては、右から二番目?
ほれ、あのちょっと気の強そうな、背の高い娘だ。お前はどう思う?」
「……うむむ」
例えば、もうクラスが始まってから半年以上も経った修学旅行にて、今までロクに話した事もなかったクラスメイトと、ふいに意気投合。
そしてもう、これまでの空白を取り戻すが如く、二人で時を忘れて喋りまくる~というような現象が、いま藤木と伊良子に起こっていた。
二人共、もうMAXテンションなのだ!
普段は物静かな二人だが、もう内心はお祭り騒ぎなのである。もっともっとお喋りしたい。
「己も岩本道場に来る前……もっと言うと“河童になる前”はな?
イケメン整体師として町で評判になる位、まぁちょっとした物だったのよ」
「……!」(おーというキラキラした目)
「それゆえ、結構ブイブイいわしてた感じなのだが……。
落としやすいのは、お淑やかというか、ちょっと気弱な感じの娘なのだ。
なれど、やはり己の好みとしては……、ちょっと気の強い女が好きだったりしてな?」
「……っ! ……っ!」(尊敬の眼差し)
こんな事、普段は人に話さない。
自分たちは修行中の身であるし、女などにうつつを抜かしていたら、先生に怒られちゃう見の上である。
なれど、このような良き日。そして意外と聞き上手な藤木くんを前に、伊良子はどんどん気分を良くし、上機嫌で自分の考えを語っていく。
「それもこれも、やはり自分が初めてみた
と己は分析しているのだが、ちょっと聞いて貰っても良いか藤木よ?」
(こくこく)
いまグイッと身を乗り出し、伊良子が藤木の方に顔を近づけた。
「己が幼子の頃に初めて見たのは、どこぞの売れない画家が書いたような、げにしょーもない浮世絵でな?
今思えば、もう二束三文も良い所の、つまらん絵だったと思うのだ」
(こくこく)
「なれど……もしやあれが、自分にとって
己が初めて見た
言わば、ヒヨコが初めて目にした者を、自分の親だと思い込むような……そんな“刷り込み”のような現象が、エロにおいても起こっているのでは?
と己は存じるのだ藤木よ」
(こくこく)
「ぶっちゃけ、己が初めて目にした
これはたまたま河原で拾った物であって、決して自身で購入した物ではないぞ……?
そこら辺だけは、どうか勘違いせんようにな?」
(こくこく)
「なれど、その
今こうして伊良子清玄という男は、
もしあれが、男が素っ裸の女を縛り、その顔を踏んづけている光景であったなら……。
今この己はドMではなく、逆にドSであった可能性が高いと、そう存じるのだ」
何を申しとんねんコイツは。
きっと人が聞いたら、そうツッコミを入れられる事だろうが、二人は至極真面目に語り合っている。
今まで育めなかった友情を、取り戻そうとするかのように、交友を深めているのだ。
なればもう、無粋なことを言うのは無しであろう。
「己は女に顔を踏まれたり、唾を吐きかけかれたりすると、
「いつも“そういうお店”に行った時は、事前にあーして下さい、こーして下さいと、
もう最近は、己が
「もう露骨に、またアイツ来たよ! ダルーイ! みたいな顔じゃ。
これは酷いと存じぬか藤木?
金を払っているのだから、多少の事は御容赦
拙者は楽しい時間を買うためにこそ、店に参ったのだし」
「あ、いま思ったのだが……この“拙者”という言葉は、なんか良い感じよな!
つたない者、マズい者と書いて、拙者となる。
これは正に『こんな駄目なボクを! こんな惨めなボクを!』という、封建制社会のマゾヒズムを表したような、げに素晴らしき言葉よ!
己もこれから、積極的に“拙者”を使って参ろうかな? ドMたる者!」
「わざわざ化粧をし、女物の着物を着込んで、店に行ってな?
そして『女の子みたいに責められたいです!』とお願いし、嬢にドン引きされた事もあるぞ」
「あの時は、あわや出禁を喰らう所であったが……。
なんかボロボロ泣き始めた嬢と、速攻で駆けつけて来た主人の両方を、なんとか宥めすかし、無事に事なきを得たのだ。
あれは今も忘れがたき思い出として、しかとこの胸にある」
伊良子のテンションが“トップギア”となり、もう一人でしゃべり倒している。
藤木はコクコクと頷くばかりだが、今も機嫌よく聞いてくれているので、別に構いはしないのだが。
しかし……伊良子はトークに夢中になるするあまり、気が付かなかったのだ。
今この場に響いているのが、僅かばかりの波音と、自分の声のみになっている事に。
眼前にあるヌーディストビーチからの声が、いつしか途絶えてしまっている事に。
「いっぺんで良いから、『イッグゥー! ぎんもぢいぃぃ~!』とか申してみたい物よな!
あれ羨ましいと存じぬ? 女ばっかりズルいと思わぬ?
己だって、一回くらい“気が狂うほどの快楽”という物を、味わってみたい!
アヘ顔ダブルピースをさせてみぃと言うのだ!」
「ぶっちゃけ素っ裸より、ふんどし一枚でも穿いててくれてる方が、興奮するよねっ!
――――女子はケーキぞ!
エライ人にはそれが分からぬのだ!! 嘆かわしいッ!!
脱がすな! 脱がすな言うとんねんボケ! 何故に全部脱がす!?」
「疑似でも何でも良いんじゃ!
素人だろうが、清純派だろうが、中出しだろうが! 別に本当じゃなくても構わぬ!
拙者が声を大にして申したいのは、
嘘でも良いから、上手い事やってくれ! バレないように!
ちゃんと感情移入が出来るようにさえしてくれたら、もう拙者、何も望むことは御座らぬ!!
「そういえば昔、拙者がよく参ってた店の常連に、嬢たちから“玄武”という渾名を付けられし、中々のツワモノがおったんじゃがな?
こやつが申すには、リアル女の裸よりも、何かの媒体で観る裸の方が好きなんじゃと。
なんか『
あれは一体どういう事じゃろか? エロに趣きとかワビサビとかあんの?」
「思えば己、最近は“本番”まで観てないような気がする。
いつも嬢が一番最初に、恥じらいながら服に手をかけて、チラッと下着が見えたシーンで『あーええ物を見た~』と満足し、そこで停止ボタンを押してるような気がする。
いったい何時からじゃろ? そんな風になってしもたんは……」
「ちょっと探せば、労せずしてエロが手に入るようになった昨今……。
我らは、エロに対する有難みという物が、薄れていっとるんじゃなかろうか?
あの少年の頃の情熱……女体が見たくて見たくて仕方が無いという、あの頃の気持ちを、いつしか我らは忘れてしもうたのでは無かろうか?」
「ゆえに己は、“飯を食いながらエロを観る”といったような行為は、絶対にせんようにしとる!
出来るよ? 大人になった今なら、何気なくエロを流しつつ、その片手間で飯を食うことが」
「でもそれをやったら――――もうお終いのように存ずる!!
エロに対しての敬意を! これはホンマに有難い物なんだっていう想いを!
そして少年の頃に感じてた、あの大切な気持ちを! 失ってしまうような気がする!!
聞いとるか藤木!? ちゃんと聞いてくれとるか!?
え、なんじゃ周りって? 今ほんに大事なトコじゃろが! ええから聞けよ!」
「ちなみに、己の理想の
自分は頑張って腰を振ってるのに、女の方はダルそうに
そういった
そう、伊良子がふと我に返った時……。
いま浜辺に寝そべっている自分たちの周りを、岩本三重を始めとした、それはもう沢山の女の人達が取り囲んでいた。
彼女たちはしっかりと前を隠し、しかも各々の手には、クワだの棍棒だとという獲物がある。
「――――もし、虎眼流の双龍さん達?
貴方たちは今、何をなさっていたのです?
そのように、大きな声を出して」ゴゴゴゴ…
そこからの記憶は、定かでは無い。
何十人という女性たちにボコボコにされ、最後は甲冑のまま海に放り込まれた所で、パッタリ記憶は途絶えている。
ちなみに水練の時のようにでは無く、三重の鬼のような
あの時、伊良子が最後に思ったのは「変態とか、死んじゃえとか言われながら殴られるのって、意外と悪くないなぁ」という、度し難き想いであった。
◆ ◆ ◆
「思い出した……。
なぜ己は、今まで忘れていたのか」
それは言うまでもなく、水死しかけた影響である。
きっと半日ほど海の底に沈み、まごう事無く仮死状態になった事により、一部の記憶が失われていたのだろう。
もしくは、まさに“死ぬような想い”をした事により、脳が勝手に記憶を封印していたのか。
正確な所は、定かでは無いが。
「友と……なっていたのだな。
あの日、我らは確かに、心を通わせたのだ」
あれから藤木も仮死状態に陥り、それから暫くの間は、三重に冷たくされていた記憶がある。
思えば、あの時の藤木は興味なさそうにしていたし、純然たる付き合いによってヌーディストビーチに赴いていたんだろうに、不憫な事である。
ちなみにであるが、あれから藤木は三重の寝室に忍び込み、浜辺で見つけた貝殻をプレゼントする事により、彼女に赦しを貰ったのだった。
それだけを聞くと、なんかロマンチックな話のようだが……。
実はあの時、藤木は「たくさんの方が良いに決まってる」という、まるで子供のような純粋な想いから、もう
まさか夜這い?! ついに結ばれる時が!?
そう布団の中で狸寝入りしながら、乙女らしくドキドキ胸を高鳴らせていた三重は、突然ドドドドっと部屋に雪崩れ込んで来た大量の貝殻に対し、『業者か!!』という見事なツッコミを入れた。
ひとつでよぅございまする! 多過ぎにございまする! 台無しッ!!
もう夜中だというのに、そう頑張って藤木を言い含めた後……、二人はクスッと笑い合って仲直りし、いっしょに部屋の掃除をしたのだそうだ。
めでたしめでたしである。このバカップルめが。
「藤木は寡黙、良き男だ……。
けして人のことを、ペラペラと喋るような人間ではない」
だが、たとえ過去に心を通わせたとはいえ、
あの時の美しい思い出は、もう何年も前の事であり、過去の出来事だ。
「己の性癖は、全てきゃつに知られておる……という事。
人に知られたくない事も、過去の恥ずかしいエロ失態も、全てを……」
ならば、生かしてはおけぬ――――
きゃつに生きていて貰っては、非情に困る。
仕官も、野望も、成り上がりも……きゃつが一言「でもアイツ、ドMの変態ですよ?」と言うだけで、全て水泡に帰すかもしれない。
かつて岩本虎眼が、たったひとつの失言によって仕官できなかったように、一度「お家に相応しくない」と思われたら、それで全ては終わりなのだから。
(徳川の忠信さんに限っては、逆に喜んで召し抱えそうだが、これが例外だ)
現に自分は先日、三重によって仕官の機会を潰されているのだし。また同じことが起こらないとも限らない。
たとえ藤木にそのつもりが無くとも、主人である三重の指示によって、ポロッと言わされちゃう事はあるかもしれない。
なんぞ文にでもして、それを仕官先に送り付けでもすれば、それだけて伊良子の野望は潰せる。
なんてったって、
口だけで簡単に戦意を削げたり、足を引っ張ったりできるのだから、これはこの上ない弱みとなる。
「あやつを、斬らねばならぬ。
己の生涯で、ただ一人――――唯一無二の友を」
なんだったらもう、
別に藤木を斬らんでも、三重だけ斬ればそれで良くない?
伊良子はそんな風に思うのだが……、でももう全て決まっている事なので、どうしようも無かった。