もし虎眼流・岩本邸内で殺人、及び傷害などの事件起きし時、その犯人として最初に疑うべきは、外部の者に非ず也。
(気が重う御座るが……致し方なし。確か三重さまは、いま私室の方におられると)
みしり、みしりと音を立てながら、権左衛門が屋敷の廊下を歩いていく。
先ほど虎眼の自室には行って来たので、今度は三重の方に赴かねばならなかった。
(ご自身が目を掛けていらした涼を手にかけるなど、有り得ぬ事……。
しかし三重さまもお父上同様、時に精神が不安定になられる)
無いとは思う、無いとは思うのだが……。
なれど先ほど目にした、狂気を宿した表情で鯉を貪り喰っていた虎眼の姿が、どうしても脳裏に浮かぶ。
可憐な乙女の姿をしてはいるが、彼女もれっきとした“虎”。その力は自分達などが及ぶ所ではなく、その在り方すらも普通の人間とは違う。
思考や、精神、逆鱗の場所……。余人には到底理解の及ばぬ領域にあると言えよう。
もし藤木がたまたま目を離していた隙に、三重の正気が失われてしまったのだとしたら……。
狂気に染まりし、抑えの効かなくなった凶暴な牙の矛先が、不幸にもその場にいた涼之介へと向いてしまったのだとすれば……。
「……三重さま、おられまするか?」
そんな様々な可能性を考えつつ、やがて権左衛門は、三重の私室の前へと辿り着く。
「権左衛門に御座いまする。ちとお耳に入れたき儀ありて、不躾なが……?」
しかし、部屋の襖の前に跪いて、静かな声で語り掛ける権左衛門の額に、玉のような汗が浮かぶ。
ふいに彼は、この部屋から漂う異様な気配と、かすかに聴こえてきた不気味な声を感じ取ったのだ。
「御免
手を襖にかけ、スッと横に開こうとする。たがその動きは、ちょうど中ほどあたりで止まる。
ふと目に飛び込んできたその光景に、思わず権左衛門は固まり、手を止めてしまったのだ。
――――三重が
だらりと両腕を下げて立つ藤木の眼前で、三重がまるで農民の如く平服している。
「
…………。
…………………。
権左衛門の身体は、まるで山道にあるお地蔵さまのように、ピキーンと硬化した。
「 お願いいたしまする! もう我慢できませぬっ!
三重は……三重は! 藤木さまのふんどしが見たいですっ! 」
必死さと、真剣さの滲む声色。
年貢の軽減を陳情する農民だって、きっとここまでじゃない。
300石を誇る武家の子女という矜持もかなぐり捨て、情けなく土下座しているのだ。
「 どーしても見たいのですっ! お願いいたしまするっ!
ふんどし見せて下さいませ! 下さいませッ!! 下さいませーッ!! 」
なにとぞ! なにとぞ! みたいに、三重は床に額をゴリゴリ押し付ける。鬼気迫る表情で。
それに対し、藤木は困惑顔。なんかものすごくオロオロしているのが見て取れた。
「み、三重さま……? 頭をお上げ下さいますよう……」
「 いいえっ! 上げませぬッ!!
この岩本三重ッ、ふんどしを拝むその日まで、
「なっ、なにゆえ斯様な真似を……! いったい如何なされたか三重さま……!」
「 ――――何故もクソもありませぬ!
ただただ三重は、藤木さまのふんどし見たぁーい! その一念に御座いますればッ!
なにとぞっ! なにとぞっ! わたくしを哀れと思うのならッ!!」
三重の額が〈ゴリゴリゴリー!〉と音を立てて、なんか煙でも出そうな塩梅だ。
そこはかとなく誠意とか真摯さとかを感じない事もない姿だが、その真剣さのワケが「ふんどし見せて下され」とは、いったいどういう了見なのだろう。
「わ……分かり申した! 申しました故……!
なにとぞ頭を御上げ下さいますよう! 三重さま……!」
「えっ、まことに御座いまするか藤木さま!(カッ!)」
近年稀に見る、というか見た事もないような良い笑顔で、三重がガバッと面を上げる。
「見せ申す……! ご覧に入れまする……!
なにゆえ斯様な物を見たいと申されるのかは、皆目見当が付きかねまするが……。
そ、そこまでおっしゃられるのであれば……致し方なき事」
「かたじけのうございまする! かたじけのうございまする! かたじけのうございまする!
ほんに……ほんにかたじけのう御座いまするッ! KATAJIKEッ!!」
神仏を前にした信徒の如く、更に額をゴリゴリ擦り付ける。そろそろ火が起きかねない。
そんな三重の姿に戸惑いつつも、許嫁(婿養子)である藤木は、モジモジとした仕草で袴に手をかけた。
「――――あ、出来たら
お願い申しまする」
だが、この突然のひと言に、藤木と権左衛門は再びフリーズした。
「こう、蔑むようにですね?
眉を顰め、口元を歪めながら、ゆっくりと袴を下ろしては貰えませぬでしょうか?」
「……」
「いわば――――アンタって最低っ! どうしようも無いクズねっ! みたいな感じで。
心底こちらを嫌悪し、睨みつけつつ……、それでも私が為ふんどしをお見せ頂ける~というワケの分からんシチュエーションに、三重は興奮するのでございまする」
「……」
いやええんかい。見せてくれんのかい。優しいんか厳しいんかどないやねん。
そんな謎のシチュエーションにこそ、三重のドM心は江戸の火事の如く燃え上がり、また対手の深い愛情を感じることが出来るのだ。
情けなく、卑屈で、駄目な自分……。そしてこの卑しいスケベ心ですらも、全て包み込むように受け入れてくれるという、聖母の如き愛――――
それがこの【嫌そうな顔しておパンツ見せてくれる】という行為により、地上へと示される。愛が示されているのだ。
――――人は神の如く非ず。だがもっとも人間らしい時、神に似る。
これなるは、ある偉人の格言であるが……、まさにこの言葉を体現した行為と言えよう。
人は、嫌そうな顔をしておパンツを見せる時、神々しさすら纏うという事だ。きっとそこはかとなく後光が差して見える事だろう。
まぁパンツまるだしの聖母とか、三重は一回も聞いた事ないが。
「ささ! 嫌そうに! もっと眉をひそめてっ!
されど恥じらい、ゆっくり焦らすが如き緩慢な速度で、袴をずり下ろすのです!
カマァァァーーーン!!!!」
「くっ! くぅぅ……!」
「――――そうっ!!!! それに御座いまする藤木さま! 美事なりッ!!(カッ!)
歯を食いしばるその表情! とても屈辱に塗れたお顔!
大変よろしゅう御座いまする藤木さま! いいですねー、ナイスですねぇー♪」
「みっ、三重さま……! もうここいらで、お取り止めを……!」
「なりませぬッ! 三重はまだ、堪能しておりませぬ故ッ!
そんなことを申す暇があるなら、もっとわたくしを罵りなさいませ! 軽蔑なさいませッ!
――――豚を見るような目! 憎しみを宿す冷たい
貴方さまの股間を、ハァハァ言いながらガン見せし、哀れなわたくしをッ!!
もっとッ! もっとにございまする藤木さまッ! もっと下さいませッ!!」
まるで砂金でも探すかの如く見開いた瞳で、ベターっと平服しならがガン見する三重。
そして歯を食いしばり、クネクネしながら袴を下ろしていく藤木――――
「…………ごゆるりと」
ようやくフリーズから立ち直った権左衛門が、そっと襖を締めて立ち去っていく。
嫌そうな顔でお
「涼を討ちたるは、三重さまに非ず。
まぁ分かっていた事ではあるが……」
その後、権左衛門は門弟たちが待つ部屋へと戻り、そう皆へ報告。
行かんかったら良かったで御座る。見とうなかった。
そんな心情を抱え、思わず
◆ ◆ ◆
やはり下手人は、“伊良子清玄”であろう。
そう見当は付いても、証拠は見つからぬという日々が、暫しのあいだ続いた。
「変わり申したな……」
虎眼流の内弟子部屋である“虎子の間”。
部屋の壁にもたれかかるようにして座る
「この部屋も、ずいぶん変わり申した……」
兄弟子の言葉を受けて、藤木はそちらに振り返る。だが興津がそれ以降は口を閉ざしているのを見て、再び机に向き直った。
これはきっと、返事を期待した物では無く、本当になんでもない言葉だったのだろうと。
「わぁ♪ 進八朗おにぃ、おっしゃれぇ~☆
それどこで買うたんでゴザルかぁ~?」
「あ、これぇ~?
城下町のぉ~、漬物屋の向かいにぃ~、小物屋さんあるじゃーん?
そこで買い申したのぉーん♪ 彦兵衛たんのリボンだって超オシャレじゃーん☆
イケてるイケてるぅ~♪」
ふとこの部屋に響いた、楽しそうな声。絵にかいたような猫撫で声。
それを耳にした途端、興津の肩がビクンと跳ね上がる。
「でもぉ~? やっぱ涼ちゃんの可愛さにはぁ、拙者たち敵わないってゆーかぁー♪
マジ掛川無双? 天下統一ってゆーかぁー♪」
「お……おやめ下さいませ
わたしはけして、かような……///」
「いやいや、凄ぅございまするよ涼之介どの?
私は乙女で御座いまするが、この千加をしても、涼之介どのの可憐さには敵わんです!
ほんに見事! 奇跡的な愛らしさにございますれば!
初めてお目にかかりし時は、生命の神秘かと存じましたゆえ!」
伊良子による涼之介襲撃から、早十日あまり。
現在この虎子の間には、ちょんまげにリボンを結んだ兄弟弟子3人と、船木道場から移籍してきた千加の姿があった。
「それにしてもぉ~、千加どのがこちらに来てくれてぇ~、ほんに助かり申したぁ~!
こうして
「ちょー然りぃ~♪ マジ有難く存じるぅ~☆
もし千加どのがおらなんだらぁ~、拙者たちマジやばたにえんにゴザッたぁ~♪」
「わたしも、千加どのが来てくれて、とても嬉しゅうございまする!
共に虎眼流門下として、剣の頂を目指していきましょうっ!」
「いやいや♪ 進ちゃんも、彦ちゃんも、涼ちゃんも、何を申されまするか♪
わたくしの方こそ、このように気の良い
なにとぞ今後とも、よろしゅうお願い申しまするっ」
きゃっきゃ☆ きゃっきゃ☆
カラフルなリボンを付けたちょんまげ達&千加が、まごう事なき女の子のトーンで、お喋りに花を咲かせている。
その姿を、なんか興津三十朗は居心地の悪そうに隅っこに座り、なんとも言えない表情で見つめる。
藤木の方は、あいからわず我関せずと言った風だが。
彼にとっては、兄弟弟子たちが楽しそうにしているのならば、それで良いのかもしれない。
「清玄ちょー許すまじぃ~!
けどチンコ失うて、リボン結んだらぁ~、なんか世界変わったってゆーかぁ~?」
「それな。まこと分かりみ。
せっしゃ今までぇ~、剣のことしか存じんかったけどぉ~。
でもけっこう世の中、たのしい事が溢れてるってゆーかぁ? そういうのに気付いたぁ~♪」
「うんうん♪
以前伊良子が紅をひいて道場破りに参りし時、『お主マジぶっころ』って存じたけどぉ~?
でも紅ひくのイイじゃん! ってなったぁ~♪」
「もうせっしゃ、すっぴんで外に出るの怖くなってぇ~!
厠にいく時もぉ、ぜったいお化粧
隙あらば化粧を直し申すッ!! って感じでぇ~♪」
「ぎゃはは! ちょーウケ
いま虎子の間は、香水だかなんだかの匂いで一杯だ。ついでに言えば部屋はオシャレな小物で溢れ、壁紙なんかもファンシーな物に変わっている。
とても剣の道に勤しむ者達の部屋とは思えない様相である。
チョーいとおかし! である。
あの涼之介が“可憐にされる”(伊達にするの逆の意)事件以降、こうして虎眼流の門弟のうち二人が伊良子の手にかかり、同じくちょんまげにリボンを結ぶ羽目となったのだった。
(ちなみにちゅぱ衛門に関しては、同じくチンコを潰される目には合っている物の、これとは別件の制裁なので、ここでは割愛する)
しかしながら、奇妙なことに涼之介たち門弟は、誰も襲撃を受けた折に下手人の顔を見られなかったのだという。
涼之介は、実家の裏山で犬の散歩をしていた時、後ろから襲われたらしい。
師範代である宗像進八朗は、ちゅぱ衛門を“一応の下手人”とし、役人に届けようと町へ出た折、落ちてるお金を拾おうとした時に後ろから。
そして牛股に次ぐ巨漢として知られる丸子彦兵衛は、湯屋で「ぐへへ」とか言いながら女湯を覗いていた時、股間を木剣でいかれてしまったそうな。
このように、誰もが後ろから〈キーン☆〉とやられた。
そして気が付いた時には、まるで「討ち取ったぞ」という証であるかのように、ちょんまげに愛らしいリボンが結ばれていたというワケだ。
現在、虎眼流門弟の内、3人までもが伊良子の手にかかり、
一応は町でそれとなく聞き込みをおこなったり、当道者(盲人)の組織に探りを入れてみたりはしているものの、未だこれと言った手掛かりは掴めぬままというのが状況だ。
死者が出ずに済んでいる事、そしてちゅぱ衛門が消えたとはいえ、千加が加わったことで皆が楽しそうなのは、とても幸いな事だ。
けれど虎眼流としては、こうも次々と門弟を襲撃されるなど、面子が丸潰れもよい所。
いま町では「なんか虎眼流の人ら、リボン結び始めたぞ!」と、ちょっとした噂にもなっていると聞く。
人々がこの事態を知り、そして虎眼流を笑い始めるのも、時間の問題だろう。
千加&門弟の黄色い声、そして仲間に入れない興津が醸し出す陰鬱な空気の中……。
藤木は表情を変えること無く筆を動かし、ひとり物思いにふけるのだった。
◆ ◆ ◆
「よう参られた――――」
翌日、掛川城下。
総坪数1390坪を誇る、当道座の最高位者である
「ご足労を頂き、まこと有難く存じます。
とにもかくにも、話を聴く前に……」
この豪勢な屋敷にはまるで似つかわしくない、安袴を穿いた男。
虎眼流門下・興津三十郎が、今この屋敷の一室に通され、三人の秘書官たちを前に座っている。
「これは“虎三頭”の代金に御座る。興津どの」
秘書官により、興津へと差し出されたのは、束ねられた小判。
普通に生きていれば目にする事もないであろう程の大金。
それを興津は、表情を変えずにムンズと掴み取る。
裏切り者に相応しく、まさに厚顔不遜といった態度で。
「かたじけのぅ御座る――――」
そして懐から財布を取り出し、〈バリバリバリ!〉と大きな音を立てた。
「おっ……興津どのッ!? それなるは??!!」
「ん、何ぞあり申したか?」
興津は何食わぬ顔で、受け取った金を財布に仕舞う。
だが秘書官たち3人の表情は、皆一様に驚愕の色に染まっている。
「――――
興津どのの財布は、マジックテープに御座るか……!?!?」
「はて? 如何にもじゃが」
よーし金をしまうぞー!(バリバリ!)
その大きな大きな音が鳴った時、屋敷中の当道者たちが「なんじゃこの音!?」と辺りをキョロキョロした。
「お、興津殿は三十路でござろう!?
なれど財布はマジックテープ?! いい年をして!?」
「屋敷が建つほど、そこらの者が一生かけても掴めぬ大金ぞ?!
それをお手前は……、マジックテープの財布に仕舞うと申すか!?!?」
「まことかお主ッ!? まことかッ!?!?」
上品な着物を身にまとう秘書官たちがざわついている。驚愕の表情をする。信じられんねぇとばかりに。
「いやいや! よぅこの屋敷に入れたなアンタ!? マジックテープの財布もって!!
ここ検校さまの屋敷ぞ?! 高貴なる場ぞ?!」
「恥ずかしないんかお主!? いつまで使うとんねんマジックテープ式!!
ふつう前髪までじゃろうが!!」
「いや……、左様な事を申されても、これが拙者の
使いやすう御座るぞ?(バリバリ!)」
「――――鳴らすな! バリバリいわすな阿保!! みんなビックリするわ!!」
本当は現状の報告とか、いつ残りの虎眼流は討てそう(チンコ潰せそう)かとか、そういうのを確認したかったのだが……。
しかし高貴な方々に仕えたる秘書官たちは、この貧乏くさい“マジックテープ”という衝撃の前に、そんなのどうでも良くなってしまう。もう早よ出て行って欲しい。
こいつ……、普通そうな顔して、とんでもない闇を隠しとったッ……!
やがて「?」って感じの、何が悪いのか分からないというような顔をして去っていく興津の背中を、ただただ秘書官たちは震えながら見送るのだった。
虎眼流恐るべしと。
◆ ◆ ◆
「興津――――」
門から顔を覗かせ、盗人のようにこそこそと辺りを伺ってから、屋敷を出た帰り道。
「ここに伊良子は居たのか?」
街道出てすぐ、背後より声がかかる。
その自身のよく知る、なれど刺すような冷たい声に、興津三十郎はピタリと歩みを止めた。
「ふ、藤木ッ……!」
振り返る事が出来ない。身体が動かない。
すぐ後ろにいるであろう弟分の顔を、見る事が出来ない。
なぜなら、心にうしろめたさがあるから。ひどく足が震えているから。
もう終わりだと、興津は悟った。
藤木は己を尾行していた。当道座と密通し、同胞たちの情報を流していた事がバレたのだと。
今も己の後ろに立ち、そして静かにこちらの出方を伺っている、藤木の様子に。
「お……お主は」
剣に手がかかる。
だがそれをする前に、興津は何気なく口を開いた。
「お主は、あの虎子の間で、一生を終えるつもりか……?」
問いかける。死の影に怯え、ガタガタと震えそうになる口で。
なれど、これは藤木という男へ、“己の在り方”を問う言葉。
裏切者の言葉。しかし言い逃れのための口先ではなく、興津の本心から出た言葉だからこそ、藤木は耳を傾ける。
「虎眼流に、明日はあると思うか? ……藤木」
これが、興津が裏切った理由なのだろう。
この男は一人の剣客としての未来、そして岩本道場の現状を憂いたのだろう。
濃尾無双と讃えられしは過去の話。今の岩本虎眼の精神は虚ろで、まともに話すことすら出来ない状態。流派の長たる自分たちの師がだ。
そんな道場にこれ以上いた所で……どれだけ耐え忍んだ所で……。そう興津は言わんとしているのだろう。
だが、藤木源之助は。
「虎眼流の明日は、三重さまに御座る――――」
一点の曇りなく、ハッキリとした声で、そう言ってのけた。
「…………三重さま? 三重さまだと?
くっふっふ! ……なぁ藤木よ」
興津三十郎が今、身体を振るわせて笑う。
狂人のように、だがどこか怒りを滲ませた声で。
「――――
ふざけまいぞ藤木ぃッ!!」
「ッ!!??」
それは――――魂の叫び。
無駄に大きく、無駄に清々しい叫びだった。
これは、今まで誰も言えなかった事だから。
「なんだアレは!? 化け物ではないかッ!! 魔人かッ!!
ただ
「ッ!!??」
その剣幕に、思わず藤木がたじろぐ。
「ヤツは片腕で牛を持ち上げるッ!! グーパンで奈良の大仏を砕いたッ!!
ひとたび地を駆ければ、その爆風で民家が吹き飛ぶんじゃぞ?!
そんなモン人と呼べるかッ!! そんなモンが剣を握って何とするッ!?
別にいらんじゃろうが刀とかあッ!!」
「ッ!!??」
反論できん――――藤木は思った。
どこをどう贔屓目にみても、三重を擁護する言葉が頭に浮かんでこない。こんなにも好きなのに。
「お……興津。
お前、岩本家の子女たる三重さまに対し……」
「ほぉら見ろ!! お主とて、かような
三重さまから“岩本家の子女”と、主語を変えておるではないか!
あのお方を庇うのではなく、家に仕える
ぜんぜん擁護しとらんではないかッ!!」
「ッ??!!」
「くやしかったら、あれを人間じゃと言うてみぃ! 申してみいや藤木ッ!
時の徳川将軍が『仲良くしてね。滅ぼさないでね?』と、菓子折り持って直に訪ねてくるような化け物は、断じて人の範疇に非ずッ!! そうじゃろう藤木ッ?!」
「……ッ!!!!」
言葉に詰まる。ただ目を見開くことしか出来ない。
対して興津三十郎は、いまその瞳を蘭々と輝かせ、まさに絶好調であった。
「申せ藤木! “岩本三重の良い所”を10個申してみぃ! 制限時間30秒!!
ほれいくぞ、ええな藤木? よ~い…………始めぇいッ!!」
「えっ。あっ……」
おろおろ! キョロキョロ!
らしくもなく藤木が汗を流し、おもいっきり目を泳がせている。明らかに動揺していた。
「ほれ藤木! もう10秒経ったぞ! 頑張らぬか藤木っ!」
「あっ、えっと……その……」
「15秒! なんじゃい藤木、どうしたどうしたぁ!
岩本三重の忠犬らしからぬ事ぞ! ほれっ! 申さぬか藤木っ!」
「あのっ……! み、三重さまは……三重さまはっ!」
うーんうーんと悩むが、一向に藤木の口から、呻き声以外が出てくる事は無い。
制限時間は20秒を過ぎ、残り10秒あまりとなっている。
「えっ……まことか藤木? マジでか?!
お主まさか、こんだけ一緒に過ごしてきて、
「み……みみ三重さまは! みみみみ」
「アカンて! そら拙いぞ藤木ッ……!!
決してあってはならん事ぞ! 藤木ぃぃーーッッ!!」
興津は思わずカウントを止め、もう藤木の肩をガックンガックン揺らす。
――――マジかお前! なんで今まで三重の傍おってん!? どうかしとるぞお主!!
そう大切な弟分に語り掛ける。今の状況も忘れて。
「いやその……悪かった藤木! こらぁ拙者が意地悪じゃったな♪ ハハッ♪
そらぁ制限時間とか設けられたら、誰でも動揺くらいはする!
普段なら言えるような事でも、すっと申せんよぅなろうぞ!」
「……ッ! ……ッ!」
「大丈夫じゃ! 落ち着けぃ藤木! ゆっくりでええのじゃ!
な? じゃからひとつで構わぬ、三重さまの良い所を言うてみよ?
出来るじゃろ? じっくりとよぅ考えたら、一個くらいは出てくるじゃろ?
そうじゃろう藤木?」
「ッ! ~~ッ!!」
「――――アカンのか藤木!
ほんにお主、なにゆえ三重さまと一緒におれたんじゃ!?
忠義者と思うとったが、ただの阿保じゃったんかお主はッ!!」
藤木は涙で目を潤ませて、「~~ッ!!」と歯を食いしばっている。幼い子供のように。
そんな彼の姿に、もう興津も涙がちょちょ切れんばかりだ。
どういう事やねん虎眼流。どないなっとんねんワシの弟分。
「……ハッ! お、興津っ!」
「何ぞや藤木!? 何ぞ思い付いたか!?
申せ申せ藤木! ほれ!」
藤木が「はいっ!」とばかりに挙手。無垢な子供がやるような仕草。
そして一生懸命お兄ちゃんに伝えようと、がんばって口を開く。
「三重さまは、家に帰りし時、ちゃんと手洗いうがいを」
「――――もうええッ!! よう頑張ったな源之助ッ! もうええのじゃッ!!」
虎眼流を出よう! お兄ちゃんと一緒に辞めよう!
興津は慈しむように藤木の肩を抱き、一緒に歩き出そうとする。
「三重さまは昔、『藤木の協力のお蔭でキン肉バスターを習得できた』と、私に労いのお言葉を……」
「ええて! もう休め源之助ッ!
お兄ちゃんと一緒に、どこか静かな場所で暮らそうッ!!」
お兄ちゃん頑張るから! 畑仕事でもなんでもして、お主が笑顔で暮らせるようにするからッ!!
興津の瞳から、ボロボロ涙が零れる。滝の如くに。
しかし、藤木が……。
「三重さまの……お傍に。
私がお守りせねば、あのお方は――――」
虚ろな意識、焦点すら定まらない瞳。
しかし震える声で、縋るような声色で、藤木はそう呟いた。
「……ッ!!」
――――くそったれ。
興津は思わず、心の中で叫んだ。
今この源之助の姿を見て。そして(何故か)満身創痍で呟く、自身が幼き頃より目を掛けて来た弟分の“真心”を聞いて。
こころの底から、くそったれと。
「――――ちぇぇぇえええりゃぁぁぁあああーーーーッッ!!!!」
気合一閃。興津三十郎が拳を振り下ろす。
人生を賭けて鍛え上げし、虎眼流たる者の比類なき腕力。
それは
「
虎眼流の者達には、後にしかと真実を伝え、沙汰を受け申す!!」
股間を潰したばかりだというのに、興津は大切に大切に藤木の肩を支え、再び岩本家に向けて歩き出して行く。
こやつには、わしがおったらなイカン! 傍で支えたらなイカン!!
そんな炎の如き使命感が、興津の胸で燃えていた。
「はは……まさかこの
だが源之助、お主を“可憐”にはさせぬぞ――――
虎眼流、そして兄貴分の矜持にかけて」
よたよたと、ボロボロの姿で、共に寄り添い歩いた。
未だ虚ろなまま、藤木がボソリと呟く「三重さまは、あたたこう御座る」
その一言に、興津はこの決断が間違いでは無いことを、確信するのだった。
虎眼流門下、全員マジックテープに候。