私立リディアン音楽院。
二年ほど前は高台に建立されていたが、局地的な地震だかで倒壊。
なので都内の別の廃校を買い取ることで移転して、現在は高等科だけで1000人近い在校生を抱える都内でも有数のマンモス校だ。
そんなバカでかい学舎の校門の前に、俺は立っている。
もう何度目かも分からない欠伸を噛み殺す。
ついでに左の頬っぺたもめっちゃ痛い。
昨日、親戚の子である月読調ちゃんからビンタを貰ったところである。
あの後、憤然として調ちゃんは帰っちゃって、俺も両親(主におふくろ)に襟首を掴まれて家まで強制送還ですよ。
そして両親(主におふくろ)から懇々と説教を頂戴する羽目に。
―――ああ情けない情けない。
アンタは本当に女の子の扱いが分かっていないのね!
まったく誰に似たことやら!
隣で親父も苦笑いしてないで、助け船を出してくれってばよ。
そんな説教は、ガチのマジで明け方まで続き、未だ怒りが冷めやらぬおふくろの最終通牒。
「由輝。あんたキチンと調ちゃんに侘びを入れて来なさい。その上で、我が家に泊りに来てくれる約束も取り付けてくるのよッ!」
「あんなに怒り狂っていた以上無理です。無理ゲーです。勘弁してください、お母さま」
一応、神妙に訴える俺に、おふくろは最後の大ナタを振るう。
「もし出来なかったら、今後のアンタのお小遣いは永遠に46%削減ね」
「マジかよッ!? …で、なにその中途半端な数字は」
「何となく浮かんできたのよ、何となく」
ほぼ完徹状態のナチュラルハイなおふくろに、俺がそれ以上太刀打ちできるはずもなく。
ってなわけで、翌日である今日の放課後。
さっそくリディアン前に来てみたわけなのだ。
………なんだろ、視線が痛い。
ってゆーか、出てくる出てくる生徒がみんな女の子ってのも、妙な迫力があるな。
まあ女子校なんだから当たり前なんだろうけど。
にしても、なんていうか、みんなして髪の色が国際色豊かだなあ(アニメ感)。
三人連れのあの子はスミレ色だし、あの子は金髪。
逆にこんな中で、調ちゃんの黒髪の方が目立ちそう…って、あれって調ちゃんじゃん!
「すみませんッ!」
俺は急いで三人組へと近づく。
こっちを見た調ちゃんがギョッとした顔つきになる。
そんな彼女を庇うように、金髪の子が前に出てきた。
「アンタが天乃ヨシテルデスね!!」
OH…。ここでも間違った読み方が炸裂ですか。
誰だか知らないけれど、そんな睨まないで…。
「いや、ユキって名前だろ? 男にしちゃ珍しいけどさ」
そう言ったのは、スミレ色のワイルドな髪型をした女の子だ。
調ちゃんと同じくらいの身長だけど、こっちは年上の先輩だってことが分かる。
背は低いのにデカい。説明不要。
「じー…」
ジト目というか、睨んでいるというか、調ちゃんがこちらを見ていた。
背筋に寒気が走る。なんとなく地雷に足を踏み下ろそうとしている感じ?
なので俺は足の替わりに勢いよく頭を下げた。
「昨日はすみませんでしたッ!」
「………」
「その…、デリカシーのないことを言ってしまったみたいで…ッ」
俺なりに必死である。高校生活があと二年も残っているのに、小遣いがほぼ半減なんて割と死活問題だ。
「………」
調ちゃんの返事はなかった。
しばらく下げていた頭をおそるおそる上げると、調ちゃんを始めとした三人組は、揃って困惑したような表情を浮かべている。
ついで、周囲には他の女生徒たちもなんだなんだとばかりに集まっていて、ちょっとばかり目立ち過ぎか。
「その、なんだ。…あんた、ちょいとばかり図体が大きいから怖いんだよ」
代表するように、スミレ色の髪のデカい女の子が口を開く。
「それに、天下の往来で立ち話もいい迷惑だろ? 込み入った要件なら、ファミレスにでも河岸を変えねえか?」
というわけで、入店したファミレス。
六人掛けのファミリー席に陣取り、俺の対面には調ちゃんを含めた女の子三人が座っている。
何となく高校受験の面接を思い起こしてしまうシチュエーション。
店員がお冷の入ったコップを置いていってから、またしてもデカい女の子から喋り始めた。
「とりあえず自己紹介からさせてもらうか。あたしの名前は雪音クリス。リディアン高等科の三回生で、こいつらの先輩ってヤツさ」
へー。お名前から察するに、どうやら生粋の日本人ではなさそう。そういえば、大きな瞳もスミレ色をしてらっしゃる。
「そしてアタシが一回生の暁切歌ッ! 調の家族兼保護者兼大大大大親友なのデース!!」
金髪の子が噛みつくような勢いで身を乗り出してくる。
「あ、はい、雪音クリスさんに暁切歌さんですね。俺は聖ジェイナス学園一年生、天乃
思い切りヨシキの発音に力を込めて、こちらも自己紹介。
それから調ちゃんの方を向けば、プイとそっぽを向かれてしまった。
一番話をしたい人が口をきいてくれない。凹む。
「で? 一年坊主のアンタは、結局何をやらかしたんだ?」
雪音さんがそう訊いてきたんだけれど、なかなか返答に困る質問だ。
調ちゃんを見た目で中学生と間違えてしまいました、と素直に話していいもんだろうか?
そんなわけで俺が躊躇していると、暁さんの方が焦れたように口を開いていた。
「聞いてくださいデスよ、クリス先輩! この男の子は、年上の調を妹扱いしたんデスよ!?
いくら調がちっちゃくって可愛くて胸がペッタンコだって、失礼千万な話デース!!」
「………」
うわ。
説明自体はこの上なく簡潔で的確だけど、フレンドリーファイアってレベルじゃねえぞ!?
「ちょ、切ちゃん…!!」
調ちゃんは顔を真っ赤にして、隣の暁さんをポカポカと叩いている。
「なるほどな。だいたい、いや、ほぼ百パー理解できたわ」
隣の二人のやり取りを生暖かい目で見ていた雪音さんは、俺に向かってコップを突き付けてくる。
「真面目な話、こっちの二人はあたしの大事な後輩なんだ。そんで今回の件―――アンタの家が引き取りたいって申し出ている話も、あたしは聞いているんだよ」
「そうなんですか…」
「その上で訊ねたいんだが、アンタ的にはこの件に賛成なのか? 反対なのか?」
改めて問われて、俺は虚を突かれた感じになる。
調ちゃんを引き取る件については、両親が積極的だ。
俺は反対こそしていないが、積極的に賛成もしていない。
だからって消極的賛成ってわけでもなく、現状、調ちゃんの意思に全てを委ねているって感じ?
また、調ちゃんのような妹が出来たら嬉しいって言ったのも、決してお為ごかしじゃあない。
俺は末っ子だから、友人の妹や弟とか羨ましく思っていたから。
けれど実際に調ちゃんがウチの家庭への参入を了承した場合。
姉とか妹とか別にして、一緒に暮らしていく覚悟を求められることになる。
それは、決してノリや勢いで片付けてしまっていい話じゃないはずだ。
「…俺は」
さして考えもないままに口を開いてしまった。
口を開いてしまったからには、何かを言わなければならない。
真剣な目で雪音さんが俺を見ていた。
暁さんに調ちゃんも喧嘩を止めて、じっと俺を見てくる。
ゴクリと喉が動く。
半ば無意識に舌が動き、言葉が空気を震わせる寸前―――。
ピーピーピーとスマホの電子音。
ハッとする俺の前で、三人は揃って自前のスマホを取り出してディスプレイを覗き込んでいる。
「…悪ぃ。急用が出来たわ。この話はまた今度な」
言いおいて、さっさと雪音さんが席を立つ。
暁さん、調ちゃんもその後に続き、俺は思わずその背中へ声を掛けていた。
「急用って…」
振り返らないまま、暁さんの元気な声がファミレス内に木霊する。
「部活デース!!」
…急に呼び出される部活ってなんじゃらほい?
そう思いつつ、慌てたように走っていく三人をファミレスの窓越しに見送る。
そうしてからお冷を一口。
…あれ? これってもしかして、体よく逃げられたんじゃね?
今頃気づいてもアフターフェスティバルだ。
むしろ、こっちの席を見てくる店員さんの目が冷たい。
ファミリー席を占拠しておいて何も頼まないのか、って霊圧を感じる。
なので仕方なく、一番安いケーキセットを注文。
昨日の食べそびれたケーキには遠く及ばない量販品の味だけど、向う二年はご無沙汰になるかも知れない。じっくり味わわねば。
セットのコーヒーをチビチビと飲み、名残惜し気にフォークを置いたときだった。
ギュルルッ ギュルルルッ! って感じの、不安を掻き立てる緊急アラームが鳴り響く。
発しているのは俺のスマホだけじゃない。ファミレスに居合わせた客全員のスマホが同じアラームを発している。
このアラームは…!
「の、ノイズだッ!!」
都民であれば、聞きなれてしまった、同時に絶対に聞きたくない、特異災害発生警報。
店内にいた客が、我先にとドアへと殺到する。
ノイズ発生の際の事故の八割は、パニックになった人間同士の衝突だ。
俺は座席に身を沈め、出ていく人間をやり過ごす。
もっとも膝はガクガク震えていたけれど。
ようやく静かになった店内で立ち上がる。
店員さんもとっくに逃げ出してしまったようで、会計伝票だけをポケットに捻じ込んでファミレスを出る。
緊急警報と真っ赤な文字が記されたディスプレイをスワイプさせれば、自動的に近場のシェルターへの避難経路が表示された。
その誘導に従おうとして―――そう言えば、調ちゃんたちは大丈夫なのかな?
部活って言っていたから、きっと三人ともリディアンにいるはずだ。
そして今や大抵の学校の敷地内にはシェルターが完備されている。
だから何も心配はない。心配はないはずなんだけど…。
リディアン音楽院は、ファミレスの目と鼻の先にある。
「…くッ」
俺はスマホの案内を無視し、リディアンへと向けて走る。
なに、最悪、リディアンの中にあるシェルターに避難すればいいことだ。
けれど、敷地内に一歩踏み込むなり、軽い後悔に襲われた。
何かが燃えている感じがする。焦げる臭いがする。
ひょっとして、ノイズはここに?
そう考えると、膝がガクガクと…って、ここに調ちゃんがいるんだ、放っておけるかッ。
つい先日知り合ったばかりの女の子。
小っちゃくて庇護欲をそそられるツインテールの子。
そして、俺の妹―――いや、姉になってくれるかも知れない子。
万が一にも見捨てたとあっちゃあ、俺はおふくろにぶっ殺されちまう。
同時に、俺は俺が一生許せなくなるだろうな。強くそう思う。
「おーい! 調ちゃん!」
声を出しながら、校舎内を土足で走り回る。
既に生徒たちは避難してしまったのか、人影はない。
「雪音さん! 暁さん! いたら返事してくれッ!」
返事はない。ひょっとしたらみんなしてもうシェルターに避難してしまったのだろうか。
その考えを、俺は即座に否定する。
なぜなら、歌が聞こえていたから。
ここは音楽学校だから、日常的に歌が流れていてもおかしくない。
でも、こんな非常時に歌が聞こえるってことは、誰かがリアルタイムで歌っているのだ。
証拠に、時折歌のイントネーションが上下している。
敷地内で誰かが歌っている。
調ちゃんのことを抜きにして、これも見捨てていられるかよ!
歌のする方向へ向けてひた走る。
ところが、向かったと思った先で、聞こえてくる方向が変わるのには参った。
まるで俺を翻弄するような歌声は、よくよく聞けば三人くらいの声が混じっているような。
しかもどれも聞いたこともない歌。
「はあはあはあ…」
中学時代は鍛えたつもりだったけれど、高校に上がってからのブランクがキツイ。
気づけば汗だくで、校舎裏みたいなところで上体を折って呼吸を整える。
いつの間にか歌は聞こえなくなっていた。ようやくシェルターに避難したのだろうか。
「…だったら、俺もシェルターに…」荒い呼吸のまま身体を起こした時だった。
奥の方で人の気配を感じる。
誰か逃げ遅れていたらマズいよな。
そう思い、駆けだす俺。そして、校舎の角を曲がったところで、見てしまった。
「…調ちゃん?」
その細いシルエットは見間違えようもない。
ただ、別れた時のリディアンの制服姿と違うところとして、彼女はヘンテコな衣装を着ていた。
白いミニスカートに、ピンクの色が混在したレオタードみたいな上衣。
ニーソックスに、袖口の膨らんだロンググローブ。
そして何より、何かメカメカしい感じの被り物をしていた。
後ろにせり出した二つのパーツが、そのまんま巨大なツインテールみたいに見える。
「…ヨシキさんッ!? どうしてここに…!?」
調ちゃんが驚いている。
「そりゃ調ちゃんのことが心配でさ」
額の汗を拭いながら言うと、何か調ちゃんは必死でスカートの裾を下に引っ張ったり、胸のあたりを腕で隠そうとしている。
…むう。萌えるわ。
と、そんなジョークはともかく、俺はその仕草にピンとくる。
そうかそうか、なるほどなるほど。
「こ、これはねッ!」
顔を真っ赤にして叫ぶような調ちゃんに、最後まで言わせない。
「ああ、大丈夫大丈夫。誰にも言わないから安心して」
きっと今の格好はコスプレに違いない。アニメ同好会とかの活動の一環でさ。
俺は深夜アニメとか見ないからよく分からないけれど、よくできてると思うよ?
んで、その部活動のために急に呼び出された理由は分からないけれど、コスプレ衣装に着替えたところで特異災害発生のアラーム。
そのままの格好でシェルターに避難するのを恥ずかしくて、調ちゃんはここに隠れていたってことでしょ?
うむ、我ながら名推理だと思う。
これにてQ.E.D. !!
スマホから、涼やかなメロディが流れる。警報解除の音だ。
さあ、早く着替えてきなよ、と声を掛ける前に。
「…昨日はごめんなさいッ!」
俺は、もう一度調ちゃんに頭を下げる。
こんなタイミングでと言うなかれ。また雪音さんや暁さんに乱入されたら言うに言えなくなっちまうよ。
「本当に不躾で失礼でした。どうか許してもらえませんか?」
そっと顔を上げると、なんだか調ちゃんはアワアワしている。
顎がコクコク動いているのは、恥ずかしがっているのか頷いていてくれてるのか。
「もし許して貰えるなら、あの、両親が言った通りに、一度でもいいから家に来て貰えると…」
当座としては、彼女に許して貰えるより、こっちの約束の方が重大事だ。主に俺の財政的に。
調ちゃんは顔を真っ赤にしたまま動いてくれない。
そのままじっと見ていると、何やら背後に人の動く気配を感じる。
どうやら、シェルターに避難していた人たちが出てきたみたい。
うーん、こうやって二人でいるとこを見られるとややこしいことになるだろうなあ。調ちゃんは絶賛コスプレ中だし。
「そ、それじゃ、俺は行くから」
返事は貰えなかったけれど仕方ない。言うだけのことは言ったつもりだ。
そそくさと俺は退散することにする。
家に帰るとさっそくおふくろに捕まった。
努力目標を果たしたという俺の主張と、なんの成果も持ってこなかった時点で論外と吠えるおふくろ。
それでも粘り強い交渉を重ね、どうにか小遣いの支給額22%カットで折り合いをつけるに至る。
でもって、週末は土曜日のお昼過ぎ。
あれ以来調ちゃんからは連絡はなかった。
なので来月からの学生生活の資金繰りに頭を悩ませる俺の耳に、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴る音が届く。
はいはい、訪問販売はお断りですよーってドアを開けると。
「…こんにちは」
大きな荷物を持った調ちゃんが立っていた。
…ナンデェ? ドウシテェ!?