扉を開けると大きな荷物を持った調ちゃんが立っていた。
「…こんにちは」
パタン。
俺はドアを閉じる。
うん、これはあれだ。
近所の小学校や子供会の小学生が、近隣の住民の家を訊ねて「明日の廃品回収へのご協力お願いしまーす」ってヤツだな。きっとそうだ。
いきなり調ちゃんがうちを訪ねてくるはずなんて、ないない。
きっとシルエットで見間違えちゃったんだよな、ははは。
あいにく雑誌とか段ボールとか先週片付けたばかりだ。
悪いけど断ろう。
「ごめんね。いま廃品回収に出せるものは…」
調ちゃんが立っていた。
「…あれ?」
見間違えじゃ…ない?
「…廃品回収ってなんですか?」
可愛らしい頬を膨らませ、目を細めて見上げてくる。
「い、いやいやいや、いらっしゃい!?」
自分でも何を言っているのかわかんないままにドアを全開。
「どうしたの、いきなり?」
思わずそう訊ねれば、
「一度遊びに来てって言っていたじゃないですか」
調ちゃんってば、口調は丁寧だけど視線がキビシィー。
「あらあら、いらっしゃいッ!」
奥からどたどた足音がして現れたのは、エプロンで手を拭きながらのおふくろ。
「ああ、良く来てくれたね」
その後から笑顔で出迎えたのは親父だ。
「…二人とも、調ちゃんが来るのは知ってたの!?」
俺が驚いていると、おふくろは事も無げに言う。
「そうよー。今日、遊びに来てもいいですかって昨日、電話でね」
「俺はさっぱり聞いてないんですけど!?」
「サプライズに決まっているでしょ、サプライズ」
そんなピンポイント過ぎるサプライズなんかいらんとですよ…。
「とりあえず、上がって上がって」
「…お邪魔します」
親父に促され、ドアを開けている俺の横をすり抜けるようにして調ちゃんは玄関へ。
本当に背が小さくて旋毛が見える。
手も足もすごく細くて―――そりゃ両親から事前に同い年の高校一年生だって教えられていたけどさ。
こんな体型の子を見て、ああ、中学一年の聞き間違いだなって思ったのも無理ないでしょ?
と、考えたことをすぐ口に出してしまう悪癖、なんとかしなきゃ。
両親からも注意されてるんだけど、これがなかなか治らなくて困っている。
反省しよう。反省反省今すぐ反省。
うん、なんにせよ調ちゃんにとって失礼な話でした。
すみません、もう二度と言いません。
そんな風に考えている俺の前で、調ちゃんは靴を脱ぎ、上がり框に小さな足を載せた。
横に一旦置かれたカバンが、なんとも大きく重そうに見える。
「あ、荷物は俺が持つよ」
「だ、大丈夫ですから」
「いいからいいから」
そう言って慌てる調ちゃんの前から勢いよくカバンを持ち上げたとき。
カバンの隅の先端が、彼女のスカートの端っこに引っかかったのは誓って不可抗力です。
ふわりとスカートが舞い上がり、一瞬硬直する俺と調ちゃん。
「…見ました?」
「…ウサチャン柄、カワイイデスネ」
先日の正反対の右の頬っぺたに、大変良い一発を頂きました。
調ちゃんって細い見た目に反し、意外と力があるんだなあ。
反対側も引っ叩かれたおかげで、先日から悪かった嚙み合わせも治ったみたい。
俺が頬を摩りながら顎をカクカクさせていると、おふくろが冷たい目で眺めてきた。
「よしきくんは、ほんとうにバカだなあ」(の〇代ボイス)
くそ、微妙に似ているところが余計に腹が立つ。
「まあ座って座って」
リビングへと通した調ちゃんにソファーを勧める親父。
そしてちょこんと腰掛けた彼女は、すかさず手に持っていた菓子折りをテーブルの上に置いた。
「詰まらないものですが…」
「あらあらこれはご丁寧に」
嬉しそうに受け取って、替わりにソーサーに乗ったカップを置くおふくろ。
…そんなお洒落な茶器、我が家にあったの? 初めて見たよ。
いっつも、コーヒーだろうが紅茶だろうが青汁だろうが湯呑に入って出てくるはずなのに。
ついで、お高そうな焼き菓子が、これまた綺麗な皿に盛りつけられて出てきた。
普段は菓子鉢に適当にぶっこまれたお菓子が多国籍連合を作っているんだけどな。
調ちゃんをそれだけ歓迎しているってことなんだろうけど、おふくろも奮発してるなあ…。
「はい由輝、アンタの分」
ドン、と俺の前に置かれたのはいつもの湯呑(中学校の修学旅行のお土産税込み980円)で、ある意味安心した。一緒に置かれたお茶請けは、袋入りの小さなオカキが二個だけ。
心の中でちょっぴり泣きながら、オカキを頬張りうっすーい紅茶を啜る。
「さあ、遠慮しないで飲んでちょうだい?」
「はい、頂きます」
そっと両手でカップを持ってお茶を飲む調ちゃん。
嬉しそうに見守る両親だったけれど、親父がいきなり頭を下げていた。
「いや、先日は家の息子が粗相をしてしまって申し訳ない。僕たちがもっとしっかり説明していれば」
「い、いえ、頭を上げてください…ッ」
ワタワタする調ちゃんを見て、親父は俺を指し示す。
「本人もああやって反省しているみたいだし」
言われて、俺は一人だけナチュラルに床に正座してしまっていたことに気づく。
「本当にごめんなさいね、うちのバカ息子が…」
おふくろも言い添えてきて、俺も今さらながらの罪悪感。
先日頭は下げたので、すみませんという気持ちを込めて調ちゃんを見る。
すると彼女はすかさず太腿とスカートの隙間を手で隠すような警戒行動。凹む。
「反省だけならサルでも出来るでしょ!」
おふくろも、場を納めたいのか引っ掻き回したいのかどっちなのよ?
もう俺に出来ることは、せいぜい身体を小さくするしかないのである。
自宅のリビングなのにアウェイ感が半端ない。不思議。
「…分かりました。謝罪は受け入れますので、それ以上謝らないで下さい」
調ちゃんが天使に見える一瞬。
これでようやく家庭内カースト最下層から脱出できるかと思って立ち上がろうとしたら、おふくろから歯を剥いて威嚇された。
ハイ、マダ反省ヲ続ケマスデス。
「そうか、良かったよ。いや、ありがとう。本当にありがとう」
親父がまた頭を下げる。とにかく腰を低くして相手の懐に飛び込むのが親父の得意技なのである。
本人は全く無自覚なので非常にタチが悪いアプローチ法だ。
「本当に今回はごめんなさいね。でも、こうやって遊びに来てくれたのは、本当に嬉しいわ」
すかさずおふくろがフォローしつつ、現在の状況を良い方向に肯定した。
我が両親ながら、実に息の合ったコンビだわ。
おふくろにニコニコとお菓子を勧められ、調ちゃんはポリポリと食べている。
そこに親父が天気とかの当たりさわりのない話題を降って談笑。
俺は紅茶のお替りとか調ちゃんの喰っている美味そうなお菓子貰えないかなー、なんて思いながら絶賛正座中。
和やかな雰囲気だったと思う。俺の足の痺れはそろそろ限界に近かったけれど。
そんな中で、調ちゃんの方から初めて口を開いた。
「…お二人は、私のお母さんのことを知っているんですよね…?」
おそるおそると、それでいてどうしようもない気持ちが溢れている声に、俺の胸は締め付けられる。
彼女は実の母の顔を知らないままに生きて来た。
しかも色々な施設をタライ回しされながら。
こんな風に両親が揃って生まれた地域で暮らしている俺の子供時代とは、きっと雲泥の差だ。
そんな調ちゃんの前で両親は顔を見合わせている。
「…そうか。君はお母さん―――詠花さんのことを知りたいんだね?」
コクリと頷く調ちゃんに、親父は続ける。
「うん、それは最もだ。最もだと思うよ? けれど、予め断っておくんだが、写真や映像記録は僕たちも持っていないんだ、残念ながら」
嘘でしょ!?
と俺はツッコミの声を飲み込む。
詠花先輩ってのはたびたび両親の間に出てくる話題だ。
なのに、写真も映像もないってのはおかしいよ。十数年前だって、携帯端末で高画質で動画が撮れて当たり前なんだから。
「詠花さんは、写真に取られるのが嫌いみたいでね~」
と、これはおふくろの証言。
「写真に取られると魂抜かれるとか、真ん中に映ると早死にするとかって」
…詠花さんって明治時代の人かな?
「まあ、多少変人で言動が神がかっていて傲岸不遜な不思議ちゃんだったけれど、意外と面倒見が良い人だったよ、うん」
親父もそれフォローしてんの? 調ちゃんも目を白黒させているじゃない。
「…それでも、もっとお母さんのこと、聞かせてくれませんか?」
「それはもちろん。でもね、これ以上は、ちょっと素面では出来ない話かな」
「…え?」
「申し訳ないけど、まだ日は高い。続きは夕食の席でどうだろう?」
親父のヤツ、上手い。これで調ちゃんが夕食を食べていくことは確定だろう。
大きな荷物を持ってきているから泊まるつもりだったかも知れないけれどさ。
「そういうわけで、調ちゃん、お手伝いをお願いしていいかしら?」
そういっておふくろが手に持っているのは大きなエコバックじゃありませんか。
「今日の夕食は鍋にするからね。好きな具材を買ってきちゃっていいから」
「は、はい」
調ちゃんは釣られるように立ち上がり、バックと小さなガマグチの財布を受け取っている。
「荷物持ちは、こっちの図体だけでかい馬鹿息子を使って貰って構わないからね」
「ちょ! おふくろ…ッ!?」
俺も慌てて立ち上がろうとして―――足の痺れによろけて前方にビタンと倒れてしまう。
「いちち…」
ぶった肘を摩りながら顔を上げれば、スカートの裾を押さえながらの調ちゃんに睨まれてしまった。
違うって! これは不可抗力だって!
「…不埒なことをしたら、遠慮なく折檻して貰っていいからねッ」
あ、お母さま、痺れた足を踏みつけてグリグリしちゃらめぇ! うッふぉおおん!?
ってなわけで、調ちゃんと一緒に夕飯の買い物に行くことになった。
どうしてこうなったのか、俺も本当によく分からない。
それと、出掛けにおふくろが、やたら片目をバチバチさせて俺にアイコンタクトを送ってきたけど、どういうつもりだったんだろう?
隣を歩く調ちゃんを見る。
財布とエコバックは俺が持ち、ちゃんと調ちゃんの歩幅に合わせるジェントルマンだ。
少しでも急落した株を上げねば。完全に底値で、あとは上げるだけとも言う。
しっかし、いきなり二人きりで買い物イベントとは。
「あ、こっちの道を行ったほうが近いから…」
現在、歩いていける馴染みのスーパーまで誘導中。
と、こんな味気ないことばかり話しても仕方ないよな。ここは一つ俺から口火を切るべきだろう。
「…し、調ちゃんは、どんな鍋が食べたいの?」
「それは……お財布の中の予算と、お店の値段と相談します…」
殊勝というか、節約主婦みたいなお返事。
まあ、他人様の財布を預かっておいて、すき焼きとか主張するのは流石に図々しいだろうしね。
ともあれ、ここは俺の地元である。ホームである。
そもそもの買い物だって我が家の夕食のことだ。しっかりと俺がリードするべきだろう。
ああ、おふくろがさっきウザいほどウインクしていたのもこのことかな?
だから俺は精一杯優しく言ったつもりだ。
「そんなに気を使わなくてもいいからさ。だから、遠慮なく好きなものを買ってもらって大丈夫だからね?
なんて思っていた時期も、俺にはありました。
我が家御用達のスーパーへと到着。
一通り青果売り場から肉売り場まで回って説明したあと。
調ちゃんの目つきは一変していた。
まず、青果売り場に戻った彼女は、白菜を吟味。
切り口を見て、それから小さな手に乗せてその重さを測っているのか?
それから表面の汚れた葉を一枚捲って強く頷く。
「うん、これにします」
「あ、はい」
俺の持つ買い物かごに放り込んで、次はネギを物色しだしたぞ。
こっちも真剣な目でネギの青い部分を見て、指で押してネギの固さを確かめているみたい。
「ネギはこれかな」
「そ、そうですネ」
他にも三パック198円の豆腐と二パックで158円の豆腐を熱心に見比べている。
悩んだ末に二パックの方をかごに置いた瞬間、カランカランと鳴り響く鐘の音。
『え~、ただいまより国産地鶏のタイムセールを開始します。手羽元、胸肉、モモ肉を、お一人様一パック限りの大特価で…』
「ヨシキくんッ!」
ガッと調ちゃんに手を掴まれる。
そのまま連行されたのは、既におばちゃんたちが群がり始めた特売コーナー。
土曜日の夕方とあって、凄まじい盛況。
俺でさえ飛び込むのをためらってしまうエネルギーが渦巻く中に、俺の手を引いた調ちゃんの小さな身体が果敢に飛び込んでいく。
「え? え?」
必死でかごを守りながら人波に翻弄されていると、隙間からにょっきり戻ってくるツインテール。
続いて籠に放り込まれたのは、戦利品である大特価国産手羽元が二パック。
「良いものが買えた…」
ほとんど独り言みたいに呟いた調ちゃんの顔は少し興奮して見える。
それになんだかちょっぴり嬉しそう。
あとは、ゴマダレとかポン酢とかの調味料コーナーに行き―――おふくろに電話をして、家に買い置きがあるか確認してから―――それらも購入。
自動会計でお支払いを済ませれば、買った量と質に反し、予算を大幅に下回る成果。
結構な大荷物をエコバックに詰めながら尋ねる。
「これってなんの鍋を作る材料なのかな?」
「鶏の水炊きです」
ノータイムで返してくれる彼女に、思わずしみじみと呟いてしまった。
「うん、調ちゃんは良いお嫁さんになれると思うよ?」
まさか百戦錬磨の主婦たちに交じって、しかも初めてのアウェイでこれだけのことを成し遂げるなんて。
地元民たる俺の面目なんて丸潰れですよ。
むしろ、さっきまでいいところを見せようとしていた自分が恥ずかしい。
無くなれ記憶。調ちゃん、このことはおふくろに内緒にして!
そんな声に出せない気持ちを込めて調ちゃんを見ると、ツンと顔を背けられた。
うう、きっと俺のことを役立たずだと思っているんだ。
一瞬、頬が赤く見えたけど、きっと買い物のおばさんたちに揉まれたからだろうな。
そのまま調ちゃんがさっさと歩き始めたのにも驚いてしまう。
ひょっとして、帰り道を覚えているの!?
だとしたら、凄い記憶力だ。
…もしかして、調ちゃんって相当優秀なんじゃないの?
あれ? 俺ってば背が高いだけで、他のスペックは低すぎ…?
凹みつつ、荷物を抱えて彼女の半歩後ろに付き従う俺。
うわー、自分より優秀な相手を中学生扱いしちゃったなんて、凹むわー。マジ凹むわー。
なので、声を掛けることすら憚られた。
なにを言っても調ちゃんに馬鹿にされそうな気がして。
そんな彼女の趣味は、どうやらコスプレらしい。
まあ、趣味は人それぞれだ。それを弱点扱いするなんて最悪だと思う。
だから内緒にするって約束は墓場まで持っていこう…。
手持ち無沙汰で俺は空を見上げて歩く。
もう月が出ていた。隅の方が砕けて丸くなくなった月が。
それでも、夜に移り変わろうとして徐々に濃くなっていく藍色の空に浮かぶ月は、すこぶる綺麗で、俺はそのまま口に出していたらしい。
「月が綺麗だねー」
不意に調ちゃんが立ち止まった。
同じく足を止めて、俺はようやく失言に気づく。
かの紙幣にもなった文豪が教壇に立っていたころ。
「I LOVE YOU」という英語を生徒たちに訳させたところ、ほとんどの生徒が「われ、あなたを愛する」といった直訳をしたという。
それに怒った文豪が、自分なりの訳を披露したのは有名な話だ。
そしてその訳こそが―――って、うぇぇ!? 俺はそんなつもりじゃ…!!
振り返ってきた調ちゃんにビビる。
彼女が青い顔をしていたことに、絶望的な気分になる。
きっと内心で「なにキモイこといってんだてめえ?」とでも思っているに違いない。
むしろ彼女は冷たい眼差しでこう言うんだ。
「月が綺麗でしたね」
これを直訳しなおせば「I KILL YOU」。
こええええ!! って、落ち着け! 落ち着け俺!!
「いやいやいや! 前のまん丸い月も良かったけれど、今の月も赴きがあるっていうか…!」
気付けば必死で言い訳を重ねていた。人、それを墓穴という。
「………」
無言で見返してくる調ちゃんに、俺は更に無駄なあがきを重ねる。
「そ、そういえば月が落ちてくるってオカルト話もがあったよねー。調ちゃんも聞いたことない? いつの間にか有耶無耶になったけどさ!!」
「………」
話題を変えようにも、やっぱり乗ってきてくれない。
むしろ顔色が益々青くなっているような…。
うう、すみません。キモくてすみません。
そんな青い顔のまま、調ちゃんが言ってきた。
「知ってて言っているんですか…?」
はい死んだ俺死んだ。
先日会ったばかりの親戚の幼児体型の子に「I LOVE YOU」なんて言っちまったZE!!
死ね! むしろ俺は死ね!
でも、本当に死ぬ勇気がない俺は、調ちゃんに哀願するしかないんだ…。
「どうか両親にはこのことは言わないで。お願い…」
両手を合わせて頭を下げる。
なんかここ数日で、一年分くらい頭を下げているような気がしてきたぜ、HAHAHA! はあ…。
「………」
それでもやっぱり調ちゃんは無言で、むしろ何かを考え込んでいる様子。
もっと何か言い訳しようとして―――止めた。
今の俺はまな板の上の鯉も同然。
むしろ生殺与奪の全権は調ちゃんの手の内にある。
これ以上彼女の機嫌を損ねては、マジで俺の命が危険で危ない。もう手遅れかも知れないけれど。
結局、家に戻るまで、調ちゃんは口をきいてくれなかった。
う~ん、楽しい夕食になりそうだなあ(涙目