鉄拳のアイアンメイデン   作:百々目

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 反応、感想、誤字脱字報告なんでも待っています。よろしくお願いいたします。


第1話

 視界の端が真っ赤に染まる。耳鳴りが脳内に響きわたり、ずきずきとした痛みが体中を駆け巡っている。先ほど鋭く伸びた爪先がかすめたせいか、背中からはドクドクと出血が止まらない。叫び声をあげたいのに、力が出ないためかうめき声すらあげることができない。

 少しずつ身体から熱が抜けていくのを感じながら、私は自分の生が長くないのを予感していた。昔、そう、今の生を歩むよりずっと前に、同じような痛みを感じたことがあったのを思い出した。少しずつ失われていく命の感覚がひどく似ていた。

 

 そんな今の自分の状態を受け入れようとする私の手を強く握りしめながら、長年連れ添った幼馴染が見たこともない顔を近づけて私に何かを語りかけてくる。

 

「おい、——丈——美郷、———して———。俺を——にしないでくれ!」

 

 わずかに聞き取れる彼の声から私の名前を必死に呼んでいるというのだけはどうにか聞き取ることができた。しかし、それも徐々に意識の彼方に追いやられていく。真っ赤に染まった視界の端が少しずつ幕を下ろすように見え無くなってくる。

 

(ああ、これ、死んじゃうかもしれないな……だって、昔に感じた感覚のまんまだし……。結局、なんで転生したのかもわからないままだったなぁ……)

 

 消えゆく意識の中で思い出すのはこれまでの日々のこと。最悪の前世の終わりから、新しく生まれ変わってからの日々。そして、どうして今日、こうなってしまったのか。今までの記憶が走馬灯のように流れていくのを感じていた。

 

(ごめん、尊。約束、守れそうに、ないや——)

 

 胸の中で目の前の大切な幼馴染に謝りながら、私は少しずつ意識を手放していった。

 

 

 

※※※※

 

 

 

 彼女が両手に強く握った包丁が腹にぶすりと刺さる。その瞬間、俺は身体から血液が物凄い勢いで抜けていくのを感じた。刺したのは見知った相手。よく言う男女の痴情のもつれとかいうやつだ。自分が死に向かっていくのを感じながら浮かんだ言葉は「二度と恋愛などするものか」という陳腐な言葉だった。それが前世の最後の記憶。

 

 そんな俺だったが、再び目を覚ましたときに感じたのはまぶしすぎる光と全く見知らぬ世界だった。驚きのあまり思わず感情が高ぶり、大声で叫び声を上げてしまう。そのまま自分で止めることも出来ず大泣きをして、誰か知らない人に抱えられるようになってからようやく、落ち着いて周囲の景色を確認できた。そうしてようやく自分が今いる世界がどこなのかを理解できたわけだ。

 

 結果として俺は赤ん坊として新しく生を受けていた。最近流行りの転生という奴ですね。まさか自分がそうなるとは思っていなかったわ。

 

 幸いだったのは生まれた場所が異世界とか中世ヨーロッパ的な世界ではなく、少なくとも医療施設の整った病院で、前世と似た世界に生まれたということ。

 不幸だったのは、前世ではいつでもどこに行くでも一緒だったマイサンが、現世では一緒に転生できなかったこと。これぞ正に死に別れと言ってもいいかもしれない。

 

 こうして俺は女に転生したわけだ。意識が男で肉体は女性、昨今のLGBT運動に同調できるね、くそったれ。転生した際に神様的な存在に会った記憶はないが、もし意識と記憶を残してわざわざ女性として転生させたとするなら、そいつは性格が相当に愉快な奴に違いない。もし会えたならとりあえず、問答無用に背中にドロップキックをかましてやる。赤ん坊として母親に抱かれながら強く心に誓った。

 

 新しい人生で出会った両親は非常に愛情深い人たちだった。ネグレクトやら児童虐待やらがうるさい世の中とは裏腹に、今生の父と母は私に精一杯の愛情を注いでくれている。その二人の想いに応えるように、俺も少しずつ、前世の自分と今の自分に折り合いをつけながら生きていくことができた。とはいうものの、残念なことにスカートと化粧だけはいまだ慣れないままではあったが。

 

 そうして様々な出会いや出来事を通して成長した私、市ノ瀬美郷は現在高校二年の17歳、華も恥じらう女子校生になりました。鏡に映る制服姿はどこをどう見てもうら若き乙女にしか見えない。栗毛色の肩まで伸びた髪に勝気が伝わる釣り目がちな目。わずかに膨らんだ胸と安産型の形の良い尻。ほっそりしたスカートから伸びる足はちょっと太ももが太いのが気になるか。

 そんな鏡に映る姿を見て、前世の記憶とは全く似つかぬその顔は、自分で言うのも変だがそれなりに可愛い容姿をしている。それに違和感と嫌悪感が浮かぶ。脳裏に浮かぶ嫌な記憶、それを慌てて頭をふって思考の外に追いやった。

 のんびり考えている暇はない。なんせ、両親はここにいないのだから。

 

 

 

※※※

 

 

 

「美郷ちゃん、お母さんね、お父さんの単身赴任についていくから。ついでに二人きりで色々なとこにお出かけしちゃう予定なの。デート楽しみだわ、えへへ~」

「年考えろよババ「ああん?」——なんでもありません、美しいお母さま」

 

 年齢はもうアラフォーくせに20台後半といっても通じる美魔女の母はある日、そんなアホみたいな話を唐突に切り出した。何でも父が仕事の都合で1年ほど遠方に単身赴任することになったらしい。単独での生活力が壊滅的だった父を不安に思ってか、母は父に帯同してついていくことにしたとのことだった。

 

「ちょっと待ってよ。じゃあ母さんはうら若き乙女を一人にして不安じゃないわけ?」

「美郷ちゃんをうら若きっていうにしてはお母さんよりしっかりしているしねえ。それに、お隣さんにもよろしく言っておいたから大丈夫よ」

「お隣さんって、尊のこと?」

「そそ、尊くん」

 

 私の家は市街地にあるマンションの一室になる。その部屋の右となりにある部屋に住むのが周防家で、尊はそこに住む幼馴染でかつ同級生だ。

 高校に進学してから成長期に拍車がかかったのか、最近また身長が高くなった気がする。今度、アイツが居眠りしている間につむじを押して背が縮む呪いをかけておこう。

 そんな周防家との付き合いは長く、かれこれ10年にも及ぶ。お互いに困ったときに助け合ってきた関係ではあるが、さすがに今回は事情が違うのではないかと思わずにいられない。

 それに、そもそもなぜ尊なのだ。図体ばかりがでかくなった子どもみたいなやつだぞ、アイツは。

 

 

「……私、尊の家の食事とか、ときどき作ってたりするんだけど。ほっとくと家の中がごみ屋敷になるから掃除しに行ったことも一度や二度じゃないし。世話されるよりもしてる側じゃないかと思うのは私だけかな?」

「いいじゃない! これを期に新婚生活みたいなことしても良いわよ」

「はっ、面白い冗談ね。結婚生活って家政婦や召使いのことを指すって初めて知ったわ。Twi○terに投稿してフェミニストを発狂させてみようかしら」

「そういうこという子がうら若き乙女とかいうのは、お母さん違うと思うの……」

 

 私の発言に母はげんなりとした顔を浮かべた。うるさい、余計なお世話だ。

 

 

 そういったやり取りをしたのがちょうど一か月前のことだ。出発した日の書置きにわざわざ近藤さんの置き場をイラスト付きで残していったあたり、あの母親は頭がイカレていると思う。何が極薄0.01㎜だ。私と母との心の壁は少なくともこの瞬間で極厚1mの鋼鉄製に早変わりしたわ。

 

 

 

※※※

 

 

 

 そんな経緯で世話を任されたはずの尊はというと、まったく役に立たないどころか、むしろ私の世話を増やすばかり。今日も出発よりも早く起きたのも、アイツがポンコツだからだ。

 

 私はため息をつくと、自室を出て台所に向かう。着慣れたエプロンを身にまとうと、ささっと朝食の支度を始めた。冷蔵庫から干物を取り出しグリルで焼きながら、作り置きのほうれん草のお浸しを皿に盛りつける。鍋に軽く水を張り、だし粉末を混ぜ、豆腐とねぎを入れて味噌汁を作る。昨晩から準備しておいたごはんはピッタリのタイミングで炊けた。あとは食べるだけになったのに、テーブルには私以外の人間はいない。

 

 

「……アイツ、本当にいつまでたっても子どもなんだよなぁ」

 

 おそらく尊はまだ夢の世界にいるであろう。よく食べ、よく動き、よく寝る。とはいえ、もう高校生なのだから、いい加減一人で起きてほしい。

 

「しゃーない、起こしにいくか」

 

 そういって、私は重い腰を上げることにした。リビングの窓を開けるとそのまま隣の部屋に移動する。普通は隣の家との間には仕切りがあるのだが、母が「これがあると行き来が不便よね」と取り壊した。ちなみに管理会社にはいっていない。

 ベランダ伝いに移動し、私は尊の家の窓に手をかける。私が来るのがわかっていたのだろう。窓は施錠されておらず、私は苦も無く部屋に入った。

 

 部屋は最低限の家具しかなく、その割に食べ差しのお菓子や脱ぎ捨てた服が散らかっている。また様子を見て掃除かなと私は心の中でぼやきながら、目的の部屋へと向かう。表札も何も書かれていない、武骨なその扉を開けると目的の人物はいびきをかきながら気持ちよさそうに眠っている。昨晩が少し暑かったからか、布団は中途半端に体に乗っている状態だ。

 

 私はそんな気持ちよさげに寝ている尊を見てほほ笑むと彼が起きないようにすっと近づいた。そして、長年沁みついた自然な形で構えをとる。

 そして、無防備にさらけ出されている彼の腹筋に対して

 

 

 

「——死ねッ!」

「——殺気!? あっぶね!」

 

 

 

 垂直に手刀を振り下ろした。しかし、真っ直ぐ正確に振り下ろしたはずのその手は目標に当たることなく、彼のベッドに突き刺さる。ドカン!と音を立て、グワングワンとスプリングを揺らすベッドはその威力が相当高かったという証拠だろう。

 

「ちっ、仕損じた。おはよう尊。ご飯冷めるから早く食べてくね」

「……お前は暗殺者かよ。しかも、起き抜けの人間にまず最初に言うこととやること、違うんでないかい。あと、おはよう美郷」

「こっちは朝の6時に起きて二人分の朝飯にお昼も準備しているの。その私に対して、のんきに寝息を立ててる馬鹿が目の前にいたのよ。そこに対して何かいうことは?」

「ほんと、マジ感謝しかありません」

「よろしい。片付かないからとっとと起きてごはん食べちゃってね」

 

 振り下ろした瞬間に目を覚ました尊はギリギリで身体をひねったことで私の渾身の一撃をかわせたようだ。最初の内は「ゲハァッ!」とモヒカンの雑魚のような悲鳴を上げていたのだが、最近はそれも少なくなってきている。そろそろ攻撃パターンを変えてみる必要があるかもしれない。

 尊はひねった身体を起こすと、ベッドであぐらを組み、こちらを非難するような目でにらんだ。

 

「それにしてもさ、もう少しさわやかな目覚めを味合わせてくれてもいいと思うのだが?」

「おかしいなぁ、シチュエーション的には可愛い幼馴染が甲斐甲斐しく起こしにきてくれて、しかも朝飯まで作ってくれている。界隈じゃ泣いて喜ぶ展開だと思うけど? 嬉しくて胸弾まない?」

「少なくても、今感じている動悸はトキメキじゃなくて九死に一生を得た安心感だな」

「それは大変ね。とにかく、とっとと着替えて飯食べて学校行くよ」

「はいはい、お前は俺の母ちゃんかよ」

「そういうなら、とっとと親離れしてよ、尊」

 

 バツの悪い顔をしながら尊はベッドから起き上がると、私が目の前にいるにも関わらず着替えを始めた。鍛えて6つに割れた腹筋に、筋張った上腕部と脚部。無駄なものを削ぎ落したその肉体は、彼が長い間鍛えてきた証左だ。

 着替える彼の寝間着を手早く疲労と、素早く洗濯機に放り込む。

 

「そういえば尊、優作さんは?」

「ああ、父さんか? また研究でしばらく帰れないって連絡あった」

 

 尊の父、優作は大手企業の研究職として働いている。すごく優秀らしく、仕事場でも頼りにされているというのだが、残念ながら私生活は壊滅的だったりする。ちなみに尊の母はいない。彼が小さい頃に事故で亡くなったらしい。私が尊と知り合ったのは彼がここに引っ越してきてからだから、詳しい話は聞いたことはない。ただ、その事件の際に彼がひどく落ち込んでおり、それがきっかけとなって私たちは今の関係になったというのが現実だ。

 

「それはまた大変だなぁ。帰った時の洗濯物が。また貯めて帰ってくるのかなぁ」

「あの人も生活力が皆無だからな……ほんと、親子そろって一ノ瀬家には足を向けて寝られないわ」

「あんたのベッドの位置だと、毎回私に足先が向けているけどね」

 

 そのうちこっそりベッドの位置を変えてやろうとひそかに心に誓った。

 

 

「ちなみに優作さんは何か言ってた?」

「特に何も。ただ、机の上に近藤さんが置いてあったけど」

「……あの人もか」 

 

 いったいどうして欲しいんだろうね、うちの親も尊の親も。まあ言葉にせずとも分かってはいるんだけどね。ただ、少なくとも私はその気はない。今後も、この先も、彼とそういう関係になるつもりは決してない。

(——こんな中途半端な私が、誰かを、愛せるわけないのだから)

 

 

 これが最近のいつものやり取り。私が尊の世話を焼き、尊がそれに皮肉を言いながらも受け入れる。何年も続くいつも通りの日常。変わることない、私の大切な今の生活。

 今日も、そして明日も、変わらない日が続いてく。そんなことを至極当然のように私は考えていた。けれど、そんな甘い幻想はいつだって突然、終わりを迎えることもある。私は、いや、俺は前世でそれを知っていたはずなのに。

 このときはそのことを必死で気付かぬよう、目を逸らしていた。

 

 

※※※

 

 

 手早く朝食をすませると、私たちは一緒に学校へ向かった。通っている高校は家から近く、歩いて20分ほどの距離にある。そこまでの道すがらは、いつも他愛無い会話をしながら歩いて向かう。

 チラリと横目勝ちに尊の顔を見ると、まだ眠気が残っているのか目を細めつつあくびが今にもこぼれそうな顔をしている。前髪が少しはねているところを見るに、整えるのを忘れていたのだろうというのがわかる。

 ここ一、二年で伸び始めた身長は180センチ届くかというところまで伸びている。おかげで最近は立って話すと仰ぎ見るような形になってしまう。空手部で身体を鍛えていることもあってかガタイもいいし、顔も元男の俺から見てもそこそこカッコいい部類に入るのではないかと思う。

 

「……なんだよ、さっきからじっと見て。何か言いたいことでもあるの?」

 

 歩きながらじっと尊のほうをにらんでいると、彼は視線に耐え切れなかったのかそう尋ねてきた。

 

「えっと、そうだね、前髪寝ぐせついてる」

「……それ、学校行く前に教えてくれませんかね?」

 

 急に聞かれて焦ってしまった私はごまかすように答えた。その言葉に彼は唇ととがらせながら不機嫌そうに顔をゆがめると、目線を上げながらなんとか手櫛で寝ぐせを整えようと四苦八苦し始めた。

 

「あとは、尊は彼女作らないのかなって」

 

 私はその様子を見ながら以前から気になっていたことを聞いてみた。尊はそれなにモテる。見た目もいいが、部活でも面倒見がよく、人づてに告白されたなどと聞いたのは一度や二度の話ではない。でも、彼がその告白を受け入れたという話もまた同じく耳にしたことはなかった。

 

「……は? なんでだよ」

「だって、よく聞くよ。学年が上がってからまた告白されているんだって? 付き合えばいいのに」

「誰だ、んなこというのは。康太か?」

「違うよ、若葉」

 

 

 私の答えに「……あの腹黒クソアマ」と小声でこぼす尊。おーい、その腹黒は一応だが私の友人だぞ。まあ性格に一癖あるということは否定できないけれど。

 

「それで、付き合いたいと思う人はいないの?」

「……いるけど、言わねぇ」

「あ、気になる人はいるんだ。いいじゃん、教えてよ」

「……お前にだけは絶対に言わねぇよ。それより、とっとと学校行くぞ」

「ちょっと! 急に早く歩くのやめてよ! あんた無駄にでかいんだから」

 

 私の文句に尊はすぐさま速度を落とす。背が高いため、彼の歩幅で速度を上げられると私は追いつけない。本気を出せば、彼はきっとあっという間に私のところから離れていくだろう。

 

「尊、私のことは気にしなくていいからね。本当に好きな人ができたら、私も応援するからさ」

「そんなこと気にしてねえよ。少なくとも、お前を邪魔に思うような女は最初からお断りだっての」

「なに、マザコン?」

「うっせ、そんなんじゃねえよ。それよりも、今日の放課後、部活終わりにいつものやんぞ」

 

 私のからかいにわずらわしくなってきたのか、彼は無理やり話を変えてきた。話題は私たちの共通のこと。いつから続いたのか、恒例の約束事。

 

「また? 尊もしつこいね。いい加減諦めれば?」

「悪いが、これだけは譲れなくてな」

「じゃあ、部活終わったら道場で待ってて」

「おう、次こそ絶対勝つ」

 

 それはいつから始まったのかは詳しくは覚えていない。たしか彼が私の後を追うように空手を始めてからしばらくしてからの事だったと思う。一週間に一度、私たちは手合わせを行うのが習慣になっていた。今までの結果はもう覚えていない。高校に進学してからの勝敗は、私の勝ち越しである。

 昔取った杵柄ともいえばいいだろうか。私は前世で空手の大会で結構いいところまで行ったことがある。それもあって、新しい人生でもまた空手を始めたのだ。心身を鍛えるために、女の体で一人で生きていくために。そして、泣いている男の子を守るために。

 そんな尊もそれなりに強いのだが、私は尊よりも小柄な体格を生かしてすばしっこく立ち回り、どうにか勝ち越しを続けている。最近は身体がどんどん強くなる尊に負けそうになるのだが、経験で何とか天秤を彼の方に傾けるのを阻止している。

 

「そういえば、なんで尊は私との勝負にこだわるのよ。部ではもう一番強いでしょう」

「いいんだよ。まああれだ、女に負けたままだとカッコ悪いからだよ」

 

 尊はそういって恥ずかしそうに顔を逸らす。本当は分かっているのだ。彼が私に勝とうとする理由も、拘るわけも。だからこそ、私は、【俺】は絶対に負けるわけにはいかない。

 

 

 その後はいつもと変わらない他愛ない会話をしながら学校に向かった。そうすると、見慣れた校舎が視界に入ってくる。

 私立獅子群高校、そこが私と尊が通う高校だ。自由と競争を校訓とするこの学校はその校訓も相まって非常に個性的、いや、個性的すぎる人が集まることでも有名である。ついたあだ名は「市街地サファリパーク」だ。

 

 進学実績も極端であり、一流国公立や私立大学に進学する人が3割を軽く越える一方、そのまま就職する者もいる。中には卒業と同時にバックパッカーやら冒険家、ギャンブラー、夢追い人、ポケモン〇スターといった道に進む変人や奇人なども毎年一定数出たりする。最後の方はひとくくりに無職と呼べるが、学校側が生徒の自己申告のままに進路として記載している辺り、学校そのものも大分おかしいと思う。

 そんな異色の高校に進学した理由はひどく単純で、家から近いことと学費が安かったこと。どうやらこの高校はどこか大きな組織を母体に持つとやらで、学費が公立と大差ないくらい良心的なのだ。私以外にも同じような理由で進学する人は多いらしい。しかしおかしなことに入学したときは極めて普通だったのに、皆一様に何かしら特異性を持って卒業するのだとか。

 

 そんな見慣れた校舎の校門の前で、ひと際目立つ一人の女性が立っていた。他校の制服に身を包んだその少女は片手にもつ紙を何度も見返しては目の前に移る高校をしかめっ面で睨んでいる。その姿を誰もがいぶかし気に遠巻きに見てはいるものの、その少女の雰囲気に腰が引けたのか誰も話しかけようとしない。

 

「なにかしら、あれ? 殴り込みかしら」

「……美郷、学外での喧嘩はあれほどやめろと言っておいたのに。あれはきっと御礼参りってやつだぞ。いったいいつ、だれをやったんだ? 一緒に謝ってやるから素直に言ってみろよ」

「幼馴染の日頃からの信頼に嬉しくて涙が出そうよ。むかついたし、とりあえず一発殴るわね」

 

 どすっと無防備な横腹に軽く一発叩き込む。「ぐおぉぉ……」と苦しみ悶える愚か者を尻目に、私は少女に話しかけた。

 

「どうしました? うちの高校に何か用事でも?」

「……ああ、これは申し訳ありません。少し困ったことになっていて、どうしようかと悩んでいたところなんです」

 

 こちらの声に振り返った少女は驚いたのか、もともと大きい瞳をさらに開きこちらを振り返った。近づいて分かったが、目の前の少女はまるで絵画からそのまま出てきたようないで立ちをしている。黒真珠のように漆黒に濡れた腰まで届く黒髪は無造作なのにそれがかえって自然に見えた。人形のように小さい顔なのに、大きい瞳に小さな鼻はその位置が黄金律のように正確な位置に配置されている。手足もまるでカモシカのようにすらっとしており、本職のモデルすらも彼女を前にしたら背を向けて逃げ出すほどだろう。

 そのあまりの美しさに思わず「まるで漫画やアニメのヒロインだなぁ」と内心で考えてしまうほどだ。

 

 

「良ければ力になろうか?」

「それは非常に助かるわ。実はこの近くの高校に転校することになったのだけど、教えてもらった場所と高校名が一致しなくてどうしたものかと悩んでいたところなのよ」

「それならご安心を。こちとら生まれも育ちもこの近辺ですんで、たいていの場所には詳しいですよ」

「それは心強いわね。それでなのだけど、これを見てもらえるかしら」

 

 そういって彼女は一枚の手書きの紙を取り出した。お世辞にも上手いとは言い難いそれには、旧石器時代の壁画よりも難読な絵が描かれていた。

 

「……何これ」

「何って、見てわかるでしょ。地図よ」

「……この蛇が腹痛でのたうち回ったようなものが?」

「……しょうがないじゃない。下手なのよ、絵を描くの」

 

 少女は頬を赤く染めると、気まずげに視線を逸らした。唇の先をとがらせつつすねた様子に思わず笑みがこぼれてしまう。

 

 

「まあ誰でも得手不得手はあるしね。それで、どこに行こうとしてたの?」

「そ、それなんだけどね、ライオンズ高校ってところなの。言われた住所通りにきているのに目の前の高校と名前が違うのよ。あっているのかどうか不安で、どうしたものかと困っていたところだったの」

「……ライオンズ高校、ですか? ちなみにですが何か特徴とかあります?」

「特徴……」

 

 そう呟くと少女はぐるりと回りに視線をやった。

 立ち止まる少女の横を何人もの人たちが通り過ぎていく。そう、多種多様な人たちが。

 

 全身真っ赤な制服に身を包んでいた金髪のニコニコ笑顔の男。普通の制服なのに馬のマスクをかぶって歩く生徒。一昔前に流行った特殊なヨーヨーを転がして歩く女生徒。短パンをはいてミニ四駆と並走しながら音声認識で車を動かす少年……

 

 うん、いつもの見慣れた登校風景だ。

 

「たしか、変人のサラダボール」

「うちの高校だよ! その特徴は間違いなくうちの高校だよ!」

 

 いや、分かっていたけどね。ライオンズって、まんま獅子群をカタカナ読みしただけだし。

 

「でも、その高校はいたって普通の高校って聞いているわよ」

「そっか、ならうちの獅子群高校とは違うわね。他に何か特徴は聞いてないの?」

「特徴……」

 

 彼女は再び辺りを見回す。

 おかしな恰好で登校してくる生徒を取りしまる風紀委員。その手にはエアガンのサブマシンガンを握りしめている。取り締まられる様々な人たちとそれらを華麗にかわして校舎に侵入を果たすものもいる。ミニ四駆がエアガンで撃たれているが「さすがFRP、何ともないぜ!」とその球をはじき返していた。しかし、校門を走りぬけようとした瞬間、地面に隠れていたトラばさみが作動し車体が爆発。「マグナーム!」と悲痛な叫び声が響き渡った。「ケッ、きたねえ花火だ」とそれを見てこぼす風紀委員。

 

 うん、いつもの見慣れた登校風景だ。

 

「日本のソマリア」

「いや、その言い方はひどい!? けど、この光景だと否定しきれない……ッ!」

「でも、生徒は普通の生徒だって言っていたのよ」

「普通? ならうちと違うな。他に何か言ってなかった?」

「他はね……」

 

 見回した視線の先では胴着をまとった頭をとがらせた男が、片足をまげて伸ばしたままスライド移動していた。あ、風紀委員が捕まって、大きく「天!」と文字が浮かんだ瞬間倒れこんでいる。近くでは髪型をブーメランみたいにした男が腕をふって謎の光で吹き飛ばしていた。それに対して風紀委員が両手首を重ねて「波○拳」と謎の球を打ち出している。

 

 うん、見慣れてしまった登校風景だ。

 

「日本で唯一拳銃の所有が認められた高校」

「待って! そこまではひどくないはず! でも、持てるなら安心かもしれない……」

「何してんだよ、さっきから。百面相を浮かべているけど、福笑いをするなら時期が違うぞ」

 

 話し始めて業を煮やしたのか、痛みから回復した尊がこちらに話しかけてきた。あ、脇腹押さえているのを見るにまだ痛みはあるようだ。

 

「いやね、改めてうちの高校って外から見たら変な学校なのかなって」

「そんなの今更な話だろうが。その代表格みたいなやつが何言ってんの?」

「失礼な。私ほどに品行方正と普遍性を体現したような生徒はいないわよ」

「口よりも先に手が出る人間は、少なくともお利巧さんとはいえんだろう」

 

 

「ごめんなさい、仲が良いのは分かったわ。それで、結局私の探している高校はここでいいのかしら?」

 

 少女の言葉に私と尊は言い争いをやめて二人して少女に向き直った。そして声を揃えて一言こういった。

 

「「ようこそ、わが愛すべき母校に。歓迎しよう(するわ)、変人候補生」」

「……貴方たち二人とも、十分この学校に染まっていると思うわよ」

 

 そういって、大きなため息を少女はついた。

 

「ところで、うちに転校してくるならもしかしたら同じクラスかもね。私は一ノ瀬美郷。今後ともよろしく!」

「周防尊だ。この暴力女とは腐れ縁ってやつだ」

「誰が、暴力女だ! その口張ったおすぞ!」

「自分の発言の矛盾に気が付いてない辺り、もぷ手遅れに気づけ馬鹿!」

「……クス。ホント、仲が良くて羨ましいわ。伊波継姫よ。また会えた時はよろしくね」

 

 伊波さんはそう言って、羨ましそうな眼をして私たちをみて笑った。

 

 

 

※※※

 

 

 

 伊波さんを職員室まで案内した後、私と尊は教室へと向かった。別れ際に彼女は「また会いましょう」と微笑みながらそういった。

 新しい出会いに新鮮さを感じつつ、そのあたたかな気持ちを抱えて教室の扉を開いた。

 

「てめぇら、頭おかしいだろ!」

「ふざけんな! お前らこそ今すぐ鏡で自分の顔見てみやがれ!」

 

 ――そこはまさに戦場だった。武力のない、言葉で互いを罵りあう言論闘争が目の前で繰り広げられていた。

 

「あ、美郷ちゃんおはよ~」

「おはよ、若葉。今日は何があったの?」

 

 いつも通りの光景に呆れ声を上げつつ、私は友人の若葉に声をかけた。

 

「えっとね、今日はね、たしか……」

 

「お前、牛丼チェーンは吉〇家が正義に決まっているだろ!」

「はあ? す〇屋のバリエーションは世界一だろJK」

「ブラック企業番付常連企業は座ってろ! 味は松〇に勝るものはなし!」

 

 その争う声を聞き、今回のもめごとの原因をすぐさま理解できた。特に慌てる事もない。わがクラスでは日常茶飯事の出来事だからだ。

 

「ああ、今日は牛丼闘争ね」

「そうなの~。佐伯君が牛丼屋はどこが一番美味しいかって話をしたら、十分立たずにこうなったの。みんな朝から元気だね~」

「そうね、いつものクラスで安心するわ。燃料一つで燃え上がるとか、相変わらずうちのクラスは沸点が低くて笑えるわ」

 

 私はそういって苦笑しつつため息をつきつつ、横目に友人の武井若葉に目を向けた。薄っすら色素を抜いた栗色の巻き毛、目の端が少し下がったたれ目や身にまとう雰囲気から俗にいう癒し系と言われる部類に入るだろう。特にその背に見合わぬ大きな胸は年齢にそぐわぬ包容力を感じさせる。自己主張の控え目な男子生徒が彼女を見たら、ほのかに想いを寄せること間違いなしだ。もちろん、彼女の本性を知らなければだが。

 

「まったく、牛丼屋でどこが美味しいかなんて議論するまでもないでしょうに」

「そうだな、議論するまでもない」

 

 尊も目の前の光景に呆れているのか、私と同じようにため息をつきながらこう言った。

 

「牛丼といったらチカラめしだろうに」

「は? なか卯こそ正義でしょ」

「「……」」

「————は~い、第3勢力はいりま~す」

 

 こうして、私は長年連れ添った幼馴染と袂を分かつことになった。

 まったく味覚音痴の馬鹿どもめ! 元社会人のディベート力でそのゆがんだ思想を粛清してやろう!

 私たちは争いの中に割って入った。その議論はさらにヒートアップし、登校する同級生をどんどん巻き込み、クラスはまさに己の思想を押し付けあう群雄割拠状態となっていく。

 

「王道にして頂点! 吉野家に勝るものはなし!」

「上に乗せるものにより万人に愛される味を追求するすき屋に決まっているでしょ!」

「肉の味なら松屋! 値段も一番お手頃だしコスパ最強だ!」

「牛丼以外の選択肢を用意しているなか卯こと、カスタマーサイドを考えた形態よ!」

「うどんや親子丼なんて逃げの一手だろうが! 焼き牛丼という新境地を切り開いてくれた、チカラめしこそネオ牛丼という名にふさわしい!」

 

 互いに譲れないものがある。悲しいけど、これ戦争なのよね。

 議論とも言えない、互いの主張によるののしり合いの様相になる中、気が付くと既に始業時間を回っていたらしい。スピーカーから聞きなれた鐘の音が教室に響き渡った。

 

「は~い、馬鹿ども~くそ面倒だけどホームルーム始めるわよ~。てか、また騒がしいわね。これだからうちの学校は動物園だとか、日本唯一の紛争地帯とか言われんのよ」

 

言い争いを繰り広げる私たちを見て、担任の二方先生が呆れたようにその様子を眺めている。流石に担任を無視できなかったため、私は議論を抜けて先生に話しかけた。

 

「すみません、二方先生。それでも、私達には譲れないもの誇りがあるんですよ」

「毎回のことじゃん、このバカ騒ぎ。いい加減捨ててしまえ、そんな誇り。うるさくて隣の担任から文句言われるのは私だぞ? それで、今日の議題は牛丼かい?」

「ええ、ちなみに先生はどこが一番かと?」

 

 私の質問に対し、二方先生はきょとんとした顔を見せる。そして、当然のようにこういった。

 

「レトルトで食うのが一番じゃん? 安い、早い、保存できる。一人暮らしにとってこれに勝るものはないわ」

 

私の質問に先生は全く見当違いな答えを返した。

担任の二方仁見先生は、喋らなければ美人という言葉を体現した人間だ。長く伸ばした黒髪を後ろで無造作に結んでいる。ノーメイクなのにぱっちりと開いた二重まぶた。女性にしては高いその身長は170センチを大きく超えている。そんな一見するとまさに理想の大人の女性なのだが、彼女には残念なくらい男の匂いがしない。

 

「……先生、またパチンコで負けたんですか?」

「ちがうわ。負けたなんて失礼ね、金の預け先を変えただけよ。いずれ利子付きで倍にして返して貰うし」

 

 理由は彼女の趣味や趣向にある。ギャンブルと酒とたばこをこよなく愛しするこの女傑は生活力が皆無なため家事も壊滅的だったりする。

なぜ知っているのかと言えば、以前、学校に酒が残った状態で来た際に自ら暴露していた。ちなみにその前日は合コンだったらしく見事惨敗。解散後に一人酒におぼれていたものの、しっかりと出勤はしてきたのを良しと捉えるべきか。とはいえ、ホームルームで昨晩の失態を愚痴り出すという醜態をさらしている辺りやっぱり救いようがない。なんでこの人教師やっているのだろうと思ったのは私だけではないはずだ。

 以上の経緯から、彼女は常に金欠であるらしく、給料日前に生徒へ弁当をゆすっていたりする。主に私にだが。

 

「まあいいわ。とりあえずいい加減ほっといても話が進まないし、ちゃちゃっとバカ騒ぎも締めさせてもらうわね」

 

 二方先生はそう言うと、騒がしくわめき立つ生徒に背を向け、黒板に向き合った。

 

「————!! みんな、耳をふさ――」

 

 瞬間、教室中に響きわたったのは聴覚に鋭く刺さる高周波だった。黒板に真っすぐ突き立った爪が弧を描き、その軌道の足跡を色濃く残している。白熱していた集団はまるでゾンビ映画のごとく耳をふさぎながらうめき声をあげている。ちなみにその惨状を引き起こした先生も耳栓をしていなかったためか自滅しており、同じように悶えていた。

 

「あはは~、しょ~もな」

 

 ちなみにその被害を免れた一人、先生の行動を先読みしていた若葉が広がる惨状を目にして満面の笑みを浮かべながら見下ろしていた。




 そのうちまた書き直しするかもしれません。
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