鉛色の空から降ってぬる透明な粒が、下駄箱の扉のガラスから木の葉っぱが小刻みに揺れているのが見えた。
太陽が隠れて外の暗い雰囲気なのに、平行線上にはカラフルな花のような様々な色で溢れかえっている。
「……雨か」
そう、外は雨なのだ。
その日、チャイムの音が鳴ってホームルームが始まった。平日の授業は問題がなくスタートする。これぞ、高校生のザ日常と言ってもいいだろ。
――このまま時間が経てばただの平日だったのに。朝までは晴れだった。昼になってから空の雲行きが怪しくなった。放課後には神様が怒ったかのようにバケツをひっくり返した怒濤の雨。
今日に限って寝坊をしてしまったせいで天気予報を聞く時間すらなかったのが痛い。
鞄の中には、チーズ味のブロック食糧が三箱と空になった弁当箱が入っているだけで折りたたみ傘は一つもない。
それに、財布の中身を見て、お金はまだ余裕はあるけど、近くのコンビニで都会価格の少し高い傘を買うのはちょっとなと思ってしまう。
幸いにも置き勉派の俺には、濡れて困る物はないけど。
「しかし、この雨の中で帰るのはちょっとなぁ」
土砂降りの雨。その中で傘も差さずに帰ったら、百パーセントの確率で風邪をひくだろう。
俺のスーパーな頭の中の計算ではそうなっている。
鞄を傘の代用にするのも、気温が高いとはいえ明日までに乾ききるとも思えないし、何よりも中に入っているブロック状の貴重な食べ物が食べれなくなるのはもっと嫌だ。
「何時まで降るのだろう。やっぱり朝は余裕をもって起きるもんだな」
いっそのこと雨が止むまで、ここで立っているか。
今日はアルバイトがない日だしそれもいいかもしれない。雨を眺めるだけの長い放課後を堪能してもいいかもしれない。
「んな、わけあるか。ここで突っ立ってたら風邪ひくぞ」
雨風に乗って夏になりかけなのに冷たい風が肌を撫でる。
カーディガンやセーターなんてこんなピンポイントに寒い日に着れる物は持っていない。
それどころかそれらを買う金が勿体なくて冬も買っていないし。
「図書室に行くか? いや、暗くなっても雨がまだ降っているなら、帰り道が危ないし」
ここは大都会、東京だ。暗い夜もそこらにあるコンビニエンスストアが道を勝手に照らしてくれる。
道の先に急に崖があるわけでもない。
車は行き交うが、そんなのは田舎ではデッドヒートをそこら中で行われていたけど。
それでも夜というのは危ない。
高校生になったのと東京に住むのは今年で、二年生にはなったけど、この高校では俺の友達は少ない。金を稼ぐためにアルバイトをしているせいで部活は出来ない、気軽にくっちゃべるクラスの人もいないし。
どうしたもんかとしばらく悩む。その数少ない友人は、この学校は毎週水曜日に部活がなくて、もう帰ってしまっただろう。
空をいくら眺めても、一向に止みそうにはない。
「はぁ」とため息が一つ零れる。俺の息は冷たい雨の雑音に紛れて誰にも届かない。
本当にどうしたもんか。
「んっ、あれは?」
目の端で壁がけ時計を見ると、四時になっている。帰りのホームルームが終わったのは三時半前だから悩んでいるだけで三十分も経っていたことになる。
三十分以上も経っていると、用事のない生徒は殆ど帰ってしまって下駄箱にはポツンと俺一人だけになっている。
そんな中で生徒の出入りが少なくなり、人気がなくなった校門から、キョロキョロと見渡している突然現れた怪しいシルエット。
何かを見つけたのか、方向を定めて進む。
――しかも、それは俺の方の向かって一直線に歩いてきていた。
こちらに来るまでに道は別れているのに、一歩二歩と迷わずに進んできている。
その怪しい影は視界の悪い雨の中で、近付くにつれて徐々に姿が浮かび上がる。
裾も袖も長い茶色のコート。夏になりかけなのに、その服装は不審者の格好であ?。傘を持っていない手に大きな鞄。
それに特徴的なのは、ピンク色の髪。ツインテールの髪の毛を揺らしながら明らかに俺を目指していた。
俺には確かに見覚えがあった。
「……メスガキ、何で学校にいるんだよ」
「しーっ、しーっ。わたしは不法侵入しているんですよぉ。いくら雨が降っていてもよく見たら見慣れない、わたしは不審者です」
ない胸を張って俺の前に立ったのは。あのメスガキメイドである。
「あ、悪い」
助かったとは思ったけど、胸を張って言う台詞ではないだろ。
「まったくぅ。朝も話も聞かずに飛び出しちゃって、だらしないですよぉ」
「本当に悪かったよ」
「ちょっとしゃがんでください」
「ん、こうか?」
言われるがままに足を折って、彼女の目線に合わせた高さにする。
何をするかは分からないけど外だし、家の中と違ってそこまで悲惨なことにはならないだろう。
「ばーかばーか、マヌケなご主人さま。ちゃんと朝からわたしの話を聞かないからですよぉ」
耳元で甘い声質の優しい暴言を囁かれる。
雨風にさらされて彼女の熱の籠もった吐いた息は、冷たくなった耳を暖めた。
「雨の中でわざわざありがとうな」
「ええ、感謝してくださいよ」
わざわざ雨の中で俺を迎えにに来てくれたんだ。言葉はどうであれ本当に感謝している。
「ところで俺の分の傘は? もう一本持ってきているんだろ?」
見る限り彼女は傘を一本しか持っていない。差していない片方の腕にはエコバッグがさげられているから、その中に入っているんだろう。
「ないです」
「ない?」
と、俺は思っていた。
雨は相変わらず降っている。向かい風が吹いて後ろにある扉ガラスにもはや粒とは言えない水滴が流れていった。
「はい、ないです。今わたしの雨を弾いているこれ一本しか持ってきてないですよぉ」
……このメスガキメイドは何を言っているんだ?
傘を持ってきたって普通は迎えの人と待っている二人分の傘を持ってくるだろ。それなのにないってどういうことだよ。
「ですから、一緒に使いましょ?」
「はぁ?」
「相合い傘ですよぉ。わたしみたいな美少女と相合い傘なんて、幸運なご主人さまですねぇ」
こ、このメスガキ!
「普通の大きさの傘じゃ、二人とも中途半端に濡れるだけじゃ?」
「やってみなきゃ分からないじゃないですかぁ。ほらほら」
「ったく」
全身が濡れるわけじゃないし別にいいか。
「じゃあお邪魔しますよ」
「ええ、どうぞ」
「傘くらい俺が持つよ」
「いいですって、ご主人さまに持たせるとわたしが濡れそうなのでぇ」
「そうか?」
俺の方が身長が高いせいでメスガキメイドの腕がピッと伸びて辛そうだけど、大丈夫なのか?
俺は雨を弾く中心から少しだけ傘から出て、ひんやりとした粒が右肩を掠めた。これ以上濡れないようにすると、彼女とくっついてしまう。
無事に校門から出て、しばらしくてから息を潜めていていた彼女が口を開く。
「そんなに傘の中心から遠くだと肩が濡れちゃいますよぉ? それに、わたしの仕事が増えるんでもっと近付いてくださいよ」
「分かった、分かったよ。こうすればいいんだな?」
「え?」
真横に並んでいた俺は、傘を持っている彼女と同じ速さで歩いていたのを一旦止まり、彼女の背後に回る。
「これなら、お互い濡れないだろ?」
急に後ろに立ったことに驚いたのか、彼女の腰がぽすんと音が鳴って俺の腹に当たった。
傘という簡易的な閉鎖空間。雨が周りをカーテンみたいに封鎖して余計に密着している彼女の甘い匂いが閉じこもる。
「で、これから帰るのか?」
「帰りますけど、それよりもこの体勢で歩くんですか?」
「濡れないしいいだろ?」
このまま、まっすぐ進んで行くと家への帰宅路だ。
エコバッグがあるということは買い物をする予定だったんだろう。
「ま、まあ。わたしは気にしませんけどぉ。女性慣れしていないご主人さまは興奮してたまらないんじゃないですかぁ」
俺がちんちくりんなんかに興奮するはずないだろ。
「で、どうなんだ?」
「ご主人さまを送った後にスーパーには行きますけど」
「よし、じゃあ予定変更だな」
「ふぇ?」
後ろから抱きしめる形は変わらずに、彼女の手を上から握る。
彼女の手は雨風に長い時間当たっていたせいで冷たくなっていた。
赤信号で色が変わるのを待っていたが、家の方角とは違う、待っていた信号の右横にある青信号を渡る。
「よし、ギリギリ間に合った」
渡りきってから、ちかちかと点滅をして緑から赤に色を変えた。
「ご、ご主人さま。これはどこに向かっているんですかぁ?」
「どこって、ショッピングだよ。制服デートでもしようぜ」
どうせなら、俺も欲しい物を買いたいし。