という事で、どうぞ
「……これで、全員か?」
最後の一人を掌底で気絶させたクラウスは辺りを見回す。クラウスのまわりは気絶した鴉羽の暗殺者達で埋め尽くされていた。気絶させる、関節を外すなど、どれだけ戦闘不能に陥らせても数分もすれば起き上がってクラウスを殺さんと襲い掛かってきた彼らだったが、流石に体力が底を尽きたらしい。立ち上がれるものは誰一人としていなかった。
対するクラウスは無傷だ。息もまったく乱れていない。鴉羽の暗殺者、総勢76名の『指』はクラウスの敵にさえなれなかった。
クラウスは他のメンバーの状況を把握しようと、無線機を取り出した。
「ティア、聞こえるか?」
『ええ、聞こえるわ。そっちは終わった?』
「ああ、今終わったよ。他のメンバーはどうだ? 爆弾の設置は進んでいるか?」
『流石、先生ね……他のメンバーの進捗は順調な方よ。西棟は100%完了、北棟も89%達成しているわ』
西棟の担当はモニカとアネット、北棟の担当はジビアとジキルだ。
流石にこのメンバーとなると、仕事が早いなと感心する。
「そうか……東棟は?」
『……東棟は放棄したわ』
「……なんだって? 何かあったのか?」
ティアの報告にクラウスは一抹の不安を覚える。
東棟の担当はハイド、リリィ、エルナの3人だった筈だ。正直、個々に抱える欠点を考えると、一番進捗が送れるのは東棟だとは思っていたが……まさか、任務自体を放棄するような事態に陥っていると思わなかった。
『鴉羽の「目」の暗殺者が現れたのよ。今、ジキルが救援に向かってくれて、リリィ達は工場を脱出したところよ』
「そんな事になっていたのか」
工場内には鴉羽の『目』の暗殺者もいるだろうと予想していたジキルとクラウスは、『目』の暗殺者はクラウスが引きつけるようにするため、わざわざ目立つ正面玄関から侵入し、大立ち回りを演じていたというのに。
思惑から外れた結果に、クラウスは不愉快そうに少し顔を歪める。
「仕方ないな……爆弾の設置は引き続きモニカ達に任せる。僕は、ジキルの応援に向かおう」
『あ! その前にちょっと待ってもらえるかしら、先生』
クラウスが無線を切ろうとして、ティアに呼び止められる。
「なんだ?」
『ジキルから伝言よ……「目」は2人いるかもしれないって』
その言葉を聞いて、クラウスが怪訝そうに口を開きかけた、その時。
頭上から降ってきた殺気に気付いて、クラウスは大きく後ろへと飛び跳ねた。少し遅れて、無線機を刀が貫き、地面に突き刺さる。
「ちっ」
それだけで終わりではなかった。
見上げれば、さらに数十に及ぶ短刀が降ってきた。自分に向かって放たれた短刀をいくつか、拳銃で撃ち落とす。
「ほぉ、見事だな」
短刀の雨が降り終わり、今度は黒い外套を纏った男が一人、音も立てずに落ちてきた。
その男を一目見て、クラウスは警戒を強めた。おそらくこの男が、ジキルの伝言にあった、もう一人の『目』だろうと。
「まだ世界には、お前のような化け物がいるのだな……まさか、50人以上の『指』達と正面からやり合って、殺さず、生き残れる人間がいるとはな」
男はパチパチと、愉快そうに手を叩く。
その言葉にクラウスは、スッと目を細める。
「だが、先程お前がその全員を殺した」
クラウスの言葉通りだった。先程落ちてきた短刀の雨は一寸も狂う事なく、気絶する『指』の暗殺者の急所を穿ち、彼らは絶命していた。彼らの遺体からはトクトクと血が流れ始め、血池を作っていた。
「当然だ。それが私達『目』の役割だからな……そして、貴様は生かすには危険過ぎる」
そう言って、男はどこからともなく取り出した刀を構える。クラウスは「そうか」と答えて、ナイフと拳銃を構える。
「ちょうど、退屈していたところだ……今度はお前と遊んでやろう。『目』の暗殺者」
「戯言を……死ね。無法者が」
そう口を開いた男は、目にも止まらぬ速度でクラウスに接近し、構えた刀を横に振り抜いた。
一方、その頃。東棟の一階ではジキルが、死にかけていた。
「はぁーっ、はぁーっ、クソッタレが……やっぱ強ぇな。『目』の暗殺者様は」
廊下にもたれ掛かりながら、ずるずる足を引き摺るようにして歩くジキル。
全身は切り刻まれ、血が滴り落ちていく。致命傷は何とか避けてきたが、切り傷をつけられ過ぎた。このままでは先に失血死する恐れがあった。
「は、まるでボロ雑巾だな。最初の威勢はどうした?」
後ろから嘲笑するかのような声を浴びせられる。ジキルは忌々しげに振り向いて、悪態を吐いた。
「ちっ、追いつくのが速えんだよ……仕事大好きかよ、お前ら」
「ふん……貴様も、もうこの辺で諦めたらどうだ? ちまちま、ちまちまと爆弾やらトラップを使って逃げ続けているが、抵抗すればするだけ傷口が増え、苦痛が増すだけだぞ」
暗殺者の言葉に、ジキルはツバを吐きかける。
「阿呆が、死ねるかよ。俺はまだお前らを……鴉羽を殺し切るまでは死ねないんだよ」
「それこそ、阿呆の言う事だ。さっさと死ね、屑め」
「だから、死なねぇって、言ってるだろ!」
暗殺者が放つ高速の斬撃を、ジキルはナイフでその軌道をほんの少しズラす。そして身を捩る事で危なげに回避する。しかし、それを読んでいたと言わんばかりに暗殺者からダメ出しの蹴りが、ジキルの鳩尾を捉える。蹴り飛ばされたジキルはそのままとある一室のドアを破ってその奥にあるディスクまで転がっていく。
衝撃で、上手く呼吸ができない。流血も相まって、ジキルの意識は飛びかけた。
「ここまでのようだな」
そう言って、暗殺者は破壊された入り口の前に立つ。両手に持った短刀からは血が滴り落ちている。
「もう、諦めろ。ただのスパイにしてはよく生き延びた方だ。褒めてやる」
「かっは……復讐相手に、褒められても、全然、嬉しくねぇ、よ……」
ようやく呼吸が出来るようになったジキルが、切れ切れになりながらも、口を開く。上半身だけを起こし、半壊したディスクに背を預ける。武器を構えるような素振りはなかった。
ついに諦めたか、と判断した暗殺者はそのまま一歩足を踏み出し、ジキルの首を刎ねようと近づく。
「あぁ、でも、一つだけ嬉しい事があったわ」
そう言って、ジキルが口の端を不気味に吊り上げた。暗殺者が怪訝そうに、ふと立ち止まる。
「わざわざ、この部屋まで蹴り飛ばしてくれてありがとう……おかげで、歩く手間が省けた」
そう言われ、ジキルが持つそれに気付いた暗殺者が、慌ててこの場から離れようとしたがーーもう、遅い。
ジキルが、隠し持っていたボタンを押す。
「コードネーム『狂風』ーー壊し、狂わせる時間だ」
そうジキルが告げた瞬間、大きな爆発音と共に空間が揺れた。壁や床に亀裂が走る。暗殺者は瞬時に理解するーーこの男が、工場の爆破を強行したのだと。
(なんという男だ!? このままでは自分や仲間まで崩壊に巻き込まれないというのに!)
すでに部屋から脱出した暗殺者は必死に廊下を駆けるが、無駄だった。
ばきっと、音を立てて天井が降ってくるのが見えた。
「ーークソッタレが! 死に損ないの分際でぇぇえええっ!?」
そう暴言を吐き散らして、暗殺者の視界は暗転した。
「ーーっ、爆発音だと?」
正面玄関を取り囲むように響く爆発音を聞いて、クラウスは目を丸くする。まさか、爆破がもう決行されたとでも言うのか。
工場内が大きく揺れ、警報があたり一面に鳴り響く。工場内で火災が発生している事が自動の音声アナウンスで告げられ、正面玄関の天井から水が撒かれ始める。おそらく、防災用の機能だろう。
「……ここまでのようだな」
そう言って、構えを解く男。クラウスは警戒する姿勢をやめない。
「敵を前にして、逃げる気か?」
クラウスにそう言われ、男は忌々しそうに鼻を鳴らす。
「鴉羽の『目』としての役目は果たした。貴様はついでに過ぎん……それに、貴様もそれどころではないだろう? このタイミングの爆破は貴様にとっても予想外のものの筈だぞ?」
そう指摘されて、今度はクラウスが忌々しそうに舌打ちする。
実際、その通りだった。爆破のタイミングはジキルに一任されていた。ジキルが敵に追いつめられるか、或いは既に殺されて起爆ボタンを奪われたかして、仲間に知らされず、爆破している可能性もある。
「やむを得ない、か……」
そう言って、クラウスは警戒を解き、すぐさま工場の西棟に向かって駆け出した。