スパイ教室 二人のスパイ(後ほど削除予定)   作:眼鏡鏡眼

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次話で一旦、ジキルの話は終了します。
ここまでお付き合い頂きありがとうございました!







case5 狂風(後編)

 

 

 

 1年前。強い雨の日だった。妹が、目の前で死んだ。

 国外の任務を終え、一時帰国した際に妹も帰国している事を知り、妹が住む貸家を訪れた時のことだった。

 

「ーーおい! しっかりしろ、アリス!」

 

 スパイという立場も忘れ、俺は妹の名を叫んだ。

 妹が住む貸家は爆発によって半壊し、焼け焦げた匂いが鼻をついた。爆発に巻き込まれた妹も全身がズタボロに裂け、重度の火傷を負っていた。

 

「ーーあ、お兄、ちゃん?」

 

 名前を呼ばれて、口を開く妹。しかし、その虚な瞳が俺の顔を捉えることはなかった。妹が、「どこにいるの?」と手を伸ばす。

 

「ここだ! お兄ちゃんはここにいるぞ!」

 

 伸ばされた手を、俺は力強く握りしめる。その手は、恐ろしく冷たかった。

 手を握りしめられ、少しだけ表情を緩める妹は掠れた声で、言葉を紡ぐ。

 

「お兄ちゃ……私……最後の、ねがい……ある、の……」

 

「分かった、何でも聞いてやる! 聞いてやるから、早く病院に行こう! お前が元気になったら、お兄ちゃんがお前の願いを何でも叶えてやるからっ」

 

 下半身を失った妹が、病院に行ったところで助かるはずもなかった。それでも、そう言わずにはいられなかった。

 こんなにも唐突に、目の前で、妹と死に別れるなんて思わなかったから。

 そんな俺を気に留める事もなく、妹は更に言葉を紡ぐ。

 

「あの子……黒い髪の、女の、子……たすけ……ねがい……」

 

「あぁ、待て、待ってくれ! アリスっ」

 

「お兄……ごめ、ね……」

 

 そう言って、妹は息を引き取った。

 

「う、あ……あぁぁぁぁぁあああーーっ!!」

 

 慟哭に反響するように、響く雨音。

 激しさを増した雨は、妹の亡骸を抱えた灰色髪の青年と、その側で気絶している黒髪の少女を強く打ちつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 爆発によって、崩壊する工場。

 その北棟と東棟の間にある通路を駆ける、黒い外套を纏った男の姿があった。

 

「……ちっ。予想はしていたが、脱出用の通路がほとんど潰れてしまっているとはな」

 

 忌々しげに、男は口を開く。

 先刻、正面玄関で暴れていたスパイとの戦闘から退いた男は、崩壊する工場から脱出するために唯一、崩落していなかった北棟と東棟を繋ぐ通路に隠された脱出口に向かっていた。

 通路では未だに、工場内で火災が起きている事を告げる警報と、スプリンクラーから雨のように水が放出され続けていた。

 それらが煩わしいと、余計、男の気を苛立たせた。

 

「まぁ、比較的近いこの通路が無事だっただけでも喜ぶべきか……」

 

 そう言って、脱出口まであと少しというところまで来た時。

 目の前にある人影を見つけて、男は立ち止まった。

 

「ーーよう、鴉羽の暗殺者。そんなに慌ててどこに行く気だよ?」

 

 そう言って軽い調子で声を掛けてきたのは、体中をボロ雑巾のように切り刻まれ、血だらけで、死にかけの、灰色髪の青年だった。

 

「もしかして、この先にある脱出口が目的かい?」

 

 青年が挑発的にそう口を開くと、何かを察した男は青年を睨みつける。

 

「貴様、あの時のスパイか?」

 

「……あぁ。そういうアンタはあの時の会社員か。やっぱり『目』の暗殺者だったんだな」

 

 納得したように頷く青年に、男は疑問を口にする。

 

「貴様、なぜ脱出口の場所が分かった? あの脱出口はそもそも、工場の設計図にすら載っていない情報だ」

 

 しかも、脱出口は工場内に複数用意されていた。その存在を知る者は鴉羽の『目』の暗殺者のみ。

 そこで、男はある可能性に気付く。

 

「まさか、もう一人の『目』が裏切ったのか?」

 

「はははっ、それはねぇよ。『目』の秘密主義の徹底ぶりは、アンタが一番よく知ってるはずだろ」

 

 そう言って、青年はナイナイと手を横に振る。そして、「大した事じゃねぇよ」と言葉を続ける。

 

「設計図を見て、妙な空間をいくつか見つけてな。ある一箇所だけ残して、爆弾を設置しただけだよ」

 

 あとは、その一箇所に向かってくるかもしれない奴を待ち伏せしてただけ、と青年は付け加える。

 それを聞いて、男は驚愕する。あの設計図を見ただけで工場の構造を把握し、誤っているかもしれない可能性すら作戦に組み込み、実行した事に。

 青年が、「それにしても」と口を開く。

 

「鴉羽の『目』の暗殺者はどいつこいつも化物ばかりだな。天井に押し潰されても、まだ生きていやがった」

 

 あはは、と渇いた笑い声を上げる青年。「まぁ、」と嘲笑うように口の端を歪める。

 

「確認したい事があったから、それだけ聞いて、その後でキッチリ殺しておいたけどな」

 

 そう言って、取り出した短刀を放り投げる。投げ捨てられた短刀にはべったりと真新しい血がついていた。

 それを見て、男の雰囲気がスッと重くなる。フードから除く瞳が、冷徹に、暗く光る。男から放たれる殺気は、研ぎ澄まされた刀のように青年の体を斬りつけた。

 

「ただのスパイ風情が……殺す」

 

 低く、地獄から響くような声。男がその気になれば、死にかけのスパイ一人など赤子の手を捻るより容易く殺せるだろう。しかし、そんな殺気などどこ吹く風で青年はくっくっと、笑う。

 

「……何がおかしい?」

 

「いや、おめでたい頭だと思って? お前達、鴉羽の連中はどうして揃いも揃って自分が絶対強者だと思い込んでいるのかね……まぁ、そんな事はどうでもいいか」

 

 青年の言葉に男の放つ殺気がより一層激しさを増すが、青年はそれを無視して男に問いかける。

 

「さっき殺した『目』にも聞いたんだが……お前、『狂風』って名前に聞き覚えはあるか?」

 

「なに? 『狂風』だと……?」

 

 その問いに、男が反応する。

 そして男からはまた別の、記憶の底にあった怨敵の姿が呼び起こされるようなーーそんな怒りが湧いて出た。

 

「知ってるも何も、それは自爆によって私の左腕を奪ったスパイの名だ」

 

 静かに怒り狂う男は、左腕ーー義手を露にする。

 

「あんな小娘風情に、遅れを取るなど……私の一生の恥だ」

 

 忌々しげに舌打ちをする男。その様子を見て、青年は時を忘れたように、固まっていた。

 

「そうか、お前が……」

 

 青年がうわ言のように呟いた時、通路が大きく揺れた。比較的形を保っていたこの通路も、もう間も無く崩れ落ちる事だろう。冷静になった男が口を開く。

 

「無駄話もここまでだ……死んでもらうぞ、小僧」

 

 そう言って、男は刀を構える。男の技量を持ってすれば、今の青年の首など数秒の内に容易く斬り落とす事が出来るだろう。そんな状況下で、いつの間にか青年は懐から煙草を取り出し、ライターで火を点けていた。紫煙を吐く。

 

「まったく、本当におめでたい連中だな……今までの話で、想像できんのかねぇ?」

 

 青年はライターを点ける。

 男はそんな青年に向かって問答無用と言わんばかりに、跳躍する。

 

「ーー死ね!」

 

「仕方ない。俺が分かりやすく、答え合わせしてやるよ」

 

 青年の目前まで迫った男が、その首を斬り落とさんと刀を振るうーーそれよりも、少しだけ早く。青年は火の点いたライターを通路へと放り投げた。

 そして青年は告げるーー本来の、コードネームを。

 

「コードネーム『送火』ーー悔い朽ちる時間だ」

 

 ごうっ、と青年の眼前で炎柱が上がった。

 視界が朱に焼き尽くされる。炎は瞬く間に通路を駆け抜けて、煮え沸る地獄道を作った。

 

「ぎゃあぁぁぁぁああああーーっ」

 

 炎に包まれた男が悲鳴をあげる。炎地獄から逃れようと必死にもがくが、身体は先端部分から炎に焼き尽くされ、肉は焼け落ち、骨は砕けて、灰となる。

 

「つまり、こういう事さ」

 

 灰色髪の青年ーージキルは口の端を歪める。

 男が水だと思い込んでいた、スクリンプラーから放出されていた液体は、可燃性の液体だった。これは工場に侵入した際に、外で待機させていたグレーテとサラに依頼していたものだった。万が一、工場の爆破が失敗した時のセカンドプランとして、である。もちろん、スクリンプラーによる放水の有効範囲や炎が回る速度と方向は計算済みで、ジキルは安全圏に立っていた。

 

「大体、俺みたいな死に損ないが強い奴の前に無策で出張るわけないだろう……って、聞いちゃいねぇか」

 

 気付けば、目の前にあったのは男だった黒い物体だった。いずれそれも焼き尽くされて、完全な灰となって消えるだろう。

 壁にもたれ掛かっていたジキルが、ズルズルと落ちて、座り込む。血を流し過ぎた。意識が遠くなっていく。いやそれではダメだ、このままだと自分も崩壊に巻き込まれるか、炎に飲み込まれて死ぬ事になる。しかし……もうそれでもいいかという自分もいる。

 事実、ジキルが思い残すような事は何も無かった。

 妹を殺した暗殺者を見つけ出すために、妹が元々使っていた『狂風』というコードネームと「鴉羽の調査」という任務を引き継いだ。そして、その暗殺者を見つけ出し、殺す事が出来た。復讐は、達成された。

 最後の妹の願いで、追われる身となっていた鴉羽の元暗殺者である黒髪の少女……ハイドを保護し、パートナーとしたが、最初はそれも鴉羽を追うための手段であり、餌とするためであった。

 そもそも、ジキルがスパイになったきっかけはあの片足の男だが、その理由は唯一の家族である妹を守れるぐらい強くなるためだった。その存在は一年前にもう、失われている。

 

(すまねぇ……ちょっと遅れたが、俺もそっちに行くよ。アリス……)

 

 ジキルが妹を想い、瞼を閉じようとしたーーなのだが。

 

『ーー待つでござるよ、ジキル殿!』

 

 何故か、想い起こされるのはあの喧しい少女の顔だった。

 

『拙者、今回は何もしてないでござるよ!?』

 

 否定はしながらも、絶対に何かやらかしていて、

 

『……忘れていたでござる』

 

 他人が何度も教えた事をすぐに忘れ、

 

『というか。拙者思うのでござるが、拙者に任せたジキル殿が悪いのでは?』

 

 最終的に開き直り、人のせいにする。

 

『ーーふ、拙者のお陰でござるな。ジキル殿、お礼はパフェでいいでござるよ? あ、もちろんお店で一番高いやつでござるからな!』

 

 ちょっと良い事をすれば、すぐに図に乗り、パフェを要求してくる。

 

『ちょおぉっ!? 拙者、修行時代から虫だけは本当に無理で……やめて、やめて!? 近づけないでほしいでござるっ』

 

 山で修行してたくせに虫が苦手で、

 

『ジキル殿っ、今日はクリスマスというものらしいでござるな! 良い子にしてたらサンタさんなるものがプレゼントを持ってきてくれるのでござろう? 拙者、公園のちびっ子達に聞いて大きな靴下も用意して……え? サンタなんかいない? 正体は親……?』

 

 見た目通りガキで、何でもすぐに信じて、

 

『ジキル殿! 先程リリィ殿から面白い話を聞いたのでござるがーー』

 

 最近は『灯』の少女達といるのが、すごく楽しそうで、

 

『……ジキル殿、ジキル殿!』

 

 ……いっつも、俺の後ろをついて回るアイツが。

 頭から、離れてくれない。

 

『……ジキル殿!』

 

 アイツの……ハイドの声が、ずっと、聞こえて、

 

「ーージキル殿!」

 

「……あ?」

 

 霞む視界の中、崩壊する壁、視界を焼く炎と一緒に……顔を真っ赤にして泣きじゃくるハイドの顔が見えた。

 

(あーあ、泣いてんじゃねぇよ……お前は、バカみたいに笑っててくれなきゃーー)

 

 そうやって、ジキルは手を伸ばし、涙を流すハイドの目元を拭ってやったような……そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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