ちょっと話の流れが早いかもですが……よければ、どうぞ。
世界は痛みに満ちているーー。
歴史上最大規模の戦争が世界に残したのは、理不尽な苦痛と生々しい傷跡だった。戦争はガルガド帝国の降伏で終結したが、戦勝国側も死傷者が一千万人を超え、実質、勝者のいない戦争となった。
科学技術が進歩したこの時代。短機関銃、毒ガス、戦闘機、対人地雷などーーそれらの兵器はとにかく人を殺しすぎた。特にお互いが理性を失う大戦終盤は、見境いのない虐殺が各地で行われた。死傷者の多くが民間人。それも世界大戦の特徴だった。
終戦後、惨状を目の当たりにした世界中の政治家が認識する。
戦争はコスパが悪いーーと。
つまるところ、戦争は外交手段の一つに過ぎない。
他に代替する手段があれば別にいい。
金、人質、ハニートラップ、スキャンダル、交渉、暗殺などーー。
龍華民国の西部に位置する、三十階にも及ぶ高層ビル。その最上階にて。
「ーーかくして、『光の戦争』は終焉を迎えた、と」
そう呟いて、ローウェルはグラスに入った赤ワインを呷る。
高級感のある黒いスーツを着こなした、美しい青年だ。白磁のように白い肌と髪色。燃えるような紅い瞳。華奢な体つきは純正な白化個体。しかし、その所作から虚弱な気配は見受けられない。むしろ、爛々と輝く紅い瞳を細め、すべてを嘲るように笑う姿はまるで、悪魔のようだ。
「現代で繰り広げられるのは、多種多様な諜報機関による情報戦。『影の戦争』だと……まったく、退屈な時代になったものだねぇ」
空いたグラスを弄びながら、ガラス越しに目下の光景を眺める。
陽が沈んだ龍華の街並みは、赤、黄、橙色と多種多様な色の灯りで彩られている。飲食店が多く立ち並ぶこの街では老若男女と多くの人々が行き交い、賑わっていた。
十年前。終戦直後のこの街は焼け野原で、廃墟がまばらに建つだけの、灰色の街だった。そんな状態からここまで街が発展したのは人々の涙ぐましい努力があったからであり、讃えるべき業績なのだが……ローウェルにはその街並みが退屈で、滑稽に思えて仕方なかった。
嘲笑を浮かべたまま、ドアの前に立つ黒い外套姿の男に声をかける。
「そうは思わないかい? ダンゾウくん」
「……興味ないな」
ダンゾウ、と呼ばれた男は淡々とそう答えた。
右眼の上から下にかけて深い切り傷のある、初老の男だ。重たそうな黒い外套の下には数々の暗器が隠されている。
彼こそが『鴉羽』の頭領ーーすべての『鴉羽』の暗殺者達の頂点に立つ男だ。
ローウェルが意外そうな声を上げる。
「あれ、そうなの? あの世界大戦を生き抜いてきたキミにとっては随分と面白味のない時代になったと思うんだけどなぁ」
「関係のない事だ。儂らは殺す事しか脳の無い殺人兵器。光の中であろうが、影の中であろうがする事は変わらんーーただ、殺すだけだ」
淡々と、ダンゾウがそう告げた。
ダンゾウの回答にローウェルは「素晴らしい」と短く称賛し、拍手する。
「それでこそ『鴉羽』だね。だからこそ、キミたちと契約したわけだけど」
ローウェルはデスクの後ろの棚に飾っていたワインのボトルを開け、空いたグラスになみなみ注いでいく。
「……それで。今回、儂を呼びつけた理由をそろそろ教えてもらおうか。ローウェル=カーペンター」
「おっと、そうだったね」
ローウェルはワインの注がれたグラスをかざしながら楽しそうに話す。
「つい最近、また我が社で新商品が出来てね。その試験運用をしたいんだ」
ローウェルが「入って」と言うと、部屋の扉が開けられ、全身が黒い重厚なプロテクターと防弾ヘルメット・フェイスマスクで覆われた大男が現れる。両手にはポンプアクション式ショットガン。左右につけたホルスターに拳銃が二丁、サバイバルナイフを武装している。
「今回のプロテクターは以前よりも防弾性と軽量化に力を入れてね。ショットガンも回転性が上がってるよ」
ローウェルの解説を聞き、大男の装備を一瞥したダンゾウは興味がなさそうに「そうか」と答える。
「試験運用の件は承知した。明日にでも部下を一人、追加で試験役として向かわせよう」
これはダンゾウがローウェルと契約を交わした内容の一つだ。彼の会社の新製品の試験運用に人的協力をする。その際に死者が出ても構わない。その代わり、『鴉羽』に無料で武器の提供をするというものだ。
しかし、ローウェルは「いやいや」と笑って答えた。
「それには及ばないよ……今回はキミにお願いしようと思ってね」
その言葉にダンゾウが眉根をわずかに上げた、その瞬間。
大男がショットガンを構え、ダンゾウに向けて発砲した。ダンゾウはその場で跳躍し、弾丸を回避する。「おおっ」とローウェルが感嘆の声を上げた。常人にはあり得ない身体能力だった。
流れるように大男の後ろに着地したダンゾウは短刀を抜き、振り向きざまに大男の首へと刃を走らせる。
「ーーーー」
しかし、刃が大男の首に届くことはなかった。首まで届く頑丈なプロテクターに阻まれてしまった。大男が反撃とばかりにショットガンを数発、至近距離で撃ち込む。それをダンゾウは後ろへとステップを踏み、難なく躱す。
「……これはどういうつもりだ、ローウェル」
「いやね? 『鴉羽』の実力は認めてるんだけど、その頂点たるキミはどのくらい強いのかなぁと思ってさ」
高級感のある椅子に腰かけ、デスクに頬杖をついたローウェルが笑みを浮かべながら、言葉を続ける。
「それに最近、キミたち『鴉羽』は任務に失敗することが多いじゃない? 例えば、ディン共和国の工場、龍沖島の密輸……取引相手としては不安なんだよね」
ローウェルの言葉に、ダンゾウは押し黙る。事実、最近の『鴉羽』は任務の失敗が目立つ。ローウェルの言葉はもっともだった。
「だからさ、ここで一度確認させてよーー『鴉羽』が優れた殺人兵器なんだってことを」
「……承知した」
ダンゾウが半歩だけ、足を動かす。それを見た大男はショットガンを数発放つーーが、銃弾は壁を撃ち抜いただけでそこにダンゾウの姿はなかった。
「遅すぎるな」
気付けば、大男の隣にダンゾウが立っていた。少し遅れて反応した大男が再びショットガンを構えるが、ダンゾウはそれよりも早く大男の右目に短刀を突き立てていた。大男が崩れるように倒れる。
数秒も経たぬうちに決着がついてしまった。それも、ダンゾウの圧勝で。
「……防御性を重視するなら目の部分も保護すべきだ。簡単に殺せる」
大男の死体を尻目にそう答えるダンゾウに、しばらく唖然としていたローウェルはくっくと含むように笑った。
「いやはや、流石だね。まさか、こんなにも簡単にやられるとは思わなかったーーでも、まだ終わってないよ?」
ローウェルがそう言うと、大男が再び立ち上がった。ダンゾウがそれを見て僅かに目を見開く。サバイバルナイフを構えた大男がダンゾウへと襲い掛かる。
ダンゾウは大男が突き出した腕を絡め取り、そのままその巨体を背負い投げし、地面へと叩きつける。次にはシャキンと音を立てて装填したショットガンの銃口を大男の左目に突き立てていた。
「……死ね」
ガンッという衝撃音とともに床には脳漿が飛び散った。大男が確実に死んだ事を確認したダンゾウは、ローウェルへと視線を移す。
「ローウェル。なんだこれは?」
短刀を突き立てた時点で手応えはあった。半世紀もの間、人を殺し続けてきた感覚が告げている。あの時、この大男は確実に殺したはずだ。
ローウェルは、とっておきの玩具でも見せびらかせるようにして、懐から白い錠剤の入った袋を取り出した。
「これは、僕が個人的に開発した新商品だよ。『超人薬』とでも言おうかな」
口の端を吊り上げ、錠剤を眺めながらローウェルは言葉を続ける。
「人間の脳には安全装置とも言うべき機能が備わっていて、普段は本来の20〜30%の力しか発揮できていないっていうのは知っているかい? それをこの薬は解除する作用があるんだ。加えて、痛覚を麻痺させる効果もある……その効力は人によって変わるけどね」
「……随分と、狂った商品を作ったものだな」
ダンゾウは呆れたように、息を吐く。
ダンゾウの故郷に、「火事場の馬鹿力」という言葉がある。これは火事や地震といった災害時に普段では有り得ないような驚異的な力を発揮するというものだ。
先ほどローウェルが言ったように、人間の体には、骨や筋肉に深刻なダメージを与えないように20〜30%の力しか発揮できないように脳に安全装置が備わっている。
しかし、危機的状態に陥るとこの安全装置が外れることがある。そうすると、アドレナリンが大量に分泌されることで身体のエネルギー代謝や運動能力を高め、人は30%以上の力を発揮する事ができる。
さらに、「火事場の馬鹿力」を発揮している時は痛みを感じない事が多い。その理由はβエンドルフィンと呼ばれる物質が同時に分泌されるからだ。
この物質は気分の高まりや幸福感をもたらし、脳内麻痺とも言うべき鎮痛作用がある。
それを一粒飲めば作り出せてしまうというのが、この薬だ。
「でも、すごく魅力的な商品でしょ? これを投薬すれば常人ではあり得ない身体能力を獲得した超人を簡単に量産できる……『鴉羽』の人手不足も解消できるんじゃない?」
本題はそれか、とダンゾウは不愉快そうに眉根を寄せる。
「余計なお世話だな。儂らには不要だ」
「またまた〜、『鴉羽』の人数相当減ってるでしょ。千人近くいた暗殺者も今や四十人ほど。さらに十三人いたキミの右腕たる『目』も、生き残っているのは三人だけ……ここいらで戦力の増強をした方がいいんじゃない?」
『鴉羽』は、世界中で素質のありそうな子供を誘拐し、殺しの英才教育を施した暗殺者の集団だ。
ゆえに、一人一人が優れた暗殺術を持つ。そのため、人的補充は容易ではない。
「……好きにしろ」
「まいど。補充する人員はこっちで用意するよ。アテがあるからね」
ダンゾウの言葉に、ローウェルは満足そうに頷いた。
話はこれで終わりだなと、ダンゾウは部屋を出て行こうとする。
「ちょっと待った、ダンゾウくん。話はまだ終わってないよ?」
呼び止められたダンゾウが訝しんだ目を向ける。ローウェルは「本題はここからさ」と軽薄な笑みを浮かべる。
「先ほども言ったように、キミたち『鴉羽』はほぼ壊滅状態だ。それは何故か? 各国の諜報機関にキミたちの情報が流出しているからさーーその発信元をいい加減、潰そうと思ってね」
ローウェルは懐から二枚の写真を取り出し、ダンゾウに見せた。
そこには灰色髪の青年と、黒髪の小柄な少女が写っていた。
「情報を流しているのはこの二人。ディン共和国のスパイで、青年のコードネームは『狂風』。少女のコードネームは『黒子』だーーこの二人を殺してほしい」
「……承知した。それで? 具体的にどう仕留める?」
「ん?」
「この二人のスパイは我々にとって難敵なのだろう? 一年以上もの間『鴉羽』を追い、我々の事を知り尽くしている。策を講じねば、捕らえる事すらできん……貴様ならそこまで理解しているはずだ。ならば、貴様の中で何かしらのプランを考えているのだろう?」
ダンゾウの言葉に一瞬だけ目を丸くしたローウェルが、くっくっくと笑い始める。
「ーーもちろんだとも。種はまいた。舞台も準備してある。彼らは確実に登ってくるよ」
酷薄な笑みを浮かべながら、ローウェルはグラスに入ったワインを飲み干した。
【龍沖島 329地点無線。コードネーム『狂風』より報告。
諸外国の諜報機関に向けた情報対策により、『鴉羽』はほぼ壊滅状態と推定。
龍華民国にて『鴉羽』と密接な交流関係のある武器商人を特定。
同時に、世界中に散らばっていた『鴉羽』の暗殺者たちが龍華民国に集結している事を確認。
この機会に、『鴉羽』の掃討戦の決行を申請】
「ーーまさか、またお前達と一緒に戦う日が来るとはな」
そう告げて、車を運転する黒髪の美しい男、クラウスが感慨深いそうに目を細めた。
「あぁ、俺もだ。室長に呼び出された時は何事かと思ったけど……まさか、また『灯』との共同任務になるなんてな。クラウス達がいてくれるなら心強いよ」
隣に座る灰色髪の青年、ジキルも嬉しそうに応えた。
少し前に要請により、対外情報室を訪れたジキルは室長であるCより、『鴉羽』の掃討任務にあたり、チーム『灯』との共同戦線を取る事を命じられた。
ジキルとしては、ハイドと二人だけで任務にかかる事を想定していたため、クラウスのような強いスパイと組める事はとても有り難い事だった。
それに『灯』のメンバーは、ジキルと同じくらいの歳の少女達で構成されている。同年代の同胞とほとんど会う機会がないこの職場では、彼女達と再会できるのは個人的に楽しみでもある。
それは後ろに座る黒髪の小柄な少女、ハイドも同じようだった。
「拙者も、また『灯』のメンバーと会えるとは思っていなかったでござるよっ。皆は元気にしているでござるか?」
後ろの席に座っていたハイドが身を乗り出すようにして聞いてくる。ジキルは「危ないから、大人しく座ってろ」とハイドの頭を後ろへと押し込める。
「ああ、全員元気にしているよ。うるさいぐらいにな」
「それは良かったでござるっ。早く拙者も皆に会いたいでござるよ!」
ハイドが満面の笑みを浮かべて、車内でぴょんぴょんとはねる。早く『灯』のメンバーに会いたくてしょうがないようだ。
こんな調子で、ハイドも何かとうるさかった。
「ふっ……お前達も相変わらず元気にやっているようだな」
「まぁね……なんだかんだ生き残って、やってるよ」
この仕事を四年以上してきたが、我ながらよく生き残ってるよなぁと思う。
思い返せば、死にかけた事など何度もあった。その中には後ろの席で無邪気に飛び跳ねている相棒のちょっとしたミスに巻き込まれたものが幾つもある。
それこそ、いつか手違いで相棒に殺されるんじゃないかと思うほどに。
「そうか……僕達の仕事は基本、同胞同士の交流はほとんどない。先日会った同胞が次の日には死ぬ事なんてごまんとある。まして、異なるチームの同胞が同じ任務に当たる事は皆無と言ってもいい。そんな中で、お前達とは二度目の合同任務だーー今回も、全員で生きて帰ろう」
クラウスがそう告げる。その声には同胞を労わる熱がこもっているように感じられた。
「そうだな、こんな機会は滅多にないしな。今回もよろしく頼むよ、クラウス」
ジキルもそう言って、笑った。