一応書き続けてはいます( ; ; )
「うぇっぷ。食べすぎたでござるよ……」
お手洗いから出たハイドは会場へと続く廊下を歩きながら、唇を舐める。
豪華なバイキング式のディナーに心奪われ、食べすぎてしまった。そういえば、自分は任務中だったなぁと思い出す。
(うーん。まぁ、今から任務に集中すれば良いでござろう。なんか、ジキル殿も知らぬ男とダンスを踊って楽しそうだったでござるし)
あの口うるさい相方ですら、任務を忘れてたのだろうから怒られる事はあるまいと楽天的に考える。ちなみに、ジキルがダンスを踊っていた男が今回の任務の標的の一人であり、ハイドももちろん顔写真や経歴などの情報を任務開始前に再三ジキルに確認させられていたわけだが……すっかりそんな事は忘れていた。
目の前の角を左に曲がり、すぐ左隣の会場へと入ろうとした──その時だった。
「ん? あれは……」
会場を通り過ぎた、廊下の先。突き当たりの角を黒い外套姿の人物が曲がっていくのが見えた。見間違えるはずもない。『鴉羽』の暗殺者だ。
(なぜあんなところに……ジキル殿に伝えるべきでござろうか?)
どうすべきか、首を捻り……掌の上を拳で叩いた。
(うむ! ここらでさっきの奴を捕らえてジキル殿に見せつけてやるでござるよ。ジキル殿が楽しくダンスを踊っている間に拙者は仕事をしていたわけでござるから、ジキル殿は自身の怠慢を悔いて働き者の拙者を崇め奉るでござろうなっ)
頭の中で、恭しく跪き、ハイドを称賛する言葉を繰り返すジキルの姿が思い浮かぶ。
ならば善は急げと、ハイドは会場を通り越して『鴉羽』の暗殺者を追い始めた。
廊下の突き当たりを曲がった頃には『鴉羽』の暗殺者の姿が見えなくなっていたが、問題はない。彼らは大抵、洗っても洗い落とせぬような血の残り香がする。それを辿れば、追跡は十分可能だ。周辺にも細心の注意を払いながら、匂いを追って船内を進んでいく。
しばらく歩き、金属の扉の前で立ち止まる。匂いはここで止まっている。十中八九、『鴉羽』の暗殺者はこの扉の先にいるはずだ。
一応扉の先にトラップなどが無いか、扉に耳を当て探りを入れる。付近に危険な気配はない。ハイドは慎重に金属の扉を開いた。
明かりがついていない部屋だった。どうやらこの部屋は何かの保管庫らしい。棚が部屋中に並べられその上に大小さまざまなダンボールが積まれている。
(話し声がするのは……あちらでござるな)
足音を立てぬように抜足で、声のする方へと近づく。ハイドは暗くてもギリギリ視認できる距離で立ち止まった。
そこには『鴉羽』の暗殺者と思しき人影が数人集まっていた。
(見るからに『指』の暗殺者……あの程度なら拙者でも楽勝でござるな)
『指』なら持っている情報も誰であろうと同じはず。ならば、一人だけ残して、あとは全員殺してしまえばいいだろう。そう考え、ハイドが隠し持っていた短刀を手に持ち、『鴉羽』の暗殺者たちへと襲い掛かろうとした。
「────は?」
気付けば、ハイドは地面に叩きつけられていた。遅れてくる、内臓を押し潰さんばかりの衝撃。喉の奥から粘着質の液体が逆流し、口から吐き出た。
「──ぅ!? げっほ、げっほ!?」
何が起きてるのか理解ができなかった。全身を駆け巡る痛みから逃れるように身を捩る。が、わけも分からぬ内に何者かによって仰向けに転がされ、首を締められた。
「──久しいな、1021番」
重々しく放たれる男の声。目の前には、右眼の上から下にかけて深い切り傷のある、初老の男の顔があった。
男が心底落胆したように頭を振る。
「まさか、単騎でここまでやってくるとは……ぬるま湯に浸かりすぎたか? 以前の貴様ならばいち早く儂の存在に気づき、手を引いていただろうに」
ハイドは愕然とする。以前、とは何のことなのかさっぱりだったが、少なくとも突然目の前に現れたこの男が、正真正銘の化け物だと気付いたからだ。『指』どころか『目』の暗殺者すらこの男には及ばない。自分ごときが敵うはずがないと。
「おや? ダンゾウくん。それ、誰?」
そこへ間の抜けた声が室内に響く。声の人物がハイドを見下ろすような形で、ダンゾウと呼ばれた男の隣で立ち止まる。その人物の顔はハイドも知っていた。少し前にジキルとダンスを踊っていた、白髪赤眼の美しい男。
今になって思い出す。今回の標的の一人──『アルカナ社』の武器商人。ローウェル・カーペンターだ。
ダンゾウが淡々と口を開く。
「あぁ、餌に食いついた間抜けなネズミだ。以前とは比べるまでもない、使えないなまくらだ……が、これでも『指』程度なら殺せる。これからの戦いに邪魔である事は変わりない」
そう告げたダンゾウが首を絞める手に力をより加える。
「ここで、殺しておく」
暗闇よりもなお昏い瞳がハイドの相貌を捉える。メキッと骨が鳴る。
──あ、ここで自分は死ぬのか。
悲鳴を上げる暇すらない。こんな事ならジキル殿に一声かけておけばよかった。
そんな後悔と共にハイドの命が潰える──はずだった。
「──ちょっと待った」
それを制止する声が響いた。ローウェルだ。ダンゾウが訝しむような目でローウェルを睨みつける。
「……なんだ?」
「そのまま殺すのは、勿体無いなぁ。どうせなら、面白い事に使おうよ」
ローウェルの紅い瞳が怪しく光る。それを聞いたダンゾウが「面倒な……」とため息を漏らした。
「状況を掻き乱すのは貴様の悪い癖だな、ローウェル・カーペンター。いつか足元をすくわれるぞ?」
「ふふ、むしろ望むところさ。僕達に目的はない。過程が望むものであれば、それでいいでしょ?」
「……そうだったな」
ここで自分を殺すのはやめたらしい。ダンゾウが加えた力を解く。しかし、その拘束から逃れる事は出来なかった。どういうわけか、床に張り付けられたように体が固まって動かない。
「……っ。お主は何者でござるか……っ?」
ハイドは苦し紛れに、そう問いかける。ずっと疑問に思っていた事だ。この男は『鴉羽』の暗殺者で間違いない。しかし、今まで出逢ってきた『鴉羽』の暗殺者たちとは一線を画する存在だ。それに、妙に既知であるかのような口ぶりが気になった。ハイドはこのダンゾウとかいう男のことなど、全く知らないのに。
「────なに?」
ダンゾウが、目を瞬かせた。何かを探るようにハイドの頭に手を回す。
「……なるほど。記憶を失っているのか」
ハイドの後頭部にある長い傷跡を撫でるように触れ、息を漏らす。
何故そんなことが言えるのか、よく分からなかった。
「ふーん、なるほどなぁ……ねぇ、ダンゾウくん。この子、こっちの駒にできないかなぁ?」
その様子を面白そうに眺めていたローウェルがそう提案する。
それを聞いたダンゾウが一瞬だけハイドを値踏みするように目を細め、答えた。
「──できる」
「お、マジで? じゃあこの子に裏切らせようよ」
こいつらは何を言っているのか、とハイドは吐き捨てるように口を開いた。
「裏切る……? はっ、ありえないでござるよ。拙者がなんで悪党なんかの味方をしなくちゃ──っ!?」
ギリギリと首を締め上げられる。気絶しそうでしない、絶妙な力加減でそれは行われた。
「味方だと? それは人の場合の話だ。我らは殺人兵器。ただの人斬り包丁。それすらも忘れたのか、貴様は」
呆れたようにため息を吐くダンゾウ。「まぁ、いい」と首を締め上げる力を緩めた。
「げっほ、がっほ……っ!!」
解放されて酸素を求めるように息をする。未だに体が思うように動かない。
そんなハイドの様子を心底落胆したようにダンゾウは見下ろした。
「そんな貴様でも我らが雇用主は使いたがるのでな。そのなまくらを研いでやる」
その言葉から示し合わせたように現れた『鴉羽』の暗殺者たちに取り囲まれ、拘束される。
「な、何をする気でござるか……っ?」
「ただの調教だ。貴様には一度施してある。10分もあればもう一度体が思い出すであろうよ」
淡々とそう告げて、ダンゾウは上げた手を振り下ろした。