書きながら食べるアイスがうめぇ、うめぇ。
「応急処置ですが……これで大丈夫だと思います」
「ありがとう、リリィ」
ジキルはお礼を言って、右肩を軽く上下してみた。
ハイドに刺された右肩を、リリィに上着の引き裂いた布できつく締めてもらった。傷口も持っていたライターで焼いた。かなり深くまで突き刺さっていたため、痛みで思うように動かせないが、とりあえずはこれで凌ぐしかないだろう。
「──なるほど、何が起きたのかは分かった。だが、ハイドが何故裏切ったのか。それが分からないな」
その間に、メンバーを代表したモニカから事の経緯を聞いたクラウスは顎を撫でた。
「話してくれるな? ハイド」
「……パーティーの途中で、私は『鴉羽』の暗殺者を見掛けました」
魂が抜け落ちたように顔を伏せたハイドが、重々しい口調で話し始める。普段の「ござる」が口調の能天気な少女の姿はそこにはいなかった。
「私はそれを追って、他の暗殺者たちと密談している場所まで突き止めました。その時の私は愚かにも、単独でも十分に制圧できると考え、動きました──そこで『鴉羽』の頭領、ダンゾウに襲われました」
その話を聞き、「馬鹿が」と吐き捨てるジキル。
ハイドも「ええ、その時の私は大馬鹿でした」と自嘲するように応えた。まるで別人のように。
「抵抗する間も無く拘束された私はそこで彼らの拷問を受け……心を折られました」
少し、震えた声でそう告げるハイド。その時の恐怖から逃れるように自身の腕を抱く。
「それが、今回の裏切りの理由です」
その一連の話を聞き、クラウスをはじめ皆が納得する。
『鴉羽』の拷問はあの能天気な少女の人格を歪め、矯正させるほど苛烈なものだったらしい。しかも状況から察するにそれはごく短時間で行われたようだ。『鴉羽』の恐ろしさを改めて目の当たりにした気分だった。
「……拷問を受けた際に私、思い出したんです」
しばしの沈黙の後、ハイドが再度口を開いた。
「私がはじめてジキルと会ったのは、対外情報室が所有する牢獄の一部屋でした」
突然、過去の話を始めるハイドにクラウス達は顔を見合わせた。ただ一人、ジキルだけが鋭い眼差しでハイドを見つめる。
「その時には私は以前の記憶を失っていました。ただ、『鴉羽』という暗殺者集団の一員だったという事は周りの者から聞かされていたので、それを何となく受け入れていました」
そこではじめてハイドが顔を上げる。その顔は後悔と苦悩で歪んでいた。
「ごめんなさい、ジキル。貴方の妹──リタが殺されてしまったのは私のせいです。私は元『鴉羽』の『目』。そして、『鴉羽』の頭領であるダンゾウの孫なんです」
涙を堪え、床に額を擦り付けるハイド。それは涙を流すことすらおこがましいという彼女の今できる精一杯の、ジキルへの謝罪だった。
ハイドが『鴉羽』の、しかも『目』の暗殺者だったいう事実に『灯』の少女たちは息を呑んだ。しかしそれならば、ハイドの卓越した戦闘技術も頷ける。
また、『鴉羽』の頭領の孫娘だったという事実には流石のクラウスも目を見張った。それは、ジキルですら知らない事実だった。しかし、ジキルだけは表情を変える事なく、静かに問いかける。
「お前はどこでリタと会ったんだ?」
「私はある暗殺任務に失敗し、同胞に殺されかけました。そこで当時『鴉羽』の調査をしていたリタに会ったんです」
顔を上げたハイドの話に、ジビアが「頭領の孫なのにかっ?」と狼狽する。
ハイドは「それが『鴉羽』なんです」と力無く首を振った。
身内ですら容赦はしない──『鴉羽』の暗殺者としての矜持を垣間見た気がした。しかし、そんな絶望からハイドを救ってくれたのがジキルの妹だったらしい。
「リタも、最初は私から少しでも『鴉羽』の情報を得るために保護したんでしょう。しかし、リタは私を普通の人間として──いえ、まるで妹のように接してくれました」
そう話すハイドがここにきてはじめて、頬を少しだけ緩めた。
「リタと過ごした半年間は、私にとって夢のような時間でした。血濡れた過去と決別し、リタと2人でずっと一緒にいられたら──そんな事さえ願ってしまうほどに」
その時の幸せを噛み締めるように瞼を閉じるハイド。しかし、次に瞼を開いたときにその表情は再び後悔の念で歪められた。
「ジキルがリタの家に来る日の朝。『鴉羽』の暗殺者の襲撃を受けました。襲撃に来た男は当時、ダンゾウの右腕を務めていた男でした。勝ち目がない事を悟ったリタは手榴弾を放り、爆風から私を庇ってくれました」
そこまでの話を聞いて、ジキルは「……そうか」と息を吐いた。
ある程度、予想していた通りではあった。現場に残されていた爆弾の破片から、使われた爆弾はリタが任務でよく使用していた物なのは分かっていた。それを狭い室内で使用しなければならないほど逼迫した状況だった──命に換えても守りたいものがあったのだと、推察できた。
「本当にごめんなさい、ジキル。私は貴方から唯一無二の家族を奪ってしまった。到底償いきれるものじゃない……だから、私は」
不意に、袖からナイフを取り出したハイドがそのままそのナイフを自分の首に突き立てようと腕を走らせた。組み伏せていたジビアですら気づかないように隠し持っていたらしい。
「おい、ハイド!?」
ジビアが狼狽した声を上げる。突然のことに反応が遅れる。クラウスですら、この位置からでは止めに入ろうにも間に合わない。
怪しく光るナイフがハイドの首の表層を突き、朱い玉が浮き上がる──しかし、自殺は未遂で終わった。
「……どうして?」
押し倒され、うわ言のように口を震わせるハイド。
ハイドの自殺を止めたのは、ハイドがナイフを取り出すよりも早く動いていたジキルだった。ハイドに刺された右肩に激痛が走り、顔を苦痛で歪める。
「死なせてください。ジキルだって、最初からいつかは私を殺すつもりだったでしょう? 私は『鴉羽』の暗殺者。私の事は復讐を果たすための道具でしかなくて──」
「うるせぇ」
ハイドの言葉を打ち消すように、ジキルは言い放った。
我慢できなかった。もう見たくなかった──
「死なせてほしいだと? ふざけるな、そんな事をさせるわけがないだろ」
もっと早く、素直になればよかった。認めてやればよかった。ジキルはハイドの事を……一人の、大切な相棒として想っていた。
確かに最初は復讐の道具であり、復讐の対象だった。黒々とした感情はこの能天気で罪の意識の欠片もない少女をどうやったら苦しませ、自分が納得する形で殺せるのか……そんな事を考えもした。
復讐の炎は今もこの感情を薪にして、燃え続けている。しかし、復讐の対象であったはずの能天気な少女は、ジキルの
ハイドのどこにいても変わらない能天気な言動は、スパイという非日常を忘れせてくれた。ハイドの厚かましいわがままは、自分を兄にしてくれた。任務の時はハイドの失敗で何度も死にかけたけど、それ以上にハイドの強さに何度も命を救われた……それに。
「俺はリタと……いや、アリスと約束したんだ。お前を守ると。アリスが命懸けで守ったものを兄の俺が守らないでどうする」
もう、自分の想いを誤魔化したりなんかしない。
それを証明するためにジキルは妹の仮名でなく、本名を口にする。それは、誓いでもあった。
「私は、生きていていいんですか?」
目を見開いたハイドが瞳に涙をためて、震えた声で聞いてくる。
「ああ」
「ジキルのそばに、いてもいいんですか?」
「もちろんだ」
「またパフェを奢ってもらったり、任務でやらかしちゃってもいいんですか?」
「それは……なるべく遠慮してくれ」
「ぅ、うぁ…………わ、私……っ!」
ジキルは苦笑して、ハイドの頭を優しく撫でてやる。
大粒の涙がいくつも流れて、赤子のようにハイドは泣きじゃくった。
「それ以上は聞くな。お前は俺の相棒だ。俺がお前を本気で殺すつもりだったら、とっくに殺してるはずだしな」
本当に、そうなのだ。復讐が揺らいでしまわないように、色々な理由をつけては都度自分に言い聞かせていたのが今更ながら恥ずかしい。
ジキルこそハイドがそばにいなかったら、とっくの前に死んでいただろう。
「だから頼む、ハイド。もう一度俺と闘ってくれ。お前と一緒じゃなきゃ、俺はダメなんだよ」
「──っ。 ……はいっ」
その言葉を聞いて。
ハイドは心底嬉しそうに、晴れやかな笑みをたたえて応えた。